89 胸と鍛錬
このお話を書き始めて2年経ちました。
物語の中ではまだ半年も経っていませんが・・・。
身に付いたリズムというのは案外融通が利かないようで、ネアはいつものようにまだ夜が明ける前に目が覚めた。両となりのベッドを見ると先輩方はまだまだ夢の世界で遊んでおり、目が覚める気配がなかった。元々、冬眠モードに入りたいラウニと自称低血圧のフォニーなので不思議でもなんでもないとネアは認識を固くした。
【目が冴えているから眠るのは無理か・・・、そうだ、朝風呂にしよう】
ネアはそっとベッドから忍び出ると、音を立てずに昨夜干していたタオルとブラシ類が満載の桶を準備した。雪明りと獣人ならではの夜目が利くおかげでこの作業に困難を感じることはなかった。入浴道具一式を小脇に抱えると、音を立てずに扉を開いて大浴場を目指して暗い廊下を歩き出した。
脱衣場の扉を開けるとほのかに甘いような匂いが鼻腔に感じられた。ふと脱衣篭を見ると既に先客がいることが分かった。
【レイシーさんか・・・、この匂いは、ミルクなのか?】
と、どうでもいいような疑問を感じながら、さっさと寝間着を脱ぐと丁寧に折りたたんで篭に入れる。真っ裸のまま、タオルで隠すこともせずそっと浴場の扉を開いて湯船に近づいていった。湯船の横に包帯に巻かれた足だけが置いてあるのを見て湯気の向こうに目を凝らすと黒い人影が湯の中で身体を伸ばしているのが目に入ってきた。
「レイシーさん、おはようございます」
ネアは寝ている人を起こすこともない浴場でありながらも、何故か気を使って小声で挨拶をした。
「あら、ネアちゃん、おはよう。ラウニちゃんやフォニーちゃんは?」
にこやかに挨拶を返してくれるレイシーにネアはやや事務的な口調で
「姐さんたちは、まだ、寝ています」
と短く応えた。
「冬眠するって子と低血圧で寝起きが悪い子らしいわね、折角温泉があるというのに、勿体ないわね」
そう言うとレイシーはクスッと笑ってタオルで顔を拭いた。
「寒い時の温泉はなによりのご馳走ですから」
「・・・、ネアちゃんて、時々おじさんみたいなことを言うわね」
ネアの言葉に小さく笑いながらレイシーはネアを見つめた。そして、伸ばしていた身体を湯の中でただすとちょっと間を置いて言葉を出した。
「ネアちゃん、貴女、一体何者なの?」
「え、何を・・・、私はお館に勤めさせてもらっている侍女見習いですが・・・」
ネアもしっかりレイシーを見つめて現在の立場を口にした。
「ううん、違うの。収穫感謝祭の時、刺客が襲ってきたけど、あの時は必死だったから感じなかったんだけど、貴女は6歳の子供と思えないぐらい冷静だったよね。ハトゥアがショックのあまり気を失ったんだよ。それなのに・・・、貴女は私を助けてくれた。あの時の杖術も今まで私が見たことが無いものだった。そして、あの後のお酒での騒ぎ・・・、まるで何もかもお見通しみたいだった。ネアちゃん、一体何者なの?答えたくなければ答えなくても良いけど・・・、でも、誤解しないで、あの時のことは本当に感謝しているの。もし、ネアちゃんが助けてくれなかったら、ビブは母親を失うことになっていた。寂しい思いをさせることになっていたから・・・。だから、一人で抱えていることがあったら、話してくれないかな。それでネアが何かを思い出す助けになればいいし・・・」
レイシーの言葉は決して好奇心だけのものではなかった。レイシーも詳しくはないが、ドクターからネアの表のプロフィールについて話を聞いているが、それだけでは何となく落ち着かないものを感じていたからである。彼女は、ネアが6歳という年齢でありながら辛いことを経験していて、それがネアの記憶喪失につながっていると考えていた。
「ご心配、ありがとうございます。・・・そのことについては・・・、いつか、お話できると思います。私は、猫族の孤児で、極ありふれた女の子です」
レイシーの心配からの言葉にネアはコレぐらいしか答えることができなく、気まずく思いながら言葉を濁した。もし、自分がまれびとで中身がおっさんだ、なんて言ったところで、良いことは何一つなく、逆に混乱が発生するだけと考えたのと、ご隠居様から口止めされていたためであるが、ネアはレイシーにすまなく感じていた。
「何か複雑なものがあるのね。話したくなったらいつでも聞くから・・・、ネアはまだ小さいんだから、無理はダメだよ」
レイシーはネアに近づくとそっと抱きしめた。思わずネアはレイシーの豊かな胸で溺れそうになったが、心の中のおっさんの部分は歓喜の雄たけびを上げていた。
「ありがとう、レイシーさん、その時が来たら・・・、お願いします」
ネアは思いっきり後ろ髪をひかれる思いでレイシーの胸から身体を離すと身体を正してレイシーに礼を言った。
「その時がきたら、遠慮しないでね。・・・、それと、ネアちゃんはおっぱいが好きだって、本当?」
レイシーが己の胸をそっと撫でて、今までの調子とはうって変わった明るい調子でネアに尋ねかけてきた。
【男だったら当然だろ、と言いたいけど・・・】
ネアは心の中の素直な答えを口にするわけにもいかず、俯いて暫くだまっていたが
「え、そんな・・・、そう見えるのかな・・・。実は、私の胸も大きくステキになれるかなって思うから・・・」
何とか、自分なりに当たり障りのない答えだと思った言葉を口にした。その言葉にレイシーは疑わしそうにふぅーんと頷くだけだった。
「それより、誰が私がおっぱいが好きだなんて・・・」
ネアは心外であるとばかりにレイシーに聞いた。
「ラウニちゃんとフォニーちゃんが時々口にしているよ。大きな人がいると、すごい視線で見つめるって、そう言えば私のときもそうだったね」
「そんなー、まるで私が変態みたいじゃないですか・・・、ハンレイ先生に大きくなるって言われてそれから気になって・・・」
ネアの言葉にレイシーは大きく頷いた。
「そうだったよね、あの変態・・・、腕は確かなんだけど、どうもね・・・、悲しいけど、あの変態の胸に対する予言は的中率が高いよ。タミーちゃんもそう言われて、で、あの状態でしょ。ネアちゃん、心配しなくても立派に育つよ」
ネアの言い訳じみた言葉に、心中を察したのか、察していないのかレイシーは微妙な回答をよこした。
「でも、獣人の身体って、真人と違うんですよね。足だって私やレイシーさんやフォニー姐さんはつま先立ちが基準だし、毛の生え方も真人とは逆だし・・・」
ネアはいろんな意味でツルツルな自分の股間を見つめるように俯いた。
「でも、私だったら猫ですけど、猫のおっぱいって8つぐらいあるでしょ。それなのに私たちは2つ・・・、変ですよね」
ネアは自分の身体に関する疑問をレイシーにぶつけてみることにした。
「そう言えば、そうね。そんなこと深く考えたこともなかったよ。うちの人が言ってたけど、おっぱいの数は一度に産む子の数と同じなんだって。1つじゃバランスが悪いから2つなのかな・・・」
レイシーもしげしげと己の胸を見つめた。
「それと、私のご先祖様って猫だったのかな・・・」
ネアは己の肉球を見つめてつぶやいた。レイシーも同じように肉球を見つめていた。
「どうかなー、ビブのこともあるし・・・、すると私のご先祖様って豹と・・・、考えもしなかったけど、大きな謎ね」
「記憶をなくしたせいか、どうしても気になって・・・」
「ネアちゃんてやっぱり面白い。普通なら誰も気にしないことよ。お日様が東から昇るのと同じで、当然のことと思っているからね」
ネアの疑問に対するレイシーの答えは満足できるものではなかった。RPGで言うところのモンスターの幼生があまり登場しないこと、朝晩関係なくNPCが同じ場所に立ち尽くしているとか、そんなことに突っ込むような不粋なことなのであろうとネアは理解した。
「あんまり浸かりすぎていると、のぼせるし、そろそろご飯だからあがろうか」
レイシーの言葉にネアはこくんと頷くと湯船の中で立ち上がり、レイシーに肩を貸した。
「ありがとうね。普段はあんまり不便は感じないんだけど・・・、今度、ウチの人にお風呂用の足を作ってもらおうかしら」
温泉で体調が良くなっているのか、レイシーはご機嫌な調子で湯船に腰をかけて、足をつけると、ネアと一緒にブルッと水きりをして朝風呂を終えたのであった。
「お館の朝ごはんも良いけど、ここの朝ごはんはいいよね」
新鮮な卵で作られたオムレツを突きながらフォニーが上機嫌でラウニに話しかけた。
「・・・ハチミツも最高です・・・」
パンケーキにコレでもかと言うぐらいにハチミツをかけていたラウニが何とか意識をハチミツからずらして言葉を口にした。
「ラウニ姐さんはハチミツに目がないから・・・」
押し黙ったままハチミツを堪能するラウニを横目で見ながらネアが呟いた。
「で、さぁ、ネア、今日はあのゲームしようよ。実はね、今日のために特性のコマを作ったんだよ。朝のご飯が終わって着替えたらさ」
ハチミツで別の世界に意識を飛ばしているラウニをわき目にしながらフォニーが身を乗り出しながらネアに今日の行動を提案してきた。
「いいですねー。この機会を利用して、もっと楽しく出来るように改良したいですね」
ネアが無邪気にニコニコしながらフォニーの提案に賛成した。ネアとしてもこのスゴロクモドキを形にして小銭が稼げないかと最近思うようになってきていたので、反対する理由はなかった。
「ラウニ姐もそれでいいですよね・・・、あ、まだ戻ってないや」
ネアが隣を見るとそこにはハチミツたっぷりのパンケーキを無心にほおばり、至福の笑みを浮かべ、心がここにないラウニの姿があった。それを確認したネアは軽くため息をついた。
ラウニが現実世界に戻ってきたのは、朝食を終え、歯磨き、着替えなどを終えたぐらいであった。
「美味しかったー」
うっとりした表情でラウニは呟くと身支度を整えるネアとフォニーを見つめた。
「今日は何をしますか?」
子の言葉にネアはラウニが別の世界に行っていたと推測したことが正しかったと確信した。
「えー、聞いてなかったの、今日はさ、ネアが作ったゲームで遊びながら、もっと面白く出来るように考えるんだよ」
呆れたようにフォニーが言うと、ネアはこれ見よがしに大袈裟なため息をして見せた。
「初耳ですよ、そんなこと。フォニーなんですか、その目。ネアもわざと・・・」
「ラウニったら、その時、心が別の世界に行ってたからね。別の世界に行くのはヴィット様の時だけじゃないことは分かったから」
ぷくっと膨れながらラウニが文句言うのをフォニーは冷ややかに返し、にっと笑いながらラウニが別の世界に行っている時のうっとりした表情を真似して見せた。
「な、なんですか、それ。フォニーだって人の事、言えないじゃないですか。ルップ様のことになると、尻尾がせわしなくなりますものね。もし、私の尻尾が長かったらその真似ぐらいして見せますよ」
むっとしたラウニがフォニーにきつめに詰め寄っていった。そんな2人を見てネアはその間に割って入った。
「姐さんたち、ちょっと休憩しましょうよ。熱くなるのはお湯の中だけで・・・」
「ネア、偉そうな口をきくんじゃありません。まだ、おっぱいが恋しいのに」
「そうだねー、ネアはおっぱい大好きっ子だからねー」
いつの間にかネアが2人の攻撃対象になっていた。そのことに、むっとしたネアは口を尖らせた。
「レイシーさんにあること、ないことを言ったのは姐さんたちなんですね」
「「えっ」」
先輩方は互いに顔を見合わせた。
「わ、私はそんなことは・・・」
「う、うちもだよ・・・」
ネアは2人が先ほどの勢いがなくなりしどろもどろになってきているのを感じると
「私って、他の人の裸をジロジロと見つめるんですよね。今朝、レイシーさんから聞きました。しかも、何回もですよね」
ネアは刑事ドラマで犯人を追い詰める刑事のように2人に詰め寄った。ここが旅館の一室ではなく、どこかの断崖絶壁であったらまもなくエンドロールが流れてきそうな状況であった。
「そ、それはですね、ネアの視線が・・・、そのなんと言うか」
ラウニにいつものようなはきはきとした口調は見えなかった。
「べ、別に悪気があって言ったんじゃないんだよ」
フォニーも何故か引きつった笑顔で詰め寄るネアを宥めようとしていた。
「私は、出っ張っているのが、かっこいいなーって思っているだけです」
むすっとネアは口を尖らせたまま思っていることを口にした。ただ、大きいのが好き、とは言わず、かっこいいと表現したのは、ネアなりの大人の配慮であった。
「そんなにおっぱいが好きなら、ちょっと待ってたらウチがさ、充分に見せてあげるからさ」
フォニーがふくれるネアを宥めるように優しく語りかけた。その様子を見たラウニが横から
「私なら今すぐにでもいいですよ」
芽ばえ始めた胸をぐっとそらせてアピールしながらネアに語りかけた。
「そ、それは・・・、子供の胸は対象外です。かっこいいのは、タミーさんやレイシーさんみたいな大人の人のです。姐さんたちはまだまだなんです」
ネアは2人を睨みつけるようにすると、彼女達が駆け出そうとしている方向が違うことを諭した。
「日々の鍛錬を怠ると、大きくても形が崩れるそうです。一度崩れると元に戻らないとも聞いたことがあります」
このあたりの知識は、前の世界で新聞などで見知ったことであるが、先輩方はそんなことは知りようがなく、ネアの言葉に目を丸くしていた。
「ねあ、それってマジなの?」
「そんな怖いことって・・・」
先輩方は互いに顔を見合った。その表情にはうっすらと恐怖が滲んでいた。
「かっこいい人は、常に何らかの鍛錬をしていると思うんです。それを知ることが出来れば、かっこよくなれると思うんです」
ネアは2人の注意を促すように胸を指先でつついた。
「姐さんたち、いいですか、かっこいい人は簡単に鍛錬しているところを見せないと思うんです。必死でナニカしているところを見られていたら、かっこよくないじゃないですか。さりげなく、確実に鍛錬して、かっこよく見せていると思うんです」
ネアの言葉に先輩方はうんうんと深く頷いていた。
「だから、かっこいい人はどうやって鍛錬しているのか、そのヒントを得ようとしているんです。決してやらしいことやおっぱいが恋しいためじゃありません」
ネアは語りながら、酷い言い訳だなと自嘲したが、そんなことは表には出さないように耳から尻尾まで全神経を使った。
「ネアは、見るところが違いますね。タミーさんやレイシーさんがああなったのは隠れた努力のたまものなんですね」
「すごいよ。ねぇ、これから皆で鍛錬してさ、かっこよくなろうよ。そうすれば・・・」
感心するラウニに、何かを企もうとしているフォニー、それぞれ動機はどうであれ、ネアの苦しい言い訳は通じたようであった。
「姐さん、これから、あのゲームをしましょうよ。あのゲームにはまだ名前がないし、ルールも荒削りだし、それと、フォニー姐さんが作った特製のコマを見たいし、早くしましょうよ」
ネアは、胸に手を当てて神妙な面持ちになっている先輩方の背中を軽く叩くと、準備していたゲーム1セットを手にしてホールに足取りも軽く向かっていった。
「あ、待ってよ」
「すぐ行きますから」
先輩方は胸から手を離すと互いの顔を見て、慌ててネアの後を追っていった。
何度か、心が折れていますが、ここまで続けてこられました。
これも、この駄文に目を通していただいたり、ブックマークを頂いた方の
おかげと思っています。改めて感謝申し上げます。