88 懐かしいもの
寒い時は暖かい鍋料理が最高ですね。おでんも捨てがたいし、美味しい料理と共に頂くお酒は何にも変えがたい幸せです。
レイシーが浴場から出て行った後、重い空気が暖かい湯気に混ざっていた。
「フォニー、なんであんな失礼なことを聞いたのですか?」
湯船に浸かりながらラウニが軽く目を閉じてじっとしているフォニーにキツイ口調で尋ねた。
「・・・これは、内緒だよ。誰にも言わないでくれる?それが約束できないと答えられないよ」
ラウニの問いかけにフォニーは浸かっているお湯とは全く逆の冷ややかな答えを返してきた。
「と言うことは、フォニー姐さんは、誰かに頼まれたの・・・かな?」
ネアがどっぷりと湯に浸かったままぽつりと言った。
「私を信用しないのですか。ネア、その誰かって・・・」
ラウニがキツイ目線でフォニーを見つめながら問い質しながら、ネアの言葉に引っかかったように、驚いたようにネアを見つめた。
「流石、ネアね、鋭いよ。ネアの言ったとおりだよ。・・・ラウニ、その言葉信じるよ。でも、下手に喋られると、私の信用がなくなるんだからね。そこは・・・分かるよね」
フォニーはさっきと同じ口が言ったとは思えないような、ちょっと困惑の色を滲ませながら口を開いた。
「ドクターがね、レイシーさんが怪我のこと、本当に治ったのか心配してるんだよ。勿論、きれいに傷口は治っているけど、心がまだ怪我したまんまじゃないかって・・・。うちも、まさか・・・、足を切っていたなんて知らないし、大きな怪我で動かしにくいぐらいにしか思っていたんだよ。それに・・・、あんなことがあったなんて・・・」
フォニーが両手で顔を覆ったまま黙り込んでいた。
「心配することはないです。レイシーさんは楽しそうだし、幸せですよ。ほら、レイシーさんも強くなったって言ってたでしょ。足をなくしても、それ以上に手に入れたモノがあったんだと思います」
ネアが心配するように、そっとフォニーに近づいてその背中を肉球の付いた小さな手でさすった。
「・・・ずっと、ドクターはレイシーさんのことを心配しているんですね」
ポツリと呟いたラウニの言葉にネアは
【あんな美人をあんな髭ダルマが女房にしたんだから、それぐらいあって当然だろ】
と、突っ込みたくなったが、そこは大人として黙っておくことにした。
ネアは黙りこくっている先輩方を動かすため、大人として、敢えて空気の読めない子供を装うことにした。
「姐さんたち、お腹空きませんか・・・、キバブタのお鍋、早く食べたいんだけど」
「この子は・・・、今・・・」
ラウニが空気を読めと言いたげに口を開いた。
「お湯にのぼせたら、食べられなくります。ここには楽しむために来たんです。レイシーさんも元気だし、ビブちゃんは相変わらず見たいだし、ドクターはお酒があればそれで良いし。私はなにより、キバブタのお鍋を食べたいんです」
ネアはそう言うと、湯船から上がり、さっさと身を震わせて水切りを終えた。。
「朝風呂も気持ち良いんですよね・・・。ここ、湯量の多いかけ流しですから、毛を掬う必要はないようですよ」
ちらりと黙り込む先輩方を見やりながら、さっさと脱衣場に入っていった。
「ラウニ、うちもお腹空いたし、それとさ、さっきネアが言った、朝風呂、楽しみたいし。だから、妙に拘らずにさっさと上がろうよ。ラウニが難しい顔していると、私がしゃべったってドクターにばれるし・・・」
フォニーもネアにならってさっさと湯船から浴場から出て行った。取り残されたラウニもフォニーを追いかけるようにして、湯船からあがった。
暖炉のあるホールがこの宿の食堂も兼ねていた。大きなテーブルの真ん中は、五徳らしきものを置いた囲炉裏のような作りなっており、その上で大型のダッジオーブンのような鍋がぐつぐつと良い匂いをあげながら煮立っていた。
「お嬢さん方、湯加減はどうだったかな?」
宿の主人であるラスコーがニコニコしながらネアたちに席につくように促した。
「身体の芯から温まりました。」
寝間着に着替えたラウニがにっこりしながらラスコーに答えると、ネアとフォニーに席を示して着くように促した。
「いい匂い、これだけでお腹が膨れそう」
フォニーが目を細めて鍋を見つめた。
「3日ほど前に仕留めたキバブタだぞ。熟成させたから、いい味になっておるよ。それとな、お腹一杯は、食べてからにしておくれ」
ラスコーは鍋つかみを手にすると鍋の蓋をそっと開けた。食堂一面に湯気と料理の良い匂いが広がった。その匂いを嗅ぎながらネアはちょっと首をかしげていた。
【この匂い、かいだことがある。・・・、あ、前の世界で・・・】
ネアの疑問は鍋の中身を見たときに確信に変わった。鍋の中にあったのは、キバブタの肉は当然として、鍋料理の野菜として不動の位置を確保している白菜、鍋の中に彩を添えている人参、そして白い豆腐まで鎮座していたからである。
「さ、遠慮なくやってくれよ。で、お前さんには勿体無いが、この葡萄酒だ。結構な年代モノだぞ」
ラスコーはそう言うと古びた瓶をドクターに手渡した。
「酒は酒の味が分かる者に飲まれるのが幸せなんじゃよ」
ドクターは呑ん兵衛理論を展開させながら、瓶の栓を抜くとその香りをかいでひげ面をくしゃくしゃにして喜びの表情を浮かべた。そんなドクターをレイシーは優しく微笑みながら見つめていた。
「さ、どんどんお食べ」
エプロン姿のヒルカが椀に鍋の中身をすくって入れるとネアたちに手渡していった。
「「「今日の糧を頂けることに感謝します。いただきます!!!」」」
侍女たちは食事の祈りを捧げるとすぐさまスプーンでキバブタの肉を救い上げると口の中に入れた。
「熱っ」
フォニーが口を押さえながらもしっかりと味わいながら涙目になっていた。
「・・・」
ラウニは蜂蜜を目の前にした時のようにスイッチが既に入っているみたいで黙々と口を動かしていた。
「!」
ネアはそっとスープをスプーンで一口すくって口に入れると目を見開いた。
「味噌だ・・・」
思わず口にしたが、それを聞いている者はいなかった。先輩方は食べるのに忙しいし、ドクターはワインに夢中になっているし、レイシーはビブに肉の柔らかいところをフォークで取り分け、小さくすると良く冷ましてから赤ん坊用の椅子にはめ込まれたように座っているビブの口に運ぶのと、自らが食べるのに忙殺されていてそれどころではなかったためである。
「遅れてごめんなさい、これ、ビブちゃん用のお食事、ちゃんと冷ましているから」
ヒルカがおじやのような離乳食を小さなボウルに入れて持ってきた。
「私がビブちゃんのお食事のお手伝いをしますから、レイシーさんはお食事を楽しんでください」
シャルが小さなボウルとスプーンを手にするとビブの横に座って黄色に黒い点を散らしたビブの顔を覗き込んだ。
「可愛い、まるで子猫ちゃんみたい」
可愛いと言われたのが分かったのか、ビブはご機嫌な様子で笑い声を上げた。
「シャルちゃん、ありがとう」
レイシーはシャルに礼を言うと、目標を食事に切り替えた。その目は騎士だった時の目に戻っていた。ひょっとすると騎士と言う前に、獲物を前にした捕食者のそれだったかもしれなかった。
ネアは味噌や豆腐や白菜の謎を考えていたが、それはキバブタの鍋料理の前にすっかり小さくなってしまった。今は疑問を感じる前に、この鍋料理の味を楽しむことが重要だと考えを切り替えていた。
「うーむ、流石は獣人じゃな、食べっぷりが気持ち良い、獣人でなくとも匙を止めることはできんが・・・」
ドクターが葡萄酒を口にするより鍋料理に舌鼓を打つことのほうが圧倒的に多い状態になっていた。
「気に入って貰えたかな、今年の鍋は特製なんだよ。なかなか、調味料が手に入らないんでな」
誰も喋らず黙々と口を動かす面々を眺めてラスコーはにっこりとしていた。
「おいしかったー」
鍋の中身が殆どスープだけになった時、フォニーがやっと言葉を口にした。
「お嬢さん方、まだまだですぞ。コイツのしめは、この麺を・・・」
ラスコーはいつの間にか皿に盛られた白い麺を鍋の中に豪快に投入していた。その麺を見てネアは目を見開いた。
「うどんだ・・・」
誰にも聞こえないような小さな驚きの声を上げた。ネアはどこかで見たことのあるようなこの流れに疑問を感じたが、それは食欲の前に小さくなって気にならなくなっていた。ウドンも平らげた後、一行は食堂で暫し満腹感に浸っていた。それはまだ小さいビブも同じようで満足な表情で寝息を立てていた。
「「「今日の糧をありがとうごさいました。ごちそうさまでした」」」
侍女たちも満足な表情で感謝の祈りを捧げて互いを見てにっこりした。
「ネアの提案は正しかったのですね」
「そうだねー、冬眠しなくて良かったね」
「ご隠居様の情報に偽りはないのです」
侍女たちは互いに見合って満足の笑みを浮かべた。そこへ、今夜のデザートのケーキが姿を現した。
「これは、別腹でしょ。レイシーさんもそうでしょ」
ヒルカはそれぞれの前にケーキののった皿を置きながら微笑んだ。
「いくつになっても、母親になっても、これは変わりませんね」
レイシーはケーキの香りを嗅いで目を細めた。
「私もそうだから」
ヒルカはそう言うと笑い声を上げた。そして侍女たちは、既に先頭モードに入ってケーキと戦いだしていた。
「ドクターは、コレですよね。この秋とれたものです」
ヒルカはドクターの前に胡桃とくるみ割りを置いた。
「この葡萄酒にあいそうじゃ。ありがとう」
ドクターはそう言うと葡萄酒の残りをなみなみとグラスに注ぎ、胡桃を割ると一口、口にした。
「美味じゃ」
と呟くと、葡萄酒を咽喉に流し込んでいった。
やっと、デザートも終える頃、侍女たちに今度は睡魔が襲いかかってきた。あくびをかみ殺しながらラウニがネアとフォニーを見つめた。
「そろそろ、眠くなってきませんか」
「ウチはもう、眠くて眠くて、ここで寝てしまいそう」
「そろそろじゃなくて、とっくの昔に、そして充分に眠いです」
ラウニはネアとフォニーの言葉を聞いて頷くとさっと立ち上がり、ドクターと談笑するラスコーに正対した。
「美味しいお料理ありがとうございました。今日はこれで失礼させて頂きます。おやすみなさい」
ラウニの言葉に侍女たちは合わせたように頭を下げた。そんな姿を見てラスコーはちょっと驚いたような表情を浮かべた。
「流石は、お館の侍女さまだ。ちっちゃくても、ちゃんと礼儀は心得られておられる。・・・いい年齢して全くなってないのもおるが。明日はゆっくりされるといいよ。おやすみ」
ラスコーは侍女たちに手を振って挨拶を返すと、呆れたような表情でドクターをみつめた。
「誰が、なってないじゃと」
むすっとするドクター見てラスコーは笑い声を上げた。
「おいしかったー」
ベッドの上で仰向けになったフォニーがため息をつきながらつぶやいた。
「初めてのお料理でした。あのスープ、いいお味でした。来年も、できれば夏のお休みにも来たいですね。今年は、いろいろとあったからお休みはありませんでしたけど」
ラウニもそう言うと柔らかなベッドに顔をうずめた。
「そうだね。ここは夏は涼しいだろうし、きっと夏は夏でおいしいものがあるはずだよ」
フォニーはラウニの言葉に頷きながら、次のお休みの計画の青写真を描きはじめていた。
ネアは黙って二人のやり取りを聞いていた。そして、今日食べた料理の疑問が再び大きくなってきた。あの味噌、豆腐、うどんは誰が伝えたのか、それとも元々あったのか。まれびとはご隠居様が言ったように、あちこちに来ていた証拠なのか、と懸命に考えていたが、身体がしきりに眠気を訴え、思考力を奪っていき、ついに、ネアは身体の訴えにまかせることにした。
「・・・おいしかった・・・、おやすみなさい」
ネアはそう言うと、さっさとベッドにもぐりこんでいた。そして、枕のポジションを直すとさっさと目を閉じた。
「あの子、一口食べて味噌だと言ったぞ」
ラスコーは食堂の後片付けをしながら、同じように片づけているヒルカに驚いたような口調で話しかけた。
「ええ、しめの麺を見て、うどんって言ってましたからね」
ヒルカも同じように驚きを隠さずに答えた。
「あの料理って、まれびとのレシピでしょ。すると、やっぱりあの子、まれびと?」
床を掃きながらシャルが不思議そうな表情で尋ねてきた。
「まれびとと考えて間違いない。ボルロめ、面白いカードを手に入れよったわ」
ラスコーはにたりと笑った。
「カードなんて、酷いこと言うわね。あんな可愛らしい子なのに」
ヒルカはラスコーの例えが気に入らないようで抗議の声を上げた。
「かわいいと言えば、ビブちゃん、子猫みたいで本当に可愛かったなー、私もあんな妹、欲しいなー、あ、獣人の人と一緒になって、獣人の子の母親になるのもいいかも」
シャルは遠い目で呟いた。それを聞いたラスコーは渋い顔になった。
「お前は、嫁に行かなくてもよいぞ」
「あらあら、いつまでも手元に置いて置きたいのかしらね」
ラスコーの言葉にくすくす笑いながらヒルカが突っ込んだ。
「誰と一緒になるかは、私の自由だからね。ひょっとするとどこかの郷主のご子息と一緒になるかも」
「ふん、そんなのは夢じゃよ。誰が、大切な一人娘を・・・」
むっとするラスコーの背中をヒルカがそっと撫でて微笑んだ。
「まだ、先のことですよ。・・・貴方も私をむずがる私の父さんの元から連れて行ったでしょ。やったら、やり返されるの」
「・・・」
ヒルカの言葉に黙り込んでしまったラスコーは黙々と片づけを続けていた。
「そうだ。明日、あの子にいろいろと聞いてみよう。俺の持っている情報が正しいか、推論がずれていないか分かるかも知れん」
ラスコーは考えを切り替え、ネアに何を尋ねようかと考え出した。その表情は、明日、何して遊ぼうと考える子供のそれに似ていたようであった。
「あの子は、大切なお館の侍女なのよ。いい子だし、酷いことはなしにして下さいね。もし、泣かすようなことをしたら・・・、貴方、分かっていますよね」
ヒルカは凄みのある黒い笑顔をラスコーに向けた。それを見てラスコーは身震いすると黙ったまま頷いた。
「あれ、本気の顔だよ・・・」
何度かあの表情で言われたことを守らずに、お仕置きされたシャルも父親と同じように恐怖に身を震わせた。
ラスコーの(大したことない)狙いは何なのか?味噌や豆腐、挙句の果てにうどんを伝えたのは誰か?などのどうでもいいような謎をはらみながら次に続きます。
今回もこの駄文にお付き合い頂きありがとうございます。感謝しております。