75 とっておきの場所
住めば都と申しますが、どのような場所でも暫く生活すると愛着が持てるものです。かく言う自分もこのお話を書き出してから2回ほど住まいを変えています。
離れるときの寂しさは何度経験しても慣れないものです。
「持って行ける物は必要な物だけですよ。使い込んだお鍋やキャサちゃんの大切なヌイグルミは別ですけどね」
ナナがてきぱきと持って行く物の仕分けを仕切っているのを見てネアはナナやロクが何をしてきたのか、興味を持つことになった。
【年齢に比して多くの修羅場を経験してきているのか、それとも何らかの訓練を受けてきたのか・・・。今のポジションもご隠居様の密偵みたいなものだし・・・、興味深いな】
余程の仕切屋かそれなりの立場に居た者なら初対面の相手に対して指示を出すことに躊躇することはないだろう。ただ、前者は自分のことを基準とするため無駄なことが増えたり、拘りのためにいらない作業が増える傾向がある。後者は任務を基準とするため見ようによれば冷徹なまでの判断をすることがある。ナナは明らかに後者だった。躊躇するナンス夫人に対してその場で、その物が必要か不必要かを判断し、極力荷物を減らそうとしていた。
「ボクも手伝います」
「わたしもー」
と言い出す子供たちにナナはにっこりしながら言うと、ネアを見つめた。
「その気持ちだけでいいよ。周りの人に変に思われないようにいつもと同じように遊びに行ってきな。まちがっても今日でサヨナラです、なんて言わないようにね。ネアも一緒に行ってきて、また悪ガキどもが酔ってくるかも知れないからね。なんなら、ハサミ持っていくかい?」
ナナは古いはさみをカシャカシャと鳴らしながらニヤリと笑った。
「ハサミって・・・、ブレヒトが追い掛け回されたって・・・、本当なの?」
ナナの言葉にクレドが真剣な表情でネアに尋ねてきた。
【どこまで尾ひれが付いているんだよ。これじゃ、切断女とかの新たな称号が付くぞ・・・】
ネアは気まずい表情を浮かべて言いにくそうに口を開いた。
「アレを見せてきたから、追っ払うためにしたの。姐さんたちも嫌がっていたし・・・、でも助けてくれたのはバトさんなんだよ。アイツらバトさんに笑われて・・・」
ここは噂の焦点をズラすことに集中しようとネアは考えていた。ケフのアブナイ子リスト(あるとすればだが)|に、これ以上新たなネタを提供する気は毛頭なかった。
【バトさん、ゴメン】
ネアはここにいないバトに心の中で深々と頭を下げていた。
「ネアも今日は羽を伸ばしてきな。アンタたちは普通の子と違って、こんな時でもなけりゃ、好きに遊ぶこともできないだろ?坊ちゃん達と一緒に遊んで来ればいいよ。昼ごはんの時には一度戻っておいで、いいかい?」
ナナは自分を手伝い、種々雑多な日用品を整理しているネアに声をかけた。
「でも、準備が・・・」
「子どもは難しいことは考えなくていいんだよ。ミオウではちゃんと働いて貰うからね」
戸惑うネアにナナは、行ってきな、とばかりに掌を振ってネアを追い出した。
「こんな時間に外出か・・・」
扉の前でネアはじっと立ちすくんでいた。こちらに来てからお休みでもないのに昼前に外に出て、同年代の普通の子たちと遊ぶなんてなかったので戸惑いが大きかった。
「ブレヒトたちも知らないいい場所に案内するよ」
クレドが佇むネアに笑顔で話しかけた。
「わたしとおにいちゃんしか知らない秘密の場所だよ。今日で最後になるけど・・・」
キャサが少し寂しげに一緒に行こうと促した。
「うん、行ってみたいな」
【子どもの心を無碍にするわけにも行かないし、行かない理由もないし、付き合うか・・・】
ネアは頷くとキャサの手を引いて駆け出すクレドの後を追った。
通りを数本通り抜け辿り着いたのは
「教会?」
お嬢のお供で通ったことのある教会の前に三人は立っていた。
「ここからが、秘密のことなんだ」
クレドは教会の中に入ると出入り口の近くにある扉をノックした。
「開いているよ」
中からのんびりした声が返ってきた。
クレドはその声を聞くと扉を開けた。眠そうに椅子に腰掛けた真人の老人が薄目を開けてクレドを眺めていた。
「ゴルグさん、そろそろ鐘楼の掃除の時期かなって思ったからさ」
クレドの言葉にゴルグは眠そうに暦を見た。そして顔を少ししかめてクレドを見つめた。
「そうだな。そろそろそんな時期だな。今度も頼むよ」
「分かったよ。道具はいつものところだね」
「ああ、そうだ。気をつけてな」
ゴルグと短いやり取りをした後、クレドは扉を閉めるとお嬢が会議のために2階に向かう会談の横の小さな扉を開けると、躊躇いもせず中に入りネアに手招きした。
「さ、入って」
ネアは言われるままキャサと一緒にその扉をくぐった。中は薄暗く狭い部屋にきつい階段が上へと続いていた。クレドはその部屋の壁にかけてある箒を手にするとさっさと階段を上がり出した。
「ここの階段はきついから、注意して」
「暗いから、足を踏み外さないようにね」
キャサはクレドの後をお気に入りのネアと同じ模様のヌイグルミを抱きしめながら続いた。
「大丈夫、猫族は夜目が利くから」
ネアはキャサが踏み外さないように、もし踏み外したら下から支えられるように彼女の後に続いて階段を上った。
暫く、螺旋階段を上がると小さな扉があった。クレドがその扉を開くと眩しいばかりの光が飛び込んできた。
「こっちだよ。足元気をつけて」
手招きするクレドについてキャサと一緒に扉をくぐるとそこは教会の鐘楼の最上階だった。そこにはネアがすっぱり入り込めるような鐘が吊るされていた。床から滑車で向きを変えられた鎖が鐘を叩くハンマーに連結されており、気をつけていないと鎖に足をとられそうになった。そして、その明け放れた大きな窓からはケフの都が一望できた。ネアはその景色に心奪われ時が止まったように立ちすくんでいた。クレドはそんなネアや景色に気をとられることなく、手にした箒で鐘楼の床を掃きだした。床には鳥の羽やら、どこからか飛び込んできた木の葉、ほこりが散らばっていた。クレドはそれらを掃いて一箇所にまとめると床にあるハッチのような蓋を開けて、その中にゴミを掃き入れた。
「この先は鐘楼の下のゴミ捨て場に通じているんだ。さっきのゴルグさんは膝が痛くてここまで上がることが難しいみたいでさ。ボクが代わりに掃除しているんだよ。見晴らしはいいし、ブレヒトみたいなバカも来ないし、ちょっとしたお小遣いも手に入るからね。だから、秘密の場所なんだ。ボクがケフからいなくなったら、ネアもお休みの日に掃除するといいよ。その時はクレドから頼まれたって言えばいいからさ」
クレドは箒を壁にかけると綺麗に掃いた床に腰を降ろしてケフの都を眺めた。
「ここは風も気持ちいいんだよ。ここだと意地悪されることもないし、景色もいいから好きなところなんだよ。それにね、時々、ゴルグさんがお菓子くれたりするんだよ」
キャサもクレドの横に腰を降ろして楽しそうにケフの都を眺めていた。
「本当に、いい場所だね」
ネアもキャサの横に腰を降ろして自分の住んでいる場所を眺めた。
「アレが、お館、そしてマーケットの広場・・・、あ、黄金のリンゴ亭も見える・・・」
ちょっと冷たいけど心地よい風が時折吹きぬける中、ネアは改めてケフの都を目にしていた。
【お酒とちょっとした肴があれば・・・、子どもにはムリか】
ネアはおっさんじみたことを考えた自分に苦笑した。
「・・・ケフの都にはこの夏の終わりに来たばかりだったんだ・・・。前に住んでいた所から離れてさ、友達も居なくて・・・、父さんがモンテス商会に勤めているから、周りから良いように見られないし・・・、モンテス商会ってさ、ネアたちみたいな人たちにキツイからね・・・」
クレドはポツリポツリと語り出した。嫌なコトを思い出したのかその隣でキャサがぎゅっとヌイグルミを強く抱きしめた。
「私も夏の終わりごろに拾われて、ここに来たんだ・・・。知っているかも知れないけど、その前のことは何にも覚えていないんだ・・・、でも、いろんな人に出会えたから・・・、良かったかなって」
ネアも自分のことについてもらした。その言葉にキャサが驚いたような表情をみせた。
「ネアちゃんて、お母さんもお父さんもいないの?」
キャサのストレートすぎる疑問にクレドが顔をしかめた。
「そうだよ。でもね、ラウニやフォニーってお姐さんができたし、お館様も奥方さまもお優しいし、ご隠居様はかっこいいし、ルップ様やパル様とお知り合いになることができたから・・・」
「ねあって凄いね。お館様なんてわたしあったことないよ。お嬢やパル様なら収穫感謝祭のパレードで見たことあるよ」
キャサは憧れの目でネアを見つめた。
「お姐さんて?」
クレドが不思議そうな表情でネアに尋ねた。
「私と同じでお館の一緒の部屋に住んでいるんだ。二人とも獣人で、ラウニが熊族、フォニーが狐族、私は姐さんたちから今、いろいろと教えてもらっているんだよ。お行儀のこととか・・・」
ネアはクレドの疑問に答えたが、お行儀以外で習っていることについてはあえて伏せることにした。これを話すとクレドにいらぬ詮索、そう、自分が全然女の子としての常識を持ち合わせていないことについての疑問の解決のために行動されたくなかったからである。
「熊族と狐族か、母さんが知ったら、絶対に会いたがるね」
クレドの言葉に初めて彼らの母親にあったときに散々もふられたことを思い出してネアはクスリと笑った。
「二人とももふりがいがあると思うよ。特にフォニーの尻尾のふさふさかげんと言ったら、ぶわっとなっててさ、私の尻尾なんか糸と同じみたいなもんだよ」
ネアは自分の尻尾を手にとって身振り手振りでフォニーの尻尾のもふもふさを説明した。
「わたし触ってみたいなー」
キャサはきらきらとした目でそう言うと、そっとネアの尻尾に手を伸ばしてきた。
「尻尾はとても敏感だから、きつく握ったり、引っ張ったりしないでね」
ネアはキャサの動きを察知すると事前に注意することにしたが、お嬢には何度も同じことを言っているが、自分もフォニーも定期的に悲鳴をあげているのであんまり期待はしていなかった。
「うわー、ふさふさだー、温かい」
キャサはネアの尻尾をそっと持つと優しく撫でて頬ずりした。その様子を少し羨ましそうにクレドが眺めていた。
「クレドも触ってもいいよ」
にっこりしながらネアはクレドに自分の尻尾を指差して言った。
「いいよ。父さんからは獣人の尻尾は触っちゃいけないって言われたいるから・・・」
しかし、クレドは辛そうにしながらもその申し出を断った。
【男の子としてはそうだよな・・・、恥ずかしさもあるし】
ネアはクレドの身上を察すると静かに頷いた。
「奥さん、これぐらいかしらね」
荷物の選別を終えたナナがナンス夫人に声をかけた。
「ええ、引越ししてそんなに間が無かったから荷物も少なくて助かったわ。こんなことになるなら・・・」
ナンス夫人は選別された荷物を寂しげな表情で見つめた。
「ええ、同情します。できるだけのことはしますが・・・」
ナナはナンス夫人の言葉にうなずき、慰めの言葉を口にしようとした。
「とてもありがたいのですが、何故、お館様は私どものような普通の庶民にここまで肩を持っていただけるのでしょうか」
ナンス夫人は今まで何となく引っかかっていたことをナナに尋ねてきた。
「そ、それは・・・、この事は・・・、ケフの郷の・・・」
ナナは答えにくそうに言葉を濁していると、いきなりナンス家の扉が開かれた。
「いきなりで失礼、少々込み入った事情があってね。ナナ、この後はボクが説明するよ」
いつもの着流しでご隠居様がナンス家に入ってきて椅子に腰掛けた。
「あ、ご隠居様、このようなむさ苦しいところに・・・」
ナンス夫人はいきなりの来客に驚きあたふたとしたが、それをご隠居様は手で何もしなくて良いと示し、にこやかに語りかけた。
「ボクが好きでここに来たんだ。なにもしなくていいよ。これは、ちょっとした手土産だよ」
ご隠居様は手にした包みをそっとテーブルの上に置いた。包みからは甘い香りが漂ってきていた。もし、ここにネアがいれば包みの中身が「小麦の森」のケーキであると分かっただろう。
「ご主人、ナンスさんはちょいと難しいことに巻き込まれたんだよ。詳しくは言えないけど、対応を間違えるとケフの郷の存続に関わる事になりそうなんだ。・・・真人以外に対して良い感情を持たない連中が暗躍しているようでね。ナンスさんはそんな連中の犠牲になりかけたんだ。勿論、この事の落とし前は必ずつけさせる。だから、と言っては申し訳ないが、ここは一つ協力をしてもらいたいんだ」
ご隠居様はナンス夫人に深々と頭を下げた。
「ご、ご隠居様、勿体無い、このようなものに頭を下げて頂くなんて、とんでもありません。逆にここまで面倒を見て頂いていることを感謝しているぐらいなのです」
ナンス夫人は慌ててご隠居様の足元に跪いた。
「いいや、この郷でこんな目にあわせてしまったのは、この郷の政をまかされているお館やボクたちに責任があるんだ。だから、この郷のことを悪く思わないでもらいたいんだ」
ご隠居様は頭を上げ立ち上がると、跪くナンス夫人の手を優しくとった。
「ナンス氏のおかげでボクたちにとって貴重なモノが得られそうなんだ。そうすれば、危険から身を守ることができるんだよ。これぐらいしか説明できないけど、納得して貰えるかな・・・」
ご隠居様はじっとナンス夫人を見つめた。
「勿体無い話です。きっと主人も喜ぶことでしょう。ミオウでケフのために働くことができることは私たちの誇りとなると思います」
ナンス夫人はそう言うとその場に立ち上がり、深々とご隠居様に頭を下げた。
「そう言ってもらえると、ありがたいよ。ナナ、お昼の食事は黄金の林檎亭に頼んである。教会の鐘が11回鳴るぐらいにお店に行くと準備ができているはずだ。お代は支払い済みだから。ナンス夫人、今日のお昼、ネアとボクもご一緒させてもらってもいいかな」
ご隠居様はナナに指示すると微笑みながらナンス夫人に尋ねた。
「ええ、勿論です。私もお口に会わないかもしれませんが、準備させて頂きます」
「それは、とても楽しみだ。お昼までまだ時間があるようだから、ボクも引越しの準備を手伝うよ。それとね、ここにいるのは一線を退いた只の物好きな隠居だから、そんなに気を使う必要はないから。貴女もボクの良からぬ噂は知っていると思うから」
ご隠居様はいたずらっぽくそう言うと上着を脱いだ。
「お若い頃の武勇伝はケフの郷の外でも有名ですから」
「・・・自重することの大切さを改めて知ったよ・・・」
ご隠居様は苦笑した。ナンス夫人とナナはそんなご隠居様に笑いをこらえるのにちょっとばかし体力を必要とすることになった。
さっさとナンス一家を旅立たそうとしましたが、何だかんだあるようで未だに旅立てていません。これも単に作者の力量不足でしょう。
ギルドでの盗賊討伐はランクC以上の案件ですが、ネア達のパーティーは特例でランクBと同程度みなされているので以来を受けることができました。・・・って話にしておけばと、時折思ったりしております。しかし、地味な世界ならそれなりに何かあると、いやあるはずなのです。と、自分に言い聞かせています。
駄文にお付き合いいただいた方に感謝します。長い目と温かい目で生暖かく見守りつつ、お付き合いいただけることをお願いいたします。