64 準備
色々なところで新たな段階に進むために計画が進行しているようです。
その屋敷は、王都に隣接するバスチの郷の小高い山々に囲まれた片田舎にあった。貴族の別荘であるという話であるが、この地は雄大な自然や過ごしやすいなどの大して魅力がある訳でもなく、近隣の住人たちにこの屋敷の所有者が誰であるかを知る者はいなかった。ただ、いつも若い侍女たちが主がいるとも思われぬのに大勢働いていることは何となく知られていた。その侍女たちは皆、判で押したように無表情で無愛想であり屋敷に近い甘味処で駄弁っていたりする姿を見た者は誰もいなかった。ただ、彼女達が穢れの民を見たときに判で押したように嫌悪の感情らしきものを見せることは知られていた。
「79はいるか?」
朝の慌しさが一段落した頃、その屋敷の中で王都で仕える官吏らしき男が大きな執務室で大量の書類を束ねながら声をあげた。この男、年齢の頃は30代前半と思われる茶色い髪を短く刈りそろえた目つきのきつい人物であった。
「79、ここに控えております」
この男の呼びかけに執務室に置物のように待機していた侍女たちの中から黒髪の年齢の頃17、8歳の清楚な感じのする少女が一歩踏み出した。
「お前の新たな身分だ、しっかり覚えろ、明日の夕に試問する。この時間よりお前にそのための時間を与える。正義を為せるように準備せよ」
官吏風の男は束ねられた書類の中から書類の束を抜き出して机の上にぞんざいに投げるように置いた。少女は机の前まで進むと恭しくその書類を両手で取り上げ深くその男に頭を下げた。
「一文一句覚えることは勿論だが、内容を確実に理解せよ。できない場合、お前は正義を為すことができぬ者として判断する。質問は?」
男は少女にプログラムを読み込ませるように機械的に命じた。
「御座いません」
少女も機械的に答えるとその部屋から音も立てずに出て行った。少女に命令を下した男は再び書類の山と格闘を始めた。その部屋には数人の侍女と男がいるのみであったが、この男が走らすペンの音以外の物音は一切なかった。
「最近、シケてるな」
野宿のための焚き火を小枝で突きながらヒグスがこぼした。
「・・・」
無口な大男のフッグが頷く、彗星は空を見上げていた。
『こんなに星が見えるのか・・・』
「ん、何か言ったか」
元の世界の言葉で呟いた彗星にヒグスが尋ねた。
「な、にも、ない・・・」
彗星は覚え始めたこの世界の言葉でたどたどしく答えた。あの村みたいな所で暴れてから、あちこちの村を襲ったり、荷馬車を襲ったりして金や商品を手に入れたが、その度、このヒグスが博打と女に、フッグスが飲み食いと女で浪費するものだから、屋根や壁のある場所で寝られることのほうが珍しいくらいであった。勿論、彗星も長年の友であった童貞とはとっくの昔に手を切っていた。
「早く、次の稼ぎを見つけないとな」
ヒグスが焚き火を囲んでいる5・6名の男を見回して呟いた。この野盗の世界のルールは単純で、強い者が人を率いる、誰にも平等に権利があるという点では民主的とも言えた。そして、ヒグスのグループは規格外の彗星という戦力を手にしているため、最近徐々に大きくなっているのである。と、言っても他の有力なグループから目を付けられまでにはまだまだ至っていなかった。
「あんたが「日陰」のヒグスかい?」
ヒグスが次に金が手に入ったらどこの娼館に行くかをぼんやり考えていた時、いきなり暗闇から声がかかった。
「誰だっ!俺に気安く声をかけるってことはそれなりに覚悟してんだろうな。おいっ!」
ヒグスは立ち上がると暗闇に向かって吼えた。フッグスは無言で立ち上がり、剣を手にした。
「あんたら、ちょいと目障りなんだよ」
暗闇から数名の手下を従えた傭兵崩れのがっしりした体躯の男がヌルリと出てきて焚き火を囲む野盗を見回して値踏みした。
(たいしたことないヤツばかりだな・・・、ん、特にアソコのヒョロリとしたのはお話にもならんヤツだろうな)
傭兵崩れは傷だらけの顔を歪に歪めてニタリと笑った。その笑顔を合図にしたように彼の配下は一斉に抜刀した。
「そういう話か・・・」
うんざりしながらヒグスはこぼすと彗星に目を向けた。
「彗星よ、始末頼むわ」
ヒグスの短い言葉に無言のまま頷くと彗星はフラリと面倒臭そうに立ち上がり、傭兵崩れを見つめた。
「おい、何の冗談だ」
傭兵崩れがヒョロリとした彗星を見て怪訝な表情を浮かべた。しかし、それ以降はなかった。彼の頭はその瞬間、胴体から離れていたからである。いつの間にか、傭兵崩れの間合いに入っていた彗星が横一線に剣を払った結果であった。
「・・・よ、わ い?」
彗星はたどたどしく言葉を吐き出すとにっこりしながら、呆気に取られている残りの配下に微笑んだ。
「不意打ちとは卑怯だぞっ」
血の気の多そうな3名ばかりが一斉に彗星に飛び掛り、そして一斉に屠られた。
「と言うことだ、で、どうするよ?」
ヒグスは残った配下どもにニコニコしながら尋ねた。配下どもはその問いかけに、自らの剣を捨てることで答えた。
「面白いそうな脚本だ」
夜もふけた王都の一角の屋敷で身体にまといつけた脂肪と同じぐらい尊大さをまとった貴族風の男が痩せた官吏風の男が渡した書類を繰りながら呟いた。
「お褒めに預かりありがとう御座います。例のまれびとは野盗の群れの中におるようで、まだどこの郷にも属しておりません。彼を単なる戦力ではなく、正義のための勇者に仕立てるのがこの度の台本のテーマです。もう、俳優も準備しております。今すぐにでも開演できますが、もう少し彼のグループが大きくなり、凶悪さが増した頃を初演としたいと思いまして、既に裏方をその野盗にしのばせております」
官吏風の男は恭しくこれからの舞台の進行を簡単に説明した。
「このまれびとは我らの教えをどこまで守れるかが問題だと思うが」
貴族風の男がパラパラと台本をめくりながら官吏風の男に尋ねた。
「このまれびとはあくまでも我らの道具です。この台本では主人公のように扱っておりますが、正義の台本ではどこまで行っても道具でしか有り得ません。この使いようによっては脅威ともなり得る道具をいかに使っていくかが問題であると心得ております」
官吏風の男の言葉に貴族風の男は満足したように頷くと
「正義の前では我らも道具にしかすぎん、勿論、あの王も・・・な」
小さく言葉を吐き出すと、手で官吏風の男に退出せよと命じた。そのサインに官吏風の男は恭しく頭を下げると音もなく部屋から出て行った。
「やばい・・・」
モンテス商会ケフ支店長のトバナは一通の手紙を手にして脂汗を流していた。彼が手にしているのは、近々、本店から会計の検査が入るという通知であった。誰にも言ってはいないが、金庫の中の金と帳簿の金に少々の計算ミスでは済まない誤差があるのを知っているからである。その誤差を発生させたのは本店からの指示を無視して殺し屋を雇ったためである。しかも、その殺し屋が金だけ持ってどこかに逃げたためである。
「アイツめ・・・、金だけ持って逃げやがって」
トバナは本店からの通知を握り締め、もうこの世にいない殺し屋を呪った。殺し屋がその仕事をネアに邪魔され、挙句の果てに標的であったレイシーに殺されていることは全く知らないでいた。また、殺し屋が仕事を確実に成し遂げたのかを確認しようともしなかったことはとっくの昔に棚に上がり、そのまま埃をかぶっている始末であった。
「どうすれば、やはりのあの手しかないのか・・・」
トバナ自信は家庭こそ持っていないが、その分であるが充分な金を溜め込んでいた。そこからちょいと捻出すればここまで悩むことはないのであるが、彼は何より自分の懐が痛むことをなにより嫌っていたため、そもそも選択肢にはなかった。この件で悩むのはこれが初めてではなかった。殺し屋が逃走してからずっと心の中に滓のようにある物であったが、いつも考えるだけでなんら行動してこなかった。それが、検査の日限を示され、焦っているだけのことである。ふつうなら、ここまでとなると自分の懐から捻出するのが一番手っ取り早く、足がつきにくいものであるのだが、先述したようにそもそも自分の懐を痛めるぐらいなら自分の親ですら手放すつもりでいるこの男に具体的かつ、安全な行動方針を自らひねり出すことは困難を極めていた。しかし、こんな男にも閃きの神が舞い降りた。いや、悪魔かも知れないが・・・。
「ナンス、こっちに来い」
モンテス商会ケフ支店の事務所にトバナは顔を出すと奥のほうで帳簿と睨めっこをしている小男を呼びつけた。
「支店長、いかがされました?」
ナンスと呼ばれた男は作業中の帳簿が閉じないように近所で見つけたキレイな石をウェイトにしたものを置いてトバナの正面に立った。
「ミオウの郷に支店を作るという話が来たのだ。で、どこに店舗を設ければ良いか下見をして来てもらいたい。ミオウの郷に支店を出すというのはまだ秘密の事項なんだよ。そこで、信用できる君に是非とも見てきてもらいたい。この話は秘密だから、誰にも言わず、勿論家族にも何も話すな。出発する時も出張するなんて誰にも言ってはいけないぞ。もし、この秘密が漏れれば、私も君も地位や立場を失うことになるからな。いつでも出発できるようにこっそりと荷物はまとめて置けよ。出発する日時については私が示すからな」
トバナは要件をナンスに伝えると職務に戻るように命じた。重大な任務を直々に命じられたナンスは少々緊張した面持ちで帳簿作業を続けた。
ワーナンの郷への行商を終えて数日後、ケフの教会の一室にケフの都でそれなりに名の知れた家の娘たちが集っていた。
「なにを差し入れるかは前に決めたとおりです。で、このスープを作る場所は大広場の以前、茶坊主というカフェの空き店舗を使用します。この事については、不動産屋のリモさんにお願いしています。これから、当日のそれぞれの役割を決めていきます。いいですか」
毎月の定例である奉仕会の会合でパルは苛立ちを隠しながら淡々と議事を進行させていた。部長であるレヒテは起きてはいるものの、いつ眠りに落ちてもおかしくないぐらいこの場所に心は無かった。
「こんなことなら、ネアにきてもらったほうがまだまだマシかも知れない・・・」
パルはため息をつきながら妙に生真面目なレヒテの侍女のことを思い出した。ラウニも生真面目であるが、このような会議などの場には何故かネアの方が似合っているように思われた。
「調理するのは貴方みたいな毛むくじゃらじゃないほうがいいよね」
前回、途中で帰ったルートが皮肉な笑みを浮かべながら意見を出した。
「そうですね。寒さには毛皮がないと辛いでしょうからね。表で差し入れするのは寒さに強い人にしましょう。ルートさんは温かいワーナンから来られていますから、調理のほうをお願いしますね」
パルはルートが性格的にあわないような裏方に配属しようとした。
「な、なによ。表で差し入れするのは私みたいな真人が良いに決まってるじゃない」
パルの提案にルートはすかさず異議を申し立てた。
「ルートは調理していてもスープに混じるような毛はないし、毛皮もないから調理向きだと思うけどね」
退屈そうにしていたレヒテがにっこりしながらルートの意見を取り下げようとした。
「それにね、差し入れる相手には尻尾の生えた人もいるし、耳の尖がった人や髭の人もいるからね。ルートには向かないよ」
レヒテは真人以外を受け入れようとしないルートの性格も利用して彼女の申し立てを却下した。これについては他の少女達からも一切の反対はなかった。
「お帰りになられるのなら、こちらかですよ」
怒りで顔を真っ赤にしているルートにパルは微笑みながら会議室の扉を手で示した。
「それぐらい分かってますっ」
ルートは立ち上がるとさっさと部屋から出て行った。
「今回も荒れたみたいだねー」
パルのお供で付いてきたメムがお供の待機室で苦笑しながらネアに話しかけてきた。
「途中でいなくなっても問題は無いみたいですね」
パルの言葉にネアは練習用の布にボタンを取りつけながらメムに答えていた。
「結構きつい事言うのね」
ドワーフ族の少女が苦笑しながらネアを見つめた。
「文句を言うだけで、建設的な意見を言えない人、意見を押し通すのと話し合いの区別がつかない人はいても意味がない・・・」
手を休めずネアは呟いた。前の世界でも、会議の進行を邪魔することしかしないようなオエライ人たちは散々見てきていたのである。だから、幼い少女の口からこぼれたこの言葉には妙に説得力があるように思われた。
「ネアったら、おじさんみたいなこと言うのね」
くすくすと笑いながらメムがネアの頭をゴシゴシとなでた。
「おじさん・・・」
ネアはドキリとした。うっかりするとおっさんの地が出てきてしまうことは注意しているのであるが、ときおりふと出てきてしまうのである。
「おじさんにしては、随分とかわいいおじさんだよー」
メムはヌイグルミのようにネアを抱きしめた。
「うーっ、それよりお嬢が荒れていないといいんだけど・・・」
お嬢の機嫌が悪くなって一緒に風呂に入れとか、いたずらに付き合わされるのは勘弁してもらいたいとの思いから口をついて出た言葉であった。そして、ネアの不安は調理場での盗み食いといういたずらの共犯となることで現実のものとなった。
随分前にあった、台本について何とか回収を図ろうとしていますが、厳しいです。
久しぶりに彗星君を登場させましたが、やはり小道具的でした。思えばネアより灰汁が強い人物なのに、力量が足りておりません。
この駄文にお付き合い頂き感謝しております。