55 スージャの関を越えて
やっとワーナンの街に辿り着きました。ワーナンは商いの街として栄えています。しかし、内側にはその繁栄を根底から壊しかねない火種を抱えています。
スージャの関、それはネアにとっては忘れがたい場所の一つである。デルクなる人物、彼の死後も彼を良く言う者はいない、コイツにお館様を庇って刺された場所であり、黒い子猫の伝説が誕生した場所でもある。キャラバン隊はここで一泊することになっていた。この関は、湿地帯にポツンと佇む小島の周りを埋め立てて作られており、門と言うより城砦のような雰囲気を醸し出す建物であった。関の中庭に馬車を停めると、馬はそれぞれ馬小屋に連れて行かれたっぷりと飼葉を与えられた。そして、人と言えば、このような場所であるからさして豪勢な料理が出るわけでなく、昼間食べた簡易料理のアップグレード版みたいなのが出されただけであった。入浴も行水程度、しかも暗くなってから関を形作る石壁の上の見張り用の通路にたらいを置いてのよく言えば露天風呂、悪く言えば露出癖のある者にはご馳走、そうでない者には羞恥に晩秋の寒さがクロスオーバーした、なんらかの宗教の修行じみたものになっていた。仮にこの場所以外なら、どこかから覗かれるという難点が付きまとうため、仕方なくここになったと言う事実は物理的な不快感の前に薄れてしまっていた。
「うちら、何か悪いことしたのかな・・・」
寒空の下一糸まとわぬ姿で身体を拭くフォニーはカタカタと奥歯を鳴らしながら文句を吐き出した。
「・・・、人は生きているだけで罪とも言われる、と言う人もいます・・・」
フォニーと同じようにブルブルと震えながらラウニが応えた。寒がりの彼女にとってはこの苦行はきつすぎるようであった。昼間は乗り物酔い、夜はこの苦行である。ラウニとってワーナン行きは辛いの一言でしかないようであった。
【前はないけど、背中や手足に毛皮があると案外耐えられるものなんだな】
と、先輩方とは違った感想を持っていた。前の世界で若い頃は背負えるだけの荷物と武器とスキーだけで冬山を数日駆け回るような訓練を何回か経験しているため特に耐えられないという気持ちは無く、案外いつもの如くポーカーフェースで黙々と身体を拭いていた。そして、一通り拭き終えるとタオルをきつく絞って水気を搾り出すと勢い良く身体をこすり出した。
「ネア、なにやってんの?」
フォニーが不思議そうにネアの行動を見つめながら尋ねてきた。
「こうやってこすると、温かくなるの・・・」
ネアは短く答えると再び身体をこすり出した。つまり、乾布摩擦である。
「うちもやってみよ」
フォニーは早速、ネアのマネをして早速身体をこすり出した。それ以前にラウニはすでに実行していた。
「あ、だんだんと温かくなりますね。でも・・・、ここまで持ってくるのが大変ですね」
ちょっと温かくなって機嫌がよくなったラウニがほっとしたように呟いた。
「あんまり時間をかけると、風邪をひいちゃうよ」
フォニーは身体をこするのをやめるとさっさと服を着だした。いつもの越中褌と紐パンが不義密通して誕生したようなパンツに器用に尻尾をくぐらせると紐をきっちりと締め出した。ネアにとっては、あのふわふわの尻尾を器用に扱うのは何回見ても感心する光景であった。前の世界にいた頃のように尻尾を持っていなかったら特に何も思わなかったかも知れないが、尻尾を持つ身体となってはこの扱いが非常に気を使うことを身に染みているからである。勿論、尻尾の短いラウニが楽かと言えば、短いなりに扱いが困難であることもあるようであった。
「尻尾って邪魔・・・」
慣れない手つきで尻尾を下着にくぐらせながらネアは思わずこぼしてしまった。
「なに、言ってるんですか。尻尾は私たちのチャームポイントなんですよ。尻尾がなかったら尾かざりも楽しめなくなりますよ。真人ですら服にわざわざ作り物の尻尾をつける人もいるぐらいなんですよ」
「綺麗に手入れした尻尾は綺麗な髪以上の魅力になるんよ。満面の笑みより尾の一振りってぐらいよ」
フォニーはさっと尻尾を一振りしてみせた。薄暗い中であるが、その尾の優雅な動きは夜目が利く彼女らにははっきりと見て取れた。
「短いけど、見せ方を工夫すれば・・・」
ラウニは下着のままきゅっとヒップを突き出して尻尾を強調させてみせた。
「こうかな・・・」
ネアは昔、飼っていた猫が親愛の情を示していると思われている時の尻尾の動きを真似て、尻尾をピンと立ててプルプルと震わせてみた。
「そ、それよ。でも、猫族の人はあんまり使わないほうが良いと思うよ。それは最大の好きを表すときに使うらしいから・・・、レイシーさんがそう言ってたよ」
フォニーは感心したような声を上げた。多分、ドクターはそれでレイシーにぞっこんになったのかもしれない、とネアは勝手に思うことにした。
翌日、朝は早かった。自称低血圧のフォニーをなだめすかしつつ、身なりを整え、荷物をまとめるとネアたちは関の食堂に向かい、簡単な朝食を胃袋に詰め込んでさっさと馬車に乗り込んだ。
スージャの関を越えると大きなドゥ河が行く手を阻んだ。ここは、馬車を巨大な平底船に乗せて河に渡したローブを辿りゆるゆると進むことになった。このドゥ河、普段は日向水のようなのほほんとした大河であるが、一度大雨ともなると荒れ狂い、暫くは川岸で足止めを喰らうことになるので、岸辺には簡易な宿が数件軒を連ねていた。この季節、ドゥ河はぼんやりと流れているこので、宿に宿泊している者はあまり見られなかった。
「うっ・・・」(リバース)
何とか耐えていたラウニに止めを刺したのは平底船だった。平底の船は揺れやすい、この揺れはラウニにはきつすぎた、盛大に船べりから撒き餌をしながら船はゆるゆると対岸に辿り着いた。
ネアたちは再び馬車に乗り込み、ガタガタと揺られながら一路、ワーナンを目指して進み出した。
坂がちなケフの道と違い、ワーナンに続く道は平坦であった。しかし、道の悪さは相変わらずでいくらクッションを使っていてもネアの尻には徐々にダメージが蓄積されていった。ラウニはホロの隙間から鼻を突き出して少しでも新鮮な空気を吸おうとしている、フォニーは目を閉じてうつらうつらと揺れにあわせて舟を漕いでいる、タミーは他の侍女達と小声で楽しげにおしゃべりに花を咲かせている。この馬車は女性用になっており、もう一台は男ばかりになっていた。時折、馬車の外から護衛の黒狼騎士団員が注意を促す声が聞こえるだけ、後はうんざりするような馬車のきしむ音、車輪が大地を踏みしめる音だけだった。
昼食はワーナンに続く道に自然的に発生した宿場町で何色ぶりかの簡易でない食事を取ることができた。しかし、ラウニにはどうでもいいことらしく、常の食欲は見られず、ぬるい水をちびちびと舐めるように飲んでいるだけだった。宿場町を通り過ぎて暫くすると道幅は広くなり、石畳で舗装されていた。このことに誰より喜んだのは振動による尻へのダメージに苦しんでいたネアと乗り物酔いに苦しんでいたラウニだった。
日が傾きだそうかなと思案顔をし出した頃であった。
「街が近づいてきた」
フォニーが鼻をひくつかせながら呟いた。それを耳にした馬車にいた全員が一斉に鼻をひくひくさせた。
「おならしたでしょ」
「私じゃないよ」
などのちょっとした揉め事はあったが、確かに流れる空気に人の営みの臭いが濃く混ざってくるようになった。決していい臭いではないが、確かに人がいると言う安心感を与えてくれる臭いであるが、ケフの臭いと異なり、それが少しネアを落ち着かない気分にさせた。
ワーナンの郷の都であるワーナンの街は開けたケサウ平原の中央に位置している。運河に改修されたドゥ河の支流が街のほぼ真ん中貫いている。この運河は街の中間で二手に分かれ、それにより形成された中州に郷主の館、主たる貴族などの館が建ち並んでいる。街は高さ10メートル程度の石垣に囲まれており、もし、取りの目で見られたなら石垣と街はケサウ平原に四角い継ぎ当てをしたように見えるだろう。
街に入る門の前には行商人、旅芸人、新たな仕事を探す者、出張から戻る者などが長蛇の列を成していた。ケフのキャラバン隊は、それらの列の横を停滞している道路で詰まったクルマをわき目にすり抜けるバイクのように進んで行き、閉じられた門の前で止まった。
「ケフの郷主ゲインズ・ビケット様の奥方、モーガ・ビケット様一行である。開門されたい」
黒狼騎士団の護衛隊長である真人の中年の男が大音声で警備についている兵士に告げた。兵士たちは華美とは決して言えない一行を一斉に見つめ、その中の一人が門の外に作られた建物に駆け込んだ。暫くすると派手にワーナンの象徴である天秤を意匠化したマークを胴にでかでかと描いた甲冑を着込んだ男がもったいぶった足取りで出てきた。
「通知は受けている。ここで荷物と入郷する者の検めを行う。馬車に乗っている者は速やかに下車されたい。護衛は下馬されたい。郷主様のご家族はそのままで結構、こちらから伺う」
この門番達の長であろう男は横柄な態度でケフのキャラバン隊に大音声で命じた。その態度に護衛の騎士団員、馬車に乗っている使用人たちはむっとしたが、大人しく従うことにした。
馬車に乗っていた使用人たちは一列に並べられると、真人、亜人、獣人と区分された。そして、一人ずつ、ケフ側が出した申請に誤りが無いかと調べだした。つまり、名前、年齢など記載されていない者が紛れていないか、怪しい者が潜んでいないかをもったいぶりながら形式的に行っていった。その間に他の兵士が幌馬車の積荷をこれまた形式的に検分していく、一通りの検めが終了すると兵士が門番の長の横に箱を抱えて控えた。
「ワーナンの街にいる間、亜人どもはこのブレスレットを着用せよ。獣人どもはこの首輪を着用せよ。もし、これらのブレスレット、首輪をつけていなければ不法に入った者として処罰されても文句は言えないことを心得よ」
この声が聞こえたのか、奥方様が乗った馬車の中から凜とした声が響いた。
「待ちなさい」
おろおろとするワーナンの兵士を尻目にモーガは馬車から降りるとつかつかと門番の長に歩み寄った。
「これは、何事ですか。私の従者達がそれほど信用できないのですか。従者が信用できないのなら私も信用されていないと理解してよろしい、ということかしら?」
怒りを秘めながらも穏やかに話すモーガをその男は薄ら笑いで眺めた。彼はモーガたちを所詮田舎郷主とその一行ぐらいにしか認識していないためであった。
「お怒りはごもっともですが、これはここの規則ですので、お気に召さなければどうぞお引取り下さい。このような者たちは生まれが不浄ですから、いくら奥方様が信用されていても、いつ何時本来の性質をだすか誰も分かりません。この街の安全を護る者の一人として小さなことも見逃すことはできません」
門番の長はモーガの顔色が怒りで変わるのを今か今かと楽しみにしていた。ここで、この女がトラブルを起こしてくれれば、ワーナンの郷はケフと言う田舎の郷に何かと貸しを作ることができる。この貸しを作る功績で自分自身が評価されると考えていた。
「おかしな話ね、今年の春にはそんなモノはなかったのに、来ない間に何かあったのかしらね」
門番の長の安っぽい挑発に乗るようなモーガではなくいつもの掴みどころの無いふわふわした雰囲気を醸し出しながらにこやかにその男に尋ねた。
「ここ最近、穢れの民による凶悪な犯罪が続いていましてね。街の中の穢れの民どもはちゃんと躾ができていますが、外からはいってくるのは躾がなっていないのがいますから、悪さをした時にこの街にいる穢れの民どもにいらない嫌疑がかからぬようにしているのです」
門番の長は何も知らないのかと言いたげに面倒くさそうに説明した。
「それじゃ、ここに住まわれている真人の方にも嫌疑がかからぬように私たちにも首輪をお願いしますわ」
にっこりとしながらモーガは門番の長に言うと首輪を手渡せとばかしに手を差し出した。
「そ、それには及びません。真人は生まれ正しいですからそのようなことは必要ありません」
モーガの反応が予想と違ったため門番の長は焦った。てっきりむすっとして踵を返すと思い込んでいたからである。
「真人は生まれ正しいねー、妙な話もあるもんだね。モーガ、こんな木っ端役人を困らせても仕方ないよ。こいつらも仕事なんだ、さっさと街に入ってゆっくりしたいしね。悪いけど、みんな我慢しておくれよ」
モーガの背後にいつの間にか立っていたメイザがにたにたと門番の長を見つめ、そしてむすっとしている従者一行、今にも斬りかかりそうな護衛している黒狼騎士団員に軽く頭を下げた。それを見たケフの一行は小さくため息をついた。
「ぼさっとしてないで、さっさと配っておくれよ。しっかし、酷いデザインだね」
メイザは門番の長の横に立っている兵士から首輪を一つとりあげるとしげしげと見つめてため息混じりに感想をのべた。その首輪は黒い皮に銀色の楕円のメダルをつけられたもので、そのメダルには表に意匠化された天秤、裏には一連の番号が刻みつけられていた。メイザはその首輪を戻すと箱を持った兵士ににこりとしながら
「アンタがデザインしたわけじゃないだろうね」
と尋ねるとモーガの手を引いて馬車に戻っていった。ネアたち獣人はメイザ言うところの酷いデザインの首輪をつまらなそうに自らの手で付け、亜人たちは同じようなブレスレットをむすりとしながら手首に巻きつけた。
「うちらは動物じゃないよ・・・、無理やりつけさせるならもっと可愛いのにしてくれればいいのに」
動き出した馬車の中でフォニーは首輪がきつくならないように微調整しながらぼやいた。
「ケフでは考えられないことです。このことでますますワーナンが嫌いになりました」
ラウニも苦々しげに首輪を撫でながら呟いた。
「別に珍しいことじゃないよ。こんなことで腹を立てていたら、いくら腹があっても足りないよ。街によっては私たちが入れさせないところもあるんだよ。それより、こんなことに怒ってつまらないことをして奥方様に迷惑をかけないようにね」
不満そうにしているラウニとフォニーにタミーが注意を促した。その横でネアは首輪についているメダルを指先で弄びながら黙っていた。
【その内、真人と亜人、獣人との対立が激しくなるんじゃないかな・・・】
と、少し心配していた。このような小さいとは言えなくても日常的なことの積み重ねが、それぞれの心の中に滓の様に沈殿して、それが積もり積もったところで爆発して取り返しがつかないことになるのは前の世界で書物などでよく目にしたことであった。
「ネアは腹が立たないの?」
いつもと変わらぬ表情のネアにフォニーが不思議そうに尋ねてきた。
「あの人たち、自分の首を絞めているのに気づいていないよ」
ネアはそう言うと小さく肩をすくめた。その答えを聞いたフォニーは意味が理解できず困惑の表情を浮かべた。
「この緑の匂い・・・、フーディン様のお屋敷はもうすぐですよ。ふくれっ面は後回し、奥方様に恥ずかしい思いをさせないようににこやかにね。その方が、この首輪の酷さが際立ちますからね。健気に振舞うかわいそうな侍女に見えるように」
笑顔を作ったラウニがネアたちに注意を促した。それを聞いたタミーは一言
「この娘、結構腹黒いのね・・・」
と、呆れたように呟いた。
ワーナンの街はネアたちには住みづらい街のようです。こんな所に住んでいる亜人や獣人達の不満は少なからず蓄積されているようです。
駄文にお付き合い頂き、ありがとうございました。