54 いざ、ワーナンへ
ネアたちが戻ってきました。これから、ワーナンの郷への行商となります。
ケフのような小さな郷が生き残るにはそれなりの苦労か伴うのです。
「これで注文を受けた分は全部できたわ」
夕暮れ時の奥方様の部屋でその部屋の主が深い安堵のため息ついた。この数日、奥方様、大奥様、2名の職人、そしてネアたち侍女たちは奥方様が注文を受けた様々な服を大回転で縫製作業に励んでいたのである。この数日でネアですらボタン付けの技術が上達したことを実感できるぐらいであった。午前と午後のお茶の時間ですらトイレ休憩程度になり、あのレヒテですら完成した服を入れる紙箱の組み立てに借り出されていたぐらいである。奥方様の完成宣言の翌日にはそれぞれの服を綺麗な箱に丁寧に畳んで格納し、それぞれの箱に依頼主の名前を書き込み、それを積み上げる。ざっと数えただけでも箱の数は30をくだらない数量であった。
「ラウニ姐さん、この服はどこで売るのですか?」
箱を積み上げながらネアはラウニに尋ねた。
「これは、奥方様が春にお隣の郷のワーナンで注文を受けたものですよ。ワーナンの郷の注文された方々にお渡しに行くのですよ」
ラウニはネアから箱を受け取るとネアの背より高い位置に積み上げた。
「それとね、次のシーズンのためのお披露目もあるのよ。うちらはそこで着せ替え人形になるの。結構面倒臭いよ。うちなんか男の子の服まで着せられて・・・。でも今年はネアがその役ね。だって・・・ね」
フォニーは箱を積み上げた後、ラウニに引き続いてワーナンで何をするかを説明した後、ちょっと自慢げに最近少し膨らみ出した胸を張り出してエヘンと得意げな表情を見せた。
「モデルならお嬢や若がおられるのに、なんで私たちが」
ネアが先輩方に尋ねるとその答えはネアの背後から返ってきた。
「真人だとどうしても、服がモデルに引っ張られるのよ。レヒテに似合うものでも他のお嬢さまには似合わなかったとかね。でも獣人にモデルをしてもらうと、服のイメージが際立つのよ。そしてね、獣人の子は皆可愛いからね」
奥方様がニコニコしながら立っていた。獣人と違って真人と言うのは個人ごとに顔のつくりや体型が大きく異なるが、獣人の場合は真人ほど明確に個体差は分かりにくい、これはあくまでも真人や亜人からの目に限ることなのであるが。そこで服の印象を残すために獣人であるネアたちにモデルをさせているのである。
「深い・・・」
前の世界では、量販店で売られている安物しか着ていなかった自分にとっては理解が及ばない世界を垣間見た気分になった。
「大人用は誰がやるのかな」
「いつもタミーさんがやっているよ。去年はレイシーさんも来てくれたよ」
フォニーが首を傾げるネアに答えた。
「そうねー、レイシーは去年、お腹が大きかったから、マタニティ用のモデルしてもらったのよ。ネアも気づいていると思うけど私たちが作るのは婦人用と子供用だからね。だから、獣人だからとかそんなことはカワイイを前にしてどうでもいいことなってしまうのよ」
奥方様はネア、フォニー、ラウニと頭をワシワシと撫でながら彼女達に今年もモデルをしっかりやってもらうとにこやかに命じていた。
「ワーナンの郷って、商いの郷として有名なところですよね」
夕食も入浴も終えた後の恒例の女子力向上練成の時間にネアは先輩方にワーナンについて教えてもらおうとしていた。
「大きな郷ですよ。あそこに比べるとケフは田舎に見えるでしょうね。何でも手に入ると噂されるような商いが盛んなところですよ」
ネアに髪の梳かし方、簡単な編み方を教えながらラウニがワーナンについて簡単な説明をしてくれた。
「でも、うちらには住みにくい郷だよ。あそこは真人が何でも一番だからね。うちらみたいなのは街でもそんなに見かけないし、入っちゃいけないお店もあるぐらいだもの」
自らの尻尾にブラシを当てながらフォニーがつまらなそうにワーナンにおける獣人の扱いについてさらりと教えてくれた。
「私たちにとっては住みづらい所ですが、奥方様の妹君であられるクコリ様が輿入れされている郷ですから、ケフとは何かと繋がりがあるんですよ。準備した服も私たちが次の服のモデルをするのもクコリ様の夫であられるフーディン様のお屋敷になりますね」
ぎこちない手つきで自らの髪を編むネアに小さな鏡を差し出しながらラウニがさらに説明してくれた。
「どのぐらいお館を離れるのかな・・・」
ネアはちらりと自分のベッドの上でゴロリと横たわるユキカゼを見ながら呟いた。
「そうねー、大体12日ぐらいね。行き帰りで4日ぐらいかかるし」
「時間はありますが、私たちが街に出てもあまり楽しむことはできませんよ。フォニーが言うように真人が何でも一番ですからね。クコリ様のお屋敷で大人しくしているのが一番安全です」
ラウニがつまらなそうにネアに今度のワーナン行きに過大な期待をしないようにと釘を刺してきた。
「ネアがグルトにしたようなことをしたら、相手がいくら悪くても、うちらが悪者になるところだから」
フォニーはブラッシングの手を止めて何かを思い出したのかため息をついた。
「クコリ様のお屋敷は真人ばかりなのかな・・・」
この自由な気風のケフで育った人も土地の色に染まるのものなのかとネアは疑問に思った。実際自分も仕事のみの生活であったのに、このケフに着てからは結構ゆるい生活に染まっているからである。
「フーディン様は人を見た目で判断しないお人だから、そこはここと同じ、お屋敷の外は厳しいですが。あのお屋敷のイクル様って筆頭侍女の方は長い毛の猫族の人ですよ。真っ白でとても綺麗方ですよ」
憧れの存在を思うのかラウニは目を細めてフーディン様のお屋敷の事情について話してくれた。
「イクル様って、クールでかっこいいのよね。お仕事は料理から掃除まで完璧だし、いろんな作法も心得ているし、それにね、剣の腕も凄いの。レイシーさんと互角ぐらいなのよ。一回、お稽古で手合わせして貰ったけど、簡単にいなされて、それでお終いだったよ」
「隙がありませんものね。私たち侍女の理想の姿とも言える方ですよ。ネアもきっといいお勉強になりますよ」
【お屋敷から出ずとも、イクルって人に会うことは随分といい勉強になりそうだ】
「イクル様に会うのが楽しみになりました」
何とか髪を結い上げたネアは今度は尻尾の手入れに取りかかった。
「ネア、ユキカゼはベッドの上だよ。ここに戻るんだらね。それと出かける前にちゃんと抱っこしてあげること、そうしないとご利益がないよ」
フォニーは自分のヌイグルミのロロ優しくぎゅっと抱きしめるとそっと自分のベッドの上に置いた。ネアも逸れに習ってユキカゼをぎゅっと抱きしめて、「行ってくるからね、お留守番しっかりたのむよ」と小さく声をかけた。それを横目で見ていたラウニは小さく笑って自らのヌイグルミであるブルンをしっかりと抱きしめた。
紅葉した木の葉も残り僅かとなった秋晴れの朝、ワーナン行きのキャラバンは先導する黒狼騎士団の騎馬、奥方様と大奥方様、お嬢が乗るワゴンタイプ1両、ネアたち使用人や荷物を載せた幌馬車が3両、それぞれを護衛する騎馬と随分と大掛かりな編成でケフの都を発った。随分と大層な行列のようにも見えるが、それでも郷主の妻子とその母親が移動するには質素すぎるものであった。薄暗い馬車の中揺れに身を任せてフォニーは荷物に持たれてうつらうつらと居眠りを楽しんでいた。ラウニは険しい表情で幌の隙間から流れ込む空気を必死で吸い込み、そこからできるだけ遠くの風景を見ようとしていた。ネアは先日の馬車による尻へのダメージを軽減するため密かに秘密兵器を準備していた。古くなったシーツを切って座布団ぐらいの大きさの袋を作り、そこに裁ち屑をつめて簡易のクッションである。裁ち屑だらけなので安定感はあまりないが、これでも衝撃を充分に吸収してくれているようで今のところは尻へのダメージは感じられなかった。
キャラバン隊はネーヤの泉に指しかかろうとした時、ネアは奇妙な光景を目にした。最後に見たときは女神様の紋章が突き刺さった塚だけだったのが、いつの間にかこぎれいな祠が作られ、その周りには御守や様々なモノを売りつける露天が立ち並んでいる風景であった。
「随分と賑やかになったものだな・・・」
ネアは小さく呟いた。
「うっ、女神様が遣わされた黒い子猫に縁がある馬車ですからね・・・、うぶっ」
ラウニは何かこみ上げてくるもの、多分今日の朝食であろう、を懸命に堪えながらネアの呟きに答えた。
「ラウニは本当に乗り物に弱いねー」
荷物に持たれたままフォニーが身体を伸ばした。ちょっと離れた座り心地が良さそうな場所に座っていたタミーが見かねて
「ラウニちゃん、代わろうか?」
と声をかけてきたが、ラウニは無理やり笑顔を作ってそれを断った。ラウニなりの意地があったかも知れないが、ネアとしては目の前で朝食をリバースされる方が問題に思えた。
「そう?でも、もう少ししたら旧関所だから、そこでお昼ご飯になるからね。ちゃんと手伝って貰うから、動けませんでしたでは、困るのよ。ちゃんと仕事できる状態に身体を保つのも侍女の務めよ」
証しよう厳しい言葉を交えながら先輩侍女であるタミーは気分が悪そうなラウニを無理やり自分の席に座らせ、大きな胸を揺らせながらネアの横に腰掛けた。
「ネアちゃん、いいモノ持ってるのね」
「前に馬車に乗った時に、尻・・・、お尻が痛かったから・・・」
ネアはタミーに自分のクッションが認められたのが少し嬉しい気分がした。
「今日はスージャノ関でお泊りになるから大切なモノだけ持って行くのよ。朝も早いからゆっくり荷物を積んでいる暇なんてないからね」
今回、奥方様付きの侍女達の面倒を見るようにエルマから命ぜられたタミーはどこかいつもより張り切っているように見えた。まるで、新任の小隊長がベテランが揃っている部隊を懸命に引っ張ろうとしている姿と重なるものがあったが、決定的に違うのはここにいるのはベテランからかけ離れた見習いのような者であることであった。
「退屈・・・、これなら後ろの馬車でネアたちと一緒のほうが楽しかったかも・・・」
馬車の中で暇をもてあましたレヒテがブツブツと文句を言い出した。
「貴女は良いかも知れないけど、ネアたちが困るでしょうね」
軽く目を閉じたままで奥方様が仏頂面になっているレヒテに自覚を促した。
「私、わがまま言ったりしないもん」
「お前の行動がわがままなんだよ。ネアたちを無理やり自分の遊びに巻き込んだり、催しから逃げようとするからあの子たちは本来の仕事にお前の監視までしなくちゃならないし・・・、わがままは言葉だけじゃないんだよ」
大奥様は優しく孫娘を諭した。大奥様の正論にレヒテは黙るしかなかった。
キャラバン隊は様々な思いを乗せてやって旧関所に到着した。タミーたちベテラン級の侍女、使用人たちは馬車から飛び降りると折りたたみの式のテーブルと椅子をてきぱきと準備し、それと同時進行で野外用コンロを設置して早速火を起こし調理を始めていた。キャラバンで供される食事は基本は乾燥した傾向食品である。これを湯で戻したり、何種類かを鍋に突っ込んで調味料で味付けしたものや硬すぎるパンが主体であった。ネアたちは出来上がった、暖かだけが取り得の食事を野外用の木製の器によそって簡易テーブルの上に配膳していった。そんな有様をいち早く馬車から抜け出たレヒテが面白そうに眺めていた。彼女にとってじっとしていることが何よりもの苦痛であり、できるものなら使用人達と一緒に食事の準備をしたかったのだが、そこはちょっと成長したのか見つめるだけにしていた。
「お食事の準備が整いました」
少し歳のいった侍女が恭しく馬車のドアをノックして告げると、ゆっくりと奥方様、大奥様が下車してきた。奥方様は降りるとうーんと思いっきり背伸びして固まった身体をほぐした。ネアたちは簡易テーブルから離れた旧関所の石段に腰掛けて固いパンをスープに付けてふやかしながら食べ出していた。
「?」
ネアは旧関所の隅っこに真新しい石碑を見つけて首を傾げると、その石碑に書いてある文字を読もうとして目を凝らした。
「・・・あの筋肉ダルマの慰霊碑か・・・」
それは、数ヶ月前ここで散った屠殺職人傭兵団の団員達の魂を弔った石碑であった。ネアは彼らのことを思い出して心の中で手を合わせた。少なくとも彼ら個人に対してはなんの恨みもなかったのである。ただ、戦闘という行為の結果がこうなっただけのことである。そして、この件のおかげでネアはケフのお館で働き、衣食住を確保できているのである。ある意味、彼らはネアの恩人でもあった。
食事はさっさとすまされ、慌しく後片付けが始まり、そしてキャラバン隊は何事も無かったように出発し、スージャの関を目指した。
ケフは繊維と服飾でなんとか成り立っているような小さな郷です。高地にあるため農作物も栽培できるものは限られています。また海に面していないため魚介類を手に入れるのも苦労しています。なにより塩の入手が簡単でないこともケフの弱いところの一つです。
駄文にお付き合い頂いた方。あまつさえ、ブックマーク頂いた方に感謝を申し上げます。




