50 どう動くかが分からない
この世界はネアにとって、やはり見知らぬ世界であったということです。
果たして、どこまで分かるのか、実際の世界でも分からないことだらけですが。
お館様一行がナゴーから帰還された時、ネアはこの上なく安堵感を味わった。もし、もう1日お嬢と寝床を共にすることなればどうなったか、多分、創造もしたくない事態になっていただろう。お館様一行が留守の間、レヒテによる被害はネアが肉体的、精神的にダメージを受けたこと以外になく、留守を預かっていたノスル宰相からは一言「異状はありませんでした」で何事も無かったと言うことですまされてしまった。しかし、ラウニ、フォニーはネアの表情と自分たちの経験からとてつもなく大変な労働をネアがしていたことを認識していた。
「お疲れ様、大変だったでしょ」
「お土産買ってきたからね。後で一緒にね」
先輩方はネアの肩を叩いてその労を労ってくれた。また、奥方様から
「がんばってくれて、ありがとうね」
の一言を頂いた時、ネアは柄にもなく泣けそうな気持ちになってしまった。
その夜、お館様方の荷物も先輩方の荷物も片付け終わり、ごく普通であるが、ネアとしては一息つける食事も入浴も随分と久しぶりのようにかんじられた夕食、入浴を終えて、いつもなら女子力向上講義が始まる頃、ラウニが大事そうに旅行かばんの中から箱の入った包みを取り出した。フォニーも同じように何かが入った袋を取り出した。2人ともそれをテーブルの上に置くと微笑みながらネアを見つめた。
「ネアへのお土産ですよ。ナゴーの柑橘が入ったクッキーと、柑橘のお茶」
「ウチはね、かわいい櫛があったから、ね、開けてみて」
ネアの喜ぶ顔を見たいがために先輩方は急かすように包みと袋をネアの前に押し出した。
「ありがとうございます。お茶があるならお湯を準備しないと」
「それは、後でいいでしょ。早く、開けてみて」
ラウニが差し出した包みを開けると甘酸っぱい柑橘の香りが部屋を満たした。真人であれば、柑橘の香りがする程度あるが、鼻の利く獣人にとっては強烈にも感じる匂いであった。ネアは思わず顔をしかめそうになったがそこは堪えて、うれしそうに振舞うことにした。
「食べていい?」
聞くより先に包みの中の箱を開けてきれいに並べられたクッキーの一つを手にとった。ラウニがにっこりしながら頷くのをみるとネアは躊躇わずクッキーを口に入れた。柑橘の酸っぱい味が口の中に広がった。
「一人じゃ多すぎるから、姐さんたちも食べて」
ネアはそっと箱をテーブルの中央に押し出すと、フォニーから貰った袋を開けた。そこには小鳥をモチーフにした可愛らしい小さな櫛が入っていた。その櫛をみた時、自分の心の中の常は意識していない部分が大騒ぎしているのを感じた。
「かわいいっ!」
心の中の声を素直に口にした。心の大半を占めるおっさんの部分は「こどもだましの安物か・・・」と醒めていたが、この時ばかりはこの身体の感情に身を任せることにした。ネアは改めて先輩方に礼を述べると、ラウニが買ってきてくれたお茶を淹れるためにお湯を取りに行った。その後は、ベッドに入るまでお披露目の儀に参加した貴族の少女たちの煌びやかな衣装や、供された食事、ナゴーの街並みなどについて取りとめの無い話が続いた。そして、レヒテのお守りについては、散々振り回されたことを話してくれたが、ネアとしてはもっと早くしてもらいたかった、と口が裂けても言える状態ではなかった。しかし、この館に勤める侍女としては必ず通過しなくてはならない試練のようであり、これを経験することによりなんとか一人前として認められるようであった。
先輩方の土産話を聞き終え、ベッドに入ったネアは軽く目を閉じながら、今までのことを思い返していた。自分の現状を整理しようとした。今のところは、お館様たちに気に入れているようであるが、一介の侍女であり、親や家族の身寄りの無い心細い状況に置かれている。ただ、同じような境遇の先輩であるラウニ、フォニーとは親しくできている。侍女として勤めているおかげで、同い年の子供のように自由に遊ぶことはできないがつ、衣、食、住そしてわずかばかりのお手当てが保証されている。しかも、読み書き、簡単な礼儀作法、裁縫、なんと魔法まで教えてもらっている恵まれた環境にある。簡単に人身売買が行われているこの世界において非情に恵まれた立ち位置にいると考えても差支えが無いと判断しても良いと考えられる。
問題は将来である。この世界に来て、この身体になって、めまぐるしく発生する異文化の洗礼を受けながらの生活であったため考えたことはなかったが、ずっとこの生活を続けていくのか、それともレヒテの言った様に誰かと所帯を構え、母親になるのかなんて、今でも想像することは難しい。
「・・・」
そっと、股間をなでる。
「・・・ない・・・」
自分の最大の問題事項は、女になっていることである。女といえども今はまだ子供で男とも女とも言えない状態であるが、後数年もすれば嫌でも己の性別を意識しなくてならなくなるだろう。それまでにこの身体の状態に馴染むことができるのか、精神も身体に合わせて変化していくのか、そうなると元の自分はどうなるのか、ひょっとするとおぼろげに残っているこの身体の記憶が蘇り、今時分はその記憶に上書きされてしまうのではないか、等々の不安がこみ上げてきた。股間をなでた手で下腹部を触る、先日意識したまだ成長はしていないが子宮がそこに存在するのである。この事は有無を言わさず、自分が母親になる可能性があるということである。ある意味、子供ではないので、子孫繁栄に伴う生物学的な行為については充分に承知しているのではあるが、前の世界でその手の趣味があったわけではないので、男を恋愛対象とするということは今のところ、将来も多分無いのではないだろうかと考えられた。
「・・・」
己が男に抱かれているところなんぞ想像もしたくなかった。そもそも、この世界に同性愛に対する禁忌がどの程度あるのかすら見当もつかない。それとも、さっさと「自分はまれびとで、前の世界ではおっさんでした」と白状したほうが楽になれるのではと考えたが、正義の光と言うややこしい団体が何かと面倒なことを引き起こしたりしているので得策ではないと考えを改めた。そもそも、この世界に何故人種がこれほどバラエティに富んでいるのかすら分からない、罪を犯した者の子孫だとか、神が互いに助け合って繁栄せよとしたとか色々な話を聞いたがどれも昔話、神話の域内で納得の行くものはなかった。そもそも、異種族間で子供を為すことができることから姿形ほどそれぞれが大きく隔たった生物ではないとも考えられる。そもそも、獣人とその原型となる動物になんらかの繋がりがあるのか、自分はイエネコと親戚筋なのかすら分からない。仮に自分がイエネコの親戚とするならば、自分に臼歯があることやネギ類を口にしても問題ないことが納得いかない、しかし、足のつくりや肉球があることを考えると無関係とも言えない、ますます分からなくなってきた。
「そもそも・・・」
この世界に現れたのも異常な状態であった。泉の湧き水と共に出てくるなんて、それまで一体どこにいたのだろうか、時折夢に見るあの家族は自分の家族だったのだろうか、そうならば、彼らは今どこで何をしているのか・・・。
「・・・分からない・・・」
暗闇の中、目を閉じて色々と考えたが、結局分からないことが、どれだけあるかが分からないという情けない事実に辿りついただけであった。
両隣で軽い寝息を立てている先輩方を交互に見て、この子たちは将来をどう考えているのだろうか、と考えてみた。ラウニもフォニーもそれぞれ意中の人物がいるようであるが、果たしてそれは子供の頃の淡い思い出で終わるのか、それとも様々な困難を克服してものにするのか、これらすら見当がつかなかった。そもそも、好いた惚れたは、前の世界でも異世界のことであると考えていたぐらいであったため、彼女らに対して精神的な年齢に見合った助言などできるわけがないことは確実に分かる数少ない分かる事の一つだった。
余りにも分からないことが多いことの不安をやわらげようとするかのようにユキカゼをぎゅっとだきしめている間にネアの意識は夜に飲み込まれていった。
ネアがやっと将来について疑問を持ち出しました。前の世界では仕事しか考えなかったツケが今更ながらに払わされようとしています。
駄文にお付き合い頂きありがとうございます。アクセス数が何よりの励みとなっている今日この頃です。
来週以降は仕事の都合で投稿ができません。もし、楽しみにしている方がおられましたら、ごめんなさいです。