05 水を得る
子猫のデビュー戦前夜です。
子猫の才能の一端と言うか、前世の経験と言うか
そんなものを発揮します。
連れ込まれたテントの中は薄暗く、ランプのようなものがあちこちに吊り下げられていてぼーっとした光を辺りに投げかけていた。
テントの中央に置かれた大きな机の上に地図らしきものを置いて、ヒゲのゲインズ・ビケットと騎士団長が難しい表情で地図の上にチェスの駒に似たものを置いたり、動かしたりしていた。
「連れてまいりました」
狼族の少年、ルップがお館様であるゲインズ・ビケットに直立不動の姿勢で報告した。
「ん?ご苦労さん、少しは落ち着いたかい?」
やさしげな微笑を浮かべて不思議そうに辺りを見回している子猫に問いかけた。その問いに子猫は首を縦に振って答えた。
「それは、良かった。で、名前は思い出したかい?」
この問いかけに、子猫は難しい表情で首を横に振って答える。聊か、礼儀を失した行為ではあるが、子猫の中で適切な言葉が出てこないため、仕方なしの行動であるが、お館様と呼ばれる男はそんなことは気にもしていないようであった。
「困ったもんだね。で、ここにどうやって来たのだね?」
「・・・気付いたら、水の中・・・」
子猫は何とか言葉をつむいだ。様々なことを言いたいのであるが、口にできる言葉は何故か限られており、受け答えも姿形と同じように幼くなってしまうことに少々苛立ちを覚えてしまう。
「水の中・・・」
子猫の言葉にゲインズ・ビケットは顎に手を当てて考え始めた。
「その子をいかがなさるつもりですか?」
騎士団長が、考え込むゲインズ・ビケットに小声で問いかける。暫く、考えた後
「吉兆だな」
独り言のように言うと、ゲインズ・ビケットは騎士団長に向き合って
「強者の黒狼騎士団も、山賊征伐、猛獣駆除で最近働きづめで疲れているだろ?」
この問いかけに、騎士団長は無言を持って肯定する。
「しかも、今度は身内の戦い、内乱の鎮圧だ。士気が上がらんのは明らかだからな。で、この子を吉兆とする。つまり、この子は生命の泉とも女神様の泉とも言われるネーアの泉に突如、湧いて出た子だ。女神様からの使いとも考えられる。女神様がこの子をお遣わし下さった、とすれば、正義は我にあり、士気も少しは上がるだろう」
ゲインズ・ビケットの言葉に騎士団長はうーと低く唸るが、疲労が溜まっていることも士気が今一つなのも事実であり、懸念している事項の一つでもあったことから、その言葉に反対する理由は見つけられず
「ご尤もです」
唸るようにその言葉を肯定した。
「子猫よ、すまないが暫く、我らと付き合ってもらうぞ。勿論、食べ物と寝床は保証しよう、残念ながら、女児の服は手元ないので着るものは保障できないがね」
ゲインズ・ビケットは子猫に微笑みかけた。
【食い物と寝床が手に入るのか、今の自分にそれ以外の選択肢は・・・ない】
子猫は、ちょっと考えたが、大きく頷いて
「ありがとう」
と感謝の言葉を口にした。もっと気の利いた台詞や感謝の示しようがあるであろうが、持ち合わせている言葉で一番適切な言葉は、単純な感謝の言葉でしかなかった。
「敵は、騎馬が50に徒歩が100。で、俺達には、騎馬が12に徒歩が150。力は相手が上か、混戦に持ち込めば・・・」
ゲインズ・ビケットは地図の上に敵の駒と我が騎士団の駒を置いて独り言を呟いた。
「難しいですね。コンセ草原に出る道はこの一本の道だけ、先頭戦力は限られてきます。力押しができれば出血覚悟で持ち込めますが・・・」
騎士団長も苦い表情を浮かべている。
「なにしてるの?」
子猫は、大人達の作戦会議を不思議そうに眺めている傍らに居る狼族の少年に小声で尋ねた。
「裏切り者が、敵を素通りさせたんだ。敵と裏切り者をやっつけるための作戦を考えているんだ。心配しなくても、黒狼騎士団が勝つけどね」
狼族の少年は誇らしげに語るが、漏れ聞く話から考えると
【勝てても、大出血を強いられるな。それに、その状態で関にいる兵士が追い討ちをかけてきたら、勝ち目はないぞ】
子猫は、地図をもっとよく見ようと身を乗り出した。
「お馬さんの食べ物あるのかな?」
再びの問いかけに狼の少年はちょっと呆れながら
「コンセ草原の草があるからね。・・・なんで敵の馬のことなんか気にするんだ?」
【関を突破したら、もっと内陸に入り込めるのに・・・、おいしいところが無いのか、飼葉の補給ができないのか。飼葉の補給ができないとすれば、草原で待ち構えているのも納得できる。】
子猫は、知らずのうちに大人に混じって地図を見つめる。そして、地図の中に気になる場所を見つけた。
「ここは何?」
現在宿営している泉のほとりからコンセ草原に入るまでの敵よりの地域に開けた土地と門のようなものが書き込まれている場所を指差して、誰に聞くとでもなく呟いた。
「昔のスージャの関の後だ、なんで子供がこんなことを気にする」
騎士団長は、むっとしながら子猫をにらみつけるが、子猫は気にした様子もなく。
【ここだと、この関の跡を利用して戦えるのでは・・・、それに地図だと見事に枡形虎口になってるじゃないか。ここに誘いこめれば・・・】
「出血を覚悟するしかないのか・・・」
ゲインズ・ビケットは騎士団員が血に染まる姿を想像して首を振った。
「仕方ないことです」
騎士団長も辛そうな表情で答える。
「良いやりかたがあるの」
重苦しいテントの空気の中、子猫の声が響いた。
「肝っ玉の小さな男だ」
屠殺職人傭兵団の団長はその巨体全身から、背後に控えるスージャの関の代官に嫌悪感を漂わせながら、己のテントの中で酒を煽った。
雇い主から、こんな辺境の小国を攻めろと依頼があった時、正直断りたかったが、手付け金、成功報酬が良すぎたため受けてしまったが、今から思えばその額ですら安いものだったと考えるようになっていた。
関所を通過し、敵の本隊を討ち、その後はあの肝っ玉の小さな男に引き渡す、それだけの話であるが、当初共に戦う予定であった、あの男は最初から兵も出さず
『私は君たちをサポートする』
と、一言放ったきり、関所から出てこようともしない。関所の兵士の1割程度しか味方に引き入れることができず、残りの兵士は牢屋にぶち込んでいるから、アレが血気盛んな奴でも無理な話であろうが。
「人望がないくせに、野望はあるとは」
あの小さな男のために、こちらが勝つと分かっていても多少の出血を覚悟しなくてはならないことが面白くなかった。
「ワンコの首を討るまでの話か・・・」
この小国を攻略するのに一番の障害となる騎士団を使い物にならなくすることが目的なのである。彼にとっては、背後に引きこもっている小者のことはどうだっていいことなのである。
「ここの草原はダメ」
子猫は、地図の上を小さな手で示し、首を振った。
「ここ狭い、出たら叩かれる」
草原への出口を指差して、手でばってんを作る。
「ここがいいの」
古い関の跡を示す。
「敵はそこには来ないぞ」
騎士団長は、子供だからなと呆れながら反論した。
「来させるの」
子猫の話は、草原に指揮官を出す。これは、相手が見積もっているより大きな目標となるものつまり
「お館様が出る。絶対に敵はやっつけようとして襲ってくる。だって、もし、お館様がやっつけられたらお終いになるから・・・」
ゲインズ・ビケットは、この言葉にむっとして何か言い返そうとする騎士団長を手で制して
「なるほど、それでどうする?」
と楽しげに尋ねた。
「逃げる。ここまで逃げる」
子猫は古い関の跡を指差す。
「後ろからも、前からも弓が使える」
枡形虎口となった地形をぐるりと指でなぞる。
「なるほど、それで敵をやっつけるわけか」
子猫の言葉に騎士団長は思わず唸った。その騎士団長の心に追い討ちをかけるように子猫は言葉を続ける。
「ここからが、難しい、気持ちがいるの」
子猫は、お館様と騎士団長を交互に見つめ
「敵をやっつけて、その格好をするの。だから・・・」
子猫はテントの中に安置されている旗を指差して
「あれで敵の首をつつんで、お館様をやっつけたように見せる、敵は油断する、関所の兵隊さんもでてくるかも・・・」
「つまり、関所から見えないところでやっつけて、敵に成りすまして、隙を討つのか・・・、面白い」
ゲインズ・ビケットは子猫の話を聞くと小さな笑い声を上げた。
「我が団旗で敵の首を包むのは・・・、しかもだまし討ち・・・」
騎士団長は不快感を露にした。これは、正々堂々とした戦い方ではない、卑怯な戦い方である。
「お館様、いくら泉から出てきたと言えども子供の言葉です。利はあるように見えますが、危険で卑怯なやり方です」
「卑怯者の汚名は俺がかぶればよかろ?死者に卑怯も正々堂々も無い、俺は誰も失いたくない。団員を失うぐらいなら、卑怯者の汚名のほうがマシだ」
ゲインズ・ビケットはまだ何か言いたそうな騎士団長を制して
「さすが、女神様の泉から出てきただけのことはある。やり方は聊かえげつないが、どの道、出血は避けられん、それなら可能性がある方にかける。これは、俺が決めたことだ。この結果に君が思い悩むことはないからな」
彼は、子猫の頭をゴシゴシと撫でると
「それでは、一芝居俺も打つとしよう。騎士団長、団員の中の獣人を引き連れて隠れろ」
「?」
ポカンとして見返すだけの騎士団長にイタズラっぽく笑いかけると
「ヤツラに、穢れの民が怖気づいて逃げたと噂を流す。今夜、大騒ぎするのも良いな。で、君たちは、この関所跡に潜んで・・・、後はこの子の言った通りにすればいい」
【お館様って言われるだけはある。部下を失わないとと言う信念、決断力、責任の在りかを心得ていること、柔軟な思考、只者じゃない】
子猫は、自分の考えを採用したゲインズ・ビケットに理想的な指揮官像を垣間見たように感じた。
ご意見ありましたら、よろしくお願いいたします。