44 日常の動きとその結果
お祭りが過ぎても日常の些細なお祭りごとは発生するものです。大概が悪性の祭典なのですが・・・。
レヒテは常から暴れていますので、公務的な面では年齢相応の信頼は獲得できていないようです。しかし、その心根を知っている者は仕方ないかの達観の域に近づきつつあります。
お祭りの痕跡はお祭りまでのワクワク感と慌しさの対極にあるようで、使用人の日の次の日にはきれいに片付いていた。どこかの馬鹿が引き起こした表沙汰にできない事もあったが全てが普通の日常に戻っていた。勿論、ネアたちもその例外に漏れることはなかった。
「コップ一杯のリンゴジュースを作るのに、リンゴを3個使います。コップ6杯のジュースを作るのに何個リンゴは必要になりますか?」
図書室でアルア先生の問いかけにレヒテは固まっていた。彼女は数字に関する事柄については3以上はたくさんもしくはいっぱいと分類しており、あまり細かいことは気にしない性分であったが、これでは将来とても実生活に耐えられない、このことは本人も薄々気づいていたが、苦手意識が前面に出てきて芳しい成果を得ることができていなかった。レヒテは助けを求めるように隣で黙り込んで小さな黒板にいろいろと書き込んでいるネアをちらりと見た。
「ご自身でお考え下さい」
アルア先生はレヒテの動きを見て釘を刺した。
「お嬢、掛け算ができないなら、一つ一つ力技で足し算です」
黙りこんでしまっているレヒテにネアは小声で助け舟を出した。レヒテはネアの言葉に小さく頷くと、指を折りながらブツブツとつぶやいて、自分の黒板に数字を書き込み、暫くしてからやっと答えらしき数字に出会うことができたらしく、はつらつと
「23個です!」
レヒテの傍らでネアは思わず机に突っ伏し、アルア先生は眉間に手をあてた。
「ネア、23個であっているよね」
周りの沈黙に耐えられず、レヒテはネアに同意を求めてきた。
「お嬢、残念ながら、それだけ使うとコップ7杯とコップに2/3のリンゴジュースを生産することになります」
ネアはレヒテにその遠まわしに数字が違うことを告げた。
「23個でいいんじゃないの。だってコップ7杯もあったら充分に足りるもんね」
レヒテはどうも数字の上の概念を理解していないようで、ネアはもう一度机に突っ伏すことになり、アルア先生のこめかみにうっすら青筋が浮いてきた。
「この問題で求めているのは、足りるか足りないかじゃありません。6杯分のリンゴジュースを作るためのリンゴの数です」
アルア先生は、失望と怒りと己の力不足への嘆きなどがごっちゃになった感情を何とか抑えこんでレヒテに再度計算するように指示すると、こんどはネアを安堵の篭った目で見つめた。
「ネアは充分に理解しているみたいね。それに、まだ分数は教えていないのに・・・、どこかで習いましたか?」
アルア先生の問いかけにネアはドキリとした。これは、前の世界でずいぶん昔に学んだことであり、この世界ではまだ学んでいないことである。
【しまった。やりすぎた・・・。やはり、お嬢の前では分からないって答えときゃ良かったのか・・・】
必死でなんとか言い訳を考えていると、借りている算数の本にこの項目があったことを思い出した。
「ここを読みましたから」
肉球のついた手で教科書の「分数の基本」とあるページを開いて、アルア先生に見せた。
「え、もうそこまで進んでいるの?ネアってすごいわ、今までいろんな子に教えてきたけど、読んだだけで分数を理解する子はいなかったのよ。で、お嬢は計算できましたか?」
アルア先生はひとしきりネアに感心すると、ちょっとキツイ口調でレヒテに問いかけた。
「今度は自信あるよ。18個。ちゃんと数えたからね」
レヒテはアルア先生の問いかけに胸を張って答えた。しかし、アルア先生の表情は晴れなかった。
「数字はあってますが、算数は数えることも大切ですが、計算することも大切なんですよ。もし、コップ120杯分のリンゴの数を問われても数えるのですか?」
レヒテはほめられると思っていたが、逆に指導を喰らってシュンとしてしまった。
「360個・・・」
ネアは計算した数を口にしてしまった。そしてあわてて口に手をあてたが、それはすべて遅かった。
「ネア、正解よ。本当にすごいわね」
アルア先生に思わず褒められたが、ネアとしてはお嬢に恥をかかせていないかが心配だった。ちらりととなりのレヒテの様子を見ると
「ネアって、天才じゃないの」
ネアは何の屈託もなくネアを賞賛するレヒテを見て安心すると同時に純真なレヒテのことが好ましく思えた。
【いい子だな。この子ためなら一肌、いや二肌ぐらい簡単に脱いでもいいな。この純真さは守らないと・・・】
と妙な使命感も感じた。
「お嬢、ネアに感心するのはいいですが、お嬢もしっかり勉強なさってください。お嬢の計算する力が足らないと悪い商人たちに簡単に騙されて、郷の民ががんばって納めてくれた税を無駄遣いすることになるのですからね」
アルアがレヒテやギブンに様々なことを教育しているのは、郷を運営するために必要なスキルとしてであり、テストでいい成績をとることや、学歴を身につけるためではないことは明らかだった。だから、勉強の嫌いなレヒテも嫌々ながらもほぼ毎日勉強に励んでいるのである。
「お嬢、私のお仕事が終わってからお夕食までの間、一緒にお勉強しましょう。私も郷の生活やお祭りとかが全然分かりませんから、教えてくださいね」
なんとかお嬢の顔を立てつつ、彼女の勉強のお手伝いを申し出た。
「そうね。一緒に教えっこしようね」
レヒテがネアの申し出を受け入れてくれたようなのでネアはほっとしながら、笑顔でレヒテを見つめた。
「あ、明日はレヒテの奉仕会の会合の日だったわね」
奥方様は裁縫の手を止めて何か思い出したように突然、母親のメイザに言った。
「この子は何を急に・・・、あ、明日は私たちは、ナゴーのケイレスの子供たちのお披露目の儀に参加する日だったわね」
娘のモーガを手助けするためにやってきていたメイザも手を止めてちょっと考え込んだ。
「なにか問題になることがあったかしら・・・」
「母様、レヒテのお付きを誰にしようかなって、バトとルロに護衛と荷物持ちや身の回りの世話を頼むことはどちらかがお留守になるでしょ。それに、あの子たちはまだ侍女らしくないし・・・」
奥方様は小さなため息をついた。
「私たちにもお付きが必要になるわね・・・、少なくとも一泊しなくちゃならないし・・・、慣れているという点で考えると、ラウニとフォニーには付いてきてもらいたいわね。すると、レヒテのお付きはネアになるわね。ネアはもともとレヒテのお付きとして引き取った・・・、雇っている子だからね。ネアに付き合ってもらうのがいいんじゃない」
メイザの言葉に奥方様は頷くと、ラウニとフォニーに呼びかけた。
「明日から一泊の予定でナゴーに向かいます。二人は私と母様のお世話をお願いするわね。心配しなくてもエルマにも来てもらうから」
「「はい」」
奥方様の言葉に反射的に二人は返事していた。そして互いを見つめて
「久しぶりのお泊りのお仕事ですね」
「ナゴーでしょ。すると、今の季節ならミカンかな、ミカンを使ったお菓子とか楽しみ」
フォニーは仕事以外のことに興味があるようで、軽く目を閉じてミカンを使った様々なお菓子を思い浮かべてぺろりと口なめずりをした。
「遊びに行くんじゃないんですよ。お仕事で行くんですからね」
ラウニがフォニーに先輩らしく指導してから、ふと何かに気づいたような表情になった。
「ネアはお留守番か・・・、あの子1人で大丈夫かしら?」
「ネアのことだから大丈夫と思うよ。寂しくて泣くなんてことしないと思うし」
先輩方二人がネアについてあれこれと言っているのを耳にした奥方様は二人に
「二人とも心配しなくても大丈夫よ。ネアは一日中レヒテに付いていて貰うから、私たちが帰るまで、あの子はレヒテの部屋で寝起きして貰うから。レヒテに少しでもネアみたいにきちんとした所を見習って貰いたいのよね」
奥方様の言葉に二人は顔を見合わせた。
「大変な仕事になりますね」
「お嬢に一日中付き合うのは体力勝負だもんね」
先輩方はネアがするであろう苦労を想像してぶるっと身体を震わせた。
「奉仕会って何なんでしょうか?」
午後に奥方様の執務室で明日からの仕事を聞かされたネアは開口一番奥方様に尋ねた。
「メラニ様の教会で様々な行事を行う時にお手伝いする人たちの集まりなの。レヒテはその中の少女の部の部長になっているのよ」
奥方様はネアに手短に会について説明した。
「行事のお手伝いとか言っているけど、実はお茶会みたいなものだし、それに部長と言ってもパルちゃんがやってくれるから・・・、行かなくても問題ないし、私もナゴーに行くということにならないかな」
レヒテは奥方様の説明に付け足すように会の実情を説明しつつ自分もナゴーに行きたいと注文した。
「何言っているの、レヒテの不始末をパルちゃんが後始末してくれているのよ。しっかりと自分の務めを果たしなさい。そのために、しっかり者のネアをナゴーに連れて行かずに貴女に付いて貰うことにしているのよ。私たちが留守にしている間、ネアが貴女に朝から晩まで張り付いて悪さをしないか見張っていて貰うから。ネア、レヒテに遠慮することなくこの子が悪いことをしたら全て私に報告しなさい。庇うとこの子ためにもならないないから、キツイ仕事だけどお願いね」
レヒテを嗜めつつ、ネアに軽く両手を合わせて苦笑しつつお願いする奥方様の姿にネアは大きく頷き
「お任せください。小さな悪行一つ見逃しません」
はっきりと答えると深々と頭を垂れた。
「ネアって、ひょっとして私のこと全然信頼してないの?貴女たちもそう思わない?」
咎めるようにレヒテはネアに詰め寄りながら、先輩方に同意を求めた。
「常々の行動を思い起こされてはいかがでしょうか?」
「お嬢の心意気は好きですが、それとこれは・・・」
先輩方から自分を肯定する答えを貰えず、ネアも問いかけにあいまいに微笑むだけでレヒテはちょっとむすっとふくれた。
「貴女の普段の行いの結果です。今までのことを胸に手をあててよく考えなさい」
奥方様はレヒテの要求をぴしゃりと跳ね除けた。その言葉にレヒテは見る見る萎れてしまった。
「ちゃんと、お土産は買ってくるから、それまでちゃんと留守番するんだよ。私たちがいない間、ビケットの女はレヒテしかおらんのだよ。いいかい、婿殿に恥をかかせるようなことはするんじゃないよ」
メイザのお土産の一言に萎れていたレヒテの表情が輝いた。
「まかして、ちゃんと女の子らしく務めて見せるから。ネア、一緒にがんばろうね」
「はい、お嬢」
郷主の娘とお付きの侍女は互いに見合ってにっこりとした。
また、日常の生活になってきました。このお話に伝説の剣や鎧、押し寄せるモンスターを一撃で打ち倒すと言う勇ましさや、美女たちから次々と告白されたり、神の代理になったりはなりませんのでご安心ください。読者サービスなシーンも書きたいと思ってはおるのですが・・・。
毎度、駄文にお付き合いありがとうございます。生暖かい目でこれからも見守ってやってくださるようお願いいたします。