38 動いてくるもの
人間、寒い、暗い、腹減った状態ではロクなことを考えないと言われています。なんの後ろ楯もないネアも一歩違えば、何をやらかしていたかは定かではありません。もし、こんな状態で、力だけあったなら、周りを巻き込んでロクなことにはならないことになるのでしょうね。
「こういう姿を見ると、普通の子なんだけどなー」
ご隠居様は、無言でパンケーキを貪るネアを目を細めて見つめながら呟いた。
「奥方様に、もっと子どもらしくせよと命じられましたので」
「それがいい、間違っても、まれびとらしさなんて表に出しちゃいけないよ」
ご隠居様はそう言うと、パンケーキを一切れ口に運んだ。
「ボクが若い頃、王都の図書館でまれびとに関する資料を読み漁ったことがあってね」
ご隠居様の言葉にネアは少し驚き、急いで口の中のパンケーキを飲み込むとご隠居様に尋ねた。
「私以外にも・・・、それとそんなに昔からいたのですか」
「伝承や昔話の類でなら少なくなかったよ。百年ほど前にもいたらしいけどね。彼は、知識を広めることに生涯を捧げたようだよ。今、ボクたちが食べているパンケーキも彼が伝えたと言われているよ」
ここまで言うと、ご隠居様は声を少し落としてその後を続けた。
「まれびとは、大きく分けると二つある。一つはネアのような記憶のみでこの世界に来る者、もう一つは身体ごとこの世界に来る者、そして、身体ごと来たまれびとは何故か不思議な力を持っている。ある者は怪力を、ある者はこぼれるてしまうほどの魔力を、ある者は恐ろしいまでの回復力などなど・・・、全て、人を超えた力を持ってやってくる。伝説では、一人で一つの国を滅ぼした者もいたそうだよ」
ご隠居様の言葉にネアは低く
「記憶だけの私には、そんな力は宿っていないのですね」
「そこは、よく分からないけど、何かはあるかもしれないよ。で、さっきの続きだけど、身体ごと来たまれびとは、この世界の勢力を簡単に塗り替えてしまうこともできるんだよ。そうだとどこの勢力もまれびとを自分たちの仲間に引きずり込みたくなるよね。そして、取り合いで戦になったり、その状況をまれびとに良いように利用されたり、と、あまり歓迎したくないようなことをつれてくるのが普通らしいよ」
ご隠居様は、ちょっと考えて口を開いた。
「まれびとが来る時、周りにいた者も同じようにやってくると言われているんだけど、ネアが、こちらに来る時、近くに誰かいなかったかい?」
ネアは前の世界の最後の記憶を呼び起こした。そして、一つの顔が浮かび上がってきた。
「・・・、心当たりはあります。アイツが来ているのかどうかは分かりませんが」
ネアは嫌なモノでも食べたような苦い表情を浮かべた。
「その表情からすると、あまり楽しい人物ではないようだね」
ご隠居様の表情に不安がよぎったのをネアは見とった。
「名前は知りません。私の記憶では、あの男は通りかかった親子を襲おうとしていました。それを私が阻止して、その後は良く分かりません」
「ボクたちの仲間に引き込みたいような人物ではないなー、いい情報をありがとう、感謝するよ。それと、早く食べないと冷たくなっちゃうよ」
ご隠居様は不安を追い払うように明るく言うと、自らも残ったパンケーキにかぶりついた。
【もし、あの男が身体ごと来ていたなら・・・、しかも身体能力が跳ね上がっていたら・・・、必ず犠牲者が出るぞ・・・】
便箋やインクや封筒が入った包みを抱え、ワインの入った袋を肩からかけてご隠居様の後を付いて行きながらネアは不安が膨らんでくるのを感じた。
「ネア、さっきの話が気になるようだね」
ご隠居様は振り向きもせずにネアに声をかけた。
「え?」
自分の顔すら見ていないのに何故なのかと、ネアはちょっと間の抜けた声を上げた。
「言葉が少なくなっているし、足音も重いからね。普通ならお腹が空いているのかな、と思うけど、さっき食べたばかりだからね。ボクが恐れているのは、ソイツが暴走するより、誰かに取り込まれて良いように使われる、武器として使われることだよ。知恵がある者は、敵対者が一番嫌がるタイミングで力をつかうからね」
「厄介なことです。戦うことは相手の嫌がることをどんどんすることですから」
ネアはトコトコと後に付きながらご隠居様の背中に肯定の言葉をかけた。
「ボクの知っている限りでは、近くにいた者同士が近い位置、近い時間にやってくることは多くないようだったね。距離がうーんと離れていたり、何年も後にやって来たりするのも珍しいことではないようだよ。もし、ネアの言う あの男 が来ているなら、その内噂となって耳に入ってくるよ。なんせ、凄い力を持っているからね」
「そんな噂が聞こえてこないことを祈ります」
「ボクも同じ気分だよ・・・。不安なことばかり言っていても始まらないから、レヒテのお土産を買って、楽しいお館に戻るとしよう」
「はい」
ひょろ長い人影と小さな人影が日の暮れかけた街の石畳の上を舐めていく。
「レヒテの土産をボウルの店で何か見繕うか」
ご隠居様がネアに声をかけ、大きな通りから小さなわき道に足を進めた。夕暮れ時と建物の影と相まってその通りは薄暗く、人影もまばらと言うか、見ることができなかった。
「仕事がしやすいように、人目のないところに来てやったぞ」
ご隠居様が振り返り、低い声で何者かに呼びかけた。
「っ!」
ネアは驚いて振り返った。今まで襲われたときに感じたあの嫌な臭いがなかったし、武器のこすれあうような音も何も気づかなかった。驚くネアの目に小さな通りを塞ぐような大きな人影が音もなく突っ立っていた。
「私が、どこの誰かと知っての行動かね?」
大きな影に尋ねるご隠居様の声にはいつもの軽さはなく、前郷主としての威厳がこもっていた。
「知らん、食いも・・・、金を出せ、出せば痛い目を見なくてすむぞ」
大きな影が低い声でご隠居様に応えた。そこにいたのはまるで巨大な蛸を思わせるようなスキンヘッドの真人の大男だった。
「貴様こそ、痛い目にあいたくなかったら、どこか行け」
ネアは、手にしていた荷物をそっと通りに置くと、買ってもらったばかりの棒を取り出し、一振りしてシャフトを伸ばし、身構えた。
「ちびっ子に戦わせるとは・・・」
タコ男は少々むっとしながらご隠居様を睨みつけた。
「この子は強いよ。舐めてかかると大怪我するよ。そして、この子は致命傷を与えるのに躊躇しない子だよ」
ご隠居様は退屈そうにタコ男に言い放った。ネアは構えながらもちょっとした違和感を感じていた。目の前のタコ男から一切、あのいやな臭いがしないのである。それどころか、殺気もない。訓練して殺気を消しているなら、嫌でも感じられる気配がある、しかし、コイツの放つ気は何なのか・・・、考えながらネアは相手の隙を窺った。
「! 」
隙だらけだった。しかも、身体に寸鉄帯びていない、見事までの丸腰であった。挙句の果てにはどこからでも打ち込めそうな隙だらけの佇まいである。しかし、達人は敢えて隙を見せると言われている。恐ろしいほどまでに鍛えた体術を持っているかも知れない。ネアは慎重に構えた。
【にらみ合っていても、埒が明かない、敢えて仕掛けるっ】
ネアが飛びかかろうとした時
「ゴヴァーっ」
この世のものと思えない音が響き、タコ男はその場に跪いた。
「腹が減っているだろ?」
ご隠居様が跪くタコ男に優しげに声をかけ
「ネア、収めなさい」
ネアに短く、戦闘態勢を解くように命じた。ネアは怪訝な表情を浮かべつつも棒のシャフトを元に戻し、それをエプロンの裏にしまった。
「殺気もない、武器もない、あるのは見事なまでの隙とその図体。ボクに付いて来るなら、食べ物は与えてやるよ。しかし、ちょっと辛抱して貰うけどね、それができないなら・・・」
ご隠居様はシャツのポケットから銀色の小さな笛を取り出した。
「この笛はね、ボクたち真人には聴こえない音を出すんだ。そして、この音を聞くとこの界隈にいる獣人の騎士団員が駆けつけてくる。彼らは問答無用にボクに害を為す存在を実力を持って排除する。つまり、君を始末する。それが望みならその大きな拳を振るうが良いよ」
ご隠居様の言葉に、タコ男は黙って項垂れてしまった。
「それと、ボクは前のケフの郷主、ボルロ・ビケットだ。いくら愚かでも、郷主の一族に拳を向けたならどんなことになるかは分かるよね。で、ボクは名乗った。君は誰なんだ?」
タコ男はご隠居様の正体を知らされ、うずくまり、小さくなった。
「・・・、オ、オレは、錨のタロハチと言います。船乗りでしたが、船の飯が不味くて・・・、それが嫌で岡に上がった船乗り崩れです。前郷主様とは知らず、ご無礼、スミマセン」
タロハチと名乗るタコ男はそのまま土下座のような姿勢でご隠居様に謝罪をした。
「・・・」
このやり取りに取り残されたネアは取り敢えず、通りに置いた荷物を手にするとそっとご隠居様の背後に移動した。
「でかいのが、そんなとこにいつまでもいたら、通行の迷惑だよ。早く立ち上がって、付いて来い。ネア、行くよ」
ご隠居様はネアに告げると何もなかったようにスタスタと歩き出した。その後は後ろに付いてくるタロハチを気にしながらネアがトコトコと付いていった。
「いるかい?」
ボウルの店についてご隠居は店の奥に声をかけた。
「あいよ」
その声に応えるように威勢のいい声が返ってくると、店の奥からケバイおねーさんが出てきた。
「これは、ご隠居様、それとあの時のお嬢ちゃんまで、今日は何を?」
「今日も綺麗だね、ナナさん。レヒテの土産に大玉キャンディを一袋、そしてこのタコ坊主にジャンボクッキーを3つ頼むよ」
「はいはい、大玉キャンディ一袋と、ジャンボクッキー3つね・・・、えっ、3つ? 」
「そう、3つだよ、ここで食べるから袋はいらないよ」
驚くおねーさんにご隠居様はニコニコしながら答えた。
「ジャンボクッキー? 」
ネアは首を傾げておねーさんを見つめた。
「ウチの人がね、食えるものなら食ってみろって・・・、何を考えているんだか・・・」
おねーさんは店の奥に引っ込むと座布団クラスの大きな塊を運んできた。
「こんなに大きなのは誰も食べきれないだろうって・・・、これを3つも? 」
「無いのかい? 」
「いつも3枚限定ですよ。売れ残りますけど・・・」
巨大な塊を前にしてやり取りされる言葉なんぞどこ吹く風で、タロハチはその巨大な塊を一心不乱に見つめていた。
「じゃ、全部だね。おい、タロハチ、これを食え」
ご隠居様はおねーさんからクッキーを手渡されるとタロハチに差し出した。
「ありがとうございます」
その言葉が終わらぬうちにタロハチはクッキーにかぶりついた。そして、息を飲むような速さで座布団を胃袋に突っ込んでいった。それは、2枚目、3枚目になっても速さは変わらなかった。
「すごいもんだねー」
「まさか、あれを3枚をぺロリとなんて」
「・・・」
ご隠居様、おねーさん、ネアが目を丸くしている見守る中、タロハチは口の周りに付いた欠片を手の甲で拭うと神妙な顔つきになって、ご隠居様の足元に跪いた。
「こんな美味いクッキーは初めてでした。それに、ご隠居様のお心がなによりものご馳走でした。お邪魔でなければ、この錨のタロハチ、どこまでもご隠居様についてまいります」
それは、勢いやノリではなく、彼の心の中からの言葉であった。
「ご隠居様、スゴイものを餌付けなされましたね」
おねーさんが呆れながらタロハチを眺めた。ご隠居様は、その言葉ににっこりしながら
「タロハチ、その言葉、二言は無いな」
重々しく跪くタロハチに尋ねた。タロハチは、その言葉に深く頭を垂れて
「こざいません」
とはっきり告げた。
「よし、それでは、タロハチ、お前をボク専任の下男として雇ってやる。もし、館の他の者に手を上げたなら、その命で償って貰うからね」
ご隠居様はさらりと重いことを言いのけると、ナナにお菓子代を支払い、お館に向けて歩き出した。
「タロハチ・・・、言い難いな・・・、よし、お前をハチと呼ぶことにする。良いな、ハチ」
「は、ありがたいお言葉です」
タロハチは勝手に呼び名を変えられたことにもうれしいようで、ニコニコしながら応えた。
「ネアの荷物を持ってやれ」
「は、承知しました」
ご隠居様からの命令にうれしそうに応えると、ニコニコしながらネアに
「姐さん、お荷物をお持ちします。渡してください」
「姐さんって、私まだ、6歳ですよ」
「なんだ、たった12歳下じゃないですか。姐さんは姐さんですから」
訳の分からない理屈を述べるハチにご隠居様は驚いたようで
「お前、18なのか、てっきり30はいっているものと思ったよ。面白い、ますます気に入ったよ」
年齢詐称を疑われるようなできたばかりの下男を見つめてご隠居様は楽しそうな笑い声を上げた。
「どんな18歳だよ・・・」
思わずネアは突っ込んでいたが、舞い上がっているハチと面白がっているご隠居様の耳には届かなかった。
お館に戻ったご隠居様に、お館様が一言
「動物を拾って来るというのは聞いたことがありますが、こんなモノを・・・」
と絶句させ、大奥方様からは
「餌付けは程ほどにね・・・」
と呆れられたが、急遽こしらえられた倉庫の片隅の寝床に大きな身体を丸くして眠るハチがそんなやり取りが為されていたことを知るのは、随分経ってからになる。
「ネアが、姐さん?」
「うちらは何て言われるのかな?」
先輩方は、ご隠居様が拾ってきた新しい仲間に興味津々であったが、それは飽くまでも人に対するものではなく、珍獣に対する興味と大して変わらないものだった。幸いなことに、ハチはこの事実を知ることはなかった。
なんと、1話のあの男、これから関わってくるかもしれません。
それと、今回登場した、タロハチは、勿論、あの偉大な「うっかり」の人がモデルになっています。
これで、諸国漫遊の準備は整った・・・、いつかやってみたいものです。
駄文にお付き合いありがとうございます。また、ブックマーク頂いた方にはこれからも生暖かく見守って頂ければ幸いです。