36 勝手に動く
お祭りに向けて街は動き出しています。
ネアは取り残されているようですが、何とかなるでしょう。
噂とか、伝説は多分、本人が与り知らぬところで大きく成長していくでしょうね。
ヤンカの池の一件については、不思議なことにお戻りになられた奥方様からは一言もなかった。そして、ネアの単調かつ、濃い日々が再び動き出した。毎朝、バケツを叩くようなベルが鳴る随分前に起きだして、杖術の稽古や、魔法の練習に黙々と励み、ベルと同時に慣れぬ手つきで髪を梳かし、身体にブラッシング、尾かくしやリボンでの装飾等をぎこちなく、しかも先輩方の鋭い突っ込みを受けながらこなして、朝食を慌しくかき込み、その他、生理的な現象への対応などを済ませて、奥方様の執務室の清掃、朝のお茶の準備と慌しくタスクリストを消化し、その後、午前中はお嬢とともに勉強し、午後からは簡単な裁縫や、お茶とおやつの準備、こまごまとしたものの買出しと退屈する間もなく、やっと仕事が終えたと思ったら、今度はお風呂や先輩方による女子力強化プログラムが開始される。受け答えが非常に困難な女子トーク、全く要領がつかめないメークや装飾品の選定についての講義、それはなんと消灯時間まで続けられる。そして、先輩方が床に付いたのを確認したなら、夜中明かりのあるトイレにこもって朝に受けた授業の復習と明日のための予習や、書き取りを納得が行くまで繰り返す。睡眠時間を削って己の鍛錬のために時間を作る生活である。
さらに、週に1回の休日も身体を休ませることなく、先輩の買い物や遊びに付き合う、前の世界で生活していた時とあまり変わらないような生活になっていた。
ネアの傍から見ていて何が楽しいのか分からない生活を繰り返しているうちに、確実に収穫感謝祭が近づいてきていた。徐々にお祭りに向けて準備が始まり、飾り付けの小さな野菜を紙粘土のようなモノで作り、彩色したり、来客用の椅子やテーブルの清掃、雑草の引っこ抜きなどなどの仕事が常の仕事に負いかぶさってきた。そして、当然のようにネアの睡眠時間はどんどんと減っていった。
「最近、毛艶が良くないねー」
フォニーが慣れぬ手つきで裁縫しているネアの髪をそっと手にとって呟いた。
「随分と疲れているように見えますが、身体におかしなところでもあるのですか」
フォニーの言葉を受けるようにラウニも裁縫の手を止めてネアに心配そうな口調で尋ねてきた。
「大丈夫・・・」
前の世界では、飲まず、食わず、眠らずでの訓練を何回となくなってやってきたし、そんなことをしなくなってからも仕事で週に2~3回は徹夜したことも珍しくない、毎日、3時間程度でも眠れるだけでも充分だと思っていた。
ネアが無理やり笑顔で応えてからしばらくすると、ホールの時計の鐘が3回鳴った。それを聞いた奥方様は椅子から立ち上がると、腰をぐっと伸ばしてネアをにっこりしながら見つめた。
「ネアちゃん、お茶をお願い、貴女たちの分も合わせてね」
「はい、承知しました」
奥方様の言葉にネアは弾かれたように椅子から立ち上がった。
「っ!」
その時、いきなり足元がぐらりと揺れた。そして身体がぐるぐると振り回せられているような感触が襲って来た。
「あ、あれ・・・」
ネアはその場でしゃがみこんでしまった。遠くのほうから先輩方、奥方様、おやつを狙って午後の行儀作法の勉強から抜け出してきて、部屋に入ってきたお嬢の声が聞こえてきた。
「だ・・い・・・・・じょう・・・・・・・・・・・す」
もつれるような舌で何とか言葉を吐き出した。しかし、次の言葉を口にすることはできなかった。
「やっと目を覚ましたようだね・・・」
ネアが気づくとそこは見たことがない部屋であった。あわててあたりを見回すと、白衣を着たセクハラこと、ハンレイ先生が椅子に腰掛けて呆れたような目でネアを見つめていた。
「ここ最近の睡眠時間は?」
パンツを脱げやら胸を触診させろと言ういつもの調子はどこにもなく、厳しい目で睨みつけているハンレイを見たのは初めてであった。
「3時間は寝るようにしています」
「・・・それで良いと思うかね」
当然のように答えたネアに、厳しい表情のままハンレイは更に問いを重ねてきた。
「徹夜していないから大丈夫・・・」
「死にたいのかね? 」
ネアの答えにハンレイはため息をついた。
「身体を作り上げている年頃なのに睡眠時間を削ったら、その負担は確実に身体に返ってくる。しかも、深夜のトイレでの君の目撃や、早朝の行動などあちこちからの話を聞くところによるとそんな生活をずっと続けているようだね。命を削ってまでしなくてはならないことがあるのかね?」
「早く、仕事を覚えて、足らないことをどんどんと勉強しないと、私にはいろんなものが足りていないから・・・」
昔から持っていた、置いていかれたくない、そのためには人一倍励まなくてはならない、そのためには人が遊んでいる時、寝ている時も鍛錬を欠かしてはいけない、の信念から出た言葉である。
「それで、どうなったかね?無理して倒れて、周りの人たちに心配をかけて・・・、お館様も奥方様も、お嬢も君のそんな働きを期待していると思っているのかね?」
「今度は倒れないように、気合を入れて・・・」
「馬鹿者っ!」
いきなり、ハンレイが大音声で怒鳴りつけた。
「君が思っている以上に、君の身体は悲鳴を上げているぞ」
「おおげさで・・・」
「最後まで聞けっ、君の血液はその年頃の子供にしては水っぽくて、妙に苦い・・・、それと毛艶、肉球の色、どれをとっても普通に生活しているのが不思議なぐらいだ。今の状態が、君の言う、気合で持たせているってヤツだ。医師として忠告する。主人のために働きたいなら、自らを健康に保つことが第一だ、使用人が仕事でぶっ倒れたり、病気になるということは、その主人が使用人をまったく管理できていないということを公言するようなものだ。・・・・、それとこんな生活を続けていると胸の発育にも関わる」
厳しい口調でネアに説教したハンレイであったが、最後はいつもの調子が出ていた。
「で、でも、このままじゃ役立たずに・・・・」
ネアはベッドから無理やり起き上がろうとして身体を起こしたが、まだ頭がクラクラとした。
「このまま、思いっきりつぶれられるほうが役立たずだよ。今の生活を改めないと、また近いうちにぶっ倒れるだろうね。その時は、何らかの障害が残るかも知れないぐらいのダメージを受けるかもしれないが、それでも良いのかね。それと、私は君の胸の発育が阻害されることが何よりガマンできない」
真剣なのか、ふざけているのかはよく分からないが、医師としてネアの身体を思っての言葉であることはネアには何とか無く分かっていた。
【体力は、まだ子供なのか・・・】
「コレを飲んで、暫く大人しくしていなさい」
ハンレイは黒っぽい液体の入ったカップをネアに手渡した。ネアはその臭いを嗅いで顔をしかめた。まるで、漢方薬屋の倉庫に放り込まれたような臭いだからである。しかし、この状態で飲まないという選択肢は見えず、意を決して、その液体に口をつける。強烈な臭いとはうらはらにその液体は仄かに甘かった。咽喉も渇いていたため、臭いも気にせず一気に咽喉に流し込んだ。
「よし、いい子だ。それを飲んで後は何も心配せずにぐっすりと眠りなさい」
先ほどまでの厳しい表情とは打って変わって優しげに微笑みながらハンレイはゆっくりとネアを寝かせつけた。
「君には順調に発育して貰いたいのだよ・・・・」
ハンレイのいつもの調子での台詞をネアは最期まで聞くことができなかった。多分、それはネアにとって良かったのかもしれない。
「何を抱えているのかは知らないが、無茶をする子だ」
静かな寝息を立てるネアを見つめてハンレイは呟いた。
「ネアはどうなるのかな、大丈夫かな、死んだりしないよね」
フォニーが裁縫の手を止めてラウニ尋ねた。勿論、ラウニが知っているわけがないことは承知しているが、不安な気持ちをどうしても分かって欲しかった。
「ハンレイ先生がついているんです。大丈夫ですよ・・・、でも、あの子が無理しているなんて・・・、同じ部屋に住んでいるのに・・・」
ラウニは自分がネアの行動を把握し切れていないことが年長者としての務めを果たせていないこととして自分を責めていた。
「二人とも、気にしなくてもいいことです。あの子は、聡い子です。貴女たちが気づかなくても不思議なことじゃありませんよ。今度からは、無茶しないようにしっかりと目を付けていかないとね。あんな齢で無茶をしたら将来、身体がどうなるか・・・、貴女たちもよく注意するんですよ。元気な赤ちゃんを産みたいでしょ」
奥方様は不安な表情を浮かべる二人に優しく話しかけた。その言葉に二人はただ頷くことしかできなかった。
「無茶と言えば、レヒテも無茶なことをするから・・・、でも、ネアとは方向性が全然違うのよね。あの二人って結構似ているのかも知れないのかな・・・・?」
奇妙な侍女と郷主の娘らしくない我が娘を比べながら奥方様は首をかしげた。しかし、無茶と言うか、普通と違うという点では、この奥方様も充分に該当している。どこの郷主の奥方様が一日の大半を仕立ての仕事に費やすだろうか。
「あの子も、貴女たちと同じで一筋縄じゃないことが分かったわ」
「私たちって、そんなに一筋縄じゃないのかな・・・」
「・・・何となく思い当たるし・・・」
ラウニとフォニーは互いを見つめてため息をついた。
「一筋縄じゃいかないけど、根はいい子であることは知っているわよ」
顔を見合わせる二人に奥方様は明るく声をかけた。
ケフの女神メラニの教会の一室に、中高年の種族も雑多な男女が一堂に会していた。
「去年は、ドリスコル商会の娘さんだったな」
「ここ数年、巫女様はずっと真人が続いているからな」
ここに集まったのは、教会が無作為に抽出した収穫感謝祭の巫女選定委員たちである。ケフの街に住んでいれば等しく権利はあるが、ただ貴族、豪商はその例外であった。
「やはり、女神様が遣わされた子に近い娘にすれば、真人が続くこともないし、良いのでは」
書物と文具を取り扱う店の主人が手を上げて発言した。
「それは、分かっているが、黒猫の子だろ、我々が知っている限りでは、まだ1歳の子供、15歳だが男、女であるが78歳・・・、適任がいないのだよ」
ケフの街の役人がため息をついた。女神様が遣わした子にそっくりな・・・、と言っても誰も見ていないが、黒猫の少女が望ましいのであるが、該当する少女はいなかった。それが、悩みなのである。
「宿屋の看板娘はどうかな」
「あの娘は三毛だぞ」
「毛を染めたら・・・」
それぞれが様々なアイデアを出すのをケフの女神メラニ教会の宮司は腕を組んで考え込んでいた。そして、重々しく口を開いた。
「ネコに拘ることはない、ネコ系で考えてみよう」
「トラ族、ライオン族、ヤマネコ族、ヒョウ族・・・・」
「あ」
委員の一人が何かを思いついたように声を上げた。
「ヒョウ族に一人います。お医者のジングルの奥さんだよ」
「ああ、あの娘ね、結構な美人だし」
「でも、人妻で一児の母ですぞ」
「細かいことは良いんだよ。美人で黒くて、ネコ系、これで決まりじゃないかな」
烏合の衆の責任の無い意見である。そして、この意見に沿って巫女選定の最終決断するのは宮司なのである。それは、つまり、宮司が選定の全責任を負わされることを意味していた。
「確か、レイシーとか言ったな。あの娘は足が悪いんじゃなかったか」
うーんと誰かを思い返しながら宮司はレイシーが常に杖をついていることを思い出した。
「お祭りの間、巫女様は輿にお乗りになられているので歩くことはありませんよ。杖も、メラニ様のマークをつけたものにすれば不自然じゃないし、コレで決まりですよ。宮司様」
委員会は自分たちに責任は無いので勝手に決めてかかっている。彼らもこんなことに時間を拘束されたくないのは明らかであり、宮司もそれを心得ていた。
「今年の巫女は、レイシー殿に決定とする」
宮司が心を決めて、委員会に伝えると、満場の拍手が沸きあがった。
「うっ」
運び込まれた騎士団員の腕の外傷の治療をするドクターにガーゼを渡したとき、レイシーは妙な寒気に襲われた。
「風邪か?」
訓練中に剣をよけ損ねて、ざっくりと左腕を切られた騎士団員はドクターとレイシーのやり取りを顔をしかめながら聞いていた。
「後で診てやるからな、それより、コイツをちゃっちゃっと片づけるぞ」
「風邪じゃないと思うけど、なんかいやな感じがする・・・」
「俺は、不安な感じがする・・・」
治療を受けていた騎士団員が不満そうに呟いた。
「患者は黙っとれ」
「夫婦の会話に割り込むのは不粋ですよ」
「・・・」
騎士団員は、手を休めずに妻と会話するドクターと、それをかいがいしく手助けしながら応えるその妻とのやり取りを全くの部外者、修理されている玩具のような気分になりながらドクターが包帯を巻き終えるまで我慢しなくてはならなかった。
駄文にお付き合い頂き、毎度ありがとうございます。
地味な世界が淡々と続いていきますが、仕様ですのでご承知おきください。
この世界にギルドや冒険者ってのは・・・、いないことは無いと思っています。
ただ、今のところ、主人公に接点がないだけだと思っています。