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鎧を脱いで  作者: C・ハオリム
第22章 焦りと求めるもの
340/342

318 猶予

今年初のUPになりました。

良く続いたもんだと思います。

これからも生暖かく見守って頂ければ幸いです。

 「ネア、薬箱を。ラウニ、綺麗なシーツとタオル、誰かお医者様を呼んで来て」

 いつもの様に店を開け、お客を迎え入れようとした時、ドアを開けると同時に血だらけになった少少女が倒れ込んできた。彼女の少しばかり値段が張る服はあちこち切り裂かれ、その下からは血が滴っていた。自分の服に血が着く事なんぞ気にせず、彼女を支えたレヒテが大声で指示を出した。

 「しっかりして。どうしたの? 」

 レヒテが血だらけの少女をそっと床に横たわらせながら元気づけるような明るい声で尋ねた。

 「知らない男にいきなり襲われて、お金も何もかも・・・」

 「うん分かった。手当てするから服を切るね。ここには少女しかいないから安心して」

 レヒテはネアからハサミを受け取ると呻く少女の服を切り裂きだした。

 「深い傷はありませんね。止血、消毒していきます」

 「ネア、先に背中を確認するから、止血と消毒はその後」

 レヒテは、外傷用の軟膏とガーゼを手にしたネアに言うとさっと少女を裏返した。

 「傷は浅いですね」

 「心配しなくてもいいわ、致命傷はどこにもないよ。跡は残るかもしれないけど、すぐに良くなるよ」

 血だらけの少女の身体には浅い切り傷が無数についていた。まるで、瀕死の獲物を嬲るような悪意が彼女の血と共に流れ出ているように見えた。

 「沁みますよ」

 ネアは少女の傷口に軟膏を塗り込みだすと少女は身をくねらせ苦痛のうめき声を上げた。

 「お嬢っ! 」

 いきなりネアがレヒテに声をかけると屈んだ状態からレヒテは一気に飛び下がった。

 「ちっ」

 先ほどまでレヒテのいた空間に傷を受けた少女が手にしたナイフが朝陽を受けてギラリと光っていた。

 「そこまでですよ」

 ナイフを確認したネアが一息に少女の肩を固めると彼女は突然の激痛のためナイフを手から取り落としていた。

 「良い突きをしていましたが、月並みです。アレでは到底、お嬢には届かない」

 ネアは道端で天候の話をするような何気ない調子で肩を固めている少女に話しかけた。

 「畜生風情が偉そうに」

 彼女は苦々しく唸るとネアを睨みつけた。その目には憎悪と軽蔑が綺麗に混ざっていた。

 「これ、ご丁寧に毒コーティングしているね。浅い傷だけってのが不自然なんだよね」

 フォニーは彼女が落としたナイフを拾い上げその刃を陽にかざすと皮肉な言葉をネアに組み伏せられている少女にかけた。

 「今年に入ってからもう3人目ですよ」

 ラウニがため息をつきながら何かを喚き散らし、自由になる手足をバタバタさせている少女をネアから受け取ると慣れた手つきで縛り上げて行った。

 「うるさいから、これ使いますか? 」

 ラウニに話しかけたティマが手にしていたのは何回か使用した痕跡がある猿轡だった。

 「そ、それはやめて、嫌だっ」

 罵倒する言葉以外でその少女がネアたちに確保されてから初めて口にした言葉だった。

 「確かに、ちょっと臭いますが、死ぬことはありませんよ。安心してください」

 「そう言う問題じゃ」

 少女が何かを抗議しようとしていたが、ラウニは淡々と嫌がる彼女に猿轡を嵌めると床にそっと蹴り倒した。

 「まーた、穢れが金を持っているとか、穢れと組んで恥と思わないのかそんな程度の理由なんでしょうけど、服は汚れるし、今回はなかったですけど店の備品を壊されたりでとても、とても、非常に、信じられないくらいに迷惑な事ですよね」

 ため息交じりに吐き出すネアのに言葉に皆は首肯していた。この店を開店させた時な予想されていたトラブルであったが、頻繁ではないが手を変え品を変え襲撃されるとなると、いくら法にのとった行動が要求されようと襲撃者に対して少なからず感情的なモノが芽生えてくる。

 「さっさと騎士団に突き出しましょう。郷主の娘を襲ったんだから、犯罪奴隷は免れないけど仕方ないよね」

 レヒテは苛立ちを隠すことなく縛り上げられた少女を睨みつけ吐き出した。

 「このやり方だと何かの組織か同好の士の集いによるものですね。背中の傷なんて自分でつけられませんからね」

 縛り上げられ床に転がされている少女を見ながらネアは自分の見解をレヒテに述べた。

 「面倒くさいのが喧嘩売って来たみたいね。売られた喧嘩は買うのがケフ流だし、喧嘩相手は確実に心を折らなきゃならいし、あーあ、もう、仕事を増やさないでよ」

 レヒテはぶつくさと一通り愚痴を吐き出すとネアにさっさと汚れた服を着替えるように命じ、ネアが浸かった後の薬箱を整理しているルッブに騎士団を呼びに行くように命じた。

 「承知しました」

 ルッブはレヒテに一礼するとさっと店から走り出て行った。その背中を見送りながらレヒテは暗澹たる気持ちになって行った。

 「最近になって増えてきましたね。この手のバカ」

 着替えを終えたネアが加えた猿轡に新たな歴史を唸りながら掻きこんでいるのを見て肩をすくめた。

 「組織だって動いているように見えて、小グループが統制されずに好き勝手に動き回っているってマイサが言ってたわね。数が多くてしんどいって。着替えてくるから、汚れた床の掃除お願いね」

 レヒテはため息をつくと床に転がっている少女を無視して店員たちに声をかけると自室に戻って行った。

 ネアたちがバーセンに来てから、年々治安は物騒になり、穢れの民に対して一方的な憎しみを持つ連中も増えてきている。それらの原因が大陸の南の方から疥癬の如く広がってきている正義の光の教えと正義と秩序の実行隊により穢れの民と言う安価な労働力を失った農園経営者が一山当てようとして没落しているのが少なからず存在するからである。そして、そんな連中は自らの不出来で招いた惨状の原因を外に求めるのが普通で、その原因とされるのが自分たちより良い生活をしている奴ら、特にそれが穢れの民であれば原因どころか諸悪の根源と見なすのである。

 「ちゃーす、コイツですねー。回収します。ご協力ありがとうございましたー」

 ルッブに案内されて店に入ってきた小型犬を思わせる犬族の騎士団員はがんじがらめに縛られている少女をひょぃと担ぐと一礼して出て行った。

 「手慣れたものです。うち以外もあちことで似たような事が発生しているみたいで。困ったものです」

 騎士団員を見送ったルッブは苦い笑みを浮かべた。彼の言うとおりでネアもこの手の騒ぎに関しては最初のうちは件数を数えていたものであるが、最近は数える事すら面倒になって来ていた。

 「刺客を送るにしては、いっつも、いっつも素人を剃毛したような奴らばっかり。今回も結局は身を持ち崩した自分は賢いと思っているのが、策に溺れたってヤツじゃないの」

 フォニーがモップで面倒臭そうに床についた血を不生きながら愚痴をこぼした。

 「簡単に対処できるからそれでいい・・・です」

 壁に飛び散った血を雑巾で拭きとりながらティマがつまらなそうに呟いた。

 「嫌な事が陰でどんどん大きくなってないんだといいんですけどね」

 帰って来たルッブに冷えた水を手渡しながらパルが少し不安そうな表情を浮かべた。

 「嫌な事って間違いなくやって来たり、時には迎えに行ったりするんですよねー」

 窓の外をぼんやりと眺めながらメムが呟いた。それを聞いたネアは彼女の言葉があながち間違いではないと思った。そして、それは現実となるのであった。



 「え、これって、とてつもなく大変な事が・・・」

 自室でボッティ王子を椅子に座らせるとルシアの驚愕の表情を浮かべた。最近ご無沙汰していた星詠みをするためジェボーダン家の面々を机の上に並べている時に彼女の脳裏に浮かんだのは火のイメージであった。その火はとても大きく、全てを焼き尽くす事ができる。そして、その火の奥に何かの、自分たちにとっては好まざる意思を感じた。その意志は端的に言えば強烈な悪意だった。それを感じたルシアは思わず悲鳴を上げた。

 「お嬢様、如何なさいましたか」

 「バーセンが、バーセンが・・・燃える・・・」

 ルシアはそう呟くとじっとマーカを見つめた。マーカはルシアの表情を見てこれはただ事ではないと判断するとさっと身支度を整えた。

 「レヒテ様を呼んでまいります」

 彼女は一言短くレヒテに告げると小走りで部屋から飛び出て行った。

 【確かに治安は悪くなっているけど、燃えるほどの事があるのでしょうか】

 マーカは自問自答しながらレヒテの元に急いだ。



 「マジ・・・?」

 マーカの話を聞いたレヒテの第一声だった。小さなトラブルは日常的にはあるものの、まさかこの街が燃やされるなんて想像の範疇の外だった。元より、レヒテは頭を使う事が得意ではない、ということも含まれているが。

 「確かに、ナーワンとの経済、人種政策での温度差が激しくなってきていましたからね」

 驚愕の表情を浮かべているレヒテの隣でウェイトレスの衣装のままのパルが冷静を保ちつつ状況を飲み込もうとしていた。

 「取りあえず、ケフに報告をしましょう。ルシア様の星詠みは無視するわけにはいきません」

 「そうね、ルシアちゃんに詳しく聞いて・・・、いっつも抽象的だけど確実にそのとおりになるから、パル、報告用の手紙を書く時は手伝ってね」

 ルッブができるだけ落ち着いた声でレヒテにケフの郷に速やかにこの件を報告するように言うとレヒテは自信が苦手とする書類仕事をパルに手伝ってくれるように声をかけた。

 「承知しました。お嬢、早くルシアさんの所へ」

 レヒテとパルはドタドタとルシアの元に走り出して行った。

 「ネアさんも来てください」

 レヒテとパルを黙って見送っていたネアにマーカがそっと声をかけて来た。

 「私がですか? 」

 「この中で一番冷静な判断が出来る方と思っていますので」

 マーカはそう言うと意味ありげな笑みを浮かべ、じっとネアを見つめた。

 「私は普通のそこらにいる獣人の子ですよ」

 ネアは照れくさそうに頭を掻いた、その様子をマーカはじっと見つめると心の中で呟いていた。

 【普通の子が刺客を撃退したり、ヤヅの郷の騒ぎを鎮める時の重要な要因になったりしませんよ】



 「燃えるか、ずいぶんとふわっとしたと言うか、ざっくりした話ね」

 レヒテはルシアの話を聞いて眉をひそめた。もともとそんなに想像力は豊かではないし、結び目は解くより断ち切るを選択する性格であるので、このような抽象的な表現を理解することは苦手としていた。

 「火事? 災害、戦火なのかな」

 ルッブが顎に手を当てて難しい表情になった。確かに燃えると言っても彼の言うとおり様々な原因が考えられる。

 「燃えるという現象の規模と果たしてそれが物理現象を指しているだけなのか、兎に角用心しなくちゃならないと言う事だけは確かですね」

 ネアが少し考えてから口を開いた。行動の方針を決めるにも情報が少なすぎるからであり、こうなると出来るのは只用心するだけ。その用心も何に重点を置いていいのかは不明であるのが何とも心もとない。

 「今まで襲撃してきた連中も単発でしかも金欲しさでしたから、正義の光みたいな組織だった動きがこれから出てくるのでしょうか」

 パルは不安そうに机の上で椅子に腰かけているボッティ王子を見つめた。

 「燃えること以外だとコレなんだけど、意味が分からないんです」

 ルシアはジェボーダン家の小物の中から小さな船をつまみ上げた。

 「船? 」

 「この船がとても重要な役目を担うと詠めるんです。玩具の船で無く大きくて、沢山の船が見えるんです」

 レヒテの単純な問いかけにルシアは戸惑い気味に答えた。彼女は自信が視た大量の外洋船がやって来る光景が何を示しているのか見当がつかなかった。

 「海から襲われるって事でしょうか」

 「ううん、船には全く敵意が感じられない」

 レヒテとルシアは小さなおもちゃの船を難しい表情でじっと見つめていた。

 「バーセンが燃えるのはいつ頃になるんでしようか? 」

 ネアが誰しもが頭に浮かべる真っ当な事をルシアに尋ねた。

 「近い将来・・・、これしか分かりません」

 ルシアが悔しそうにそしてもどかしそうに吐き出した。

 「この件をケフに速達で、急いでカスター様にも知らせなくては・・・、ルシアちゃん、ネア、行くよ。ケフへの報告文書はパルが作ってね。サイン入りの白紙はいつもの所にあるから」

 レヒテは素早く支持を下すと、ルシアとネアを急かしてカスターの元に走り出して行った。

 「面倒な事は私に押し付けるんですね」

 走り出て行ったレヒテの背中を見送りながらパルがため息をついた。

 「サインだけ入れた白紙って、お嬢は僕たちの事を信用しているのか、それとも能天気なのか、困ったもんだね」

 「私たちは能天気にとても信頼されているんですよ」

 ルッブとパルは互いに見合ってから、ため息とともに苦笑を浮かべた。



 「燃えるか・・・」

 息を切らせて飛び込んで来たレヒテからバーセンが燃えると聞かされてカスターは戸惑いを見せた。元より、ルシアの星詠みで得られた情報が少なすぎる事とレヒテの要領を得ない説明から察しろと言うのは随分と酷な話ではある。

 「ルシア様の星詠みはヤヅでの騒動を的中させています。辻占いと同列に見られないようお願いします」

 ネアは説明が足りないレヒテの言葉を付け足し、ヤヅでの出来事について話すことでルシアの星詠みについて信ぴょう性を持たせようとした。

 「ルシア嬢の星詠みと辻占いの恋愛相談を同系列で見ると言うのは野暮な事ぐらい心得ているよ。しかし、燃えるが盛んになるって意味だったら良いのだけどね、どうも不愉快な燃えるになりそうだね」

 カスターは困ったような笑みを浮かべつつため息をついた。彼にしてみれば「危機が迫っている」と言われて、では何か危機なのかと尋ねても「分からない」と返って来るのである。これが子供の思い付きや占い程度のモノであれば笑い飛ばせるのであるが、このような件の予言に実績があるボーデン家のルシアが警告しているのである。全く対処のしようがない、これが正直な彼の思いだった。

 「私自身、はっきりと詠み取れないことに苛立ちを感じます。でも、燃えるんです。悪い理由で。だから、備えないといけないんです。でも、これじゃ備えようがありませんよね」

 ルシアが拳をぐっと痛いほど握りしめ、悔しそうにカスターに訴えると、悔しそうに俯いてしまった。

 「何も知らないで事が起きるより、前もって何かが起こると覚悟していればそれなりに準備が出来るってものだよ」

 カスターはルシアを宥めるように言いながら、心中でこの状態でできる事を考えていた。

 「燃える、と言う事から、大規模な火災、他国や野盗などの襲撃、住民の一斉蜂起などが考えられます。見回りの強化による火災の早期発見、他国等からの襲撃や一斉蜂起の兆候を捉えるための銃砲収集が今できる最大の事なのではないかと思います」

 困った表情を浮かべ考え事をするカスターにネアが静かに提案した。

 「そうだね、出来る事はそれぐらいだ。どちらにせよ避難場所や少量なんかの備蓄が必要になるな。情報収集は我々でもやるが、できればレヒテ嬢にも力を借りたい」

 ネアの言葉にカスターは頷くと話題から置き去りにされているレヒテに微笑みかけた。

 「私たちは・・・」

 「君らは専門家だからね」

 カスターは何かを言い返そうとしたレヒテにウィンクして見せた。

 「バーセンとケフは重要な関係にありますし、我々にも火の粉が飛んでくることは確実ですから、手に入れた情報は互いに共有すると言う事なら喜んで協力しますよ。ね、お嬢」

 蚊帳の外になっているレヒテに勝手に話を進めだしたネアが確認を取るようにレヒテの顔を見つめた。

 「そ、そう、それは当然の事よ」

 レヒテは何のことかよく分かってないかったが、郷主の娘としての矜持が彼女に三文芝居のような行動をさせていた。

 「分からないなら、分からないと言うのが良いですよ」

 レヒテの矜持を期せずしてルシアが真正面から崩しかかった。そんなルシアの言葉にレヒテはむくれた表情で応えていた。

 「情報と言うほどではありませんが、ワーナンの宰相が昨日の早朝、そっと南の方に向かう船に乗ったという噂を拾いました」

 お茶のセットと茶菓子をキッチンワゴンに乗せて入ってきたイクルがネアたちに教えてくれた。

 「南の方か、何の用があったのかな」

 イクルの話を聞いてカスターは首を傾げた。ワーナンとバーセンの関係でいけば首都と一地方都市であり、ワーナンの者がバーセンの港を使用するなんてことは珍しくもない事であるが、宰相が動くことについてバーセンを管理しいるカスターに何の連絡もないと言うのは不自然な話であった。

 「何かの商談でもあるのかな」

 「あまり大っぴらにしたくない事があるのでしょうね。彼の身の周りを重点的に洗っていきます」

 全員にお茶をと茶菓子を配り終えたイクルがカスターに報告した。

 「そうしてくれるとありがたいよ」

 カスターがイクルに礼を述べている時、レヒテは茶菓子を口の中に突っ込んでいた。



 「ワーナンのエライさんが南の方に行ったんだって? 」

 居室で寝間着に着替えベッドに腰かけたフォニーがネアに尋ねてきた。

 「嫌な感じがするんですよね」

 ネアは枕を胸元に抱えながらフォニーの問いかけに少し困ったような表情を浮かべた。

 「え、どうして? 」

 「王都で正義と秩序の実行隊の連中が金さえもらえれば出張するって言ってたでしょ。ひょっとして連中を雇ってバーセンを攻撃するって流れになっても不思議じゃないかなって」

 ネアは考えられ得る中で最悪に近い推測を一つフォニーに語った。それを聞いたフォニーの表情がさっと曇った。

 「あの連中が・・・」

 白と赤の鎧を纏った狂信者たちを思い出すとフォニーは全身の毛を逆立てていた。

 「その方が良いぐらいですよ」

 ラウニはにっこりしながら毛を逆立てているフォニーに話しかけた。

 「え、なにを」

 「手加減する必要がないじゃないですか。思いっきりぶん殴れます」

 ラウニはそう言うと右手で作った拳を左の掌に打ち付けた。

 「敵は見つけ次第、沈黙させるって事ですね」

 ネアが面白そうにラウニの言葉に返した。その裏にはあの英雄と闘わなくてはならないかもしれないという恐怖を誤魔化そうとする思いが薄っすらあった。

 「アイツをこの手で・・・です」

 ティマが暗い目をして自分の小さな手をじっと見ながら呟いていた。

 「鍛錬を続けて行かなくてはなりませんね」

 「あのいけ好かない連中の顔面に一発ぶち込まなきゃ気が済まないよ」

 「・・・です」

 ラウニ、フォニー、ティマはこれからの戦いを想像し、それに向けての思いを呟いていた。

 【血が流れるのは止められない・・・、でも、少しでも、一滴でも少なくできればいいんだけどな】

 ネアは目の前の侍女仲間が傷つき、絶命する姿が脳裏を横切った。彼女はそれを追い払うように激しく頭を振った。

 「あの連中がどうなった所で構わないですが、ここの人たちが傷つくのは耐えられないですね」

 ネアはあまり明るくない将来を思って心の底から思っていることを口にした。

 「傷つかない、傷つけさせないために、鍛錬があるのです」

 ネアたちが不安の色をそれぞれに浮かべている時、いきなり扉が開かれ白い影が飛び込んできた。

 「明日から、毎日、しっかりと訓練するようにカスター様から申し受けました。なにより、ここに居る間に貴女たちの質が下がったら、あのエルマに散々嫌味を言われますので、それだけは許せないので、今日はゆっくり身体を休めてください。明日から、エルマ流に言う、泣いたり笑ったりできなくしてやる。がはじまりますので。と言って情報収集もお留守には出来ませんからね」

 イクルはそう言うと細めた目の奥に赤い瞳で恐怖しているネアたちを睨みつけ、にっこりすると入って来た時と同じように唐突に消え去っていった。

 「地獄が始まる」

 ネアは思わず本心を口にしていた。前の世界でも同じような訓練を受けたように記憶しているが、その時の訓練は日常にここまで食い込んでくることはなく、訓練はあくまで訓練であり、時間も場所も訓練のための場で行われていた。しかし、ここでの訓練は生活と一体化していると言っても良いものであった。武芸者の元で師匠の身の回りの世話と修業を同時に実行しているようにネアには感じられていた。

 「イクルさん、笑いながらエゲつないことしてくるんだよね」

 「エルマさんに比べてソフトな分、ギャップがきついですからね」

 「早く強くならないと、アイツを・・・」

 フォニーとラウニも明日からの事を考えて萎えているようだったが、ティマは仇の事を考えているようでその目には思いつめた様な色が滲んでいた。

 【残された時間は多くないようだけど、準備がどこまでできるか。そこに尽きるのかな】

 ネアは不安を抱えたままベッドに潜り込み目を閉じた。

ネアたちがバーセンに来て暫く経っています。

彼女らは技能、体力は成長しているはずです。精神はそれほどでもないですが。

今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。

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