314 価値観
暑くなってきました。
初夏のお日様の下、アウトドアを楽しむのに疲れた時の暇つぶしに役立てば幸いです。
「美女に畏まれると、どうも居心地が悪いんだよね」
ヨルンはにこにこしながら畏まるルーカとタミーに親し気に話しかけた。
「お前たち、彼女らは僕の恩人だよ。性質の悪いのに絡まれていたところを助けてもらってね。こちらの美女がルーカさん、こっちの美獣がタミーさんだ。2人ともあの、ケフのお館勤めだ。で、こいつらは、僕の専属次女のシルカ、イリノ、コチョウだ。フードを取ってもいいぞ」
ヨルンは伸された男を路地裏に捨てて、急いで駆け寄ってきた彼女たちにルーカとタミーを紹介した。フードの下から現れたのは、シルカと呼ばれたのは鹿族のスラっとしたショートボブの少女、イリノと呼ばれた少女は猪族の少しがっしりした体躯にポニーテールの少女、コチョウと予備れたのはは黒髪のロングが美しい真人の少女で、皆、ラウニと同じぐらいの年齢の様だった。
「若様を危機からお救い頂き、我ら家臣一同感謝を申し上げます」
3人は一斉にルーカとタミーに頭を下げた。
「私どもも侍女ですので、そんなに畏まらないでください」
ルーカが慌てて彼女らに頭を上げるように促した。
「私たちもケイジャの若様とは知らずとは言え、出過ぎた真似をしてしまい申し訳ありません」
タミーはヨルンに謝罪するため深々とくるっとした角の生えた頭を下げた。
「堅苦しいことは抜きだ。こうやってお近づきになれたんだ。お茶ぐらい奢らしてくれないかな」
ヨルンはルーカとタミーにウィンクして見せた。
「若様・・・」
「悪い癖が出ました」
「叩かれるまでがお約束」
ヨルンが2人をナンパする姿を見ながらシルカたちはひそひそと意味ありげな事を互いに囁きあっていた。
「奥方様、本日、露店外で南方から来たご婦人がケイジャの若様の露店で無体を働こうとしている所をルーカとタミーの2名が実力を持って排除しました。このご婦人はクラーナ・クラクス。使用人の話ですと南のタクハルの郷で穢れの民を酷使しして財をなしたモノの、穢れの民の排斥により働き手を失い、バー何に流れて来たとのことです」
露天でのひと悶着があった夜、マイサは奥方様の前にしてその件についての概要を説明していた。彼女の横にはルーカとタミーも控えていた。
「私たちは、ケイジャの若様であらせられるヨルン様にその後お茶とお菓子を奢って頂きました。若様の侍女たちとも縁を持つことができたと思います」
「若様のペースに乗せられていたら、今頃ベッドを共にしている事になりかねなかったです。あの方、随分とプレイボーイのようですね。婚約者様がちょっとかわいそうな気が・・・」
ルーカとタミーは余り外に出てこないケイジャの郷の民、しかもその子の郷の若様が、軽いと言うかチャラい事に言及し、くすっと笑いをこぼした。
「素敵な若様のようね。一度お会いしてみたいわ。・・・でも、何か既視感がするのよね」
タミーの話すヨルンの人となりを聞いて実父の姿が奥方様の脳裏をかすめた。
「面白そうな若様じゃないか。ケイジャの郷に新しい風が吹くかもしれないよ」
今まで奥方様の横で編み物をしながら静かにしていた大奥様が楽しそうな笑みを浮かべた。
「このバーセンには歓迎できない風が吹きそうな気配があるのよ。最近、クラーナ・クラクスの様な郷を見捨てた農園経営者が流れてきて、彼らはこの街では、以前に住んでいたところの様に穢れの民を奴隷として入手できないことにいら立って、あちこちでトラブルを起こしているの。穢れの民への弾圧を強くしたいみたいね」
奥方様は小さなため息をついた。その目には不安の色が滲んでいた。
「バーセンはナーワンの郷の中でも穢れの民に寛容な唯一の街、しかも貿易で富を生んでいるとなれば、バカがちょっかいをかけない事が不思議なぐらいだよ。今、バカに火を付ける連中が増えてきているんだ。ここでのカジノ飛び火がケフまで飛んでくるかもしれないよ」
大奥方様は、はぁーと深いため息をつくと、きつく目を閉じて眉間を指先で揉みだした。
「ここを統治するカスター殿とケフが強いつながりがある事を改めて、見えやすくするとバカも簡単に手を出しにくくなるかもしれないね」
「ただ手をこまねくだけではなくて、何らかの方策が必要ね」
大奥方様と奥方様はルーカたちに下がるように促すと2人してひそひそと声を潜めて何かを話し合い始めた。
「昨日のネアに喧嘩吹っかけたおばさん、あちこちで喧嘩吹っかけてるみたいだよ」
少し遅めの昼食をパーティションで区切られた簡易なバックヤードでとっているネアにフォニーが食べる手を止めて話しかけてきた。
「ええ、タミーさんがケイジャの郷の人に喧嘩を売っていたのを買い取って、のしたって聞きましたよ。本人から」
ネアはいつもの事ですよとくすっと笑みを浮かべた。
「ネアじゃないですけど。どこにでもバカはいるものなんですね」
もう食べ終えたラウニが口の周りをナプキンで拭きながらため息交じりに吐き出した。
「困ったことに、そのバカが増えているみたいなのよね」
ネアの背後からいきなりレヒテが声をかけて来た。
「そんなバカいらない・・・です」
食事をつつきながらティマがつまらなそうに呟いた。
「そんなバカ、さっさと始末できないんですか」
「それがね、難しいらしいのよ」
フォニーの問いかけにレヒテはため息交じりに答えると、空いていた椅子に腰を降ろした。
「私はバカです。なんて顔に書いてないですからね。利口そうなバカから真実のバカまで各種ありますから、見分けるなんて難しすぎて、不可能の領域ですよ」
ネアはレヒテがこれから何を言い出すのかと不安を感じながらも敢えてレヒテに気取られるように軽口を叩くと肩をすくめた。
「でもね、バカな事をする奴を見つけて、見張ることは出来るでしょ」
肩をすくめるネアに奥方様がにこやかに声をかけて来た。
「お母様、その事の説明は私が・・・」
「貴女は遊ぶことしか考えていないでしょ。これは、とても大切な仕事で、しかも危険な事です。バト、ルロ、アリエラ貴女たちも関わる仕事です」
奥方様は部屋の隅で駄弁っていた残念トリオに声をかけ呼び寄せると、集まった侍女たちの顔を見回してから徐に口を開いた。
「今回のキャラバンは明後日で終わることは皆は知っていると思うけど、ここに居る者たちはケフに戻り、必要な準備を整えたら暫く、このバーセンで生活してもらおうと考えています。この件についてはカスター様と打ち合わせ中です。この事は口外しないようにして下さいね」
奥方様の言葉にネアたちは新たな任務が付与されたと考え、姿勢を正して表情を硬くした。
「そんなに硬くならなくてもいいわよ。ヌイグルミまで持ってくる必要はない予定よ」
獣人が生まれた時に贈られるヌイグルミ、そのヌイグルミがある場所こそが帰る場所とされている。奥方様はネアたちにずっとバーセンに居ろと命じているわけではない、その言葉を聞いてネアは小さな安堵の溜息をついた。
「・・・その仕事の目的は何なのでしょうか? 仕事の内容は何なのですか? どれぐらいの期間、私たちはバーセンに居ればよろしいのでしょうか? 」
バトが真剣な表情を浮かべると奥方様を見つめ、矢継ぎ早に質問を投げかけていた。
「バト、失礼です。我々は命ぜられたことを命ぜられたようにこなすだけです」
ルロがバトの手を引いて動きを制しようとした。
「不安に思うのは仕方がない事。ここでの仕事はオーダーメイドの服の受注と採寸、レヒテが手伝っているお店のウェイトレス・・・表向きはね」
奥方様は何事でもないように明るく答えながら、最後の一言は声を落とした。
「表向き、ですか・・・」
「裏は、情報収集、ケフに来る人たちの中に良からぬ輩がいるか、正義の光や正義と秩序の実行隊の連中の動向を探ること」
ネアの発した独り言のような言葉に奥方様は淡々と答えると、厳しい眼差しでネアたちを見つめてきた。
「できれば、ケフや私たちに害をなす者の隠密裏に排除すること・・・、別に命をどうこうしろとは言わない。そんな連中が安全になってくれればいいの。路銀を使い果たしたとか、下手売ってヤバイ人たちと対立したとか、ね。でも、何より貴女たちの安全が優先、徒に手を出さないと約束してね」
奥方様はにこやかに口にしていたが、ネアは既にケフすら安全な場所ではなくなっていると意識し、身を堅くした。
「私たちは面と向かっての戦闘の訓練を受けた経験も実戦もありますが、隠密処理に関しては訓練すら受けていませんが」
奥方様が口にした新たな仕事に対してバトが恐怖と不安を混ぜ込んだ表情を浮かべながら尋ねた。
「だから、一度ケフに戻るんだよ。以前からバーセンには常時目を出しておく必要があるとされていたんだ、その時期が少しばかり早まったってことよ。お前たちなら十分できるさ」
バトの不安を一蹴するかのように大奥方様は笑い飛ばすように言い放った。
「私たちは良いとしても、この子たちに手を汚させるようなことは・・・、私としては認められません」
アリエラが意を決したように大奥方様に言うと、さっと庇うようにティマを抱きしめた。
「ケフが守れるなら、いくら汚れてもいい・・・です。この手でいつか、絶対にアイツを・・・だから、いずれ汚れる・・・です」
ティマが力強く決意したことを口にした。
【確かに、彼女の目的を砥げるためには少なくとも1人は手にかけないとならないからな】
ネアは改めてこの世界の過酷さとでの命の軽さを思い知らされていた。
「排除については、最終手段よ。貴女たちだけにさせるつもりはないわ。詳しくはケフに帰ってからね」
奥方様はネアの心を読んだのか、手を汚す仕事についてはこれ以上言及しなくなった。
「ここ」
明日はケフに発つという日、ネアたちはレヒテとギブンの姐弟とパルとメムの主従、そしてなぜかついて来ている残念トリオとバーセンの街に繰り出していた。そんな中、ティマがふいに立ち止まり、じっとギブンを見つめた。
「ここ? あ、そうか、ここだったよね」
ギブンは辺りを見回すとティマに微笑みかけた。
「若様に初めて会った場所・・・です」
ティマが最高の笑みを浮かべ、ギブンの前に行くと深々と首を下げた。
「あの時、助けて頂いたから、今のあたしがあるんです。本当に、本当にありがとうございます」
「ぼくも頑張り屋で優秀な人材をスカウトできたからね」
ギブンは感極まって少し涙声になっているティマの頭を優しく撫でた。
「つい先日みたいに思えるよね」
フォニーが懐かしがるようにネアに話しかけた。
「トイレの使い方が分からなかった子のこともですね」
ネアがフォニーの言葉に同意しようとした時、横からラウニが割り込んできた。
「・・・ティマちゃんは私より先に若に会っていたのよね」
ティマとギブンが互いに見つめあっているのを見てアリエラが悔しそうに呟いた。
「若とイクルさんがティマを海賊もどきから買い取ったんだそうですよ」
「姓奴隷としてグヱっ」
バトが何かを言おうとした先にルロの裏拳がバトの顔面にさく裂していた。
「その時、その場所に私がいれば」
顔面を押さえて蹲るバトを全く視界に入れず、談笑するティマとギブンを睨みながらアリエラは悔しそうに歯を喰いしばった。
「失礼ながら、どこかの郷の若様と見受けられますが、苦言を一つ宜しいでしょうか」
ステッキをついた品のよさそうなちょっと恰幅の良い老紳士がいきなりギブンに声をかけて来た。
「っ! 」
その瞬間、ネアたち侍女は戦闘態勢になっていた。相手に気取られぬように武器を握りしめ、相手の死角からこっそりと近づきだしていた。
「うちの弟に何か用でしょうか? 」
侍女たちの動きから目をそらせるため、レヒテがその男に声をかけた。
「若様のような高貴な方が、侍女風情、しかも卑しい穢れの民と親し気に街中でされていると言うのは、お家の名に泥を塗ることになる、この事をご忠告しようと思いましてな」
老紳士は汚物を見るような目でティマを睨みつけると、ギブンにしかめっ面で話しかけてきた。
「彼女は侍女ではありますが、ぼくらの大切な仲間です。貴方の言葉に従うことこそ我が家名に泥を塗ることになりますので、お言葉だけは頂いておきますよ」
ギブンは慇懃無礼な態度で老紳士ににこやかに礼を述べた。
「年長者に対して、その態度はなんだっ! 儂はお前のために言ってやっているのだ。人の親切を無碍にするとは嘆かわしい。このような下賤な者どもと親しくしておるから性根まで下賤になるのだ。儂がその性根を叩き治してやる」
老紳士はいきなり激昂するとステッキを振り上げた。しかし、そのステッキが振り下ろされることはなかった。
「若に無礼を働くと言う事は、それなりの覚悟ができているはず・・・です」
老紳士の喉元にティマがナイフを薄皮一枚の所で寸止めさせ、低い声で警告を発した。
「躾のなってない畜生風情がっ。この畜生どもを始末せよっ! 」
老紳士がティマの警告を無視して大声を張り上げると、お揃いの軽冑と長刀を佩いた騎士たちが10名程駆け寄ってきた。
「君たち、この状況を把握しているかな? 君たちのご主人様の生殺与奪はぼくらの手にあるんだよ」
ギブンは長刀に手をかけている連中ににこやかに話しかけたが、彼らは何も答えず、代わりにギブンに向けてナイフを投げつけてきた。これが彼らの答えだった。
「若っ」
ティマは短く叫ぶと老紳士を蹴り、その反動でギブンの方向に向けて飛び出し、飛来するナイフを手にした大型のナイフで叩き落した。
「姉さん、こうなるとケフ流のおもてなしが必要だね」
「そうね、出来る限り精一杯のおもてなし、一心不乱のおもてなしをして差し上げましょう。皆、いいかしら」
ギブンが蹴り飛ばされた老紳士を睨みつけるとレヒテに尋ねた。その問いかけは、自分自身に言い聞かせ、覚悟を決めるものであった。レヒテがビケット家の侍女を侮蔑し、弟に手を上げようとした相手に対して慈悲の心など持ち合わせていないことは百も承知の事だった。
「儂の私兵あいてに侍女風情が片腹痛いわ。お前ら、この侍女どもを適当にいたぶった後、売り飛ばせ。その金はお前らの小遣いにすればよい。タキアの郷の大農場主たるワラル様を足蹴にした罪を償ってもらう」
老紳士はティマにけらられた胸を押さえながら、よろよろと自分の私兵たちの元に歩み寄るとレヒテたちを指さしてニヤッと笑みを受けた。
「その態度の大きさからどこかの郷の郷主様かと思っていましたが、姓をお持ちでないのですね。ご老人、貴方はぼくたちが誰だか知って、覚悟を持って剣を向けているんですよね。ボクたちの最大限のおもてなしを受ける価値のある人だと判断してイイんですよね」
ギブンはニコニコしながら老紳士に話しかけるとレヒテにそっとハンドサインを送った。
「ふん、どこぞの商人の子倅がおこがましい事を言うモノではない。人の善意を踏みにじった罪を謝罪したいなら、この場で土下座したら考えんでもないぞ」
ワラルはふんぞり返って薄ら笑いを浮かべていた。彼の頭の中には自分たちの勝利以外の物語はなかった。
【この狼藉をネタにすればこのガキども親から随分と毟り取れそうだ。獣どもはどうしようもないとして、あのエルフ族と真人の娘なら高値がつきそうだ。それ以前に味見するのも良いな。あのドワーフ族は口直しにはちょうど良いかも知れん】
ワラルが舌なめずりをしながらレヒテたちを舐め回すような視線を投げかけた時であった。
「おじいさん、警告するね。私はケフの郷主、ゲインズ・ビケットが長女レヒテ・ビケット。そこでアンタが喧嘩を売ったのは私の弟のギブン。これでも喧嘩を売るって言うなら良い値段で買ってあげる。代金に釣り合う喧嘩にしてよね」
まるで、これからピクニックに行くような明るい表情でレヒテが言い放った。その言葉にワラルの私兵たちに一瞬戸惑いが現れた。
「ふん、郷主の子どもが穢れの民を身の周りに侍らかすなんぞしない。嘘をつくのも大概にせよ。子供のくせに悪知恵だけは働くようだな。これは、きついお仕置きが必要だ。ガキどもは痛めつけるだけにしておけ、エルフ族と真人とドワーフ族は楽しめるよう捕獲、あとは毛皮にして売り飛ばせ」
「皆、"おもてなし"だよ」
ワラルとレヒテが同時に声を上げた。
「皆、殺しはダメだからね」
ワラルの私兵めがけ、突進していくネアたちの背後からギブンが心配そうに声をかけた。
「死なない程度に痛めつけます」
バトが細身の剣を抜刀しながら元気に声を張り上げた。
「渡し船の待合室ぐらいは足を運んでもらうかも知れませんけどね」
ネアは叫ぶように答えるとエプロンの内ポケットからシャフトを取り出して一挙動で伸ばし、肉食獣ならではの牙を剥いた。
【ケフの怖さを身に刻んでもらおうかな】
ネアは抜刀して身構える私兵たちを見ながら、妙に滾るのを感じていた。
穢れの民に対する姿勢は大きく二つに分類されます。
一つは穢れの民を格安の労働力、奴隷としてのみ存在を認める姿勢で、クラクス夫妻やワラルなどが粗相です。
もう一つは、穢れの民の存在を認めないという姿勢です。これは正義の光の教義と一致しています。
前者は後者から異端者もしくは穢れの民の保護者としてみなされ迫害されることがあります。
前者の連中は身を護るためありったけの私財を持って逃げて来ています。正義の光があまり入り込んでいない地域での再興を夢見ています。
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