310 使えるかも知れない
暑くて何もする気がしない時の暇つぶしの一助となれば幸いです。
「お主に寝床を与えてやりたいが、儂もビケット家の食客じゃから、まとまった収入もないしのう」
黄金の林檎亭でゴレンに食事を奢りながらラールは一人呟いた。
「しっかし、良く食うのう。遠慮はいらんぞ。腹いっぱい喰え」
ラールの言葉にゴレンは無言で頷くとさらに勢いを上げて皿まで食う勢いで食事を掻きこみだした。
「・・・、食事ぐらいは面倒を見てやる。明日の昼、お館に来い、使用人用の入り口からだぞ。そこで、衛士に儂に用件があると伝えよ。そうすれば、儂が自ら迎えに行こう」
ラールの言葉にゴレンは食事を掻きこみながら頷いていた。
【今まで剣の弟子はとったことはあったが、それ以外の弟子となると、どのようにすれば・・・、これも母になるための修行じゃ、このどうしようもないヤツを世に役立つ一端の男に仕立ててやる】
ラールは無心で食事を続けるゴレンの気配を感じながら心の中で決意した。
「エルマよ、お館で事務に携わる者を雇う予定はあるかの? 」
ゴレンと別れ、お館に戻ったラールは、執務室で1人書類整理をしているエルマに声をかけた。
「いきなり、何ですか? 事務要員の求人は今のところありません」
エルマは処理している書類から視線を移すことなラールに答えた。
「頭の良し悪しは兎も角、知識量が尋常ではないヤツを弟子にしてな。コイツには剣ではなく人としての道を示したいのじゃ。以前はアホな暴れ者であったが、今はアホな知識欲の権化となっておる。傍から見ておってとても危ういのじゃ」
エルマはラールの言葉を聞いてため息をついた。そして、やっと書類から目を上げ師匠であるラールを見つめた。
【剣のみで生きて来た人が何を言い出すのかしら? ひょっとして悪い物でも食べた? 】
エルマはまるで見慣れぬ生物を目にしているような気になってしまった。
「その息遣いから察すると、お主、儂がまた阿呆な事をしでかしておると思っておるじゃろ」
「流石師匠、弟子の考えなんぞ常に己が掌の上にあるがごとくお見通しですね」
「そうじゃろうとも、お前の考えなど・・・、待てぃ、儂が愚かなることをしでかしていると言いたいのかっ」
うんうんとエルマの言葉を聞いていたラールは、彼女の言葉の真意を理解して声を張り上げた。
「師匠のその場の思い付きで我々がどれだけ苦労した事か・・・、思いつくことはいいんですけど、最後までやり通してくださいね。途中で、私に丸投げされても困りますから」
エルマのラールを見つめる目つきは師匠を見る目ではなく、トラブルを毎回持ち込む厄介者を見る目に近かった。
「儂の行動は思い付きではないぞ。儂の将来を考慮しての行動じゃ」
ラールはエルマの態度に対して心外であると主張した。
「剣の道ではそれなりに名を成したと思っておる。しかし、儂には剣以外がないのじゃ。このままでは母にはなれん。レイシー殿も剣のみで生きて来られたようじゃが、あの方はビブちゃんをちゃんと育て上げ、今はもう一人胎で育てられておる。儂はレイシー殿以上に剣以外は知らん。じゃから・・・」
エルマの目の前には剣精の姿はなく、苦悩する一人の女性の姿があった。
「レイシーさんは騎士団に居る時でも、ちゃんと髪は整えるし、着る物に気を使われていましたよ。彼女とお師匠を同列にするなんて、レイシーさんに失礼です」
「そうじゃ、レイシー殿以上に剣しか知らぬ儂が母になるための修練なのじゃ」
ラールは自分の行動が思い付きではないことを力説した。
「母になるですか・・・、ご立派です。お相手のことは敢えて尋ねません。しかし、師匠が育てようとしている者にも人生があることをお忘れなきように、徒に干渉して台無しにしてしまわないようお願いします。私の所では人では足りていますが、ルビクの所が経費やお給金などの計算やら書類で人手が足りないようです。明日の朝のうちにでもルビクの所に連れて行くといいでしょう。私はまだ仕事がありますので」
エルマは肩をすくめた後、呆れたような口調で師匠のために毛色の違う弟弟子の勤め先を紹介すると、再び書類に目を落とし、師匠と目を合わせることはなかった。
「ルビクじゃな。感謝する」
ラールは自分に視線すら向けない弟子に軽く頭を下げると軽い足取りで部屋から出て行った。
「新しい面倒と犠牲者が増えそうな気がします」
エルマはこれから発生するであろうトラブルに思いを巡らし小さなため息をついた。
「剣精様に用件があって参上した。面会を頼む」
ネアたちが昼からの仕事に向かおうとしている時であった。ネアはお館の使用人出入り口で大声を張り上げている者がいることに気付き、その声から、その主がゴレンであることを悟った。
「騒いでいるヤツがいると思ったら、あのバカですよ」
ネアは横目でゴレンを見てつまらなそうに呟いた。
「私に用がある訳じゃないようなので安心しました」
ラウニは再度挑んで来たのかと一瞬身構えたが、彼の目的がラールであることを理解して安堵の溜息をついていた。
「バカに執着されるなんて迷惑だからね」
フォニーが声を潜めてラウニに囁いた。そんな会話を耳にしていたティマがじっとゴレンを見てから、ちょっと残念そうに首を振った。
「あんなに短い間に図書室の本を全部読んだって聞いていたから、ちょっとは賢くなったのかな、と思っていたけど、変わってない・・・です」
「方向が変わっただけで、バカなままか・・・、人とは簡単に変われないものなんですね」
ティマの言葉を聞いたネアはしみじみと呟くと、ラウニたちは誰言うとなく一斉に首肯していた。
その日もいつもと同じように穏やかに過ぎていくはずだった。少なくともネアはそう思っていた。彼女は余りにもゴレンと言う変数を軽く見ていた。その事を後悔することになった。
「ネアはおるか? 」
工房のドアをノックもせず開くなり、ラールが大声で叫んだ。
「剣精様、何事ですか? 戦でも始まるのですか? 」
奥方様が裁縫の手を止めて立ち上がり、大声を張り上げたラールに毅然とした態度で尋ねた。
「・・・いきなりの非礼を詫びる。儂はネアの力を借りたいのじゃ」
はっと自分の失礼な行動に気付いたラールはその場に膝をつき、奥方様に深々と土下座をした。
「剣精様、頭を上げてください。いきなりの事で驚いただけですから」
いきなりのラールの行動に奥方様は聊か泡を喰っているようで、思わず立ち上がって彼女の肩を掴んでいた。
「ネアの力を借りると仰ってましたが、ネアに何をさせようとなさっているのですか」
奥方様の問いかけは至極真っ当で、ネアも思わずうなずいていた。
「知恵を貸してもらいたいのじゃ。尖がった能力はあるのじゃが、その能力をどう活かして良いか分からんヤツがおるのじゃ。だから、知恵者であるネアの力を是非とも借りたいのじゃ」
ラールは今度はネアに向かって土下座をしてきた。その光景にネアは思わずラールの元に駆け寄っていた。
「私如きに頭を下げられる必要はありません。私で良ければいつでもお力になります。但し、奥方様とレヒテ様のお許しがあればですが」
ネアはチラリと奥方様の方に視線をやると、奥方様はそっとネアに手を合わせ、なんだか面倒そうなことをネアに押し付けようとしていた。それを見たネアは全てを受け入れる覚悟をして静かに頷いた。
「奥方殿、ネアは貸してもらえかのう? 」
「構いませんよ。レヒテには私の方から言い聞かせておきます。夕食に遅れるような時は剣精様がネアの食事の面倒を見てやってくださいね。ネア、危ない事だったら引き受ける必要はありませんからね」
奥方様はラールににこやかに答えると、ネアに早く行くようにと促した。
「面倒な事に巻き込まれたように思えますね」
「可愛そうにね」
「ネアお姐ちゃん、ガンバレー」
侍女仲間からの『自分じゃなくて良かった』感がこもった声援を受けながらネアはラールの後を付いて行った。
「能力の使い方が分からないってのは、あのバカ・・・ゴレンのことでしょ」
ラールの後について昼下がりのお館の廊下を歩きながらネアは黙りこくっている彼女に尋ねた。
「そのとおりじゃ。あ奴、莫大な知識量を手にしたうえ、人の技とは思えぬ計算能力があることが分かったのじゃが・・・」
ラールはそう言うと、小さなため息をついた。
「ルビク殿の手伝いとして給与の計算をさせておるのじゃが、儂の小遣いがどれぐらい計上されているか聞いたのじゃ。すると、あ奴、何と答えたと思う? 」
ラールの問いかけにネアは首を傾げ、暫く考えてから口を開いた。
「まさかとは思うんですが、「そんなこと分からない」じゃないですか。・・・自分が何のための計算をしているか理解していなかった、ですか? 」
「そのとおりじゃ。あ奴、計算は早いが、自分が何の数字を弄っているかさっぱり理解しておらんかった。だから、お主の知恵を借りたいのじゃ。あ奴の頭を有効に使う方法があると思うのじゃ」
ネアの答えをラールはため息交じりに肯定した。あのバカならそんな事であっても不思議じゃない、とネアは何故か納得していた。
「アレがトンデモないバカだと再認識しましたが。アレの有効活用について何故、私になんかに力を借りようと思われたのですか? 」
ネアは何故自分にラールが助力を得ようとしたのか尋ねた。
「ヤヅで奥方様やお嬢を逃げさせるため、1人で殿を買って出た上に生還をしておる。しかもじゃ、敵を徐々に弱らせ、こっちの攻撃がしやすい場所に誘導したぐらい知恵があるお主が適任じゃと判断したからじゃ。アレを使いこなせるのはお主以外にあり得まい」
ラールは濁った瞳をネアに向けクスクスと笑い声を上げた。
「完全にヒトごとですね」
「儂が母になるための修練に付き合ってくれ。報酬は弾むぞ」
ジト目でため息交じりに見つめるネアにラールは軽く手を合わせてお願いしてきた。
「仕方ありませんね。報酬の件はよろしくお願いしますね」
彼女らは互いに何やら契約ごとを取り決めながらお館農家を移動して、ルビクが働いている事務室の扉をノックした。
「空いているぞ」
「偉そうに・・・」
ラールがルビクの返事に厭味っぽく答えながら扉を開いた。
「そいつは役に立っておるか? 」
むっとして睨みつけるルビくを気にすることなく、ラール部屋に入るなりゴレンを指さして尋ねた。
「やり方を教えれば、後は勝手にやってくれます。休憩も食事も採らないでずっと続けていますよ」
ルビクが指さした机にはお館で使用されるため購入された物の大量の伝票と格闘するゴレンの姿があった。
「・・・こいつ・・・」
彼の仕事ぶりを見てネアは己の顔面が引きつるのを覚えた。
「ーっ」
ゴレンは、声にならぬ雄たけびを上げながら伝票を処理しているのだが、その速度が尋常ではない。金額や数力の計算は、その数字を見た途端に必要な数字を導き出しているのである。しかも暗算しているそぶりも見せていない。既にそこに正しい数字があるのをなぞっているようであった。
「ずっとあの調子ですよ。計算の仕方を教えたら只管処理しています。無駄口も叩かず、休憩もせずですよ」
ルビクは異形の生物を見るような目でゴレンを見ると、綺麗に光を反射している頭に浮かんだ汗をハンカチで拭いた。
【決められた動作を正確に繰り返す・・・、入力を適切にすれば、出力はこちらが指定した通りに・・・、電算機処理の要領か・・・】
ネアは只管同じことを繰り返しているゴレンを眺めながら、かつて職場にあったサーバールームとそこに勤務している職員たちのことを思い出していた。
「給料や仕入れの計算だけでコイツを飼っておくのも勿体ないしのう。こやつは仕事中は飲み食いを忘れておるが、いざ喰い始めるとハチと同じぐらい食うからのう」
ラールは性能は良いが使い勝手の悪い道具を手にしたような思いで一心不乱に計算しているゴレンをじっと見つめた。
「大量のデータを処理するのに向いているかも、扱うデータが外に漏れるとヤバイものでも、コイツは何の数字を扱っているか理解していないから漏れる心配がないと思いますね。何のデータを処理させるかはこれからの事になると思いますが、ご隠居様が欲されるかもしれませんよ」
顎に手を当てて考えていたネアがポツリとラールに囁いた。
「ご隠居殿か、あの方なら、コイツを旨く利用されるかもしれんな」
ラールはネアの言葉を聞くと嬉しそうな表情を浮かべてポンと手を叩いた。
「どんな道具も使いようがある。大抵の物体はハンマーの代用になりますからね」
ネアはそう言うと口角を上げ、皮肉な笑みを浮かべた。
「ご隠居殿、今、暇か? 」
ネアの言葉を聞いたラールはネアの首筋を掴むとお館の廊下を駆け抜け、ご隠居様の居室にノックもせず乗り込んでいた。
「いきなり押し込んできて、暇か? はないでしょ。ま、ボクはいつも暇だけどね」
ご隠居様は突然の闖入者にお茶を飲む手を止めて、少しばかり驚愕の表情を滲ませながらラールを眺めた。
「ご隠居殿の 仕事 に強力な道具となる男を紹介したいのじゃ」
「面白そうな話だね。詳しく聞かせてもらえないかな」
ラールの言葉に興味を示したご隠居様は少し身を乗り出した。乗り気なご隠居様を前にしてラールは何かを説明しようとしたが、言葉に詰まってしまい、代わりに説明しろとばかりに、トンとネアの背中を軽く叩いた。
「今の時点は情報を収集することに集中していますが、これからは情報を分析することが必要になってきます」
コホンと咳払いしてから、ネアは説明を始めた。
「分析? 」
ネアのは言葉を聞いてご隠居様は首を傾げた。それを確認したネアは心の中で「喰いついた」と笑みを浮かべていた。
「黒曜日のマーケットの売り上げについて、商工会から報告があると思います。どこからどんな行商人が何を商ったかまで記載されていますよね。でも、それを見ただけでは何も分かりません。事細かにその行商人は何年前から来ているのか、どれぐらい儲けているのか、商っている物に変化はあるのか、これらを探っていけば、その行商人は商売のためじゃなく、何か別の目的で来ているかもしれないって判断できると思います。例えば、最近現れた行商人で、何でもかんでも破格の値段で取引しているなんて聞けば何かがあると判断できるのではないでしょうか」
ネアはご隠居様に分析について少し説明した。
「数字から物事を読み解くことは重要だからね、それと強力な道具になる男ってどうつながるんだい? 」
ご隠居様はネアに今一つ理解しかねると尋ねてきた。
「その男は、計算能力はずば抜けています。体力もありますから、不眠不休で延々と計算作業ができます。しかも、何のために計算しているかは考えていませんから、誰かに秘密を漏らすこともできません。弩のように作業するかを正しく入力すれば、欲しい数字が手に入ると思います。さらに、このお館の図書室の書物を3日程度で全て読破し、あまつさえ記憶したそうです」
ネアはゴレンに付属する人格的問題については敢えて話をせず、彼の有能と思われる特性についてプレゼンをするように説明した。
「なかなか面白い存在だねー。将来がチンピラか職業的犯罪者になって、寿命も後数年程度のヤツが思わぬ形で役に立つとはねー。ネア、良い説明だったよ」
ご隠居様はネアが敢えて説明しなかったことを口にしてにやっと笑みを浮かべた。ネアは自分の手の内を全て読まれていると悟り、引きつったままその場に立ちすくんでいた。
「流石、ご隠居殿は全てをお見通しであったか・・・。で、アレを雇ってはもらえぬだろうか? アレは儂の剣以外での初の弟子なのじゃ。問題があれば儂が叩いてでも指導する。アレが暴れないように、目は見えぬが・・・目を光らせる・・・、頼む、アレを雇ってくれんか」
固まるネアをニコニコしながらしているご隠居様に頭を下げた。
「そんな面白いのをボクが放っておくことはないぐらいご存知ですよね。勿論、雇いますよ。・・・剣以外の弟子と仰られましたが、何をお教えになるんです? 」
「儂の目標は母親になることじゃ。全く人としての基本ができておらんあ奴を一から躾なおす事は目が見えぬ儂にとって困難な事じゃと思う。しかし、剣しか知らぬ儂が我が子をこの手で育てるためには必要な事なのじゃ。あ奴と儂、師弟揃って学んでいこうと考えての事じゃ」
静かに尋ねてくるご隠居様にラールは真剣な表情でゴレンを弟子にした理由を語った。それを聞くとご隠居様は優しい笑みを浮かべて頷いた。
「剣精様のお子となると随分かわいい子でしょうね。今から会うのが楽しみですよ」
ラールはニコニコしながらネあの反応を楽しんでいたご隠居様に耳の先まで真っ赤になってぺこりと頭を下げると
「感謝いたします。・・・ネア、何時までほけーっとしておる。行くぞ、ご隠居殿、儂が子をなしたら真っ先に抱っこして頂きますからな」
と早口で言うとネアの手を引っ張って居室からつむじ風のように出て行った。
「剣以外には全く何の興味もない方かと思っていたけど、人ってどう変わるか分からないもんなんだねー」
隠居貴様はしみじみと大奥方様に話しかけると、彼女はフンと鼻先で笑った。
「産み育てるってのはね、人生、命をかけた大仕事なんだよ。凡人ができる最大の修行さ」
大奥方様はぶっきらぼうに言いながらもラールが彼女に似た可愛らしい赤ん坊を抱いている姿を想像して知らず知らずのうちに頬が緩むのを感じていた。
ゴレンは能力はあるモノのその使い方が分からないバカです。
元よりの性格は単純ですので、鱈腹食事ができる環境であればそれ以上は望みません。
種族的特性で真人より力がある事に気付いて、それを活かす方法が犯罪であっただけです。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます