303 思い上がり
お休み中の暇つぶしの一助になれば幸いです。
「ネア、ブレヒト、準備しろ」
防具の奥で緊張した表情を浮かべているネアとブレヒトにエルマが鋭く声をかけた。
「応っ」
ブレヒトは己の顔を防具の上からたたいて気合を入れた。
「・・・」
ネアは静かに短木槍を手にするとじっとブレヒトを見つめた。
【ハサミの時から随分と変わったな。随分と鍛えられたようだ】
悪ガキとして暴れていた頃とは全く違う、落ち着いたブレヒトの動きにネアは彼が強くなっていると感じていた。
【アイツと初めて会った時から、調子を狂わされてきた。脅してもケロっとしてやがった。そして、ハサミ・・・】
ブレヒトは今までのネアとの決して幸運とは言い切れない邂逅について思い返していた。
「俺は変わった」
彼は自分に言い聞かせるように低く呟くと中庭の中央に足を進めた。
「始めっ」
睨みあったネアとブレヒトが礼を交わした瞬間、エルマの号令が響いた。
「来いっ」
ブレヒトは防具の中で己を鼓舞するように大声で吠えると木剣を構えた。
「言われずとも」
それに応えるようにネアも短木槍を構えブレヒトに正対した。
「ちぇーすとーっ」
ブレヒトが気合を発して上段からネアに打ち込んできた。ネアはそれを短木槍を両手で捧げるようにして受けると防具の中で顔をしかめた。
【打ち込みが強い】
ブレヒトの攻撃はネアの想像以上に重く、一発喰らうと随分とダメージを受けることが想像できた。
ネアはさっと後ろに飛び退いてブレヒトとの間合いを切り、しっかりとブレヒトの動きを視た。
「はっ」
ネアはブレヒトの顔面に鋭い突きを放った。
「ふん」
それはブレヒトの剣で払われ、お返しとばかりに返す刀でネアを横なぎに払ってきた。
「っ」
ネアは彼の一撃を短木槍を縦にして受けると梃子のように動かして脇腹に一撃を叩き込もうとした。しかし、ネアの一撃は彼を捉えることをな空を切った。
「くっ」
ブレヒトは飛び退いて彼女の一撃を躱した。ネアの目には剣を構えているブレヒトの姿が映っていた。
【簡単に攻め込ましてはくれないか。流石はケフの凶獣】
ブレヒトは汗ばんだ手で木剣をきつく握りしめると、ネアの次の攻撃に備えた。
【血気盛んに一気に畳み込むことはしないか。堅実な手を取るのか】
ネアはブレヒトの呼吸、何となく感じられる気の流れから彼の手の内を読み解こうとしていた。
【畳み込まないなら、こっちから行くっ】
「しゃーっ」
ネアは叫びをあげると短木槍の穂先をブレヒトめがけピストンのように刺突を繰り出して行った。
「くっ」
ブレヒトは繰り出されるネアの刺突を木剣で払いながら少しずつ後退していた。
【ラッシュには必ず乱れる瞬間がある。相手は子供、しかも猫族、持久力はない直に息も上がってくる】
ブレヒトはネアの攻撃を凌ぎながら時期を伺っていた。
【綻びは出る。今っ】
ネアの刺突の勢いが少し緩くなった。その瞬間を彼は見逃さなかった。
「ーっ」
彼はお返しとばかりにネアの喉も目掛け刺突してきた。
【来たっ】
突き出されるブレヒトの切っ先を視てネアはさっと身体を捻った。彼女はこの瞬間を待っていた。
「はっ」
ネアは身体を捻って彼の刺突をくるりと躱し、彼の背後に身体を持って行く、そしてがら空きになった彼の背中に短木槍の穂先をそっと当てた。
「詰み」
ネアは小声でブレヒトに囁いた。
「詰んだよ」
ブレヒトはそう呟くと木剣を下ろした。
「負けた。真剣にやりやって負けた。ケフの凶獣の名は伊達じゃないな」
彼は負けたにもかかわらず愉快そうに笑っていた。今までのことなんてどうでも良くなっていた。
【俺が弱かっただけ。弱いことが良く分かった。これが分かっただけでも価値はある】
「そこまで、勝者、ネア。ブレヒト、随分成長したな。ネア、見事だった」
ネアとブレヒトは中庭の中央で互いに礼を交わし、仲間たちの元に戻って行った。
「凶獣をあそこまで追い込むなんて、流石だぜ」
「カウンター狙い、いい線いってた」
戻ったブレヒトに少年たちは試合の結果など関係なく賛辞を送った。
「俺は、弱い。それが、はっきりした」
しかし、彼は仲間の賛辞に喜ぶことなく、自分が弱いことを自覚していた。
「そうだよな。俺たちは弱いよなー。エルマ様に言われたとおりだ」
「だから、怠らず鍛錬しなきゃな」
元悪ガキどもはそれぞれ自分なりの課題を見つけたようで負けたにもかかわらず、その表情は明るかった。
「ネア、やったね」
「見事です」
「かっこよかった・・・です」
侍女見習い仲間たちの元に戻ったネアにそれぞれが賛辞を送った。しかし、ネアの表情は曇っていた。
「あそこまで強くなっているなんて、見当違いでした。そして、私はまだまだ弱い」
ネアはそう言うと無言で防具を外しだした。ネアの心の中のどこかに、ブレヒトなら瞬殺できるという重い上りがあった。その思いから今回の試合となったのだが、ネアは自分を恥じていた。
【ケフの凶獣なんて言われて思いあがっていた】
「ねあ、鼻っ柱を叩きおられたな」
むすっとしているネアにエルマが声をかけてきた。
「恥ずかしい限りです」
「それが分かっていれば十分だ」
エルマはそう言うとネアの頭を軽く撫でて中庭から去って行った。
「あの娘たち、随分と成長したもんじゃ」
感慨深げにラールは呟いた。そして振り返りディグを見えぬ目で見つめた。
「あの娘らの戦い方に適した武器を頼めるかのう」
「歴戦の傭兵や筆頭棋士の武器を作るより刺激的で面白そうですよ。あの娘たちそれぞれの戦い方が全く違う、それを考えれば・・・」
ラールに尋ねられるとディグは嬉しそうな表情を浮かべ、早速どのような武器にするか、材質は何にするかなどを頭の中で計算し始めた。
「しもうた、こうなるとディグ殿は何も目にも耳にも入らぬようになる」
試合の後、ディグとのデートを画策していたラールはしくじったとばかりに渋い表情を浮かべた。
「なーに湿気た顔してるのよ」
むすっとしているネアにバトが明るく声をかけてきた。
「これぐらいの力量で自惚れていた事が恥ずかしくて」
ネアは食いしばった歯の隙間から小さな声を吐きだした。バトはそんなネアの姿を見て笑みを浮かべた。
「勝ったんだよ。その勝ち方に納得いかないって、全力で向かってきたフルチン小僧に失礼だよ」
バトはニヤニヤしながらネアの頭を掴むとグイグイと動かした。
「あのフルチン小僧、あん時からそんなに時間がたってないのに、すっごい進歩だよ。エルマさんが付ききっりで教えているわけでもないのにさ。自分たちで鍛錬してあそこまでなっているんだよ。あの小僧とあそこまで戦って、勝てたんだよ。アイツは只の街の元悪ガキじゃないよ。戦う術と力を持った郷の戦力の一つだよ。それに勝ったんだよ」
バトは仲間たちと共に健闘を讃えあっているブレヒトたちを指さした。
「あの力量は下手な傭兵より上ですね。短期間で、しかも彼ら全員があそこまで強くなるなんて、エルマさんどんな扱きをしたのか、想像するのも恐ろしいことです」
ルロが何を想像したのかぶるっと身震いしながら、ブレヒトたちを眺めていた。
「あの子たちより、私のティマちゃんがずっとスゴイんだから。あの子たちも強くなったけど、それ以上にティマちゃんは強くなっているから」
アリエラがティマをぎゅっと抱きしめながら、ネアが理解するのに難しい理屈を並べ立てだした。
「・・・」
ティマはアリエラの腕の中で全ての感情を放棄して、じっとしていた。
「そうですね。ただ、自分のことを自分で買い被っていたことが許せないんですよ」
「そうじゃろうな。見事に鼻っ柱をへし折られたからのう」
むすっとしているネアにディグとラシアを引き連れたラールがニコニコしながらネアたちの前に現れた。
「あの坊主ども・・・、エルマのヤツ、トンデモない原石を手にしよったな。あのような原石、エルマだけに磨かさせるのは面白うないからのう。それでじゃ、ラシア殿、あのガキどもを時々、暇な時で良いから鍛えてくれんかのう。只でとは言わん、バトのパンツでどうじゃ」
ラールは帰って行くブレヒトたちの背中の方に顔を向けると後ろに付いてきていたラシアに声をかけた。
「女神様の下着で・・・、正しく聖遺物」
ラシアは感動で打ち震えていた。それを見たバトは気持ち悪いムシを見たかのように顔をしかめた。
「私はちょっと・・・」
パンツの差出をいきなり言われたバトは困惑した表情を浮かべた。
「異論は認めん。お主のパンツでケフの郷が強くなる。そうなってもらわんと困る。・・・そうじゃないと、儂が安心して子を産めんからな」
そんなバトの言葉にラールは耳を貸すことも無かった。
「アンタの汚いパンツでも役に立つんだ。世の中妙な事もあるもんです」
ルロが不思議そうにバトをジロジロと見て首を傾げた。
「嗚呼、聖遺物が手に入る。それを安置する聖堂が必要、女神様、このラシア・ストラート、一名に変えても聖堂を建立させて頂きます」
ラシアはバトの足元に跪き、法悦に浸っていた。バトは彼の奇行を半身を引いて引きつった表情で見つめて絶句していた。
「パンツって聖遺物になるんでしょうか」
「世の中不思議な事があるってことが良く分かった」
ラウニとバトはラシアとバトを見て首を傾げていた。
「ネアももっと強くなって、穿いているパンツに価値がでるようにならんとのう」
ラールはむすっとしたままのネアにニヤッと笑いかけた。
「ケフの凶獣が穿いておったパンツ・・・、ひょっとすると儂の教えを守って穿いておらんのか」
「時と場所を選んでいます」
ニヤニヤと話しかけるラールにネアはむすっとした表情で返した。
「まだまだじゃな。お主らに一つアドバイスをやろう。男と闘う時は、出来るだけキワドイ衣装が良いぞ・・・、ネアなら分かるじゃろ」
ラールはネアたちに顔を向けると意味ありげな笑みを浮かべた。
「・・・ちょっと早い気がしますよ。それに子供をそんな目で見るヤツなんて、それ以前の問題ですよ」
ラールの言葉に首を傾げるラウニたちを脇目にネアはそっと彼女に文句を言った。
「後5年もすれば、服を着ておっても男どもの・・・分かるじゃろ」
ラールは低い笑いを漏らすとネアの胸に顔を向けた。
「良い気が流れておるな。ふふ、お主らに紹介しよう。ここに居られるドワーフ族の紳士はディグ殿じゃ。お主らが武器を作る時には是非とも声をかけてもらいたいのじゃ。先ほどの試合を見て、随分と興味を持っておられるようじゃからな。・・・ディグ殿、そろそろ食事行かぬか。良い店があるのじゃ」
「それは、楽しみですね。お嬢さんたち、いつでも工房に来て下さい。お待ちしております」
ディグはそう言うと、ウキウキと軽い足取りになっているラールに引きずられるようにして連れされて行った。
「完全に尻に敷かれている・・・」
ネアは自分の意志に関係なくラールに振り回されているディグに少し同情を覚えていると、
「いつまで、そうしているの。迷惑なんだけど。さ、行きましょ」
バトが彼女の足元に額づいているラシアに冷たく言い放つと、彼に目をくれることも無く立ち去って行った。
「神託を頂いた・・・」
ラシアはバトからの蔑みとも思われる言葉に感涙を流していた。
「神託はいいけど、いつまでもこんな所でそんな事をしていたら風邪ひくよ」
バトが立ち去った後も額づいたままのラシアにフォニーが声をかけた。
「眷属の方にお優しい言葉をかけて頂けるとは、恐悦至極、まさに法悦」
ラシアはよろよろと立ち上がるとフォニーを見つめて涙を流した。
「ほうえつ? そんなな事はどうでもいいから。うちらも戻るからさ。ラシアさんも帰ったらいいと思うよ」
フォニーはひきつった表情のまま嫌悪感を押し殺して優しく彼に語りかけるとやっと彼はフラフラと帰路についた。
「フォニー、あんなのに声をかけるなんて、スゴイですね」
ラウニはラシアを追い払ったフォニーに畏怖の目を向けていた。
「あんなのがお館にいつまでも居たら、気持ち悪いじゃないの」
フォニーが疲れ切った表情でため息とともに吐き出した。
「あんなの、ですか・・・」
既に人扱いされていないラシアにネアは軽い同情を覚えていた。
「バトもあんなのにつきまとわれて、かわいそうに」
アリエラは抱きしめたティマの頭を優しく撫でながら呟いた。
「バトさんの気持ち、少しわかります・・・」
アリエラに抱えられたティマが全く感情を浮かべずに小さく呟いた。
「今朝、マーケットを重点的に見張るように我らがエルマ様からの下知があった」
黒曜日の早朝、実家である鋳掛屋の前に集まった少年たちにブレヒトが告げた。
「そして、1人あたり、中銀貨1枚の活動資金を頂いた。何に使うかは各自の自由だ」
彼はそう言うと集まった少年たちの1人ひとりに中銀貨を渡していった。
「お手当を頂けるなんて」
「気合を入れるぞ」
少年たちから歓声が上がった。それを見たブレヒトは表情を硬くした。
「奇声を上げるのは良いが、無様はさらすな。決してエルマ様の顔に泥を塗るな」
「応っ」
少年たちは力強く吠えるとマーケットに向け隊列を組んで歩き出した。
「さーて、今日はどんな生地と出会えるかなー」
常に工房に籠って研鑽に励んでいるホレルが楽しそうにネアたちに話しかけてきた。
「・・・お針子にとって指は命の次に大切、怪我したら裁縫できない。貴女たちはお針子じゃないの」
朝からずっと何かを考えていたデニアが訥々とネアたちに尋ねてきた。
「え、それは・・・」
デニアの問いかけにラウニは言葉を詰まらせた。ケフのために強くなることは当然の事と考えていて自分の指のことまで気にしたことがなかったからである。
「昨日の試合をちょっと見て思った。指を怪我したらお仕事できない。貴女たちは騎士団員なの? 」
デニアはネアたちがお針子として本腰を入れて仕事をしているように見えていないのだろうとネアは思った。
「ケフは小さな郷です。お館様一家の身の周りのお世話も私たちの仕事です。その仕事の中に護衛があります。デニアさんも訓練を受けていられるからお分かりだと思います。私たちはいざと言う時、お館様たちが逃げられる時間を稼がなくてはなりません。その為には少しでも敵を始末する必要がありますから、戦う術を身に付けることも必要なんです。でも、指の事は今まで見落としていました。ご指摘に感謝します」
ネアはデニアに深々と頭を下げた。確かに今まで見落としてきた事だったからである。いまの所、お館でネアに求められることは戦う事ではなく、裁縫仕事の手伝いである。完全に自分の役割を見失っていたことに今更ながらにネアは恥ずかしく思っていた。
「そんなに畏まられても困る。ミーマスも同じような事。私が恵まれていただけだった・・・、ごめんなさい」
デニアはネアの言葉にはっとしたような表情になって頭を下げた。
「謝る必要ないよー。うちらも指先の事なんて今まで真剣に考えたことなかったから。良い事に気付かさせてもらったよ」
「考えが足りなかったことを思い知りました」
フォニーが神妙な面持ちでデニアの肩にそっと手を置いた。その横でラウニが恥ずかしそうにしていた。
「辛気臭いことはいいから。早く行こうよ。ティマちゃんもそうだよね」
ホレルは黙って付いてきているティマに笑顔を向けた。ティマはホレルの言葉に黙って頷いた。
「ケフは色んな生地、ボタン、糸、針あるから見ているだけで勉強になる」
デニアが楽しそうな声を上げた。彼女の行動すべてが裁縫に関係しているんだとネアは改めて感じていた。そして、なにより裁縫が心底好きだということも。
「今日は鉄の壁騎士団長が自ら警備の指揮を摂られているんですよ」
ラウニがうっとりとした表情を浮かべていた。多分このままだとあっちの世界に行ってしまうと思ったネアは彼女を現実世界に留めておくための行動に移った。
「やっぱり、食べ物も楽しみですよね。ハチミツを使った甘いモノ、ケーキとかジュースとか良いですよね」
ネアは食べ物の話題を無理やり口にした。その様子を悟ったフォニーはネアにアイコンタクトを取ってきた。
「クッキーでさ、砂糖の代わりにハチミツを使ったのもあるんだって。先週のマーケットでミエルちゃんが見たみたいだよ」
フォニーがニヤニヤしながらラウニに話しかけた。
「な、なんですか。その夢みたいなのは」
ラウニは早速フォニーの言葉に喰いついてきた。暫くはあっちの世界に行かないだろうとネアはほっとした。
「お、そろそろマーケットの入り口だ」
ホレルがマーケットの入り口を指さした。今日もいつもと同じように多くの人だかりと様々な臭いがしていた。
「今日も穏やかなマーケット日和になればいいですね」
ネアがしみじみと呟いた。それを聞いたラウニたちはクスッと笑い声を上げた。
「騒ぎの中心となるネアが」
「ケフの凶獣がおだやかね」
「そう言う事を言うと、何かを呼び寄せると思う」
ラウニたちの言葉に思わずネアはむっとした表情を浮かべた。
「そんな事はないと思いま・・・す? 」
ネアがそう言いかけた時、マーケットの喧騒が一段と大きなったように感じられた。
ブレヒトたちはケフの治安の一助として自警団に近い働きをしています。
組織的には騎士団の隷下になくお館直属です。
エルマの指揮下で働いています。お給金は郷から支払われています。
ブレヒトたちが手にした中銀貨は正式な給金ではなく、エルマのポケットからです。
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