31 池のほとりへ
まだまだ暑いです。今年の夏も泳ぎに行くことも、山に行くこともなく、お仕事で過ぎていきました。
ご隠居様の情報収集力は小国の情報部並みかも知れません。しかし、取り扱う情報は随分と偏ったものになるかもしれませんが。
着替えを終えた侍女たちは、早足でルビクが執務する事務所に顔を出した。この部屋にはお休みの時の小遣いを貰う時と何かやらかした時の叱責以外で入ることがない部屋であり、ラウニとフォニーは緊張の表情を浮かべていた。
「ルビクさん、ご隠居様から急な・・・」
なにやら書類とにらめっこしているルビクにラウニが喋りだしたとたん、その言葉が終わらぬうちに
「聞いている。さっさと行きなさい。待たしたらダメだぞ」
ルビクは書類から目も上げもせず、さっさと手を動かして彼女たちにさっさと動けと促した。
「分かりました。さ、行きますよ」
ラウニが一声かけ、早足で部屋から出ると、ネアとフォニーは頷き、その後を追った。彼女らはご隠居様が待っている門までお館の中を駆け抜けて行った。途中で何回か大人に「走るな」と叱られたが、その都度「ご隠居様に呼ばれてますので」と応えた、不思議なことにどの大人もこの一言で全てを納得したようであった。
門には既に馬車がそれを牽引する1頭の馬と共に待機していた。その馬車は、荷馬車に座席を取り付けたような造りで、屋根も無く、エアコンはおろかGPSなどは概念すら存在していないシロモノであった。
「思ったより、早かったね」
馬車にもたれかかっていたご隠居様は、息を切らせながら駆けつけた侍女たちに微笑みかけると
「衛兵の詰所に荷物があるから、それを馬車に乗せてくれないかな、釣竿と野遊び用の品々が入った行李があるからね。ちょいと重いかも知れないから、注意してすること、無理はしないように、怪我すると面白くないからね」
「承知しました」
ラウニはご隠居様に一礼すると、ネアとフォニーを指揮して詰所に駆け込んでいった。
「失礼します。ご隠居様の荷物を受領に参りました」
詰所に入るとラウニは元気良く挨拶した。その挨拶に詰所にいた衛兵は笑顔で応え、詰所の隅にまとめられている荷物を指差した。その荷物の量は子供である侍女たちには少しばかり荷が重いものだった。
「気合を入れていくよ」
荷物を目にしたフォニーが軽くストレッチしながらネアとラウニに声をかけた。
「そうね、軽そうなものはネアに・・・、釣竿と釣り道具はネア、野遊び用品は私とフォニーで・・・」
ラウニが指示を出している時、
「子供には荷がきついよ」
「おねーさんたちにまかせなさい」
いきなり、詰所の奥から二つの人影が現れた。その2人はエルフ族とドワーフ族の若く見える女性だった。2人とも騎士団の制服を着込んでおり、騎士団員であることと、スラリとしたのっぽのエルフ族とずんぐりとした丸っこいドワーフ族の2人組みで絵に描いたような凸凹コンビであることが一目で分かった。
「今日一日、君たちの護衛を命じられたんだよ」
エルフ族の騎士団員はそういいながら行李に手をかけた。
「これは、私たちの仕事、そこのクマさんとキツネさんはお弁当をお願いね」
ドワーフ族の騎士団員は行李に手をかけるとエルフ族の団員とアイコンタクトして持ち上げ、慣れた手つきで運び出した。
「うちとラウニでお弁当だね」
フォニーはラウニと弁当の包みをそれぞれ抱えた。
【護衛が必要って、物騒な所なのか?護衛ってあの2人だけ?ご隠居様はこの郷ではVIPだからSPがいても不思議じゃないが・・・】
ネアは思案顔で道具箱を追い紐を肩からかけると、釣竿を抱えて先輩方の後をついていった。
「君たちのは、そこに置いて、置いたら、この紐で固定するからね」
エルフ族の団員は丈夫そうな紐を手にして荷物を馬車に載せる侍女たちに声をかけた。
「子供の前でおかしな縛り方で固定しないように」
ドワーフ族の団員が不信感のこもった視線でエルフ族の団員を睨んだ。
「大丈夫、大丈夫、それは人にしかしないから。最初は苦しいけどっ、うっ」
にこにこしながら喋りだしたエルフ族の団員の脛をドワーフ族の団員は蹴り飛ばして最期まで喋らせなかった。
【ハンレイ先生と同じタイプなのか?】
ネアは護衛の2人のやり取りを見つめながら一抹の不安を感じずにはいられなかった。
「キミの縛られた姿は是非とも見たいものだね」
ぎゃあぎゃあと掛け合い漫才のようなやり取りをしながら荷物を固定している2人の騎士団員の傍にご隠居様は歩み寄ると2人の顔をしげしげと見つめながら微笑んだ。
「その手の趣味は彼女だけですから」
ドワーフ族の団員はエルフ族の団員を指差した。
「これは、あくまでも冗談で・・・、その、縛ったり、鞭だとかはするよりされる・・・、あの、違います」
エルフ族の団員は真っ赤になりながらご隠居様に言い訳すると、横で呆れたような視線で見つめるドワーフ族の団員を睨みつけた。
「キミたちにはまだ紹介してなかったね、今日一日、護衛と馬車の御者をしてくれる鉄の壁騎士団の若きホープ2人だ。エルフ族の娘が朝露のバト、ドワーフ族の娘が火花のルロだ。見かけによらず、腕は立つぞ。それより、2人の掛け合いの話が傍で聞いていても面白くて飽きないのがなによりいいところだよ。キミ達はこの二人の言いつけを良く守るように」
楽しげに2人の団員を侍女たちに紹介すると、凸凹騎士団コンビはビシッと敬礼をした。
「「見かけによらない?」」
団員は互いを見つめた。そして、心の中で互いに相手が見かけによらない存在であると思うことにした。
「それで、この娘たちだが、モーガ付きの侍女で、クマ族の娘が山津波のラウニ、キツネ族の娘が霧雨のフォニー、ネコ族の娘が湧き水のネア、まだまだ幼くて、毛も生えていないような子供だが、しっかり者たちだよ。怪我をさせたりするとボクがモーガとメイザに思いっきり怒られるから注意してね。それと、あまり大人なことは教えないように、いいねバト」
ご隠居様は、侍女たちを凸凹コンビに紹介しながら、やんわりと問題行動をしないように釘を刺した。
侍女たちが先に先頭のシートに陣取ったご隠居様に促されて硬いシートに腰を降ろすと御者台に腰掛けたでこぼこコンビの小さい方、ルロが出発の掛け声をかけた。門番に立っていた衛兵はその場で気をつけの姿勢を取ってご隠居様に敬礼した。ご隠居様は、その敬礼に軽くを手を上げ応えると
「堅苦しいのは好きになれないねー」
小さいため息を苦笑のために少し口角を上げた口から吐き出した。
馬車はケフの郷の城壁を潜り抜け、石畳で整えられた街道を少し進むと人が多く往来する効果により平らに均されている道に入っていた。いくら平らに見えるとはいえ、舗装されていない道にサスペンションもろくに無いような馬車である、しばらくするとネアの尻が悲鳴を上げだした。
「フォニー姐さん、痛くない?」
「振動に身体の動きをあわせて、ガツンと来ないようにするの。慣れてないと難しいけど、慣れれば何とかなるよ」
ネアは、フォニーに同意とこれを回避するテクニックを聞こうとしたが、返ってきたのは、野球少年がプロ選手に「どうすれば確実にボールをバットに当てるようになりますか」と聞かれたのに対して「練習すればできるようになるよ」と返す、一見真っ当でかつあまり役に立たない答えであった。
そんなガタガタとゆれる中、御者台の凸凹コンビの掛け合いはやむことはなく、ご隠居様は時折笑い声を上げたり、突っ込みを入れて楽しんでいた。侍女たちはというと、ネアは必死に馬車のゆれと体の動きをシンクロさせ、尻へのダメージの軽減に躍起になっていた。フォニーは自然に身体を揺らせながら、すぎていく景色を眺めていた。
「うっ・・・」
ラウニは目を閉じ、必死に何かに耐えているように見えた。
「ラウニ姐さん、どうしたの?」
ネアの問いかけにラウニは弱弱しく微笑んだ。
「・・・乗り物がちょっと苦手なんです」
「お尻は大丈夫?」
「それは大丈夫、ちゃんとお肉は付いているから・・・」
【みずからの肉体で衝撃を吸収すると言う手もあったのか・・・、でも、俺の身体じゃ・・・】
ネアは痛む尻をそっと撫でた、そこにはまだ女らしさと言うより、子供らしさしかないモノが存在していた。
【せめて、チャイルドシートぐらいあったら、と言うより、もう少しサスペンションを何とかしようよ】
ネアは、ガタガタと振動する硬いシートに腰を降ろしながら前の世界が少し懐かしく思われた。
「着きましたよ」
御者台のルロが明るい声をかけた。酔ってぐったりしているラウニはノロノロと身体を伸ばし、振動に尻が悲鳴を上げていたネアはヨロヨロと立ち上がった。いつもと変わらずに動いていたのはフォニーだけだった。
「修行が足りんね」
フォニーはエヘンと胸を張りながら馬車から飛び降りると、モタモタと降りてくるネアとフォニーに手を貸した。ご隠居様も年齢にもかかわらず振動によるダメージは受けていないようであった。ネアは、この痛みから逃れるにはフォニーの言うように慣れしかないと認識した。
「荷物を降ろすのを手伝ってちょうだい」
バトは馬車の後ろに回ると荷物を固定していた紐を解きだした。ルロは馬を馬車から離すと、手近の木に手綱をくくりつけ、ご苦労様と馬の首を優しく撫でていた。
「ネアははじめてかも知れないが、我がケフの郷で一二を争う名勝のヤンカの池だ」
ご隠居様は馬車を止めた草原の向こうにたたずむ美しい池を指差した。その池の大きさは野球場がまるごとハマルぐらいの大きさで、澄んだ水を満々と湛えていた。
「マラクのお山からの湧き水でできた池だよ。そのまま飲むこともできるし、遠浅だから泳ぐこともできるぞ。バト、その行李を開けてくれ」
凸凹コンビが野遊び用の行李を下ろしたのを見届けるとご隠居様は2人に声をかけた。
「水着が5着入っている。ちゃんとキミらの体型に合わせて手に入れたから、着られないことはないと思うよ。今日は暑いから、キミたちはその水着を着てくれよ。折角手に入れたんだからな。ボクは向こうで魚を釣っているから、その辺りの木陰でささっと着替えるといいよ。今日は人はいないからね」
ご隠居様は馬車から釣竿と道具箱を手に取るとさっさと歩いていった。
「水着って、聞いてないよ」
最初に不満の声を上げたりのは、ルロであった。
「そうね、お嬢ちゃんたちに大人のセクシーな水着のっ、ぐっ」
「大人なことはなし」
ルロの拳がバトの鳩尾にめり込んでいた。
「貴女エルフ族じゃなくて、サキュバスなんじゃないのかなって思うことがあるよ」
ルロはため息つきながら、二つ折りなっているバトを見つめた。
「私たちの分もあるようですよ。ちゃんと名前が縫いこまれています」
ラウニは行李から水着を取り出して、じっくりと見つめながら困惑の表情を浮かべた。
「うちらも例外じゃないってことか・・・、どうする?」
フォニーも水着を手にしながらラウニに尋ねた。
「どうも、こうもないでしょ。ご隠居様の命令なんだから・・・」
ラウニはため息をつくと水着を手にして馬車の陰に入っていった。
「案外、あの子、思いっきりがいいね」
バトは腕組みしながら、ラウニの行動に感心していたが
「私たちも、よ。それと、間違っても開けたところで真裸にならないようにね。見せるのも好きみたいだから言っておくけど」
ルロがバトに釘を刺した。それに対してバトはつまらなそうに、そんなことしないと答えて水着を片手に木陰に入っていった。
「・・・」
ネアは水着を手にして固まっていた。まず、当然と言えば当然なことであるが、今まで女児用と言うか、女性用の水着など着たことがないのでどうやって着たらよいものか見当もつかないこと。そして、何故か水着の色といい、デザインと言い
【小学校の時に女の子たちがこんなの着てたな・・・】
と思うぐらい、スクール水着であったためである。
「ひょっとして、着方が分からない?」
フォニーがネアにニタリしながら聞いてきた。それに、ネアは俯き加減に頷いて答えた。
「分かった、教えるから、こっちに来て」
ネアはフォニーに手を引かれながら
【ご隠居様は、いつ、どうやって人のサイズを手に入れたんだ】
と新たな謎が頭を占め始めていた。
騎士団の凸凹コンビが登場します。妙に臍から下のネタに持って行きたがるボケ担当のバトと突っ込み担当のルロです。活躍できれば、これからも登場することがあると思います。
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