294 序列
まだまだ、寒い日が続きますが、布団の中でうつらうつらとしながら目を通して頂ければ幸いです。
「こんな日があるなんて」
淡々と日常を送っている中、極まれに落丁したように何もない日が発生することがある。そんな日に巡り合ったネアは思わず驚きの声を上げていた。
「奥方様はお昼から、ケフ婦人会主催のお食事会とお裁縫教室に特別講師でおられないし、エルマさんはそのお付きだもんね」
フォニーは嬉しさを隠そうともせずニコニコしていた。
「剣精様は新しい剣の出来具合の確認でしたね。それ以外が重要かもしれませんが」
ラウニは笑みを浮かべると、思わせぶりな台詞を吐いた。
つまり、本日は工房での仕事も稽古もないのである。ネアたちはまだお館の仕事、つまり食事の準備、清掃もお手伝い程度しか割り当てられておらず、本日の仕事は工房の清掃のみであった。
「デニアさんとホレルさんと一緒に出掛けましょうよ。あの人たち、ここに来てからあまり遊びに行っていないようだし」
ラウニは掃除の手を止めて、自分の道具を丁寧に手入れしている彼女らに視線を転じた。
「うち、声かけて来るよ」
ラウニの言葉に頷くとフォニーはさっと彼女らの元に駆け寄って行った。
「ホレルさん、デニアさん今日お昼からお出かけしませんか。うちらがケフの街を案内しますよ」
そろそろ道具の手入れを終わろうかとしているデニアとホレルにフォニーがにこやかに声をかけた。
「お、いいね。最近、仕事が混んでいただろ? ちょっと息抜きしたかったんだよ」
「楽しそうです」
ホレルとデニアはフォニーの言葉を嬉しそうに受け入れた。
「じゃ、お昼ご飯の後、うちらの部屋に来てもらえませんか」
「承知、美味しいものがある所、教えてくれよ」
フォニーの言葉にホレルはすぐに飛びついてきた。
「分かりました。待ってますね」
フォニーはそう答えると、ネアたちにサムズアップしてみせた。
昼食後、外出着に着替えたホレルとデニアがネアたちの部屋に尋ねてきた。
「あいたら、出かける時は生地を買ったり、ボタンとかを買いに行ったりしかしてないからね」
「必要な時しか外出していないから」
「だから、楽しみなんだよね」
「・・・です」
ホレルとデニアは互いに見合ってにっこりした。
【そう言えば、2人の仕事着以外の服って初めて見るな】
大した外出でもないのに、2人の服装は随分と気合が入っているように見えた。2人ともお手製の服を着こみ、デニア至っては尾かざりまで自作していた。
「それって、全部、自作したのですか? 」
ラウニが彼女らの服を見て驚きの声を発した。素人目にもそれなりの職人が作ったように見えるし、ネアたちのように、工房の手伝いなどをしているとその丁寧な仕事ぶりと、目立たせることなく地味に使用されている高度な技術に目を見張った。
「これ、全部独学で・・・」
ネアは彼女らの仕事に目を丸くしていると、2人は「奥方様の真似をしたんだよ」と事も無げに笑いながら言い放った。
「見て盗むと言うヤツか・・・」
ネアは前の世界で、初めての仕事に戸惑っている時、先輩や上司から言われた言葉を思い出していた。あの時は、教えざる罪を新人の怠惰に転嫁しようとして吐き出された言葉であったが。
「さ、ここで時間を潰すのは勿体ないです。出掛けましょう」
ラウニは只管彼女らの技術に感心しているネアを急かすように言うと、そっと背中を押した。
「うーん、スタムに比べるとちょっと大人しいけど、賑やかな所だねー」
あちこちを忙しなく見回しながらホレルは楽しげな声を出した。
「ミーマスは田舎でそんなに豊かじゃないから、賑やかで楽しい」
デニアも楽しそうにしていて、様々な食べ物の匂いに興奮しているのか、尻尾が忙しなく振られていた。
「明日は黒曜日だから、この広場がマーケットになります。楽しみにしていてくださいね。でも、怖くて悪い人もたくさん来ますから注意してください。ネアも以前、マーケットで攫われそうになりましたから」
2人を引き連れて歩きながらラウニは、マーケットについては言外に含みを持たせた説明をした。
「怖い・・・」
ラウニの説明にデニアが表情を強張らせると、ネアは少し首を傾げた。
「スプーンを躊躇いもせず目に突き刺して、えぐり出そうとするような人なのに・・・」
「あ、あれは、その、訓練された動き・・・、ミーマスは傭兵が主な産業だから、小さい時から仕込まれる」
デニアは俯き加減で言いにくそうに口にした。その姿を見てネアはこれ以上、突っ込むことは控えようと思った。意識せずとも行動できるまで訓練されているデニアにどこかのバカが突っかかって来ないことを天に祈った。突っかかって来る連中のために。
あちこちを見てまわり、広場のベンチに腰かけて近くの屋台で買った温かいお茶を啜っていると、見慣れない柄の服を着た少年たちがガヤガヤと通りかかった。
「ケフの凶獣に手を出そうとして、探し回っていたらヤツの手下に〆られたって話聞いたか」
「あれな。騎士団まで動いたって話だぜ。奴は何もせず、挑んだヤツは瞬殺されたってよ。そのやり方がエグイくて、次の日から外を歩けない様になるぐらいだったらしいぜ」
「凶獣って、ただ喧嘩が強いヤツってことだけじゃなくて、あちこちに配下がいて、しかも騎士団にも顔が利くってことかよ」
少年たちの言葉を聞いている内にネアの表情がドンドンと硬くなっていった。噂がまた独り歩きしているようで、ケフの凶獣は暴力だけでなく、組織力も恐ろしいと言うことになっていた。
「ネア、良かったんじゃないの」
少年たちの姿が見えなくなると、フォニーが小声てネアに話しかけてくると、ネアは彼女の言葉に首を横に振った。
「今までは子供、ガキ大将になりたいバカが絡んできているだけでしたけど、組織力とかになってくると、その上のヤバイのが絡んで来るようになります。そのスジの人とか、そうなると洒落ではすみませんよ」
そう言うと、ネアはこれからのトラブルを想像して深いため息をついた。
「ここでも、そんな暇なのがいるんだね。スタムでは日常だよ。誰が強いかって、すぐに力試しをしたがるからね。酒場の近所なんて常に喧嘩してるのがいるよ」
ホレルは気にすることないとネアの不安を笑い飛ばした。
「そんなに簡単じゃないんですよ。態々探し回って喧嘩売ろうとする奇特な連中が少なからずいるんですよ」
ネアはウンザリした表情になっていた。彼女には、あの連中の気力がどこから湧いて来るのかさっぱり理解できなかった。
「探し回ってまで。暇なんだね。ある意味羨ましいよ」
ホレルはそう言うと笑い声を上げた。その笑い声にネアも引きつった笑みを浮かべた。
「姐さんたちの心配は我々が排除しています。ですが、先日の件、我々の見落としでした。エルマ様から嬉しいお仕置きを頂きました」
ネアたちが談笑していると唐突にブレヒトたちが彼女らの目の前に現れた。
「え、この人たち・・・」
彼らのいきなりの出現にデニアは身を強張らせた。
「この人たちは、エルマさんの手下だから、安全だよ。もし、何かされたらエルマさんに言うと、その日のうちに〆てもらえるから」
フォニーはデニアを安心させるように言うと、きっとブレヒトたちを見つめた。
「慣れていない人を怖がらせちゃダメだよ」
「すみませんでした」
フォニーの言葉に、ブレヒトたちは一斉に頭を下げた。
「姐さんたちの事を嗅ぎまわる輩は、排除しています。剣精様も面白そうだと、ご自身自ら血の気の多いの連中を〆てまわられています。ご安心ください。先ほどの連中をこれから〆てきます。それでは」
ブレヒトたちは一礼すると、現れた時と同じようにあっという間に目の前から消えていった。
「あの子たちは? 」
ホレルが去って行ったブレヒトたちを眺めながらネアたちに尋ねた。
「エルマさんの私兵みたいな人たちです。以前、エルマさんに無礼を働いて、それから心を入れ替えたというか、入れ替えさせられたというか、そう言う人たちです。あまり気にしないで良いですよ」
ラウニはホレルとデニアに心配するなと説明すると、
「決して、エルマさんを怒らせたりしないようにして下さいね。大変な目にあいますから」
注意する事項を付け足した。
「その忠告、留めておくよ」
ホレルはお館で時折、ネアたちや残念トリオを〆ているエルマの姿を思い出して身震いした。
「敵にしてはいけない人」
デニアも彼女の危険性を理解したようで、真剣な表情になっていた。
「ケフってさ、いろんな色と服があるんだね」
ホレルが道行く人たちを見ながら感心したように呟くと、その隣でデニアもしきりに頷いていた。
「うーん、それなんだけど、最近、南の方から来る人たちが増えているんですよね」
フォニーが微妙な表情でホレルの呟きに答えた。
「だから、序列を決めたくて、喧嘩売って来るバカが増えているんですよ。事前にさっきのブレヒトたちが潰しているようですけど、ケフの凶獣は侍女らしいって噂があるみたいですから、注意してくださいね」
実際に被害に遭っているネアがうんざりした表情で現在生起し得る問題について話すと、それを聞いた彼女たちは、見るからに嫌そうな表情を浮かべた。
「あたいは、喧嘩するためにケフに来たんじゃないんだよね」
ホレルはため息をついて肩を落とした。その横でデニアはぷわっと毛を逆立てていた。
「心配しなくてもホレルさんたちは大丈夫ですよ。ヤバくなったらストラートってバトさんの信者を召喚すれば、どんなヤツでも退散させることができますよ。召喚する時は「バトの眷属が危機に陥っているぞ」って叫べば来ると思いますから。それとですね、喧嘩を売られた時にワザとこけて、スカートを乱したりして、この人に襲われるーって、叫ぶんですよ。後は、周りが勝手に処置してくれますよ」
恐怖の色を滲ませているデニアにフォニーに喧嘩を売られた際の対処法を口にしたが、それは非常に不安を感じさせるモノかつ、相手の人生を台無しにしかけないモノだった。
「明日のマーケットが楽しみだよ。もっと色々と食べ物の屋台が出るんだよね」
お館への帰り道、郷では滅多に口にしないモノを食べたホレルの機嫌は良かった。
「後は、お酒か・・・、いいお酒を出す店ってないかなー」
ホレルがご機嫌なままネアたちに尋ねてきた。それを聞いて彼女らは
「ルロさんに聞けばいいですよ。ルロさんもドワーフ族ですからね」
ネアは彼女に即答していた。この面子の中に酒に詳しい者は誰もいなかったからであった。
「あ、いっつも面白いことを言っているエルフ族の人と一緒に居る人だね」
「面白いですか・・・」
ホレルのバトに対する認識はこれで良いのかと思わずネアは考えてしまった。
「その認識で合っていますよ。あのバトさんと付き合っている人ですからね。人となりはお察しくださいデス」
ネアはルロについて説明すると、はっとした表情になって辺りを見回した。幸いな事にルロの姿は無く、ネアは安堵の溜息をついた。
「誰が強いかなんて、何か意味があるのかな」
お館に戻り、着替えながらネアは独り言を呟いた。
「自己満足でしょうね。自分はこれだけ強いって証になりますからね。その証が何の役に立つかは知りませんが」
ラウニは自分が思ったことをネアに言うと、ネアは嫌そうな表情になった。
「挑んで勝負するってことに、自分は死なないって変な自信があるんでしょうね。子供の内は怪我程度で済むでしょうけど、大人になれば、先日の武芸者みたいに相手に名前すら聞いてもらえずに斃されてしまうのが普通なんでしょうね。だから、ある程度の年齢になると強さの証明のために喧嘩を売ったりしなくなると思っているんですけど」
「それって男だけの話かなー、うちらはそんなに外の子との繋がりがないから分からないけど、遊び仲間でも序列があるみたいだよ。このグループじゃ誰が一番なのかって。それに逆らうと仲間外れにされるみたい。ミエルちゃんが愚痴ってたよ」
フォニーは、ネアたちが知っている中で一番普通な女の子でさえ面倒な事に巻き込まれることを話してため息をついた。
「その内、お館の中でも誰の上か、下かってなるのかな、そんなの嫌だよ」
「このお館ではそうなるのは難しいかも知れませんよ。ここで、そんなことしてもお仕事の邪魔にはなっても、利点にはならないと多くの人が考えていると思いますからね」
ラウニはフォニーに心配するなとばかりににっこりして見せた。
「フォニー姐さん、私らは血は繋がってなくても姉妹なんですよね。誰が何と言おうとも、私はフォニー姐さんの味方ですよ」
ネアは少しばかり寂しげな表情を浮かべているフォニーに自身の思っていることを告げた。
「ネア、嬉しい事を言ってくれるねー」
フォニーはネアの言葉を聞くと嬉しそうに抱きしめてきた。
「あたしらはね、お館様を中心にして一緒に頑張らなくちゃダメなんだよ・・・です」
ティマも力試しをしたがる連中や序列について考えているようで彼女なりの考えを口にした。
「ティマ、そのとおりですよ。ティマみたいな小さな子でも分かるのに、大の大人で分からない人がいるなんて、哀しいことです」
ラウニはティマの頭を撫でながらため息をついた。
「それよりさ、さっと今日の汚れを取ってさっぱりしたいな。フォニーさんのステキな毛皮が勿体ないことになっているから」
「いいですね、獣臭いのは私らの恥ですから」
フォニーの言葉にネアはすぐに賛意を示すと、早速入浴道具の入った桶と下着を準備しだした。それを見た他の面々も入浴準備に取り掛かりだした。
「うーっ、今日は、良く歩いたから、お湯が身に染みる」
身体を洗い終えたネアは湯船の中で身体を思いっきり伸ばしてため息交じりに唸った。
「毎回思うけど、おじさんみたいだね」
「淑女は、唸りません」
先輩方がネアにダメ出ししている時、ホレルとデニアが浴場に入ってきた。
「お先に頂いています」
ネアたちが挨拶すると、デニアは恥ずかしそうに頭を下げた。
「ケフのお風呂、とても気持ちいいから好きです」
デニアは小さく呟くと、ザバーっとその態度とは全く逆に豪快に頭から湯を被った。
「うーん、やっぱり温泉はいいよね。スタムにも温泉はあるけど、鉱山の方まで行かないとないから、お館で入れないんだよね」
ホレルとは常日頃の言動とは裏腹にお上品にかかり湯をして目を細めた。
「ここから離れた所にラゴって場所があるんですけど、そこの温泉は最高ですよ。私たち、夏と冬のお休みの時には必ず行っているんです。食べ物もおいしいし、最高ですよ」
「あたいも行くよ。うん、そういう所は絶対にいいお酒があるから」
ラウニはラゴの癒しの星明り亭のことについて話すと、ホレルは目を輝かせた。
「私も行きたいです」
ゴシゴシと豪快に身体を洗うデニアがおずおずと興味があることを示した。
「じゃ、今度皆で行こうよ」
フォニーが楽しそうに声を上げた。
「だーれか忘れてなーい? 」
その時、いきなり声がしたかと思うと、肩にタオルをかけ、桶を小脇に抱え、一糸まとわぬ姿でバトが堂々と浴場に入ってきた。
「このバトさんを置いてけ堀にするなんて言い心得じゃないですか。お嬢さん方」
バトはそう言うと、湯船の中のラウニの正面に腰を降ろした。その堂々とした所作に思わずラウニは視線をずらした。
「バトさん、イロイロ見えてるって」
フォニーが視線をずらしながら言うと、バトは恥ずかしがることもなく、フォニーを見つめ返した。
「フォニーちゃんも同じの持っているでしょ。これは、エルフ族が親しい人にする挨拶だから。ちゃんと挨拶されたら挨拶しないと」
ニコニコしながら話すバトの背後にすっと人影が立った。
「下品な事はやめなさいっ」
その人影はそう怒鳴りつけると、手にした桶で思いっきりバトの頭を殴りつけた。ばかーんといい音が浴場内に木霊した。
「ルロ、何するのよー。挨拶しただけじゃない。剣精様もされていたでしょ、これはちゃんとした挨拶なんだから」
バトは頭をさすりながらルロに文句を垂れたが、彼女は聞く耳を持たなかった。
「他の郷からも来られているのに・・・、ケフが下品な郷と思われたらバトのせいですよ」
「ルロのは、小汚くて臭いから挨拶以前の話だよね」
バトはルロを見て小馬鹿にしたように笑おうとした時、再度桶で殴られた。
「ホレルさん、ドワーフ族も挨拶するの・・・ですか? 」
ティマがまっすぐな視線でホレルに尋ねると彼女は首を思いっきり横に振って否定した。
「スタムにエルフ族の人は多くないけど、でも、こんなあいさつは聞いたことがないよ」
「ドワーフ族はこんなあいさつはしません」
ホレルとルロは同時にティマの疑問に対して否定で答えた。
「今度、揚げパン屋の女将さんに聞いてみようかな・・・」
バトたちのやり取りを見ながらネアはのんびりと考えていた。
バトの言う、挨拶 に関しては真偽は不明です。
剣精ラールは挨拶しましたが、その時のノリかもしれません。
今回もこの駄文にお付き合い頂きありがとうございます。
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