293 見せしめ
まだまだ寒い日が続き、流行病も頑張っています。
こもりがちになる日々ですが、そんな時の暇つぶしにお役に立てれば幸いです。
「で、見つめあったまま、固まっていた、って、貴女たちは、先に帰ったと言う事ですか」
奥方様の工房で、奥方様に春に向けてカーテンを新調するために柄などの打ち合わせに来たエルマが、昨日、ネアたちと新たな剣を作りに行った時のことを訪ねて来て、ネアが有体に答えた所、口をあんぐりと開けて暫く絶句してから漸く言葉をひねり出した。
「まるで、年端も行かぬ小娘じゃあるましい。私にはあれだけの事を言っておきながら、何をやっているんだか・・・、この事は、あまり口にしてはいけません。周りが囃し立てたりして、旨く行かなかったら、機嫌に触りますからね。ケフを出て行かれるかもしれません。見てみぬふりです」
エルマはネアたちに、ラールのことについては触れるな、と釘をさすとため息をついた。
「でも、良いことだと私は思いますよ」
ラウニがエルマになぜ彼女がそこまで神経質になるのか、と首を傾げた。
「旨く行かなければ、稽古の内容が厳しくなります。そして、ケフを出て行かれるでしょう。うまくいけば、ラウニなら『あの仮面の朴念仁に既成事実を作らせろ。月のものも来ておるから行けるじゃろ』と押して来ますよ。長年のつきあいですから。だから、いいな、この件についてお前らは何も見なかった、何も聞かなかった事にしろ。もし、口にしたら、生まれてきた事を後悔させてやる。フォニー、何をにやけている、お前も他人事じゃないぞ、『稽古つけてやるから、騎士団長の娘と決着をつけろ』と言ってくるぞ、確実にな」
エルマは鋭くネアたちを睨みつけた。そして、どこか他人の恋愛を楽しんでいるようなフォニーに詰め寄ってきつく言いつけた。
「Yes,ma’am」
ネアたちはその場に気を付けの姿勢を取ってエルマに答えた。
「剣精様も、そういう所は不器用みたいね」
奥方様はエルマとネアたちのやり取り、そしてその時のラールの表情を想像してクスクスと笑い声を上げた。
「剣精様のことは剣精様に任せておいて良いと思いますが、最近、知らない顔が増えたと思いませんか」
就寝前、ネアはベッドに腰かけながら、ラウニたちに最近感じていることを話した。
「そうですね。あの揚げパン屋さんも、南から居ずらくなってこっちに来たって言ってましたね」
ラウニがプルンを胸に抱きながらネアの言葉に頷いた。
「あたし、初めてオーク族の人を見たよ・・・です」
「ちょっとおっかない感じだったね。でも、面白そうな人だったね」
フォニーとティマは、おっかない見た目と反対に奥さんの尻に敷かれている揚げパン屋の主人の事を思い出して笑い声をあげた。
「あの武芸者も真人でしたけど、穢れの民が北の方に移動しているって聞いて来たかもしれませんね」
ネアは自分の推測を話すと、ラウニたちはそれもあると頷いた。
「これからも、あの手の迷惑な人がどんどん来るのかな、それは嫌だな」
フォニーはネアの言葉を聞いてうげっと嫌そうな表情を浮かべた。
「人が移動してくると言うのは、良い人も悪い人も来るってことなんでしょうね。昔、誰かが血まみれにしたような男たちみたいなのが」
ラウニはネアのケフの凶獣伝説の一つになった事件を話し出した。実際は大人の男2人を撃退しただけなのだが、伝説では取り囲んだ荒くれ者たちをあっという間にあの世に送り、生き残った者は二度と歩くことも喋ることもできなくなったとされている。
「それって、ケフの凶獣の仕業だったよね」
フォニーはにっとわらってネアを見つめた。
「あの手の迷惑な連中は、さっさと消えてくれればいいんですよ。ケフの凶獣が手を下すまでもなく」
ネアは吐き捨てるように言うと、頬を膨らませた。
「正義の光にかぶれたのが来るのよりマシだと思いたいですね」
ラウニは王都で出会った正義と秩序の実行隊や鼻持ちならない連中の姿を思い出して、害虫を見たような表情を浮かべた。
「ネア、注意しないとケフの凶獣を倒して名を上げたい馬鹿が来ているかもしれないよ」
フォニーがネアに心配そうに注意を促した。
「お使いで、外に出る時注意しないとダメですね。これって、私だけじゃないですよ。ここに居る皆、私に関係すると見られていますからね。他人事じゃないですよ」
ケフの凶獣と揶揄してくるラウニたちにネアは含みのある笑みを浮かべた。
「できるだけ、固まって動きましょう。できれば、バトさんたちと一緒に。うまくいけばあのストラートさんに助けてもらえるかもしれません」
ラウニは難しい表情になりながら考え、口を開いた。
「ネアがさっさとそんな奴らをやっつければいいんじゃないの」
フォニーがあっけらかんと言い放つとネアは大きなため息を吐いた。
「それって、杞憂じゃないの」
昼食時、食堂でバトと出会ったネアは昨夜寝る前に話していた心配事について彼女に相談した時の彼女の反応であった。
「ハサミの件があったでしょ、あのブレヒトたちとの一件が、いつの間にか強姦魔のアレをハサミで切り落としたって事になっているんですよ。野盗のアレを剣で断ち切った人なら分かると思いますが、女性としては随分ツライ噂になっているんですよ。ひょっとしてバトさんが自分のやったことも含めて盛った話をしてませんか」
ネアはジトっとした目でバトを睨むように見ると、彼女はさっと視線ずらした。
「その手の事で迷惑しているんですよ。どこかの馬鹿が喧嘩売ってきたり、それにラウニ姐さんたちが巻き込まれたりしないかって心配なんです」
ネアは視線をずらすバトに懸命に訴えた。
「随分と面白いことをしているんだな」
視線をずらすバトの背後に音もなく人影が立つと低い声で話しかけてきた。
「エルマさん、私は・・・」
その人影はにこやかにしているものの、目は笑っていないエルマであった。その存在に気付いたバトは顔色を失っていた。
「まだまだ、余裕があるってことだな。よし、今回は特別に濃い稽古をしてやる。喜べ、お前らも一緒だ」
エルマは、バトの横に居たルロ、アリエラに厳しく言いつけるとそのまま食堂を出て行った。
「バ~ト~、なーにをしてくれたのかな」
アリエラが壮絶な表情でバトに詰め寄ると、バトは座ったまま身体をのけぞらせアリエラから距離を取ろうとした。
「そんな話はしていないよ。メラニ様の爪に誓ってしていない」
「あんたのしてないは、信頼できないんです」
バトは違うと主張したが、ルロは聞く耳を持たなかった。
「この件については、食事をおごってもらう事で許してあげます」
「だから、私は何もしていないって」
バトは懸命に無罪を訴えてたが、常の言動のためか彼女の肩を持つ者はいなかった。
「なんで、なんでよ」
食堂の中に、悲嘆にくれたバトの嘆きの声が低く流れた。
「そう言えば、ボタン、今日出来上がる予定よね」
奥方様が作業する手を止めて、思い出したように声を出した。
「金属製の飾りボタンですね。もう支払いは終わっていますからね。私が行きたいのですが、ちょっと手が離せなくて」
フランが作業する手を止めてすまなそうに声を出した。
「あたいは、工房がどこにあるか知らないし・・・。デニアは知ってる? 」
ホレルがデニアに尋ねると彼女は首を振って答えた。
「私が行きましょうか? 」
作業が丁度一区切りついたネアが奥方様に申し出た。
「そうね、ネアちゃんお願い。注文書はこれだから、これにサインしておいたからこれを受け取りの代わりにしてもらってね」
ネアは奥方様から注文書を渡してもらうと、エプロンのポケットに丁寧に仕舞いこんだ。
「ネアの姐さんっ」
お館から出て暫くすると、いきなりネアに声がかかった。訝しく思いながら声の方向を見るとそこにはブレヒトとその仲間が数名が手を振っていた。彼らはネアに向かって駆け寄ってくると、姿勢を正した。
「お疲れさまですっ」
彼らは一斉にネアに頭を下げた。エルマに加齢臭がすると言ったがために、恐ろしい目に遭った彼らは、かつての悪ガキの雰囲気はなく、訓練された兵士のような雰囲気があった。
「ネアの姐さんにお気をつけて頂きたいことがあります」
ブレヒトが辺りを警戒しながら低い声で話しかけてきた。
「お疲れさまです。一体、何があったのですか」
ネアはブレヒトに挨拶すると、彼らの話に耳を傾けた。
「南から来た連中の中に、ケフの凶獣についての噂を耳にしているヤツらがいるようで、ケフの凶獣を探し回っています。それ以前に、ちょっと強そうと見ると喧嘩を売って来るバカが増加しています。剣精様に挑んだヤツみたいなのがウロウロしています」
ブレヒトは再び辺りを見回した。
「そいつらは、ちょっと強そうと見ると喧嘩を売ってきます。俺たちも何回か喧嘩を売られましたが、エルマ様の激指導により、バカ者共を撃退しています。今まで負けていません」
ブレヒトはそう言うと胸を張った。
「忠告ありがとうございます。でも、こんな侍女見習いの女の子に喧嘩を売ってくるのはいないでしょ。でも、注意はします」
ネアはブレヒトたちに笑顔で礼を言うと、その場を後にして職人街に向けて足を進めた。
「知らない人と言うか、着ているものが少し違う人があちこちに居ますね」
ネアは街を歩きながら、南方特有の明るい色の衣装が行き交う人たちの中に時折あることに気付いて、独り言を呟いた。
「いらっしゃい。お館からだね。出来ているよ。ほらこれだ」
ボタン工房に入ると店主の真人のおっさんが愛想よく出迎えてくれ、ずっしりしたモノが入った布袋をネアに手渡してくれた。
「これを受け取りの代わりに、奥方様がサインされています」
ネアはポケットに入れた注文書を店主に手渡した。
「ああ、確かに、気をつけてな」
「ありがとうございます」
ネアは店主に頭を下げると、店の外に出た。外はそろそろ日が暮れかかろうとしていた。
「暗くなる前に帰らないと」
前の世界では、夜道を一人で歩くなんて何でもない事であったが、この世界でこの姿だと一人で夜歩きなんて自殺行為に等しいと散々聞かされているので、ネアは早く帰ろうと足を速めた。
「おい、そこのネコ、ケフの凶獣ってヤツを知らないか」
館に戻るため速足で歩くネアにいきなり声がかかった。ネアが声のした方向を見ると見慣れない服装の自分より3つほど年嵩の真人の少年が偉そうにネアを睨みつけていた。
「すみません。存じません。急ぎますから」
ネアはそう言うと足を進めた。少年はそんな彼女の進行方向に移動すると通せんぼするように移動した。
【喧嘩売ってるのかコイツ】
ネアは顔にも尻尾に盛感情を表さず、彼の横を通り抜けようとした。
「噂では、ケフの凶獣ってのは侍女だと聞いている。お前がそうなんだろ? 」
少年はニヤニヤしながらネアに絡んできた。彼としては、ネアがケフの凶獣であるかないかは問題ではなく、ただ誰かに絡みたいとの思いだけだった。ネアからしてみたら迷惑以外何者でもなかったが、彼はそんな事は全く気にかけていなかった。
「全く違います。他を当たってください」
ネアは不愛想に通り抜けようとすると、少年はネアの肩を掴んだ。
「急いでいるんです」
ネアは少年の手を払いのけようとしたが、彼はがっつりと彼女の肩を掴んで離さなかった。
「そう言うなよ。お前が凶獣であろうが、なかろうが、似たようなヤツこうやって絞めていきゃ、その内当たりが出るだろ。それまで悪いが付き合ってくれ」
少年はそう言うと、手にぐっと力を入れてきた。
「汚い手を放せ。聞こえねぇのか」
ネアは少年の顔を見ることもなく低い声を出した。その声を聞いた少年はにやっと笑みを浮かべた。
「当たりだな」
少年は満面の笑みを浮かべ、ネアの肩を掴むとその場に押し倒した。
「きゃーっ、た、助けて、殺されるっ」
石畳に倒れると同時にネアは悲鳴を上げた。彼女の悲鳴は辺りに響き、道行く人たちがネアたちを見つめた。
「こ、殺さないで」
ネアは腰を抜かしたように石畳に腰を降ろしながら後ずさった。その時、敢えてスカートが乱れるようにした。
「えっ」
少年はネアの悲鳴に面食らい、目を丸くして、動きが固まっていた。
「お、お館の嬢ちゃんじゃないか」
ネアの悲鳴に駆け付けたおっさんたちが彼女を囲み、立ち上がらせようと手を差し出していた。
「大丈夫かい? 」
おっさんたちの言葉にネアは頷くだけであった。
「おや、お館の嬢ちゃんじゃないの」
顔見知りの駄菓子屋のオバさんが尋常じゃないネアの姿を見て駆け寄ってきた。
【よし、このタイミングだ】
ネアは泣きながら大げさに乱れたスカートを直しながらパンツを上げる動作をしてみせた。
「まさか、お嬢ちゃん、何もされていないかい? 」
オバさんの言葉にネアは泣きながら頷いた。
「おい、お前、何をしようとしたんだ」
「こんな所でいきなり押し倒すって、お前・・・」
おっさんたちの表情がどんどん険しくなっていく、それと反対に少年はどんどんと顔色が悪くなっていく。
「こ、こいつが生意気な事を言いやがったから、礼儀を教えてやろうと・・・」
少年は顔色を青くしたり、赤くしたりしながらしどろもどろに答えたが、元より嫌がらせでからんできたので何を言っても反感しか買わなかった。
「何かあったのか? 」
騒ぎを聞きつけたのか、鉄の壁騎士団の団員が2人ネアたちの元に走り込んできた。
「このガキがこのお嬢ちゃんをいきなり押し倒したんだ」
「下着まで手をかけていたぞ」
おっさんたちは無責任に少年の罪を作り上げていった。この事にはネアは彼が非常に気の毒に感じられた。
【・・・こいつには悪いが、見せしめになってもらおうか】
しかし、今後似たような理由で他の少女たちが怖い思いをする危険性を考えると、これはこれで仕方ないと自分に言い聞かせた。
「ちょっと来てもらおうかな」
騎士団員は少年の肩を掴むと彼を詰め所に引っ立てて行った。
「お嬢ちゃん、災難だったなー」
「これでも食って、厄払いしな」
商店のおっさんはネアに売り物の果物やらパンなどを次々とネアに手渡してきた。
「あ、ありがとうございます」
ネアは両手に抱えきれないぐらいのお土産を持たされ困惑しながら礼を述べた。
「お館まで、送って行くぜ」
暇なおっさんが3人程、ネアの周りを取り囲んでお館まで同行してくれた。
「ネアちゃん、怪我していない、変なことされていない」
工房に戻るとどこで聞いたのか、奥方様が大荷物を抱えているネアに駆け寄ってきた。
「ご心配かけて申し訳ありません。ちょっと大げさにしただけです」
ネアは奥方様に会ったことを全て話した。
「喧嘩はしていないのね。それは、良いやり方よ。その子可哀そうに暫く、下手すると一生この事がついてまわることになったわね」
奥方様はネアの話を聞いて肩をすくめた。
「女の子に乱暴を働くようなヤツはそうなっても文句は言えないわよね。もがれなかっただけでも幸せと思ってもらわないとね。ボタンはそこにおいて、お土産はネアの物だから好きにしなさい」
そう言うと奥方様はネアの頭を優しく撫でた。
「これ、貰い物ですけど、皆さんで食べてください」
ネアはお土産をテーブルの上に置くと、さっさと自分の作業場所に戻った。
「殴らなかったの? 」
作業を始めたネアにフォニーが小声で聞いて来た。
「王都でやったやり方の方が、こちらのダメージが小さくて、相手のダメージが大きくなって、痛い思いもしないので効率的ですよ」
ネアはそう言うとニヤリと笑った。
「ネア、悪い顔になっていますよ」
「あのやり方は、痛快だからね」
ラウニはそう言うと顔をしかめ、フォニーは良くやったと手を叩いた。
「誰の血も流れない、スマートなやり方です」
「血は流れないですが、確実に人生を潰しませんか」
ネアの言葉にラウニは心配そうに聞いて来た。
「見せしめも必要ですよ。アイツは「ケフの凶獣」は侍女であるって聞いてたみたいですね。あのままだと、侍女をやっている子たちが喧嘩を売られて怖いことになります。姐さんたちやティマにも害が及ぶと思います。ティマに何かあれば、犯人は確実にアリエラさんに亡き者にされますから、そう言う意味でも今回のアイツには見せしめになってもらいました」
ネアははっきりと見せしめだと言い切った。
「貴女たち、見せしめはいいけど、手は動かしてね」
盛り上がるネアたちに、奥方様がやんわりと声をかけた。
ケフの凶獣の名前が暴走にしているネアの新たな戦い方に方針を転換しました。
新たな凶獣伝説が生まれるかも知れませんが。
今回もこの駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
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