277 英雄
残暑厳しい中、暇つぶしの一助になれば幸いです。
「長かったような、短かったような・・・」
ミエルと一緒に買い出しに出たネアは、誰に尋ねられることもなく呟いていた。
「私は、お兄ちゃんと一緒にいられたら、それでいいから」
ネアの独り言を耳にしたミエルは、ケフからの長期の出張にあまりダメージを受けている様子はなかった。
「うーん、それも、如何なモノか、と思いますけど・・・」
ミエルの兄への思いの一端を聞いたネアはそう言うと、肩をすくめた。
「残すところは、後3日でやすよ。それまでは、まだまだ気が抜けやせんぜ。アカス様やヨーラ様のようなケフに近いお考えをお持ちの所から、馬鹿を普通にしでかす連中までいるんでやんすからね」
ネアたちの後を食材を詰め込んだ大きな籠を背負ったハチが付いて来ながら、注意を促してきた。
「気は抜けないですよね。何があるか分からないのが普通なんですから」
ネアはそう言うと、辺りの気配を探ってみた。
【特に、殺気とかはないな・・・、うっ! 】
いきなりネアの尻尾がブワっと大きく膨れた。
「なにか、あったの? 」
ミエルが心配そうにネアに声をかけてきた。それと同時にハチが荷物を降ろし、臨戦態勢をとっていた。
「・・・何か、いる。殺気とかそんなんじゃないけど、嫌な感じがする」
ネアは自分が感じている不快感を言葉にしようとしたが、どの言葉を選んでも、今の気分にぴったりとした言葉は思い浮かばなかった。
「殺気や、不埒者の気配はありやせんぜ」
ハチが辺りを見回しながら首を傾げた。その時、ミエルが耳をピクリと動かした。
「音楽が聞こえる・・・」
「私も・・・」
耳をヒクヒクと動かしながらネアとミエルは大きな通りの方向に目を向けた。
「流石猫族でやんすね。あっしには何も聞こえませんぜ」
ハチは不思議そうにネアたちの耳を見つめた。彼女らが歩みを止めてから暫くすると、ネアたちが言った音が、ハチの耳にもはっきり聞こえるようになってきた。
「・・・パレードでもやらかしているんですかい・・・」
ハチが言ったようにネアたちの耳に飛び込んで来たものは勇壮かつ歩調を刻んでおり、ネアの耳には行進曲に聞こえた。それは、微妙に音を外し、テンポがずれており、聞いていて心地よいとは思えなかった。
「・・・近づいて来る」
ネアは形容しがたい嫌な感じが行進曲らしきモノの一緒に近づいて来るのを感じ、その正体を確かめようと大きな通りに向けて駆けだしていた。
「ネアちゃん」
「姐さん」
いきなり駆けだしたネアの後をミエルとハチが追うように駆け出した。
「一体なにが・・・、ーっ」
尻尾の毛をぶわっと逆立て、憑りつかれたように一点を見つめるネアの視線の方向に視線を向けたミエルも尻尾の毛を逆立てた。
「あれが噂のヤツですかい」
ネアたちの目に映っていたのは、鮮やかな白と赤の鎧をまとった一団が、ドラムとネアには見覚えがあるような、無いような金管楽器を先頭に隊列を組み、ネアたちのいる方向に行進してくる姿であった。
「・・・」
ネアはその集団の一点を獲物を狙う猫のようにじっと凝視していた。その視線の先には馬上でにこやかに手を振る男の姿があった。
「・・・居やがった・・・」
ネアは自分が感じている不快感の原因がその男であることを、そして自分がこの世界にやって来る原因を作った男であることを悟った。そんなネアとミエルの襟首をいきなりゴツイ腕が掴み上げ、大きな通りから路地に引きずり込んだ。
「姐さん、目をつけられやすぜ」
真剣な表情のハチが小声でネアに忠告し、彼女らを庇うように通りの方向に大きな背を向け、その姿を隠した。
「・・・私、前に住んでたヒーグの郷でアイツらを見ました。なんでアイツらここに・・・」
ミエルは嫌な事を思い出したらしく、泣き出しそうな表情になっていた。
「・・・えらくもてはやされているんだな・・・」
馬上豊かに行進する男の姿をハチの脇から少し顔を出して確認したネアは吐き捨てるように小さく呟いた。
「あの人たちは、怖い人たちです。真人じゃないと簡単に殺す人たちです」
ミエルは小声で誰に説明するでもなく呟いていた。
「心配はいりやせんぜ。姐さんたちは、このハチが身を挺して護ってみせやすぜ」
ハチはネアたちを安心させるように低い声で優しく語りかけた。そして、いつしか少しズレた行進曲の音が遠のいたこと、魂に張り付くような嫌な感じも薄れたことに気付いたネアはほっとため息をついた。
「姐さんたち、大丈夫でやんすか? なんならお姫様抱っこで宿まで行きやすぜ」
ハチは振り向いて緊張から解放されて少しばかり脱力しているネアたちを見てニッと笑ってみせた。
「私は、大丈夫。ネアちゃんは? 」
「何ともありませんよ。嫌なモノを見ただけです」
ハチの言葉に2人は笑顔を作って応えた。それを見たハチは少し困ったような表情を浮かべたが、すぐさまいつもの陽気なハチの表情で上書きした。
「ハッちゃん、ミエルさん、さっきのこと、ティマには聞かさないようにしないと、きっとあの子、襲撃をかけると思う。遁術を使われたら、もう追う事はできないし、今のあの子の力じゃ、返り討ちにされるのは明らかだから」
宿への道すがら、ネアはさっき見たことについて、ティマに話す事の危険性を口にした。
「ティマの姐さんの気性ならやらかしかねやせんからね。ひょっとすると気付いおられるかもしれやせん」
ハチは難しい表情でネアの言葉に賛同していた。しかし、彼はティマは既に行動を開始しているかもしれないと危惧していた。
「ティマちゃん、今日はお嬢のお付きですよね。・・・あの連中が向かった先って・・・、お嬢たちが居る方向のような・・・」
ミエルが思い出したことをぽつぽつと口にして、そして、はっと顔色を変えた。
「今日のお付きは・・・、ラウニ姐さん、護衛はアリエラさんとバトさん、ティマの暴走を抑えられるかも・・・、でもアリエラさんが暴走するかも」
ネアは心に浮かぶ不安事項を一つ一つ口にして、自分の考えをまとめようとしていた。
「とりあえず、宿に戻って、総動員で迎えに行きやしょう。できれば、ティマの姐さんをずっと抱っこするぐらいの勢いで見守っていきやしょう」
宿まで足早に移動しながらハチが今後の行動にについて口早に話し出した。
「いまは、それしか手がないですね」
ネアはティマがどんな行動をするか、一つ一つ想定し、それに対しての対策を一つ一つ頭の中で組み立て始めた。
「それって、マズいでしょ」
ネアが、大通りで白と赤の鎧の連中を見たことを聞いたフォニーが最初に発した言葉であった。
「何が起こるか分からないから、人では多いに越したことはないですね。クゥさん、カイさん、筋は違いますが、ご協力をお願いできますか」
ルロは騒ぎを聞きつけ、食堂に集まってきたクゥとカイに頭を下げた。
「今更水臭い事はなしだよ。かわいいティマちゃんのためなら、一肌脱ぐよ」
「この事は、ルシア様の身の安全に関わります。ジーエイ警備の業務の範疇ですよ」
2人は笑顔で答えると、出かける準備をするために部屋に戻って行った。
「じゃ、僕も準備を始めるよ」
ヘルムも部屋に戻った。フォニーは周りの反応の素早さに取り残されるような形となったが、慌てて部屋に戻って行った。
「そろそろ、お勉強が終わる時間だよ」
フォニーは、小走りに移動しながら時計台の時計を確認して焦ったような声を出した。
「アイツらが確実に会議場に来ているとは言い切れませんから、これが空振りになることを祈りましょう」
ネアが走りながら答えた。その言葉を聞いたその場にいた者たちは皆、その言葉とおりであれば、と祈った。しかし、その祈りはネアたちが向かう方向から聞こえてくる調子が少しズレた行進曲が聞こえてきたことで届かなかったとその場にいた者たちは確信した。
「なんだ、何かの新手の宗教か? 」
会場から出て来たアカスは妙な連中が整列して、楽器を吹奏しているのを見て目を丸くした。
「レヒテ姐さま、あれは・・・」
「うん、正義と秩序の実行隊だよ。噂に聞いていた通りのいで立ちだね。何しに来たんだろうね」
ルシアの言葉にレヒテが首を傾げながら応えた、その横で、ティマの表情が夜叉の如く変化しているのにレヒテたちは気づくのに少し遅れた。
「ーっ! 」
ティマは先頭の男を見据えると口を開けて息を吐きだした。その目は怒りの色に支配されていた。そしていきなり遁術を発動させ、先頭の男に飛び掛かろうとした時、彼女は襟首を掴まれ、そのまま抱きしめられた。
「間一髪、間に合いやした」
腕の中でもがくティマを力強く抱きしめながらハチがほっとした笑顔を浮かべた。
「・・・気づきませんでした・・・」
もがくティマを見て、ラウニががっくりと項垂れた。
「アイツが、ティマの仇ね。今、この場で」
ティマの状態に気付いたアリエラが静かに剣に手をかけ、駆けだそうとした時であった。
「のっ! 」
いきなり、その場にアリエラが崩れ落ちた。彼女の鳩尾にはバトの拳がめり込んでいた。
「ティマの状態を見たらこうなるって、思った通りの行動・・・、本来なら、アンタが止める役目なんだよ。見て分からない、アイツにアンタの、いいえ、私の剣ですら届かない」
バトはため息交じりに崩れ落ちたアリエラに肩を貸して立ち上がりながら小声で叱責した。
「・・・ゴメンナサイ、どうしても許せなくなって」
アリエラはバトに苦しい息の中、何とか答えた。
「そう思うなら、あのティマを落ち着かせなさい」
バトは叱りつけるようにアリエラに言うと、彼女はよろよろとティマの元に歩いて行き、口を開けて大声で吠えようとしているアリエラの口をそっと押えた。
「その気持ちは痛いほど分かるから、今は堪えて。悲しいけどティマの剣も私の剣も、ううん、ここにいる誰の剣もアイツには届かない」
アリエラは悲しそうにそっとティマに語りかけたが、ハチの腕の中でもがくティマは思いっきりアリエラの手に噛みついた。
「うっ、まだまだ、私たちは力が足りない、強くない。剣を届かせるようになるまで、まだまだ修行が必要なの。ここで動いても、死ぬだけ。ううん、私たちの軽はずみが、お嬢どころかケフの郷までを危ない目に遭わせるのよ」
アリエラは手から血を流しながらも、顔色を変えることなくティマに優しく語り掛け、空いている手でそっと彼女の頭を撫でた。その時であった。今までけたたましく鳴り響いていた音楽がピタリと止まった。
「君たちの郷で、正義が行われているか、秩序が保たれているか? 」
先頭の男が懐から取り出した紙を大声で読み上げた。
「隣の郷から盗賊が入って来る。隣の郷に悪党が逃げ込む、このような事は無いとは言い切れない。違うか」
いきなりの演説に次期郷主たちはざわつきだしたが、声を張り上げている男はそんな事は気にもせずに続けた。
「我々は、巨大な力を持っている。この力を君たちの郷にも貸そうではないか。我々は郷に縛られず、動くことができる。決して、世にあってはならない不倶戴天の敵共に我らはその輩を滅する刃となることができるだろう。我々の正義の行いに異議を挟む奴らはいないと我々は信じている。我々の力が借りたいものは、この小冊子を読んでもらえれば分かると思う。君たちからすれば、はした金程度だ。その投資で正義と秩序がもたらさせる。郷を預かろうとしている君たちにとって悪い話ではない」
男はそこで言葉を切った、そして深呼吸すると再び話し出した。
「俺は、実際この手で数え切れぬ悪を叩き斬ってきた。最初は、俺一人だった。だが、俺の正義に共感し、正義のためなら命すら要らぬという仲間ができた。俺も英雄とタダで言われているわけではない、この命を正義に捧げている。・・・この中に、俺の事について肌で分かったヤツもいるようだが、馬鹿な事をするんじゃねーぞ。これは、お前らへの警告だ。自殺したい、正義にたてつくことの恐ろしさを嫌と言うほど知りたいと言うなら話は別だがな」
英雄と名乗った男は、ネアたちの方向に少し視線を向けると、さっと馬を回してその場からお供数名を伴って去って行った。残った白と赤の鎧を着た者たちが野外テーブルを設置して、その上に小冊子を並べだした。
【偉そうに御託並べやがって。いい方向に成長しているかと少しは期待したが、こんなもんだろうな】
英雄を名乗る男の言動を見ていたネアは皮肉な笑みを浮かべていた。アイツから感じられる力の圧はトンデモないが、ただそれだけとネアは感じていた。そんなネアの横でハチに抱かれ、悲壮な表情を浮かべたアリエラの手で口を押えられているティマは涙ぐんだ目で去って行く英雄と名乗った男を見つめていた。
「ティマちゃん、苦しかったよね、ごめんね」
英雄と名乗った男がこの場から去ったことを確認するとアリエラはそっとティマの口から噛みつかれて血だらけになった手を離した。
「落ち着きやしたか? 」
ハチはそっとティマを降ろすと、その頭をそっと撫でてやった。
「お師匠様ーっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
降ろされたティマはアリエラの足にしがみついて、只管謝罪の言葉を繰り返しながら涙を流した。
「お前らに何があったかは知らんが、あの男、只者じゃないぞ。俺ですら恐怖を感じたぞ」
「あれは、人なのかな・・・」
アカスとレヒテはそれぞれ英雄と名乗った男の尋常ならざる気配を感じていたのか、表情に恐怖が滲み出ていた。
「できるものなら関わりあいたくないよ」
クゥは英雄と名乗った男がいないことを確認してから安堵の溜息を吐きだした。
「ふふん、私は少しちびったよ」
バトはクゥの弱気とも捉えられる言葉に対して、胸を張って己の感想を言ってのけた。
「え、大人なのに」
バトの言葉にフォニーは嫌そうな表情を浮かべて、鼻をひくつかせた。
「そんなに嗅がないでよー。私のフェロモンは雄雌関係ないからねー、あっという間に発情しちゃうかもよ」
バトはニヤニヤしながらフォニーの頭をごしごしと荒っぽく撫でつけた。
「アンタが漏らしている間に、これ買ってきましたよ」
白と赤の鎧の連中が販売している小冊子を手にしたルロがバトたちに声をかけてきた。
「そんな、気持ちの悪いの買わなくていいのに」
レヒテはまるで汚物を見るようにルロの手にしている小冊子を目にした。
「他の家の者が言うのもなんやけど、鬱陶しい連中の事を知っておいても損はないで」
ルロと同じ小冊子を持ったトパーが窘めるようにレヒテに話しかけてきた。
「トパーが言うとおりだな。気持ちの良くない連中の事も知っておかないとな。勝つためには敵のことを知っておかないと、勝てるものも負けてしまうもんだからな」
アカスが素直にトパーの言葉に頷いているのを見てレヒテは、彼が舞踏会の時に「トパー以外と踊らない」と言った言葉が不調法から来るモノだけではかったことを確信してくすっと笑った。
「トパー見せてくれ、なんだこれは、文字だらけじゃないか。途中で寝るぞ。これは、自信を持って言えるぞ」
アカスは小冊子をパラパラめくってから、トパーに手渡した。
「文字を読んで寝られるんやったら、不眠症に悩むことがないなー、若、今凄い発見を・・・、って、ちゃう。世の中、文字だけのモンが殆どやで。寝たら一発入れるから、最後まで読んでや」
トパーはのりっつこみしながら、アカスの頭を叩いた。それにアカスは怒ることもなく、そうだなと一言口にするとそのまま、待たせてあった馬車にトパーと共に乗り込んだ。
「妙な連中がうろうろしているようだから、気をつけてな」
彼はそう言うと馬車の扉を閉め、そして馬車は軋みを立てながら進んで行った。
「アイツが英雄か、それにしては、イイ男って感じがしなかったなー、チビリはしたけど濡れなかったもんね」
バトは英雄が去って行った方向を眺めながら肩をすくめた。ルロは彼女の横で表情を硬くしていた。
「あんなのが攻め入ってきたら、私たちに防ぐ手段があるんでしょうか・・・、それにこの冊子を売っていた男たち、あの目を見ましたか。あの目は正気の目じゃないですよ。三日三晩ぶっ続けで祈り続けた何かの信者みたいな目でしたよ」
ルロは今も冊子を販売している連中を恐怖の目で見つめた。
「熱心な信者と言うのは、いつの世でも扱いにくく、度し難いものです。私たちと価値観が気持ちいいぐらいにずれていますからね」
ネアは可哀そうなモノを見るような目で彼らを見つめた。多分、彼らには自分の意思などなく、誰かが押し付けてくれたモノを自らの信念として生きているのだろう。
「いずれにしても気持ち悪いのに変わりません。・・・あそこに潜入しろなんて命令が来たら絶対に拒否しますよ」
いつの間にかついて来ていたマイサはネアの言葉に反応して、力強く、ここにはいないご隠居様に訴えていた。
ネアと彗星がこの世界で初めて顔を合わせました。彗星君は気づいているのかどうかは不明ですが。
ティマにとっては親と姉の仇ですので彼を見て穏やかでいられません。
栗鼠には犬歯がないため、威嚇と言うか怒りを表していても、どこか愛らしい感じ化していると思います。
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