255 どう生きる?
桜があちこちでいい感じになってきています。
桜の花の下で、一献傾けるなんて風流な事をしてみたいものです。
このお話が、花見に行けない時の暇つぶしになれば幸いです。
「ネアとこうやってサシで話し合うって言うのは、そんなになかったねー」
ご隠居様に連れて行かれたのは、ケフの都の中でもお上品な店が並ぶネアたちが足を向けようとも思わない一帯にあった。その中の一応、高級と名乗るレストランの個室に大奥方様、メイザがどっしりと構え、落ち着かない様子で入ってきたネアに声をかけた。
「お、大奥方様? 」
思いも寄らぬ人物の出現にネアは言葉に詰まってしまった。
「アンタはもういいよ。ここからは 女 だけの話になるからね」
大奥方様はご隠居様に手で追い払うような仕草をすると、ご隠居様は何か言いたそうな表情を一瞬浮かべたものの、大人しく個室から出て行った。
「ラウニの事は聞いたよ」
大奥方様は、お茶飲みながらネアに確認するように声をかけた。
「随分と、衝撃を受けたみたいだったようだね。ヒルカから手紙があってね。彼女、随分と心配していたよ。死んだような顔していたってね」
大奥方様はそう言うと笑い声を上げた。ネアはそんな大奥方様の態度に少々ムッとしたようで、口を尖らせた。
「ふふ、ちゃんと子供らしい表情ができるようになったじゃないか。ここに来た時なんざ、おっさんみたいだったからねー。今でも、心はあの時のままかい? 」
むっとして黙りこくっているネアに大奥方様が畳みかけるように尋ねてきた。
「自分でも分からない所です。ここに来た時と変わっていることは確かだと思いますが、これから先、どうなるのか、自分の事ながら見当もつきません」
ネアは振り絞るように声を出した。大奥方様はネアの言葉を聞いて小さく頷いた。
「そうだねー、さっきも言ったけど、随分と自然に子供らしい表情を出すようになってきたねー。あれは、演技でできるものじゃない。ネアの中で子供の部分が大きくなってきているんだろうね」
大奥方様は覗きこむようにネアを見つめると、ふっと笑みを浮かべた。
「何か、軽いものでも頼もうかねぇ」
大奥方様はテーブルの上に乗っかっている呼び鈴を手に取ると軽く振った。
「お呼びでしょうか」
呼び鈴の軽やかな音が部屋に響いて暫くするとドワーフ族のウェイトレスが朗らかな声とともに個室に入ってきた。
「適当に軽めのモノを頼むよ。子どもがいるから残念だけど酒はなし。次の機会にはアンタの選んだとびっきりのを頼むよ。こと酒に関してドワーフ族の目を誤魔化すことはできないからね」
「その時は、吟味した逸品をご紹介させて頂きます。では、当店の一押しのパンケーキセットをお持ちしますね」
ドワーフ族のウェイトレスはにこやかに答えると静かに個室から出て行った。
「勝手に決めたけどいいね」
大奥方様はネアに確認と言う名目の同意を求めた。
「私に拒否権は存在しないのでは? 」
ネアは少しばかり皮肉を込めて答えた。
「今日は、その拒否権についての話もあるんだよ」
大奥方様が意味ありげに目を細めるのと同時に、先ほどのドワーフ族のウェイトレスがワゴンを押して個室に入ってきた。
「では、ごゆっくりどうぞ」
ドワーフ族のウェイトレスは一礼すると退室していった。
「ネアの事については、あの宿六から聞いているから下手に正体を隠す必要はないよ。この店の個室は、防諜に関してはケフみたいな田舎に似つかわしくないぐらいにしっかりしているから、少々大声になっても誰かに聞かれるなんて心配はいらないよ」
大奥方様はネアを安心させるように言うと、まだ湯気が立っているパンケーキにナイフを入れた。ネアも黙ったまま彼女の動きに倣った。
「もう一度聞くけど、ネア、お前の心は男のままかい? 」
大奥方様はネアをまっすぐ見つめて尋ねてきた。その目は、誤魔化しやその場しのぎの嘘は見逃さないと雄弁に物語っていた。
「意識すればそのとおりです。どこかでそうありたいと思っています。・・・でも、この髪留め、尾かざり、可愛い、自分に似合うって思って買いました。いい歳のおっさんが気持ち悪いって、後で思うんですが、こうやって身に着けています」
ネアは少し自嘲をこめながら、髪につけている小鳥の意匠を凝らした髪留めと色こそ大人しいものの可愛いリボンが施された尾かざりを指さした。
「黒に銀色のアクセント、うん、良く似合っているよ。尾かざりに関してはフォニーの指導を受けているだけあっていいセンスだよ」
大奥方様はネアの髪留めと尾かざりに批評を加えることなく目を細めて褒めた。
「派手な所がないのが、ネアらしいね。ヒルカは混ざってきているって言ってたけど、私からすりゃ、成長したと思うよ。ヤヅの騒ぎの時、手を斬り落としたアープってのを覚えてるかい? あの男、最近、無くした手の代わりにフックをつけて器用に使いこなしているよ。人ってのは置かれた環境に適応していくものなんだね。ネアもそうだと思うよ」
奥方様は切り分けたパンケーキを口に入れた。ネアは俯いたまま黙っていたが、奥方様がパンケーキにナイフを入れようとした時、そっと口を開いた。
「・・・夢の中で、この身体の本来の持ち主である子と会う事があるんです。彼女はこの身体はネアのものだって言うんです。でも、もし、彼女が返せって言ってきたらいつでも返す覚悟はしています。私は彼女と2人で1人というか、ネアというチームを組んでいると思っています」
ネアの言葉を聞いて大奥方様は少し驚いたような表情を浮かべた。
「その子はどこの誰か分かるかい? 」
「いいえ、彼女もその辺りははっきりしないようです。この世界に来てすぐにこの世界の言葉を話せたことや、体格が変わったのに戸惑うことなく身体を動かすことができたのは、彼女のおかげ・・・、この身体に残っている彼女のおかげだと思います」
「そうかい、成程、これならヒルカの言ってた混ざるってのは納得できるね。私の目の前にいるネアは、前の世界のネアでもなく、この身体のネアでもなく、新しいネアなんだねー、言っている私もややこしくなってきたけどさ。さ、温かいうちに食べてしまいな」
大奥方様はネアに遠慮せずに食べるように促した。
「心の方は概ね分かったよ。問題は身体の方だよ。ネアが何と言っても身体は私らと同じ側なんだよ。用を足す、風呂に入る、男のままではないだろ。付いているモノがなく、付いてないものがついている。毎度毎度思い知らされて、覚悟していたものだと思っていたけど、そう簡単じゃないんだね」
大奥方様はネアの抱える苦悩について同情を感じた。しかし、それは決して我が身に起こることではないという前提によってのものであった。
「身体に付いては、去勢されたと思うようにしていました。男でも女でもないって・・・」
「そう思っていたのに、身近なラウニに起こったことで嫌でも向き合う事になったってことかい。でも、いきなり自分がそうなって狼狽えるより、それまでに心の準備をする時間があるってことだよ。幸い、ネアの周りには女としての先輩は多いからねー、皆がお手本になる訳じゃないが、股がゆるいのもいないから、その点は安心しな」
大奥方様は褒めているのか貶しているのか分からないことを言ったが、言いたかったことは一つ安心しなであった。言葉は悪いが、ネアは、一介の侍女である自分の事に心を配ってもらっていることが嬉しくて思わず涙がこぼれてしまった。
「どうかしたかい? 」
大奥方様がネアの表情に気付くとすぐに尋ねてきた。
「いいえ、前の世界では、こんなに心配して貰ったことはなくて、それが嬉しいって感じてしまって・・・、前の世界の私は、人の事を思いやることも無くて・・・、なんて酷いヤツだったのかって・・・」
ネアは途切れ途切れに心の内を涙とともに口にした。
「前の世界の事はもうどうしようもないじゃないか。今更、戻ることもできないしね。これからだよ。どう生きるか、これからだよ。イロイロと変わってしまっちゃいるが、人生やり直せるなんて、そうはないんだ。肉体の年齢の寿命だとすると、まだまだこれからだよ」
大奥方様は俯いてしまったネアの頭をそっと撫でてやった。
「これからは、拒否権の話だ。・・・ネアが気にしていることに、ラウニたちの縁談のこともあるだろうが、私やモーガの目の黒いうちは妙な縁談は持ってこさせない、そこは安心しな。仮面の朴念仁も、狼小僧にも悪い虫は近づけさせないさ。その辺りは執事と母親に話はしているからね。後は、あの子たちがどれだけ踏ん張れるかだね。このことはあの子たちに話すんじゃないよ。妙に安心したり、手を抜いたり、諦めたら、それなりの相手との縁談が舞い込むからね。これからどうするかも、ネアと同じあの子たち次第さ。拒否権はあるってことさ」
大奥方様は楽しそうな笑みを浮かべた。それを見たネアは少し背中に寒気が走った。
【あの表情からすると、これから起こるトラブルを楽しむ気だよ】
「ネア、何か良からぬことを思ったんじゃないかい? 」
流石、大奥方様は勘が鋭かった。
「ほー、トバナ氏から珍しく良い情報が入ったねー」
ボウルのお店の奥で定例の情報報告を受けていたご隠居様はロクからの報告に目を細めた。
「ええ、あの正義と秩序の実行隊が大きくなった挙句、奴らの身の周りの書類仕事をするために本隊と同じような規模で人員を集めたってことです。ネアさんのあの作戦、結構、効いているようですぜ」
ロクはメイザからカウンセリングを受けて少し疲れたような表情を浮かべているネアに親指を立てて見せた。そんなロクにネアは首を振って答えた。
「組織は、大きくなると官僚的になって硬直してきます。元々、良く分からない正義を信条にして硬直した頭の連中が官僚的になるのに努力はいらないと思ったのですが、文官を雇ったとするなら、その辺りは簡略化したりすると思われます。あまり期待しない方が良いかも知れません」
ネアは冷静に自分の考えを口にすると、ご隠居様は深く頷いた。
「あれは、あくまでも嫌がらせだからな。しかし、奴らが規則に拘っておるから事務屋を雇う羽目になったと考えられるぞ」
ご隠居様はネアを慰めるように言うと、ロクに視線を向けた。
「確か、あいつらに新たな指揮官が着いたようだよね」
「ええ、名はヨーゼン・ダンマ、タルビの郷の側近の名家の長男、妻子はおりません。戦場で勝利すること以外に興味がない男です。周囲の評価は、部下を矢の如く使う男、と言われており、その性格は苛烈、加減と言うものを知らないとされています」
ロクがヨーゼンについて知られていることを説明した。ロクが一通り説明を終えるとコーツがコホンと一つ咳払いして話し出した。
「ロクから説明があったように、彼は自分にも他人にも厳しすぎるようで、肉体的な不都合は大概思い込みだと考え、それを部下にも強要しているようです」
「肉体的不都合? 」
黒狼騎士団長が首を傾げながらコーツに尋ねた。
「空腹や睡眠から始まって、病気や負傷も彼からすると思い込みらしいですな。自らもそのようにされているようで、定期的にぶっ倒れるそうですが、それすら気合が足らんかったと、さらに自分を追い込んでいるようです。これは余談ですが、恐ろしいまでの女嫌い、子供嫌いだそうです」
「なんだそれ・・・」
コーツの説明を聞いて黒狼騎士団長は呆れたような声を出した。どんなに鍛えた所で空腹が満たされることもなく、空腹感を無視してもその現実が変わらないのに、それを思い込みで済ませられるヨーゼンの考えが彼にはどうしても理解できなかった。
「指揮官としては3流ですね。補給を考えられないとなると長期戦はできませんね。不都合が全て思い込みで済むんだったら苦労はしませんよ。しかし、狂信的な連中には問題はないかも知れませんね。でも、それで普通の部下が付いて来ましたね」
ネアはヨーゼンを指揮官としては3流だと両断したが、そんな人物に何故部下がついてきたのかが不思議だった。
「彼自身が凄腕の剣士でもあり、意見する部下は斬り捨てることも厭わなかったようです。部下を苦しめて自分だけいい生活をすることもなく、部下より粗末な環境で生活することを自身に課していたようですので、命を落とすほどの反乱はなかったようですが、剣の稽古でタルビの貴族の幼い子を真剣で斬り捨てたことが引き金となり失脚したようです。子供嫌いが高じたのでしょうな」
コーツが淡々とヨーゼンの人となりを説明していくとネアとご隠居様以外はため息をつきだした。
「ネア、彼を無能と思うかい?」
コーツの説明を聞いたご隠居様が難しい表情を浮かべているネアに難しい表情で尋ねてきた。
「この世界では、部隊の補給は現地調達、略奪が基本だと耳にしました。町さえ落とせば、それなりの補給品が手に入るとしたら、短期に目標を攻略できる人物は歓迎されるでしょうね。ただ、払われる犠牲の数が許容できる範囲内であればですが。子供嫌いは分かりますが、稽古で殺しますかね」
ネアはご隠居様の問いかけに自分の考えを口にした。
「成程な、ソイツとぶつかれば、散々、引っ張りまわすのが良いみたいだな。逃げ回っているうちに自滅するからな」
黒狼騎士団長はネアの言葉にふっと鼻先で笑った。その後、すぐに真顔になった。
「味方の犠牲を厭わない、戦う連中は手前の命なんぞに何の価値もないって頭の連中だ。真正面からぶつかると、勝つにせよ、負けるにせよ大損害が発生することは明らかだな。困った奴だ」
「防御の場合は、攻めませず膠着状態に持ち込まないと勝機は見えないってことですね。間違っても中に入れちゃいけないヤツですね」
鉄の壁騎士団長が厄介な連中だと言外に含ませながら呟いた。
「聞けば聞くほどイカレていますが、あのイカレた連中を指揮するなら適任ですね。ガング様が仰ったように間違っても真正面からぶつからないのが良いでしょうね」
ヨーゼンの戦い方を想像しながら、ネアは己の感想を述べた。
「僕としては、味方に背中から斬られることを望んでいるけど、それも難しそうだね。引き続き、彼の動向を探ってくれ。ところで、確かルイン家のバカ息子がいたようだが、彼はどうなったのかな」
ご隠居様は顎に手を当てて考えながらコーツに尋ねた。
「ええ、行商人たちから聞いた話をまとめると、大怪我をした後、随分と大人しくなられたそうです。それ以上の情報は、すみません、手に入れておりません」
コーツはご隠居様に頭を下げた。恐縮する彼にご隠居様はにっこりしながら気にすることはないと手ぶりで示した。
「ありがとう。彼がどう動くかも気になる所だからね、英雄殿も大人しくしているようだし」
「はい、引き続き情報を収集します。英雄に関しては最近目立った動きはありません。どうも正義と秩序の実行隊に世間の目は向いているようです」
ご隠居様は、戦力バランスを崩す要因である英雄について尋ねたが、いくら不思議の力を持ち合わせていても、人の心まで動かすことはできないことをコーツの言葉により確信した。
「焦って馬鹿な事をしでかさないと良いのですが」
ネアはコーツの言葉を聞いて、あの英雄が功を焦って無駄な血を流すことの懸念を隠すこともなく口にした。
「それはあり得るが、ここまで来る時間も金も無いと見た方が良いと思うよ。痩せても枯れても彼は重要人物だ。周りが彼を勝手に動かさないだろう。希望的な事を言えば、飼殺してもらいたいね」
ご隠居様はそう言うと鼻先で笑った。
「それは、誰もが望んでいる事でございましょうな」
コーツはご隠居様の言葉に同意すると周りをちらりと見た。その場にいる全員がご隠居様の言葉に同意するように頷いていた。
「メイザから何を言われたんだい? 」
ボウルのお店からの帰り、侍女見習いたちのために買ってもらったお菓子が入った紙袋を抱えているネアにご隠居様が聞いてきた。
「女性としてどう生きるか、これを考えなくてはならないようです」
紙袋から漂う甘い匂いを堪能しながらネアは大奥方様から言われた言葉を思い出していた。
「それは、ネアにはキツイ話だね。母親になるためには男と何をするかは、同年代の子と違って知っているだろうからねー、その手の趣味が無いと敷居は高いと僕は思うね。どこかで吹っ切らなくちゃダメなんだろうね。でも、僕はネアの性癖にとやかく言うつもりは一切ないから、そこは自由にしてくれていいよ」
ご隠居様は明るく言い放った。どんなに慰めの言葉をかけても、ネアの苦しみを理解できることはできない、そんな半端な状態で無責任に言葉を吐きたくなかったからである。
「産ませる側から、産む側になったんですよね。完全に受ける側ですよ」
ネアはため息交じりにご隠居様に言うと苦笑した。そして紙袋を抱える手が以前に比して伸ばさないといけないことに気付いて顔をしかめた。
「恐ろしいことに、順調に育ってきてますからね」
ご隠居様に胸を張りながら、自分の肉体が母親になるための成長していることを告げた。
「紙袋で見えないが、ハンレイの言うには、ネアは随分と大きくなるらしいね。男として見る分には良いが、いざ自分がそうなると、相手が心の中で何を思いながら見ているか分かるだろうから・・・、ネアは男の本質を知っているからねー」
ご隠居様はネアの言葉に返しづらそうに言いながら頭を掻いた。
「自分で言うのもなんですが、獣人ですが、この身体、随分とスゴイものに成長する様な気がするんです。守銭奴はお金は好きだけど、お金になりたいと思わないって言葉、身に沁みます」
ネアはそう言うと乾いた笑い声を上げた。そんなネアの言葉にご隠居様は返す言葉が見つからなかった。
ネアが決心しなくては時期が近付きつつあるようです。
作中にある「守銭奴はお金は好きだが、お金になりたいとは思わない」はネアの世界のことわざのようなモノです。好きな事と好きなモノになることは違うという意味です。
今のネアの根っこはおっさんなので己の身体の成長について素直に喜ぶことができません。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。