253 いつか来ること
だんだんと温かくなっているのが、くしゃみの頻発具合で分かるようになってきました。
春はバタバタと忙しい時期ですが、病気には注意していかないと怖いですね。
このお話が家にこもっている時の暇つぶしになれば幸いです。
「ラウニ姐さん、調子はどうですか? 」
ヒルカから今まで敢えて目をそらしていたことについて、髪の毛を引っ張るようにして対面させられたネアは、ベッドの上で死んだようになっているラウニにそっと声をかけた。
「何とか、落ち着いてきました。でも、これから、これが毎月あると思うと・・・、複雑な気分です」
ラウニの言葉はどこか沈んでいるようにネアには感じられた。
「女性なら通ることになる道らしいですから、私もその内・・・、その時はよろしくお願いしますね」
ネアその内、対面する事象について言いづらそうにラウニに告げた。
「ネアがこうなる時には、私はもうベテランの域にいますから、安心して下さいね」
ラウニはそう言うと不安を隠せないネアに安心させるように微笑みかけると、欠伸をかみ殺した。
「夕食には呼びに来ます。それまで、ゆっくり寝ててください。お風呂は入ってもいいみたいですよ」
眠そうなラウニにネアはそう告げると、そっと部屋から出て行った。
「こんな時は、もやもやをお湯とともに洗い流す」
前の世界の朧げに覚えている知識や経験はこの事に関しては何の役にも立たないことを思い知ったネアは、まだお日様の高いうちから一風呂浴びることを決心していた。
「茹で上がれば、悩みどころじゃなくなるから・・・」
ヒルカの言葉により覚悟を決めようとしたものの、ナチュラルにまた現実から目をそらす行為に及ぼうとしていた。
「うっしゃー」
ネアは天然の毛皮を身に纏っただけの状態にタオルを肩にかけ、自らを鼓舞するように気合を入れて浴場に入った。
「なに、騒いでんの」
露天風呂の湯船の中に先客がいて、ネアを見ることもなくつまらなそうに声をかけてきた。
「あ、騒いでごめんなさい」
ネアは湯煙の向こうに黄金色の髪をアップにしてお湯に浸かっているフォニーの後ろ姿を認めると小さく首を傾げた。
「フォニー姐さん、珍しいですね。この時間帯だったら、いつもは外で遊んでいるのに」
ネアは不思議そうにフォニーに話しかけながら、かけ湯を浴びると湯船に入り、彼女の横に身体を沈めた。
「いろいろと考えることがあってさ。いつまでも子供じゃいられないし、大人になりたいような、なりたくないような」
フォニーは遠くの風景を見ながらぽつりと呟いた。その声はギャーギャーと騒がしく喚きたてるラウニ言うところの怒りゼミの声にかき消されそうであった。
「なるならないの問題じゃないですよ。人格は兎も角として、肉体的には嫌でも大人になりますよ」
ネアは湯の中から顔だけ出してため息をついた。
「ラウニはさ、もう、赤ちゃんが産めるんだよね、うちも、近いうちにそうなるんだよね。ネアも・・・」
フォニーはそう言うとそっと自分のお腹をさすった。その目は大人になる気隊と不安に満ちたものでなく、どこか寂しげであった。
「赤ちゃん産むなら好きな人の赤ちゃんが産みたいって、今までぼんやり考えていたけど、それって・・・」
フォニーはそう言うとお湯を手で掬って顔を洗った。
「お嬢のおそばで仕えている侍女でいるなら、そう言う事は難しいって、ヒルカさんが言ってましたよ」
「それは知ってる、侍女になった時から決まっていることだから・・・」
ネアが厳しい事実を口にするとフォニーは悲しそうに呟いて膝を抱えた。
「諦めたら、終わりです。心を折られちゃダメなんです。ここで折れちゃったら、完全敗北です」
そのままお湯に溶けそうになっているフォニーに、ネアはお館での戦いに対する心得を持ち出した。
「折れる、折られるの前の話だよ。うちらはどうあがいても、姓のない庶民なんだよ。壁があるのぐらいネアも知ってるでしょ」
フォニーは怒りを滲ませながら唸るようにネアに思いをぶつけてきた。
「壁があるなら壊すんです。爪をかける前から尾を巻いて逃げるなんて・・・、ティマの言うお姫様が聞いたらどう思われるでしょうか」
何かと彼女が張り合っているパルのことをネアは口にすると、フォニーをしっかりと見つめた。
「他人事だと思って・・・」
フォニーが掴みかかりそうな形相でネアを睨みつけた。
「他人事ですよ。私の事じゃないんですから。でも、それなら何故、お姫様に張りあっているんですか。姐さんのやってきたことを思い返してください。あの、殺気を隠さずに打ち合ったのは何のためだったんですか。常に張り合っているのは・・・、諦めきれないんでしょ。だから、苦しいんでしょ」
ネアは諭すように優しくフォニーに話しかけた。フォニーはネアの言葉に何も返さず遠くの景色を眺めているだけだった。
「姓があってもロートみたいなどうしようもないヤツもいるんです。あんなヤツを嫁にしようなんて思う男は、アレを見てない、背後にある地位やら財産が目当てなヤツです。それに引き換え、あの・・・オオカミ紳士はそんな連中とは対極にあると思いますよ。私がお館まで連れて来てもらった時、どこの何者かすら分からない私にとても親切に接して頂いたんです」
ネアは初めてルッブと会った時のことを思い出しながらフォニーに話した。この辺りの話は、彼女の怒りを買いそうで敢えて今まで口にしなかった事なのであるが、彼女が意中としている人物について語るには必要な事だと思ったネアは敢えて口にした。
「ロートみたいな人だったら、ここまで苦しくないよ。・・・さっき、ネアは壁を壊せって言ったけど、身分も種族も違うんだよ。簡単に壊せるものじゃないよ」
フォニーはため息をつきながら湯の中に沈んで行った。
「でも、このまま、引き下がる気はないんでしょ。狩るんでしょ」
「・・・」
ネアの問いかけにフォニーは俯いたままであった。そんなフォニーを見てネアは何と声をかけていいのか、言葉が見つからなかった。
「・・・先に既成事実を作って、逃げ場を無くすとか・・・、お姫様に感づかれたら命がないかもしれません・・・」
思わずネアはフォニーには大人すぎるとも思われる選択肢を口走ってしまった。ヤバイとネアは己の口を押えた。
「そんな事しない。正々堂々と正面からぶつかる。邪魔する者は片っ端からへし折る。フォニーさんのサクセスストーリーは、ここから始まるのよ」
フォニーは一声叫ぶとザバーっと湯しぶきを上げながら湯船の中で立ち上がった。
「うっ」
彼女は、立ち上がったものの茹で上がったためにその場に崩れ落ちた。
「溺れます。早く上がって」
ぐでーっとなっているフォニーをネアは抱えて湯船から引きずり出した。フォニーの毛皮に覆われていない部分は見事にあかくなっており、その事が彼女が湯あたりしていることを雄弁に物語っていた。
「うう、気持ち悪い・・・」
洗い場に横たわりうめき声を上げるフォニーにネアはタオルを水で濡らして首筋に当てた。
「お風呂の中で悩み始めると、ついつい出るのを忘れたりしますからね。私もやらかしましたけど・・・、ドクターを呼んできますね」
ネアはフォニーのタオルを彼女の身体の上にかけると浴場から急いで出て行った。
「女の子しているねー」
「私たちもそうだったじゃないですか」
ラウニの騒ぎに続いて、フォニーの湯あたりを見たカイとクゥはかつての自分たちの姿と彼女らのかつての姿を重ね合わせて感慨深げに互いを見合った。
「あの子たち、侍女って立場だから、私らが知らないようなエライ人たちと面識があるから、想い人が身分違いになるんだろうね」
茹でられたフォニーを見ながらカイが少し声を落としてクゥに話しかけた。
「私たち普通の庶民からすると大変な事ですね。でも、ルシア様関連で偉い人とお見知りおきになる可能性は私たちにもありますよ」
クゥがカイの言葉に明るい希望的観測を加えて返すとカイは小さな笑い声を上げた。
「私はクゥはもっと現実的で、夢も何もないと思ってたけど、ちゃんと女の子らしい夢を持っているんだね」
「失礼ですね。私も吟遊詩人の詠う恋物語に胸を熱くすることもあるんです」
クゥはカイの言葉にむすっとした表情で答えるとカイはうんうんと頷いた。
「それぐらい知ってるよ。仕事の合間の短い時間でも吟遊詩人がいればずっと聞いていたもんね。私も嫌いじゃないから。リックは甘ったるすぎて虫歯になるって言ってたけど、アレはいいよね」
「悲恋物もハッピーエンドもステキだから」
クゥの目に夢見る乙女の光が滲みでていた。
「だからこそ、もし、ルシア様がどこかの嫌らしいおっさんに嫁がなくならなくなったら」
「そのおっさんを排除します」
カイとクゥは互いに認識が同じであることを確認するとガシッと拳をつき合わせた。
「ゆっくりお風呂に浸かろうと思っていたのに・・・」
ネアの昼風呂はフォニーの介護で潰えてしまった。結局ネアは夕食前に赤く染まった空を見上げながらのいつもの時間の入浴となった。
「ネアお姐ちゃん、ラウニお姐ちゃんとフォニーお姐ちゃんどうしたのかな?元気がないみたい・・・です」
ネアと一緒に湯船に浸かりながらティマがネアに尋ねてきた。
「ティマももう少し大きくなれば分かりますよ」
ネアが宥めるように答えると、ティマは不満を隠しもせずぷーっとふくれっ面を浮かべた。
「大きくなればって、レイシーさんもヒルカさんも。あたしもルシアちゃんも仲間外れ・・・です」
むくれながら口にするティマにネアは苦笑を浮かべた。そして、一つ深呼吸した。
「何故、仲間外れにビブちゃんが入ってないのかな? ビブちゃんも女性だよ」
ネアはティマに向かって小首をかしげて見せた。そして、敢えて彼女の事を女性と言ってみた。
「うーん、ビブちゃんはまだ小さいから・・・、分からないと思う・・・です」
ティマは自分が何故ビブを仲間外れとされるグループから外したのか考え、そして一つの答えを導きだした。
「そうだよね。この事はまだ、ティマには早すぎる事なんだよ。後、5年もすれば分かると思うよ。それまでは、この事についてあんまり考えないでいいですよ。私たちはティマもルシアちゃんもビブちゃんも仲間外れにしませんよ。そこは安心して下さいね」
ネアはティマを何とか宥めようと、言葉を選んで話しかけた。
「・・・分かった・・・です」
ティマは渋々承知すると、つまらなそうに浴場から出て行った。
「本当は一番この件でこたえているのは自分なんだよなー」
ネアはティマの姿が完全に見えなくなってから大きなため息とともに吐き出した。そして、そっと自分の腹をさすり、怯えたような表情を浮かべた。
「子供、産める身体になっているんだよな・・・」
自分の事ではないが、ラウニに訪れた出来事は必ず自分にも訪れる事を考えると自分が自分でなくなっていくように感じられた。
「この身体も本来の持ち主がいるわけだし、その時が来たらこの身体を返さなきゃならなくなるんだろうか、それとも混ざって行くのかな。姿形とも前の俺とは別物に成り果てるんだろうな」
ネアは諦めに似たような気分になりながら風呂から上がった。
「ねぇ、その身体はもうおじさんのモノだからね。返せなんて言わないよ」
その夜、眠りに落ちたネアは自分と同じ姿をした少女と対面していた。そして、少女はネアが風呂場で感じた不安を解消する様なことを話しかけてきた。
「すると、俺はこのままいていいのか」
「いいよ。そんなことで心配しないで。でね、その身体きっと元気で可愛い赤ちゃん産めるよ」
無邪気に微笑みながら少女はネアにとって恐ろしい事を口にした。
「元の持ち主が言っているんだから、嘘はないよ。おじさん・・・ううん、ネアって呼ぶね。貴女はもう、前とは違うんだよ。前の世界に何か心残りがあるの? ないでしょ。何もかも無視してお仕事していたもんね。お嫁さんも子供いない、お母さんもお父さんも兄弟も捨てたよね。お仕事の邪魔になるって考えて、この身体になってからまだ3年程度だけどさ、この世界か前の世界かどっちに未練があるの? 」
少女はネアにとって後悔している前の世界について尋ねてきた。少女の言うようにネアは仕事以外について多くのモノを切り捨ててきた。こっちに来てからやっと仕事以外の関係も大切だと気付いた体たらくである。そして、後悔していることでもあった。
「本当に大切なモノを無視していたんだ。いや、君の言う通り邪魔だと思っていたぐらいだよ」
ネアが俯いて首を振りながら答えると少女はにこりと笑った。
「こっちの世界では、家族も持てるんだよ。今はさ、お母さんもお父さんもいないけど、将来、ネアはお母さんになれるんだよ。この事はとても大きなことだよ。だから、男だとか女だとか意識しないで、本当に大切なモノを守って行ければ、身体に付いて悩むことはなくなると思うよ。前に言ってたでしょ、私らは最高のチームだって。心配しなくいいから、大丈夫だよ。大丈夫」
少女は幼子を安心させるような優しくネアに語りかけながら徐々に姿を消して行った。
「ラウニ、もう大丈夫なの」
ネアが自分と同じ姿の少女と夢の中で邂逅したその朝、朝食を終え、ネアたちはいつものように散策に出かけた。
「クマ殺しの姐さん、お久しぶりです」
ネアたちの姿を見つけたバイゴが仲間を引き連れてラウニの元に駆けよってきた。
「一言、こちらに来るって言ってもらったら皆で出迎えたのに」
彼は残念そうにラウニに言うと彼女は苦笑を浮かべた。
「それが嫌だから言わないです。今日は皆で虫捕りですか」
「山ベリーを取りに行くんだ。結構な小遣い稼ぎになるからな。後で差し入れるよ。楽しみに待っておきなよ」
バイゴはラウニにそう告げると現れた時と同じように唐突に仲間を引き連れて山の方に向かって走って行った。
「お子様ですね」
そんな彼らをラウニはにこやかに見送りながら一言呟いた。
「流石、大人は言う事が違うね」
フォニーはニヤニヤしながらラウニをからかった。
「そういうモノですよ。お子様には分からないかもしれませんね」
ラウニはすました顔でフォニーに斬り返すと、彼女はそのまま黙ってしまった。
「うちも、近い将来そうなるからね」
「楽しみしてますよ」
「ううう」
フォニーの挑発を軽くいなすラウニに彼女は少し悔しそうな表情を浮かべていた。
「むきになることもないと思いますよ」
ネアはそんなフォニーに醒めた口調で言うと、フォニーの表情が一瞬、きっとキツクなったように思われた。
「ネアの場合は大人と言うか、おじさんポイんだよね」
フォニーの矛先が何故かネアに向かってきた。
「あー、そこにいたんだー」
ネアがフォニーの攻撃に身構えた時、アーシャが手を振りながら走ってきた。
「ラウニちゃん、聞いたよ。大変だったね」
アーシャは駆け寄るとラウニの両手をしっかりと握ると、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「わたしも、最初は取り乱したものだよ。でね、先輩としてこれをあげる。お祝いだと思って。小さい子には見せちゃダメだよ」
彼女はラウニにそっと可愛いネコの柄の巾着袋を手渡した。
「身体を温めるお茶と・・・、見れば分かるモノだよ。私が自ら身をもって試して、これは良いと思った逸品だからね」
「あ、ありがとうございます」
ラウニはアーシャから手渡された包みをぎゅっと抱きしめるようにした。
「今夜は宿に泊まるからね。お風呂から上がったら楽になる整体してあげるから。お代はいらないから」
アーシャはそれだけ言い残すと、さっと宿に向かって走って行った。
「・・・ウェル君、毎日あの調子でやられていたのかな」
フォニーが呆気に取られているラウニの横でため息交じりに呟いた。
「あの人も苦労しますね。・・・私の知っている限りですけど、姉妹に苦労している人って多いですよね。若、ザック様、ルッブ様、ヘルム君・・・苦労しているように思います」
ネアはふと自分の周辺の人たちの事を思い返して不思議そうに呟いた。
「パル様も苦労をおかけされているんでしょうか」
ラウニが首を傾げると、その横でフォニーが「あんたの目は節穴か」とばかりに彼女を睨みつけていた。
「若とザック様はお姉さまに振り回されていますし、ルッブ様、ヘルム君は妹君ががっしりと監視していますからね。ね、ファニー姐さん」
ネアはむすっとしているフォニーににこやかに語りかけた。
「そ、そうかな・・・、パル様はお兄様思いの方ですよ・・・」
ネアの言葉にフォニーは白々しい言葉を吐いて視線をずらした。ネアはそんなフォニーを見てにやっと心の中で笑うと、安堵の小さなため息をついた。
【これで、俺へのおじさん攻撃は防げたな】
「ラウニお姐ちゃん、何もらったの・・・ですか」
ティマが興味津々な目でラウニが手にしている巾着袋を見つめて尋ねてきた。
「お菓子とか玩具じゃないです。気分が悪くなった時のためのお薬のお茶ですよ」
ラウニはやんわりとティマの疑問に答えていた。
【俺がバトさんの言葉を説明する時にどれだけ苦労しているか、少しは分かってくれたかな】
ティマにどぎまぎしながら答えるラウニにネアはにやり笑ってみせた。
「大人の対応って大変ですね」
「そうですねー、おじさんみたいな人には言われたくはありませんけど」
ラウニとネアは互いに笑いながらも目は笑っていなかった。
前の世界の事はネアにとっては黒歴史的な存在です。
あまりにも偏った生き方をしていたため、仕事以外の人間関係は苦手です。
ご隠居様からすると、つまらない生き方をしていたようです。
ネアの踏ん切りはまだまだつきそうにありません。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。