242 招待状
寒くなって、雪が積もって危険な思いをしたりしていますが、
足元をすくわれると大変な事になりますので注意が必要ですね。
このお話がそんな時の暇つぶしの一助になれば幸いです。
「呼び鈴」のマイサがナナの看護と言う名の訓練とレイシーから治療と言うしごきを受ける頃には、ヤヅに関するなんだかんだの問題は収束していっていた。大急ぎで呼び戻されたルシアの父親を臨時の郷主として擁立させたり、ヤヅの街に潜む船員崩れや不良騎士を引っ捕らえたり、バルンの裁きの場の準備などが、ハリークやガング、ヴィット両騎士団長等の過労死寸前の働きで後片付けが着々と進められたのであった。
「新手の拷問かと思いましたよ」
後日、滅多に軽口を叩かないハリークがお館様に恨みがましくこぼしたぐらいである。ガングも毛に白いのが混じりだしたとか、ヴィットですら肩こりが激しいとか愚痴をこぼすぐらいであったから、どれぐらいの忙しさだったかは想像に難くなかった。
ハリーク、ガング、ヴィットが漸く自分のベッドで寝られるようになった頃、仕事を終え、食堂に向かおうとするネアの前にエルマが立ち塞がった。
「ネア、お手紙ですよ」
何かの指導が入るのかと身構えたネアにエルマは手で楽にせよと示すと彼女に封筒を手渡した。それは、純白に吉祥とされる花の紋様がエンボス加工された古風な封筒であった。
「ファーガットさんからですよ。「せせらぎ」のディブと言った方がいいかしら。ちゃんと返事は出す事、いいですね」
「ありがとうこざいます。了解しました」
「よろしい」
ネアはエルマから手紙を受け取るとその場に直立不動の姿勢で返事すると、エルマは小さな笑みを浮かべてその場から立ち去った。
【この世界、結構印刷技術が進んでいるんだな、郵便制度なんてなかったから配達屋を使ったのかな】
ネアは封筒の宛名を確認すると、そこには『お館の侍女 「湧き水」のネア 様』とだけ書かれており、彼女はこの世界の大らかさに思わず笑いそうになっていた。
「ファーガットって、誰? 」
食堂で夕食を食べながら、フォニーがネアに尋ねてきた。
「ヤヅから脱出する時に、一緒だった人。ヤヅの駐在大使の人ですよ。怪我はもう良くなったのかな」
ネアはそう言うとエプロンドレスのポケットから封筒を取り出した。彼女にとって、あのヤヅからの脱出はまだ最近起きたような感覚であり、あの生々しさと綺麗な封筒のギャップに少しばかり違和感を感じていた。
「綺麗な封筒ですね。姓を持っておられる方は違いますね」
「あたし、初めて見た・・・です」
ラウニとティマはネアが取り出した封筒をみて目を輝かせていた。
「きっと、お話にでてくるお姫様が受け取る恋文ってこんなきれいな封筒に入っていると思うよ」
フォニーはうっとりとした表情でネアの封筒を見つめた。
「ひょっとして、ネア、それファーガットって言う人からの恋文? 」
「まさか、ディブさんは、ハービアって人と付き合っていると思いますよ。第一、いい大人がこんな子供と付き合うってその時点でイロイロとダメですよ」
ネアはフォニーの勘繰りをきっぱりと否定した。そして、封筒をそっとエプロンドレスのポケットにしまい込んだ。
「中身が気になりますね」
ラウニが封筒をしまい込んだネアのエプロンドレスのポケットを興味深そうに見つめた。
「あら、ネア、また成長しましたね」
ラウニの視線はポケットからネアの胸に移っていた。
「そう言えば、でかくなってきてるね」
「かっこいい」
フォニーもティマもラウニの言葉に釣られてネアの胸を凝視しだした。
「姐さんたちも大きくなっているじゃないですか。ティマも幼児体型から脱しつつあるし。なにも私だけが・・・」
ネアは残った食事をかき込むように詰め込むと、さっさとその場から立ち去って行った。
「アレで逃げた気でいるのですね」
「お風呂はこれからだよ」
ラウニとフォニーは互いに見合ってニヤリと笑いあった。
「ネアお姐ちゃん可哀そう・・・」
ティマは2人の姐を見てそっと顔を伏せた。
「それと、ティマの成長具合も」
ラウニとフォニーは声を合わせてティマを見つめた。その時、ティマはこの世に英雄がもたらす恐怖以外にも恐怖があることを学んだ。
先に部屋に戻ったネアはポケットから封筒を取り出すと、指の爪を出してペーパーナイフのように封筒を開け、その中から綺麗に畳まれた真っ白の便せんを取り出し、その文面に目を走らせた。
「ディブさん、ハービアさんと結婚するんだ。吊り橋効果の一時的な感情の昂ぶりかと思ったけど・・・、彼女の親父さんこれで安泰か・・・、それとも親父さんのゴリ押しかな」
ネアは結婚式の招待状に目を通しながらブツブツと呟いていた。
「ご祝儀はどうしよう。そんなに持ってないもんなー。前の世界だったら8桁ほど貯金はあったんだけど・・・、あれ? 貯金って・・・」
ネアは自分が持っていたと覚えている金の単位やどこに貯金していたかを思い出そうとしたが、それは手の上に乗せた雪のようにすーっと消えて行った。
「これも、虫食いか・・・」
ネアは頭を抱えた、そしてそのまま自分が消えていくような感覚を味わっていた。その感覚は恐怖となり、ネアに津波のように押し寄せてきた。
「俺が消える・・・」
招待状を前にネアは頭を抱えて座り込んでいた。そこに、興味を隠そうとしないラウニたちが部屋に入ってきた。
「え、どういうこと」
「男は、彼一人じゃないよ」
ラウニとフォニーが明後日の方向に気を使って何かと慰めてきたが、ネアはただ黙って俯いているだけだった。
「・・・折角、気を使ってもらっているのは嬉しいんですが、これはその事とは関係ない事ですから・・・」
明後日の方向にこの話が拡大して、失恋騒動になることの恐怖が自分の消失の恐怖に打ち勝った。その恐怖が何とかネアに言葉を吐きだすことに成功していた。
「失恋じゃないなら、いいけど・・・、と言うか、なんで泣いているのよ」
フォニーはネアの言葉を聞いて混乱したように突っ込んできた。
「イロイロとあるんです。・・・なくなった記憶が蘇ったかな、と思ったら、すぐに消えてしまって・・・。もう、立ち直りました。失ったモノより、今、あるモノです」
ネアは毛の生えた手の甲で目をこするとしっかり顔を上げた。その時であった。
「要らぬと言うておろう」
「お風呂はちゃんと入ってください。酸っぱい臭いがしてきます」
「これは色香じゃ」
「言い訳は聞きません。いきますよ」
廊下からラールとエルマの言い合う声が聞こえてき、そして引きずるような音もしてきた。
「何かしら」
ラウニがそっと扉を開くとそこには襟首をエルマに捕まれ引きずられるラールの姿があった。
「お主からも言うてくれ、風呂は気が向いたとき程度で十分じゃと」
涙目になったラールがラウニの気配を感じて助けを求めてきた。
「・・・、剣精様、少し臭いますよ」
ラウニは黒い鼻をひくひくさせ臭いを探ってから、ジトっとした目でラールを見つめた。
「獣人は鼻が良いから、それにまだ子供じゃ。女の色香は分からぬ」
ラールが懸命にエルマに訴えているが、エルマは醒めた目で見ているだけであった。
「剣精様、身体を清潔に保たないと病気になりますよ。質の悪い病気だと赤子を授かることも難しくなるかと・・・」
ラウニの横から顔を出したネアはピンクの小さな鼻で辺りを探ると、口を半開きにして固まったような表情になった。
「ネアがお師匠様の臭いでおかしくなってます。さ、行きますよ」
ネアは口を半分開いたまま目で引きずられていくラールを見送っていた。
「エルフ族のフェロモンがどんなのか分かりませんが、色香って言ってた臭いは、お風呂には入っていないための臭いですね」
半開きだった口を閉じるとネアは臭いの分析した結果を口にしていた。
「剣精様がエルマさんにゴシゴシ洗われているのを見に行かない? 」
フォニーがお風呂道具が詰まった桶とタオル、着替えを抱えて皆でお風呂に行こうと誘ってきた。
「そうですね。もやもやとしている時はお風呂でさっぱりするのもいいものです」
すかさずラウニがお風呂の準備を始めるとティマもそれに倣っていた。
「ネアも行くよ」
ネアはフォニーにせっつかれながらお風呂の準備をすると彼女らの後を黙って付いて行った。
「人を拾ったばかりの犬猫のように扱うなと言うておろう」
「お師匠様から比べたら、野良犬、野良猫の方が綺麗です。どちらもパンツを穿いていない所は一緒ですけどね」
浴場の中にはラールの悲鳴が響いていた。
「剣精様、きれいにしないと臭くなります」
エルマに手荒に洗われ悲鳴を上げるラールの横にティマがちょこんと座ってブラシを使い分けて身体を綺麗に洗いだした。
「冬の毛に変わったから、夏の毛を綺麗に落とさないとダメなんです。古い毛は汚く見えるんです」
ティマはそう言うと念入りに尻尾を洗い出した。
「私たち、獣人にとって臭いって言われるのは侮辱としてはキツイほうなんですよ」
ティマの横で身体を洗っているネアがラールに話しかけた。
「体毛のない人は、洗いやすくていいと思うんだけど。何が嫌なのかなー」
不思議そうにラールを見ながらフォニーも身体を洗う手は休めなかった。
「面倒くさいのじゃ、濡れた身体を拭いたり、髪を乾かしたり、整えたり・・・」
エルマに乱暴に洗われながらラールは情けない声を出した。
「これは、嗜みとしては極普通の事です。特に、エルフ族は他の種族の期待に応えるためにも美しくしなくてはいけないのですよ。あー、もう、股を開かないっ」
ラールの髪を洗いながらエルマはため息をついた。
「期待に応える? 」
ネアはエルマの言葉に首を傾げた。そんなネアを見たエルマはがくりと肩を落としてため息をついた。
「吟遊詩人が物語るお話、昔話、歌・・・、そこで描かれるエルフ族ってどうでしたか? 」
エルマは半ば投げ飛ばすようにしてラールを湯船に入れると、身体を洗いながらネアに尋ねてきた。
「お姫様です」
ティマがさっと手を上げて元気よくエルマの問いに答えた。
「ティマ、良い着眼です。エルフ族はティマ言うところのお姫様、可憐で美しくあることが期待されています。そして神秘的な所も。この期待を裏切ることはできません」
エルマの言葉を聞いてネアは今まで出会ってきたエルフ族の事を思い出していた。性格は兎も角として、彼ら、彼女らは全員が美形で着るものも綺麗に保っていた。性格は兎も角として・・・。
「ところが、お師匠様は、その期待をとことん裏切るようなことをしておられるんです。髪はボサボサ、着るものは汚れていたり破けていたり、しかも異臭まで漂わせるなんて、他の種族の方からの期待を裏切って、如何お考えなのですか」
風呂の中で泳ぎだしたラールに小言を放ったが、小言は一切ラールには届いていないようであった。
「・・・お師匠様、あまりにも自由すぎますよ・・・」
エルマは大きなため息とともに頭から湯を被った。
「エルマさん、結婚式のご祝儀って何がいいんでしょうか? ディブさんとハービアさんの結婚式にご招待いただいたのですが、さっぱり分からなくて」
ネアがブラシで背中の毛を梳かすように洗いながらエルマにこの世界の礼儀作法について尋ねた。
「そうですね。郷の中心になるような方、大きなお店の経営者なら珍しい物や宝石が普通ですが、ディブさんは姓を持っていると言っても、庶民と同じ、貴女たちの言葉で言うと名ばかり貴族ですから、そんな品物をもらってもお返しもできないでしょうから、そこは庶民の習いとして日用品やお酒、お花、手作りの品ですね」
「そうですか、私の限られたお小遣いからどれだけできるでしょうか」
何を贈っていいのか分からなくなったネアは身体を洗い終えると湯船に沈み込むように浸かった。
「若いうちから悩むと禿げるぞ」
ネアの元にラールがすいと泳いでくると濁った瞳で見つめるようにするとにやっと笑った。その姿はまるで年端も行かぬ少女のようにも見え、ネアは思わずドキリとした。
「・・・まだ慣れぬか・・・」
ネアの様子を察したラールは声を潜めて話しかけてきた。
「剣精様はご存知のようですね」
「知っておるぞ、儂の胸がお主の好みの大きさでないこともな」
ラールはそう言うと湯に沈みそうに浸かっているネアの顔に胸を押し当ててきた。
「剣精様、それは、ちょっと・・・」
「刺激が強いかのう。・・・反応するモノがないのがツライかもしれんな・・・」
ラールはそう言うとそっと身体をネアから離した。
「しかし、ディブのヤツ、結婚するなら儂にも招待状をよこさぬか、儂だけ仲間外れか・・・」
ラールはそう言うとむすっとふくれっ面になった。
「庶民の結婚式に剣精様をお招きするなんて、恐れ多くてできませんよ」
ネアはラールに説明したものの、彼女は納得いかないようでふくれっ面のままであった。
「なーに剣精様と密談しているの。剣精様の整った形の胸に興味を持ったんでしょ」
フォニーが難しい表情になっているネアをつつくようにするとにやっと笑った。
「ネアもかっこよくなりつつあるみたいですからね」
ラウニはじっとネアの胸を見つめた。そんな様子に感づいたのラールもネアの方に顔を向け、濁った瞳でネアの胸を見つめるような仕草をした。
「うーむ、流れが活発になっておる。これは、男でなくとも成長が楽しみじゃ」
ラールに恐ろしいような事を言われてネアは己の胸を見た。そこには以前の子どもらしい平坦なモノではなく、確実に丘陵が形作られつつあった。
「大きすぎても邪魔になるだけみたいですし、それなりでいいです」
ネアがそう言うとその場にいた全員からキッときつい目で睨みつけられた。
「ネア、それはお嬢の前で言ってはイケナイ言葉です。・・・ビケットお家はその・・・、慎ましい家系のようですから」
エルマは辺りを伺ってそっとネアたちにこれ以上のその件についての会話は不要と言外に滲ませながら話した。
「うちは、何となくその辛さ分かる気がする。だって、もっとぐぐっと成長すると思ってたけど」
フォニーは心配そうに自分の胸を見つめるとブクブクと風呂の中にしずんでいった。
「心配するでないぞ。お主はまだまだ成長する。流れが激しくないだけじゃ。激しくはないが大河のように流れておる」
ラールはそう言うと沈んでいるフォニーを抱き上げるようにして引き上げると心配するなとばかりに微笑みかけた。
「大きさが全てではないぞ。儂のように形を美しくすることも重要じゃぞ。大きさも美しさも中途半端じゃと月並みとみられるからのう。それとな、男は大きいモノが好きとは限らんぞ、ツルン、ペタンが好みと言うのもおるのじゃ」
ラールは気にするなとフォニーの背中をトンと叩いた。
「さぞかし、私は月並みなのでしょうね。お師匠様? 」
ラールの横に湯船の中を移動してきたエルマがじっとりとした目で自分の師匠を睨むように見つめた。
「それは、人それぞれじゃ。男は真剣にホレると胸の事なんぞ些細な事になるらしいぞ。じゃから、我々にもチャンスはあるのじゃ。剣士として母としてレイシー殿に近づく日も近いのじゃ」
ラールはエルマの肩に手をかけるとビシっと浴場の天井の一角を指さした。
「・・・お師匠様、私にはクモの巣が見えるんですけど」
「・・・お主もノリが悪いのう。指導が悪かったのかのう」
エルマの横でラールは小さくため息をついていた。
「で、ネアは何をプレゼントするのかなー」
部屋の中で寝巻に着替えたネアにフォニーが興味深そうに尋ねてきた。
「手作りの品を持って行こうと思います。奥方様の工房で出た端切れを綺麗にカットしてタペストリーを作ろうかなって、布だから畳んで置けば邪魔にならないし、その気になれば雑巾にもなりますからね」
ネアはそう言いながら、廃棄される布の模様や色合いを思い出していた。
「心のこもった手作りの品は、お金には代えられないですからね。いい考えです。私たちも手伝いますよ」
ラウニはネアの言葉に大きく頷くとフォニーとティマを見た。
「そうだね。良いものを作らなきゃ」
「お土産、楽しみにしています」
フォニーとティマもラウニの言葉に異議ないらしく、今までまだやったことのない作業に心を踊らされているようであった。
「ティマはちゃっかりしているなー」
ネアは何かを期待して彼女を見つめるティマの頭をそっと撫でてやった。
「結婚式かー、いいよね。うちもいつかできたらいいなー」
「そうですね。できたらいいですよね」
フォニーとラウニは互いにそれぞれの想い人を思い浮かべて、そこまでに至る道の険しさを確認してため息をついた。
「ワンチャンスはありますよ。バトさんもルロさんも玉の輿を狙ってますから」
ネアは彼女らを元気づけるように身近な例を出した。しかし、それはあまりいい例えではなかったようであった。
「あの人たちは・・・」
「あまりにも露骨ですからね」
フォニーとラウニは互いに見合って、あの凸凹コンビを思い出して唸った。
「あれは、良くありません。ああなってはいけません」
「ああなるとイケナイって例よね」
ラウニとフォニーの彼女らに対する辛辣な評価を聞いたネアはとっさに周りの気配を探り、人の気配が無い事を確認するとほっと胸を撫でおろした。
「それは、加齢臭と同じぐらいの死の言葉だと思いますよ」
凸凹コンビの事で盛り上がるラウニとフォニーにネアは警告を発した。
「危険ですね。それとエルマさんが勘繰ったら・・・」
ラウニがふと発した不安を耳にしたそのばにいた全員が背筋に冷たいモノが伝い落ちるような感覚をおぼえていた。
吊り橋効果のためか、それとも経済的な理由かディブがハービアと結婚することなっています。
この世界の結婚式は農村部では村での行事、都市部では町での行事として催されることが普通です。
ネアの場合、町に住んでいないので招待状が送られたということです。剣精が呼ばれなかったのは、
庶民の結婚式に郷主を呼ばないのと同じで、身分が違いすぎると判断されたためです。
(剣精がこんなことに納得することはありませんが)
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございます。また、ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。