216 スクラップ&ビルド
いきなり暑くなってきました。そして、彗星君たちのお話になります。
暑い中の暇つぶしの一助になれば幸いです。
「見るな・・・」
荷物のように扱われ、家畜のように追い立てられ詰め込まれたのは四方が檻となった小屋であった。それは、どこかの地方の豪邸の中庭にあり、使用人たちが行き交う場所でもあった。そんな所にエイディは身に何もつけずに放り込まれた。与えられたのは肥料を入れていた使い古された麻袋一つだけで、それが寝具であり、衣服であった、かつて派手なぐらい飾り立てていた彼にとって、零落れた姿を男や年配の女性に好奇の目で見られるのは何とか堪えられたが、年若い女性が蔑んだような笑みを浮かべて、彼の一挙手一投足をじっと見られるのはエイディには耐えられない事であった。
何も身に纏わず、ただ居る所を見られるだけでもキツイのであるが、大自然や小自然の欲求も衆人環視の目の前で行わなければならず、この事は彼の自尊心を音をたてて削って行った。そして、そんな彼が力なく呟いたのであった。
「臭い・・・」
「貧相な身体」
「ほら見て見て、手づかみで食べているよ」
常に人から見られ、プライバシーも何もないことでは動物園の動物と似たような所があったが、その待遇は動物園の動物の方がマダマダ人道的に扱われているような状態が3週間ほど続き、貧相な食事と極度のストレスにより彼の身体は痩せこけ、汚れ、顔面を覆いつくす髭により、あの馬上で颯爽と剣を振るっていた男と同一人物とはとても思えなかった。
「餌だ」
彼の入れられた檻に、朝と夕に食事らしきものが配給されるがそれは、どこから見ても残飯であり、時折危険な臭気も放つモノで家畜すら口にしないようなシロモノであった。空腹に耐えかね吐き気を堪えながら口に入れ、そして嘔吐し、腹を壊す、その惨状を顔をしかめて見つめられる。夜の寒さには親切な事に檻の近くで生木で火を起こして暖をとらせてくれるが、燃料が生木であるために煙で燻され、眠れたものではなかった。
「助けて・・・」
このような生活を一月ほどしたエイディは通りかかる者、それが例え下働きの少女であっても、全ての者に懇願していた。しかし、彼の訴えに耳を傾ける者はなく、その代わりに嘲りと冷笑が返された。彼は体力と気力が音をたてて削られて行くのを異臭を放つ麻袋を巻き付け、寒さに震えながらて感じているだけであった。
「出ろ」
日が落ち、いつものように食事か生ごみか分からぬモノを無理やり口に詰め込んでいる時、武装した男が数名、彼の牢を入り口を開いて声をかけると彼の首に縄をかけ屠殺場に家畜を引っ張るように彼を連れ出した。
「そこに立て」
エイディが連れて来られたところは屋敷の裏にある池とも沼とも形容しがたい大きな水たまりであった。男たちはバケツにその水をくむとエイディに立て続けにぶちまけていった。彼の身体に付いた汚物が一通り流れ落ちると今度は屋敷の裏側の井戸に連れて行かれた。そこにはデッキブラシを持った侍女たちが数名待機していた。
「洗え」
エイディを引き立て来た男が彼女らに告げると、彼女らは井戸から水をくみ上げエイディに浴びせかけると手にしたデッキブラシで彼をこすりだした。悲鳴を上げ逃げようとする彼を武装した男たちが彼を押さえつけていた。悲鳴を上げるエイディに構うことなく彼女らは無慈悲に彼をこすり上げた。その後、彼女らは押さえつけられたエイディの伸びすぎた髭を剃り、乱れた髪を整えた。
「これに着替えるんだ」
屋敷の一室に押し込まれたエイディの前に白い衣服がテーブルの上に置かれていた。
「これを・・・」
エイディがその服を手に取るとそれは女物の寝巻であった。
「女物・・・」
「着ろ」
エイディは有無を言わせず女物の寝巻を身に付けた。
「来い」
武装した男はエイディの手を掴むと屋敷の廊下を歩き、とある一室の前に足を止めると扉を開け、エイディを中に突き飛ばし、扉を閉じてしまった。
「やぁ、仔猫ちゃん」
その部屋には、芸術作品を思わせるような肉体を持った大男がベッドに腰かけエイディを好色な目で見つめていた。
「どうやら、全てを叩き壊すことができたようだな」
エイディの中にあった自尊心や誇り、自信などは昨夜のことで完全に潰され、排除されていた。檻の中でうつろな目で蹲っているエイディを見ながら、官吏を思わせる男が満足したように呟いた。
「ええ、第一段階は終了しました。これから第2段階に移行します」
それなりの身分のある人物に仕えている執事の様な男がエイディの処置について短く答えた。
「筋は良いからね。アレを動かせる駒にしたててくれ」
「承知いたしました」
「小道具に至るまで手を抜かない、素晴らしい芝居のための要素の一つだからな」
「立て」
心をなくしたように呆然としているエイディは重い木剣を渡され、素振りするように言い渡された。素振りは彼が目を覚ましてから休むことなく続けられていた。
「・・・」
一時間も経たないうちにエイディは剣を落としてしまった。
「休むなっ。情けないぐらい弱いな」
彼が剣を落とした瞬間に怒声と鞭が彼の背中に飛んできた。彼は悲鳴を上げノロノロと剣を拾おうとする。
「遅いっ。お前はミミズより使えない」
再び鞭が飛んでくる。彼は痛みに耐えながら剣を構える、朝からの素振りで彼の手にはもう力が入らなくなてっいた。何とか掴んで持ち上げるものの剣を落としてしまう。そして、叱責と共に振るわれる鞭、そんなことを数回繰り返すと彼の背中の皮は破れ、血だらけになっていた。その内、彼は立つこともできなくなり横たわったままになった。しかし、そんな事を気にすこともなく鞭は飛んできた。痛みを痛みとして感じられなくなって朦朧としている時であった。
「おやめなさい」
凛とした女性の声が響いた。その声により今までむ血を振るっていた男の動きは止まった。
「今日の鍛錬はここまでです。さ、お立ちなさい」
黒髪にどこか高貴な人を思わせる衣装を纏った女性が優しく彼に手を伸ばした。
「可愛そうに、手もボロボロになって・・・」
彼女はエイディの素振りのためにマメだらけになった手にそっと頬ずりをした。
「・・・」
今まで、心を折るような目にしかあっていなかったエイディにとって初めての優しい言葉であった。彼はただ涙をながすことしかできなかった。
「彼を手当てして、そしてこの服を着せてあげなさい。夜は寒いでしょうから、この寝袋も」
彼女はお付きの侍女に持たせた品物を鞭を振るっていた男に渡すとエイディに「がんばってくださいね」とほほ笑んで去って行った。
「・・・女神様・・・」
エイディは去って行く彼女の背を見つめボロボロになった手を合わせた。
「思ったより簡単に懐きそうです」
「ええ、ここから見ていましたが、良い感じで作り変えらていますね。91、この調子でアレを制御できるようにして下さい」
「畏まりました」
エイディの檻が良く見える部屋で先ほどの女性が執事風の男に先ほどのことを報告していた。
「急ぐことはありません。確実につく上げて行って下さいね」
「承知いたしました」
91と呼ばれた女性は恭しく一礼すると部屋から出て行った。
鍛錬は朝早くから開始され、エイディが動けなくなるまで続けられた。身体に生傷は絶えなかったが、栄養状況、住環境は少しは良くなっていた。日に日に鍛錬の時間が長くなり、彼が限界を迎えるころ、いつも黒髪の女性がやってきて鍛錬の終了を告げ、彼に励ましの言葉と笑みを授けた。エイディの中にいつしか彼女に対する信仰の様なモノが芽生え、それが着実に成長していた。
「しっかし、あいつら何が楽しいんだろうね」
春も過ぎ、暑くなりかけた季節の朝からずっと素振りを続けている正義と秩序の実行隊の隊員たちを見て彗星は呆れたような声を出していた。
「駆け足しているか、稽古しているか、素振りしているかぐらいだな。酒も呑まなきゃ、女遊びもしない、博打もしない。ただひたすら身体を鍛え、正義に付いて大声で唱和している。あれ、正気なのか」
「それしかないんですよ」
朝食後のお茶を飲んでいる彗星の横でマテグがつまらなそうに呟いた。
「あの中にいたから分かるんですよ。アイツらの頭の中には正義しかありません。それ以外はなーんにもないんです」
「つまんねー連中だな」
彗星はため息をついた時、ハイリが息を切らして彼の元に走ってきた。
「どうした、何かあったのか」
ハイリの慌てように彗星はドキリとしながら彼女を見つめた。
「エイディ様が戻って来られます」
「あの馬鹿がか? 馬鹿を治療したのか」
ハイリの言葉に彗星は思わず聞き直した。
「馬鹿が治ったかは分かりませんが、戻って来られることは確かです」
「面倒くさいことになりそうですね。部下たちにこの事を伝えてきますよ。馬鹿を刺激するなって」
マテグは立ち上がると代謝に向かってため息をつきながら歩いて行った。
「あの馬鹿が戻ってきて嬉しいか」
彗星は真顔でハイリに尋ねた。ハイリはその問いに一瞬真顔になったが、笑顔を作った。
「嬉しいも悲しいもありません。ただ、あの人がいるようになるだけです。私たちとは関係ない事です」
「そうか・・・」
彗星はハイリの作り笑顔を見ながら複雑な気持ちを抑え込み、当然のような口調で返した。
「ナトロ・へリントン様、お久しぶりです。先日は、見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。私は、完全に回復しております。いつでも、正義を実施し、秩序を正すことができます」
彗星がうんざりとしていた日の夕方、ナトロの執務室にエイディが黒髪の女性を伴って颯爽と入ってきた。そして恭しくナトロにお辞儀をすると丁寧に現場を離れていたことの謝罪とこれから尽くすということを流れる水のように述べ立てた。
「あ、うん、そうか、それはなによりだ・・・、失礼だが、その女性は? 」
ナトロはエイディの背後に控えている黒髪の女性を見つめた。
「「雫」のリューカと申します。エイディ様のお世話をしております。よろしくお願いいたします」
リューカと名乗った女性は恭しくナトロに首をたれた。
「彼女は僕にとって、希望の光なんだ。行く道を示してくれる光なんだ」
エイディはリューカを見つめると熱にうなされた様な事を口走った。リューカを見つめるエイディの目を見てナトロは背筋に冷たいモノが走るような感覚に襲われた。
【あの目、正気の目じゃない。アイツらこのバカに一体何をしやがったんだ】
「ナトロ様が心配されることは何もありません」
ナトロの心を読んだのかリューカはナトロに微笑みかけた。
「ああ、これからも、正義と秩序のために尽力してくれ」
違和感しか感じないこの状況を終わらせたくなったナトロはさっさと挨拶を切り上げようとした。
「ええ、喜んで、正義と秩序にこの身を捧げておりますから」
エイディはにっこりするとナトロの執務室から出て行った。
「・・・あいつらを見張っておいてくれ・・・」
嫌な汗を拭きながらナトロは部屋に控えている者に命令を発した。彼の命令に了解を示したように彼の部屋から人影が二つ、音もなく出て行った。
「君たちには迷惑をかけた。僕は生まれ変わって戻ってきた。これからともに、正義のために戦っていこう」
「0番、お帰りをお待ちしておりました」
エイディは集まった正義と秩序の実行隊員たちの前に立ち笑顔で戻ってきたことを告げた。
「以前の愚かな僕はもう死んだ。ここに居るのは正義のために生まれ変わった新しい0番だ」
誇らしげにエイディが声を上げると、隊員たちは一斉に「正義のために」と唱和した。そんな様子をリューカは笑みを浮かべながら眺めていた。
「正義のために・・・」
彼女はじっとエイディを観察するように見つめながら呟いた。
「彗星殿、以前の失礼の数々、どうか許してもらいたい」
彗星が夕食後、ハイリと酒を呑みながら寛いでいる所にエイディが真剣な表情で現れた。
「え・・・」
エイディの口から出た言葉に彗星は目を見開いた。この男から絶対に聞くことがない台詞が吐き出されていることが信じられなかった。
「正気か・・・? 」
「何を言っているんですか。至って僕は正気ですよ。今までにないぐらい頭の中がすっきりしていますからね」
「ハイリ、俺は悪い夢を見ているのか? 」
彗星は振り返ってハイリを見た。ハイリも己の想像の遥か斜め上にあるエイディの姿を目の当たりにして口を押えて目を丸くしているだけであった。
「・・・2人して同時に同じ悪夢を見るという事があるなら、彗星様の仰る通りです・・・」
ハイリはそう言うだけで精一杯であった。
【何をしたら、こんなになるの。彼に一体何が・・・】
ハイリはエイディの身の上に起きたことを想像すると、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「悪い夢は、今までですよ。これからは、良い夢に変わりますよ。これからもよろしく」
エイディはにっこりとしながら彗星にさっと手を差し出した。
「あ、ああ、よろしくな」
彗星は差し出された手を握った。
「正義のために」
エイディは彗星の手を力強く握りながら、じっと彼の目を見つめた。
「正義のために」
彗星が何も言わないことに少し苛立つようにエイディはもう一度繰り返した。
「ああ、正義のために・・・」
彗星が面倒くさそうに答えるとエイディはやっと手を離した。
「では、また明日。互いに、正義のために働いて行きましょう」
笑顔で彗星に告げると彼はさっさと去って行った。
「・・・な、なんだ、アイツ変なモノでも食ったのか・・・」
呆気に取られている彗星の背後でハイリの表情は恐怖に染まっていた。
【作り変えたんだ・・・】
彼女は自分も何時か「作り変え」の対象になるかもしれないと思った時、悲鳴を上げそうな恐怖に見舞われた。
「思いのほか怖かったようだな」
彗星は後ろにいたハイリが震えているのを見てそっとその肩を抱きしめてやった。
「・・・」
「ハイリが何を背負っているかは知らないが、俺はお前を護る」
「・・・」
ハイリは素直に彗星の言葉を受け取れたなら、と心中にジレンマを感じながらも黙ったまま彗星に抱かれていた。
「悪夢はまだ続いているのか・・・」
翌日、朝食を終えた彗星の目に飛び込んできたのは、隊員たちと共に素振りをしているエイディの姿であった。
「私も目が覚めていないようですねー」
彗星の横に立っていたマテグも信じられないと驚愕の表情を浮かべていた。
「・・・しかし、あの女はなんだ。聞いているか」
彗星は素振りしているエイディをじっと見つめているリューカを顎で示した。
「さぁ、彼女は何者・・・」
「彼女は、希望の光、正義の灯台と言われています。昨日、彼らがそう言っていました」
いつの間にか彗星のよこに立っていたハイリがぽつりと黒髪の女性について説明した。
「・・・成程ね、彼女がエイディの調教師か。アイツの新たな世界の扉を開いたんだ」
彗星は腕を組んで納得したような表情で頷いた。
「そういうモノでしょうか・・・」
「人ってのは、ちょっとしたタイミングやきっかけで大きく変わるんだ。良くも悪くも・・・」
彗星はハイリをじっと見つめた。彼にとってハイリは、他人に踏みつけられたような人生を変えてくれた存在であった。彼女と会ったことにより彼は変わったと信じていた。
「そういうものですか・・・」
ハイリは怪訝な表情を浮かべると、穏やかに訓練を見守っているリューカを凝視した。
「っ」
彼女の視線に気づいたのか、リューカニコニコとしながらハイリに会釈をしてきた。ハイリは一瞬固まったが、同じように笑顔で会釈を返した。
「で、結局、あの女の正体はなんだ」
エイディたちが昼から休みもせず日が暮れかかったグランドを延々と周回しているのを眺めながらナトロは呼び寄せたドゥカに尋ねていた。
「我々もエイディ様のお世話をする者としか聞いておりません。それ以上の事は聞くなと言われておりますので」
ドゥカは額に浮いた汗を神経質に拭いながらナトロに答えていた。ナトロはドゥカの答えに到底納得できなかったが、彼らも何も知らされていないと判断し、叱責をため息に変えて吐き出した。
「そうか、モンテス商会であってもか、仕方ないな・・・」
「ただ、エイディ様のお世話をしたした者から、あの方の身体が傷跡だらけであったと聞いております。一体、何があったのか、私どもも測りかねております」
「そうだな、ご苦労だった。応接室に飲み物を用意している、それでのどを潤してから帰ってくれ。こう暑いと喉が渇くからな」
ナトロはドゥカに退室するように言うと彼が出ていくのを見送った。
「何か補足することはあるか」
ナトロはくるりと身を翻して、まだ走っているエイディたちを窓から眺めながら低い声を出した。
「ドゥカ様の仰る以上の事は・・・、リューカ様とエイディ様の関係は彗星様とハイリ様の関係とは違うようです。個人的な感想ですが、エイディ様はリューカ様を崇めておられるようです」
物陰から現れたグレイのローブを着た男が跪いてナトロに報告した。
「引き続き、監視を頼む。彼女以外の目に見えない連中も来ているかもしれないからな」
ナトロがそう言葉をかけるとグレイのローブを着た男は音もなくその場から姿を消した。
「前より大人しくなったから良しとするか、それとも凶暴性が隠されただけか・・・、厄介な事はかわらないか・・・」
ナトロは己の胃の辺りを撫でて顔をしかめた。
エイディ君は心を完全に壊されています。そうでもしないと、あの性格はどうしようもないと判断されたようです。
しかし、凶暴性までが壊されたのかは定かではありませんが。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。