212 近くの隣人と離れた隣人
今週は何とかUPできました。こんなお話でも暇つぶしの一助になれば幸いです。
「あーちゃもいっしょにいくのーっ。しゃるもいっしょにいくのーっ」
レイシーが予想した通り、ビブはアーシャとシャルと別れてケフの都に帰るのに納得いかないとばかりに大声で泣いていた。その泣き声につられて、アーシャもシャルも泣きそうな表情になっていた。
「夏にまた来るんでしょ。その時会おうね」
「私たちも、時々ケフの都に行くからね」
気を許せば涙が流れそうになるのを何とか堪え、笑顔を作ったアーシャとシャルがレイシーに抱かれたビブの頭を撫でていた。
そんなビブたちの行動を温かく見守っていたネアにそっとラスコーが近寄ってきた。
「ネアさん、これをご隠居様に。今回の件をまとめたモノだ。ヤヅとの関係を考えるうえで参考になると思う」
ラスコーは、声を潜めて言うとそっとネアが肩からかけたカバンに蝋で封印した手紙を差し込んできた。
「承知しました。ご隠居様にお渡しします」
ネアはラスコーを見ることもなく、そっと返すと彼は何事もなかったようにネアから去って行った。
何となく、サスペンス風のやり取りをしていたネアの横で、フォニーがうんざりした表情になっていた。
「うちは、明日からのお仕事の事を考えると泣けそうなってくるよ」
馬車と言うか馬ソリに乗り込みながらフォニーがうんざりした表情を浮かべた。そんなフォニーにラウニは黙って苦笑を浮かべていた。
「ケの日があるから、ハレの日が輝く・・・か」
前の世界では、考えもしなかった休暇を楽しんだ自分を振り返ってネアはポツリと呟いていた。
「毛の日?」
ネアに手を引いてもらいながら乗り込んできたティマがネアの呟きを聞いて首を傾げた。
「お仕事をする普通の日があるから、お休みの日が輝くんですよ。どちらかだけだと、寂しいし、楽しくないと思いますからね」
「うーん、あたしはずっとお休みが良いなー・・・です」
ティマはネアの言葉がどうも受け付けられないようで、つまらなそうに言うと馬車というかソリの固いシートに身体を預けた。
「そうだね、どちらかだけの生活はいやですね。お仕事だけの人生を送ると、大切なモノを忘れてしまいますからね。お休みだけだとお金がすぐに無くなるし、退屈をどうやって紛らわせるかも大変な事になりそうですね」
ネアはティマに優しく言うと、ふと己の前の生活を思い出し、あんなことは二度とするものかと改めて心に誓った。
「え、僕も乗っていいんですか」
荷台に荷物を積んでいたウェルが驚いたような声を上げた。
「ええ、こんな雪の中、お外にいるのは可哀そうだから」
ルシアは荷台の上にいるウェルを雨の中で震えている仔猫を見るような目で見つめ、仔猫にかけるように優しく声をかけた。
「あー、これで凍えずに移動できる。ありがとうございます」
ウェルは荷台から飛び降りると、ルシアに深々と頭を下げた。ルシアはその頭を猫の頭を撫でるようになでながらにっこりとした。
「猫扱いだよね」
「ですね」
ルシアとウェルのやり取りを見ていたカイとクゥは苦笑すると、ルシアが乗り込みやすいように馬車のドアを開けた。
ネアたちが乗った馬車と言うかソリとルシアの馬車と言うかソリがケフの都についたのはその日の夕方であった。移動中に襲撃されることもなく、吹雪にまかれることもなく、大いなる意思にさっさと日常に戻ることを促しているかの如く、全てが順調に進み、快適な移動となった。
「車輪より、ソリの方がいいかも」
いつもなら強烈な乗り物酔いに苛まれるラウニですら、無投薬状態で朝食をリバースすることなかったのである。
「また、日常が始まる・・・、次のお休みまで持つかな・・・」
自分の荷物を自分たちの部屋に運び込んだフォニーはそのまま自分のベッドに倒れ込む様に身体を投げ出した。
「寝るんだったら、ちゃんと着替えること。だらしないことはダメです」
ラウニの叱責にブツブツいいながらもフォニーは立ち上がると、荷物の整理を始めた。
「ただいまー、ユキカゼ」
むくれているフォニーを傍目にネアはベッドの上に鎮座しているヌイグルミを抱き上げた。いつもなら、子供っぽくてくだらないと思う事であるが、何故か今回はユキカゼに無事を知らせたいという気持ちを抑えることができなかった。
【身体に馴染んできたのかな】
自分の気持ちを戸惑いつつもネアは受け入れることにした。
「こんな立派な部屋を俺たちに」
「お家賃払えませんよ」
「温かくて気持ちいいーっ」
リックたちは、ルシアの店の2階に使っても良いと言われた部屋を見回して戸惑いの表情を浮かべていた。その部屋はリックの寝床だと聞いていたが、それは今まで彼が泊ったどんな宿の部屋より大きく、そして快適であった。寝床だけではなく、仕事の依頼を受けたり、事務仕事をできるスペースが十分に確保されていた。
「そうかなー、お家賃は暫くはいいですよ。お仕事が上手くいくようになったら貰いますけど。毎月、これぐらいで」
ルシアはリックたちの戸惑いを不思議に思いながら、指を三つ立てて見せた。
「・・・それぐらいは相場だよね」
「ちょっとキツイかも、ですねー」
ルシアの指を見てクゥとカイは複雑な表情になった。
「俺たちの仕事が上手く行ってもそこまでは払えないですよ」
リックは残念そうにルシアに告げ、この申し出を断ろうとした。
「え、中銀貨3枚ですよ。今回の報酬を全部お家賃にしても、10年ぐらいは住めますよ」
「ち、中銀貨3枚って・・・」
「え・・・」
「これって、夢なのかな」
ルシアの提示した破格の家賃にリックは言葉を失い、カイとクゥも互いに見合って絶句していた。
「ルシア様、中銀貨3枚だったら、宿でこのような部屋を借りることもできませんよ」
ルシアの提示価格が非常識だとリックは伝えようと言葉を探した。
「お嬢様とお店を警備して頂けるなら、この価格ですら安いですよ。お昼は誰かの目がありますけど、夜は怖いですからね」
マーカは何もなしの破格の提示ではないとリックたちに説明した。ルシアの言葉を聞いて、リックは何かに納得したように頷いた。
「そのお話、乗らせてください。クゥとカイを見知らぬ街に連れてきてしまった責任もあります。彼女らには少しでも快適に過ごして貰いたいですから。お店の警備は喜んで引き受けますよ。人手が足りなければ荷運びなんかの力仕事も引き受けます」
リックとルシアは契約が成立したことを確認するために互いに握手を交わした。
「お嬢様方には、お隣にお部屋を用意していますよ。こちらへ」
マーカがそっとクゥとカイに声をかけ、彼女らは隣の部屋に案内した。
「えっ」
「どこのお嬢様のお部屋でしょうか」
マーカが案内した部屋は、リックの部屋と同じぐらいの大きさに大きめのベッドと互いのプライバシーを守る衝立と、衣装棚、大きな姿見までが備え付けてあった。
「ずっと、ここに住む」
「夢みたいです・・・ね」
クゥとカイは部屋を呆然と眺め、そして満面の笑みを浮かべた。
「警備以外に雑用があれば、お任せください。こう見えても私たち、お料理から洗濯と家事はある程度できますから」
「いつでも、お嫁さんになれるようにスタンバイ中。後はいい男だけ」
クゥは感謝の気持ちを込めてマーカに礼を述べ、その横でカイはニヤッと笑った。
「お嬢様ご厚意ですから。くれぐれもお嬢様を悲しませるようなことはないようにして下さいね」
マーカどこか凄みのある笑顔を浮かべた。その笑みの裏側にあるモノを感覚的に受け取った2人は再度深々と頭を下げた。
「カイ、行動は慎んでくださいね」
「ううう、怖いよ」
マーカが去った後、クゥとカイは互いに見合って頷きあっていた。
「寂しかったよー」
翌日、朝一番にネアを襲ったのは激烈なレヒテのハグだった。朝食を終え、職場である奥方様の執務室に向かう際の襲撃だった。
「お、おはようございます」
ネアはレヒテにもみくちゃにされながらも、何とか挨拶をした。そんなネアの苦労も知らず、折角整えたばかりのネアの髪をぐちゃぐちゃにしながらもレヒテは全身でネアに親愛の情を示していた。
「絵的には、逆の様な気がするんですが」
「うん、ご主人様に会えなかった猫が思いっきり甘えている図の逆だもんね」
「・・・」
ラウニとフォニーは呆れたようにレヒテの蛮行を眺め、その横でティマがいきなり尻尾を引っ張られないようにと自分の尻尾を前に回してぎゅっと抱きしめていた。
「ふふふ、貴女たちもお久しぶりよね」
もふられすぎてぐったりとしているネアをその場に残し、レヒテは捕食者の目でラウニたちを見つめてきた。
「っ」
フォニーもティマに倣って尻尾を前にしてぎゅっと抱きしめていた。
「に、逃げて・・・」
モフリたおされて、床に腰を落としたネアが力なくラウニたちに警告を発したが、それは、悲しいことに間に合わなかった。
「3人まとめてーっ」
「きゃーっ」
お館の廊下にラウニたちの悲鳴が響いた。
「尻尾が抜けるーっ」
「整えた毛がーっ」
「引っ張らないでー・・・ください」
キツネとクマとリスが愛情表現と言う名の暴力の嵐に苛まれる姿を見つめながらネアは己の無力感を味わっていた。
「レヒテ、随分と熱心だね。しかし、それは愛情の押し売りと言う奴だよ」
愛情を暴発させているレヒテにご隠居様がにこやかに声をかけてきた。
「お嬢、ラウニたちが嫌がっています。彼女たちが毛をセットするのにどれほどの手間をかけているかご存知ないんですか」
ご隠居様の背後から、この館で一番怖いとされているエルマが顔を出し、レヒテを睨みつけた。
「あ、あの、寂しかったら、つい・・・」
レヒテはエルマに睨まれ、塩をかけられたナメクジにのように小さくなっていった。
「寂しかったら、こんなことをしていいんですか」
もみくちゃにされて、ボサボサになっているネアやラウニたちをエルマが指さした。
「死ぬ・・・」
ココとばかりにネアは大げさにぐったりとしてみせた。それを見たエルマの口元が少し上がったのをネアは感づいた。本能的にネアは危険を感じた。
「人が攻撃されている時に、それに乗じて追い討ちをかけると言うのは感心しませんね。ネア」
エルマは凄みのある笑みをネアに向けてきた。その笑みにネアは既に無くしてしまった、アノ袋が縮み上がる感覚を久しぶりに味わっていた。
「ご、ごめんなさい」
ネアは取り合えず謝ってその場を凌ごうとした。このような小手先の言い逃れなんぞはエルマには通じないのであるが、今回はレヒテと言う本命がいたため、ネアは何とかエルマから逃れることができた。
「ご隠居様、よろしいでしょうか」
エルマはご隠居様の表情を伺うように尋ねると、ご隠居様は笑顔で頷いた。
「お嬢、お話があります。臣下の苦言をお聞き頂きます」
エルマは、何かを言い返そうとしているレヒテの襟首を掴むと引きずるようにして彼女が仕事をしている事務室に連れて行った。
「安らかに」
ラウニたちは、連れて行かれるレヒテにそっと手を合わせていた。
「・・・ご隠居様、ラスコーさんからお手紙を預かっているんです」
ネアは簡単に身なりを整えると、ご隠居様を見上げるようにしながら声をかけた。
「ヤツからの手紙か、恋文でないことは確かだな」
ご隠居様はネアから封印された封筒を受け取ると渋い表情を浮かべた。
「今回の件、ヤヅの郷に関してのことがまとめられているそうです」
ネアはそう言うと、さっとラウニたちの元に駆けより、互いに身だしなみをチェックし、レヒテによってぐしゃぐしゃになった所を互いに毛づくろいをしだした。
「今回もイロイロとあったみたいねー」
ネアたちを見た奥方様が放った第一声であった。彼女は含みのある笑みを浮かべると、それ以上は何も言わず、いつもの如く仕事を始めた。ネアたちも「イロイロ」の事は口にせず黙々と働きだした。
そろそろお昼の休憩かと言う時間に扉が軽くノックされる音が響いた。
「仕事中すまん。ちょいとネアを借りるよ」
軽い口調でご隠居様が部屋に入ってくると、空いている椅子に腰かけて、ネアを手招きした。
「お茶を一杯もらえないかな」
「入ってくるなり、なんですか」
奥方様はむすっとしてご隠居様を睨みつけたが、彼はそんな事全く気にする様子もなくのんびりと椅子に腰かけていた。ネアは裁縫の手を止めると立ち上がって、ポットからお茶をカップに注ぐとトレイに載せてご隠居様の元に運んで行った。
「ネア、あの手紙に付いて聞きたいことがあるんだ」
「私で分かることがあれば、お手伝いします」
「助かるよ」
ご隠居様はネアからカップを受け取り、ゆっくりとお茶を呑み終えると立ち上がりネアにそっと手を差し出した。
「じゃ、お嬢さん、エスコートさせて頂きます」
ご隠居様は恭しくネアにお辞儀すると、ネアもカーテシーで応えた。ネアはご隠居様に手を取られて奥方様の執務室から連れだって出て行った。
「お父様は一体何を考えていらっしゃるのかしら・・・」
2人の背中を見送りながら奥方様は呆れたように小さなため息をついた。
「今朝、ヴィットが血相を変えてこれを持ってきたんだよ」
ご隠居様の執務室につくと、彼はネアにレイゴンたちが持っていた偽装された本物の鑑札を見せた。
「分遣隊では荷が重いようでしたから、こちらに持ってくると言ってましたが・・・、ヴィット様でも荷が重かったのでしょうか」
ネアが少し困ったような表情で観察を見ていると、ご隠居様が軽いため息をついた。
「領分が違うんだよ。これは、下手すると、しなくても外交問題、一つの郷の行き先を左右しかねない問題だ。普通の偽造ならまっすぐ犯人を追いかければ済むが、これはそうも行かないんだ。現郷主が絡んでいるのか、ボーデンが絡んでいるのか、それとも第三者の仕業なのか。扱いは難しいシロモノだが、使いようによってはヤヅに対してのいいカードになると僕は踏んでいるんだ」
ご隠居様はそう言うと問題の鑑札を丁寧に封筒に入れると金庫の中にそっと仕舞いこんだ。
「ネアは誰が一番これに関わっていると思うかな。根拠が薄弱でも構わないよ」
ご隠居様気楽に言うと椅子の背もたれに背を預けてリラックスした姿勢をとった。
「・・・消去法的に考えると、バルン様が怪しいように思われます」
ネアは、暫く考えてからゆっくりと考えを口にした。
「バルンか、彼は全く正体が掴めないからね。何を考えているのか、何をしたいのかなんて分からないからね。しかし、彼も婿殿に近い年齢と聞いている。もう政の正面に出ていてもおかしくないのにね。不思議な人物だよ」
ご隠居様はそう言うとうーんとのけぞるように背を伸ばした。
「彼は今のところ、何にでもなる鬼札みたいな存在だからね。この件が彼の差し金なのか、どうなのか見当もつかない。頭の悪い言い方をすれば、不都合な出来事は全部彼の仕業にすればいいんだからね」
「バルン様のお人柄なりを何とか知る手段はないでしょうか。推理しようにもバルン様が謎すぎて難しいです」
ネアの言葉を聞いてご隠居様はリラックスした姿勢のまましばらく考え込んでいたが、半身を前倒しにするようにすると、じっとネアを見つめた。
「ヤヅの郷は、海なしのケフに海産物を運んでくれる貴重な郷であることは知っているよね。あそこは小さいながらも外洋船が入ることができる港も持っている。だから、交易をする上でも重要な郷なんだ。最近はワーナンとの関係が冷えてきているから、ヤヅはますます重要になってきている。今までケフとヤヅは良好な関係を保ってきている。ここでさらに、仲を深めようと考えている最中なんだが、現郷主のカーウィンが優れないようだし、彼が政に興味をなくしていることは誰もが知っている事だよ。あの郷が持っているのはボーデン氏の力によるところが大きいのは事実だろうね」
ご隠居様はそう言うとため息を一つついた。
「そのボーデン氏もぐらついているようですね。ジルエとか言う漢が結構入り込んでいるようです。ルシアさんがケフの支店に来たのも、彼女のご両親が避難させるためにしたものだと聞いています」
「聞いているよ。さっき言ったようにこっちはヤヅと親交を深めたいのだけど、誰が窓口なのかさっぱりでね・・・」
ご隠居様はそう言うと目を閉じて考え込んでしまった。
「こちらからバルン様を指名することは可能でしょうか。ご高齢のカーウィン様の名代になって頂きたいってことで・・・」
ご隠居様は閉じていた目を開くとじっとネアを見つめた。
「それは、面白いね。バルンを表に出さない理由が少しは分かるかもしれないし、ひょっとすると彼の人となりを知ることができるかも、だね。・・・鑑札の事で揺さぶりをかけることもできるかも知れない・・・」
ご隠居様は何かぶつぶつと呟きながら少し悪い笑みを浮かべた。
「不謹慎ですが、カーウィン様のご容態が優れないのなら、近いうちにご葬儀のお話があるかもしれませんから、その時がいい機会になるかもしれません」
ネアは暫く考えると、一回の侍女、それも見ならないが口にすることがあってはならないようなことを口にした。普段ならキツイお咎めがある所であるが、相手がご隠居様なのでこの場では普通の会話の一つとして流された。
「ネアの言う通りになるだろうね。彼は随分と歳をとってからバルンを設けているからな。幸か不幸か、彼にはバルンしか子どもがいない。今から着々と準備しておかないといけないね」
「ヤヅにもっと目と耳を向ける必要がありそうですね」
「近いうちにとびっきりの目と耳を派遣するよ」
そう言うとご隠居様は含みのある笑みを浮かべた。
ケフの都のルシアの店は、基本は小間物屋です。若い女性をターゲットにしており、可愛いモノを主として取り扱っています。店舗部分はそんなに大きくはありませんが、ルシアの住居としての機能は充実しています。リックたちが部屋を借りられたのも本来なら十分な使用人たちを雇うためのスペースがあったからです。今のところ、ルシアのお店で多くの人が雇われるという事はなさそうです。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。また、ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます