209 反撃
雨が降って肌寒かったり、蒸し暑かったり、病気は収まらない中、今こそが踏ん張りどころかな、思っていますが、そんな中の暇つぶしのお役に立てれば幸いです。
「一体、なんて呼びかければいいんだ」
リックは牢の中で横たわる男に親し気に尋ねた。しかし、その男はじっとしたまま、彼の顔を見るわけでもなく、リックの存在などありはしないと言わんばかりの態度であった。
「仕方ねぇな。じゃ、三流って呼ぶぜ」
リックは口角を上げて楽しそうな表情を浮かべた。そんなリックの表情とは対照的にその男は、今襲ってきている肉体的な苦痛ではなく、精神的な苦痛のために表情を歪めた。
「レイゴンでいい・・・」
レイゴンと名乗った男は食いしばった歯の隙間から押し出したような声を上げた。
「そうかー、レイゴンか。あの子はアンタのことを三流って言ってたが、俺としては、アンタは凄腕ダダと思う。自慢じゃないが、俺の腕は悪くない、そんな俺と互角以上・・・、いや、あのままじゃ勝てなかった。しかも、それなりの腕をもっているクゥも同時に相手にして・・・、剣を振るう者としては、敬意を表したいぐらいだぜ」
リックはお世辞半分、本気半分でレイゴンと名乗った男を持ち上げた。この言葉が効いたのか、先ほどまで全く無視を決め込んでいたレイゴンは頭をリックに向けた。
「あのガキ・・・、吐いた唾が呑み込めないことを思い知らせてやる・・・、子供だからって、のは関係ない」
レイゴンのはかなりネアに対して立腹しているようで、その顔には殺意が浮かんでいた。それを見たリックにはレイゴンが冷静さを失っていることを読み取った。
【ネアが揺さぶったって言ったのはこのことか・・・、あの子7歳って言ってたけど・・・】
リックはネアに何か腑に落ちないモノを感じていたが、この場はレイゴンのことの方が重要であることを思い出して、レイゴンを見つめた。
「ああ、確かにあの子は妙な子だからな。俺にもダメ出ししてきやがったぜ。警備のやり方がマズイとか、人の配置をどうしろとか、生意気なガキだからな。依頼人がいなければぶん殴っていたぜ」
リックはレイゴンの言葉に話を合わせて、ネアに関して随分と盛ることに決めた。
【この事を知ったら、たぶんあの子嫌味を言ってくるだろうな・・・】
彼はネアが嫌味を言ってくる姿を想像して苦笑した。
「糞生意気なガキだな。親の顔が見て見たいぜ」
レイゴンは目に憎しみの色を滲ませながら、生意気なネアの姿を思い出し、それを切り刻むことを想像した。それは、少しだが彼の精神を安定させてくれた。
「親はいないらしい。侍女見習いってヤツらしい。毛むくじゃらなのに、いい手当をもらってみるみたいだな」
「そんないい所でぬくぬくしているようなガキに何が分かるってんだ。こっちは、泥水すすって生きてきたんだ・・・、お前が言った剣の腕とやらも、生きていくうえで必要だったからだ」
ネアに対してムカついていることがリックも同じだと感じたレイゴンは、今までのだんまりを取り返すように喋りだした。
「泥水すすってか・・・、そんな中であそこまで腕を上げたのか、随分と苦労したんだな。苦労人なんだな。そんな苦労人が孤児とは言え、あんな穢れのガキに読まれるなんて・・・、小賢しいガキだよな」
リックは大げさに表情をしかめ、レイゴンの言葉に同意していることを示した。
「あのガキ、俺たちの標的のことをどうやって知ったんだ。俺たちはあのガキと顔をあわしたこともないんだぞ。あれは、一体なんだよ。くそっ、鬼札を引いちまった」
レイゴンは納得がいかないらしく、大きなため息をついて、天井をじっと見つめた。
「アレは、アンタらが狙っていた標的が喋っていたことを聞いて、アンタらの目的を推測したようだ。時間まではどうやったのかは、俺も知らんがな」
リックは敢えてネアたちが、レイゴンたちが潜んでいた小屋を特定していたこと、中の話を盗み聞きしていたことは口にしなかった。レイゴンはネアが自分たちのことを限られた情報から、彼らの行動を推測したと聞かされて表情をしかめた。
「なんてガキだ・・・」
「アンタを雇ったヤツについても凡その目星をつけていたぜ。アンタが気づいていないかもしれないこともな」
リックは含みを持った笑みを見せた。
「ああ、そうだろうな。あのガキ、俺たちがあの女を狙うことも、その後、足が付かないように証拠を消すことも知ってやがったぐらいだからな」
「しかし、皆殺しと付け火とは、思い切ったな。アンタほどの傭兵が契約を反故にするとは思えないが」
苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべるレイゴンにリックは呆れたように尋ねた。リックの言葉にレイゴンの表情は一瞬引きつり、そして諦めた様な表情になった。
「多分、口封じされるだろうからな。あいつら、仕事に出る前に支度やら契約したことを確認するための前金を値切って来やがった。4割もだぞ。こんなことをする奴なんて聞いたことがない。足元を見るのも大概にしろってんだ」
レイゴンはそこに依頼者がいるかのように殺意のこもった目で天井を睨みつけていた。
「前金を値切るって、あり得ないぞ」
「あり得ないことを言ってきやがった。勿論、そんなことさせやしなかったが。現金を手に入れてトンヅラ決め込もうかと思ったが、そこまですると完全な契約違反だからな、俺を舐めるなって意味で皆殺しさ。・・・あのガキが言ってた、ルシアってガキがあのボーデンの孫だなんて知ってりゃ・・・」
レイゴンはそこまで言うと悔しそうな表情を浮かべ歯を食いしばった。
「前金を値切ってくるところからして、アンタに依頼したのは、ど素人、いやこの世界の理を知らないヤツだからな。後金を払うのが惜しくなって始末されることもあるわな、あの子、こんなことを言ってたな」
「あのネコのガキ、そこまでよんでやがったのかよ。一体何なんだアレは」
レイゴンはネアに不気味さを感じていた。自分たちのことを一体どこまで知っているのか。そして、それ以前にネアが見たままの存在でなく、何かのバケモノじゃないかと思い始めていた。
「詳しい事は俺も分からん。周りからは聡いって言われているらしいが、普段の動きは年齢相応だぜ」
「それが本当の顔だと思ってるのか・・・」
レイゴンはリックに含みのある言葉を放ってにやっと笑った。
「・・・そうだな・・・、話は変わるが、仕事とは言え、アンタの部下をやっちまった、悪ぃな」
リックはレイゴンに向き合い、チラリと隣の牢に意識もなく横たわっている髭もじゃを見るとすまなそうな表情を浮かべた。
「ん、そいつらは部下でも何でもないぜ。腕のよさそうなのを引っ張ってきただけだぜ。ぶっちゃけ、名前も知らないからな。・・・お前みたいな仲良しごっこで仕事していると、仲間に寝首掻っ切られるぜ。これは、俺からの忠告だ」
レイゴンはそう言うと、首を壁に向けてだんまりを再開しだした。
「忠告ありがとう」
リックは、これ以上もうレイゴンはなにも語らないだろうと踏んでその場から立ち去った。
「こいつらの鑑札だが、偽造されたモノじゃないぞ」
屯所の事務室に顔を出したリックに派遣隊長がレイゴンたちが持っていた傭兵と行商人の鑑札を手にして渋い表情で声をかけてきた。
「偽造じゃないって・・・」
「ああ、本物だ、この用紙、インク、スタンプ、どれも本物、そうじゃなきゃ、高度な偽造技術の産物だな。もし、偽造物だとしたら、トンデモない値段だな。見てくれよ。この認証クリスタルを通しても文字が見えるんだぜ。どんなに綺麗に偽造してもここまでごまかすことはできない。用紙にはちゃーんと透かしまで入っている」
派遣隊長はレイゴンの行商人の鑑札を大きな虫眼鏡の様なクリスタル越しにリックに見せると呆れたような、そして感心したような声を上げた。
「そこまでのブツを準備できるのがいるって・・・」
「余程顔が効くヤツだな。・・・ヤヅから来ているらしいが、ヤヅには戻らんほうが良いかも知れんぞ。奴らが雇った刺客を退けているし、しかも1人は生け捕りにしている。奴さんはだんまりを決め込んでいるが、お前さんが何かを聞いたとあいつらを雇ったのが推測するのは難くないからな」
リックは派遣隊長の言葉を聞いて背筋に冷たいものが走る感覚を覚え、表情が硬くなった。
「郷の実力者が・・・、関わっていると」
「お前さんが警護対象のお嬢さん方はヤヅの大物、ボーデン殿の身内だ、それを手にかけようとしたんだ、それなりの実力もあるんだろうな。気をつけるんだな」
「貴重な情報に感謝する。ああ、ヤヅには戻らない、カイとクゥにも伝えないとな・・・」
カイとクゥがこの話をした時にどんな表情になるかを想像して、リックはため息をついた。
へその緒を切ってから、表通りをお日様を浴びて歩くようなことはなかった。いつも、いつも裏通りを歩いてきた。レイゴンと名乗った男は薄汚れた天井を見つめながら己の今までの足取りを思い出していた。
「あのガキぐらいの頃だったか・・・」
初めて人を殺めた時のことを思い出してポツリとこぼした。初めては、簡単なモノだった。食い物の分け前を巡っての喧嘩からの出来事だった。それ以降はどれぐらい人を手にかけたか覚えていなかった。殺めた連中の8割は仕事としてで、私憤や恨みからは2割にも満たなかった。
「あの、クソガキ・・・」
彼は、仕事に関係ない殺しを決意していた。相手は勿論、ハチ割れのネコの小娘である。彼を三流と罵倒し、舐め腐った態度と、妙に小賢しくこっちの手の内を読んでくるようなガキをこのままにしておくことはできなかった。彼の誇りにかけて、血祭りに上げなくてはならないと彼は決心していた。このまま大人しくしていれば命まで取られることないだろうし、犯罪奴隷に堕とされてもそこから何とか逃げ出す事は不可能ではない。しかし、あのガキを血祭りにあげないと彼の誇りはここで死んでしまう。裏通りを歩いてきて、これから先も裏通りを歩く者として、けじめはつけなくてはならなかった。それが、愚かしい選択であっても。
「・・・逝ったのか・・・」
レイゴンが自由が利かない手で、温くて薄い夕食のスープをかきこんでいるいる時、隣の牢の髭もじゃが動かないのに気づいた。
「・・・」
レイゴンは利かない手で己のシャツをまさぐりだし、何かを引き抜いた。それは、細い一本のワイヤーであった。彼はその先をカギ型に曲げるとそっと牢の錠の中に差し込んだ。そして、じっくりと開錠していった。カチリと小さな音がして鍵が開くと彼はそっと開けて牢の外に出た。
「おい、隣のヤツ、息してねーぞ」
彼は息を吸い込むと大声を出した。暫くすると牢のある部屋の扉が開けられ騎士団員が1人、面倒臭そうに入ってきた。
「っ!」
レイゴンは入ってきた団員の鳩尾を拳で打ちぬいてその場に昏倒させ、武器を取り上げると、その身体を自分がいた牢に入れると鍵を閉めた。
「・・・」
彼は足音を殺して屯所の事務室を見ると人の姿は見えなかった。こんな田舎の騎士団の派遣隊では当直につく人数も限られているのであろう、そんなことを考えながら彼は屯所の外へ出た。
「うっ」
外に出た途端強烈な寒気が彼を襲ってきた。さらに、幸い雪は降っていなかったが、厚くはり込めた雪雲は月どころか星の明かりまで遮っており、一足先も見えぬ真っ暗闇であった。
「・・・」
彼は屯所の正門から出るのを足跡が目立つからと諦め、建物の壁を手で撫でるようにしながら壁沿いに裏側に回りだした。
「!」
一瞬、雲の隙間から月の明かりがもれ、屯所の裏口と裏門に続く足跡が見えた。しかし、それもあっという間に闇に呑まれてしまった。
【裏口があるんだな、このまま進んで、そこから行けば足跡を少しは誤魔化せる】
彼は裏口を目指して壁沿いを歩き続けた。
「っ!」
いきなり、左足の裏に激痛を感じて声を出そうとしたがそれを必死に抑えた。痛む足をそっと持ち上げるとまるでサンダルを履いているように木の板が彼の足にくっついていた。
「ーっ」
彼は声を殺して足から板を引きなした。暗くて良く分からないが、その板には釘がスパイク上に打ち込まれているようであった。彼は手にした板を力任せに闇の中に投げ捨てると歩き出した。痛みと寒さが容赦なく襲ってきたが彼は、己の誇りのため、虚仮にしたガキを殺すためそれらを無視することにした。
「・・・」
無視しているものの、やかましく痛みを訴える足の傷口を確認するのは安全な場所で明るくなってからと判断し足を進め、彼はやっとの思いで裏口に辿り着いた。そこで深呼吸すると、足で足跡を探りながらそっと足を進めて行った。一歩歩くごとに先ほどの傷が痛みを訴えるがそんなものでは彼の決心を揺らがすことはできなかった。
「くっ」
人目につかないようにと裏門を出ようとした時、今度は右の足の裏に激痛を覚えた。足をそっと上げて確認すると左足に突き刺さった物と同じようなモノが足に付いていた。
「・・・」
彼は何かを決心すると、足跡を気にすることなく、癒しの星明り亭に足を向けた。きっと、さっきの釘を踏み抜いた傷のせいで雪の上には血の跡が付いているだろう。このまま隠れてもすぐに見つかってしまう。ならば、今、行動するしかない。彼はよろよろと夜の闇の中をもがくように進んで行った。
「ん・・・」
深夜、ネアは何かが壊れるような音で目を覚ました。耳を澄ますと寝ずの番をしているリックが走って行く足音が聞こえた。
「来たんだ・・・」
ネアはベッドから起き上がるとそっとシャフトを手にした。そして部屋の中を一瞥した。誰も目を覚ますことなく健やかな寝息をたてていた。それを確認するとネアはまるでトイレに行くような足取りで部屋から出て行った。
「案外早い出所だったな」
剣を抜いたリックが宿への闖入を見て挑発するような声をかけていた。
「・・・」
闖入してきた男は、宿の前に会った雪かき用のスコップを手にして幽鬼のように佇んでいた。その顔には血色はなく、ただ眼だけがギラついていた。
「プレゼント、気に入ってもらえたみたいだね」
ネアはレイゴンが血で足跡をつけているのを見ると、笑顔で話しかけた。
「・・・」
レイゴンは目の前のリックを無視して、寝間着姿で階段から降りてきたネアに飛び掛かって行った。
「ーっ」
レイゴンは渾身の力を込めてスコップてネアを突いてきた。その速さ、狙いは正確にネアの首元を捕えていた。
「はっ」
ネアは突っ込んでくるスコップを身をよじってかわすとレイゴンの脇腹に両手で持ったシャフトを梃子のようにして叩き込むと、さっとその場から飛び退いた。彼は激烈に一撃を喰らったにもかかわらず崩れ落ちことなく、よろりとネアに向かいスコップを構えた。その動きは昨日、リックと斬り結んでいた者と同一人物とは思えぬほど弱々しく、ゆっくりしたものであった。
「おじさん、両足とも踏んだんだねー。喜んでもらえたかな」
肩で息をしているレイゴンにネアは微笑むと、さっと彼の元に駆けよりスコップの柄を握っている指を思いっきりシャフトで打ち据えた。その痛みにレイゴンはスコップから手を離した。
「ふざけるなっ」
レイゴンはそう怒鳴るとネアに打ち据えられていない左手で殴りかかってきた。ネアはその拳を身をかがめてかわすと先ほど脇腹に打ち込んだ要領で彼の股間にシャフトを叩き込んでいた。
「ーっ」
一瞬レイゴンの動きが止まり、そして苦悶の表情を浮かべてその場に崩れ落ちた。
「えげつないことをするんだな」
リックは己の股間を庇うようにしながらネアに声をかけると、泡を吹いているレイゴンを見下ろし、腰につけていたロープで縛り上げた。
「左足と右足をやっているんだから、今度は真ん中の足、これでコンプリート」
ネアはそう言うとシャフト縮めた。その時、騒ぎを聞きつけたドクターとラスコーが寝巻のまま現れ、床の上に泡を吹いているレイゴンを見て驚愕の表情を浮かべた。
「脱獄しよったか」
「そのまま逃げておればいい様なもんなのに」
ドクターは縛られて泡を吹いているレイゴンを診てため息をついた。
「ネアの仕掛けた釘を踏み抜きおったか、ここまで体力が落ちていると・・・」
ドクターはため息をつきながらネアを見ると、ネアは肩をすくめてその視線に応えた。
「ラスコーさん、ソリを借ります。こいつを屯所に戻して来ます。」
リックは事務的にラスコーに告げるとドクターの応急手当てを待つこともなく、レイゴンの襟首を掴んで引きずって行った。
「ネアよ。一体どんな攻撃を・・・まさか、真ん中の足とか言っておったが・・・、エグイ事をしたな」
ドクターとラスコーがレイゴンが経験したであろう苦痛を想像して顔をしかめた。
「とっさのことだから・・・」
攻撃したネアももうそこにはない、モノの痛みを主しだしていた。そして、心の片隅で悪い事したかな、と少しばかり後悔していた。
「・・・あの男が己の男の機能が云々と言う前に、この世にはおらんかも知れんな。お前はあの釘を汚したまま使ったんじゃろ」
ネアはドクターの問いかけに頷いて答えた。
「自業自得ですよ。逃げて来たという事は騎士団の人に危害を与えているかもしれません。脱獄するなら、それなりの覚悟が必要ですから。野垂れ死に上等でね」
ネアはドクターにそう言うと大きな欠伸を一つして部屋に戻って行った。
「・・・男として最低の行為だ・・・」
ネアはベッドの中に潜り込んで先ほどの自分の攻撃について反省していた。
「俺が男じゃなくなったから・・・なのか・・・」
架空の股間の痛みを感じながら、ネアは眠りの闇に落ちて行った。
認証クリスタルとは、この世界の数少ないマジックアイテムの一つです。認められた用紙とインクで書かれていないとこのクリスタル越しには見えません。勿論、これを製造、販売できるのは、変換石と同じく王だけです。インクと用紙はそれなりの値段になりますが、決して出回っていないという物ではありません。
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