21 あそぼう
レヒテお嬢に付き合わされています。
なによりも元気がウリのお嬢様です。
今回は暦について少し説明させていただきました。
Q:1年はいつ始まるのか?
A:冬の盛りの月の1日です。
「レヒテお嬢様、今日のお勉強のおさらいを・・・」
レヒテの居室に腕を掴まれたまま連れ込まれたネアは、両手に抱えた本を乱雑に小物類が散乱している机の上にそっと置いた。
「さーて、今日は何をしようかしら?」
レヒテはネアの言葉が全く耳に入っていないようで、ニコニコしながらネアを見つめた。
【勉強する気は0だな・・・】
レヒテの態度を見てネアは小さなため息をついた。この調子では、明日もアルア先生の小言を喰らうことは火を見るより明らかである。
「わたしに、お勉強を教えてもらえませんか?」
なんとか、彼女を机に向かわせようとネアはためらいがちに声をかけた。使用人が主人に勉強を教えてもらうなんて無礼すぎることであるが、こうでもしないと、絶対にレヒテの学力は向上しないと、決心したネアの言葉であった。
「うーん、ラウニに見てもらうといいよ。ラウニってとても頭いいからね」
ネアの決意に基づく言葉はあっさりとかわされてしまった。こうなると、彼女を机に向かわせる手段は見当たらない。
「レヒテお嬢様、お勉強しないと、明日アルア先生に・・・」
ネアの言葉が終わらないうちに
「レヒテお嬢様はなし。お嬢でいいから。そんな他人相手みたいな呼びかけ好きじゃない」
今度は、ぴしゃりと言い切った。
「ネアたちが、どう思っているか知らないけど、私は貴女たちを友達と思っているから」
レヒテはそういいながら、お勉強用の動きにくそうな服を乱雑に脱ぎ捨てると、装飾の少ない普段着に着替えだした。ネアは期せずして、幼い少女の着替えを間近で見てしまうハメになってしまった。
【前の姿だったら、何回逮捕されているかな・・・】
思わず、苦笑が口元に浮かんでくるのが感じられた。
「よし、決めた」
着替えが終わったレヒテが何かを決心したように言葉を発した。
「決めた?」
「今日は、間者ごっこ」
レヒテはネアに満面の笑みを浮かべて答えた。
「行くよ」
レヒテは裏庭に面した窓を開けると、目の前に緑を茂らせている大木を凝視しだした。
「とうっ」
いきなり、レヒテは窓から飛び出して、その大木の太い枝に飛び移った。その身のこなしはとても、同年代の少女の持っている身体能力には見えなかった。
「お嬢・・・っ、アブナイです。そこから動かないで、大人の人を呼んできま・・・・す?」
レヒテは慣れた様子でささっと木から滑り降りるとネアを手招きした。
【一体、なんなんだ、あの娘は。怪我でもされたら、デカイ責任問題になるぞ】
折角ありついた、寝床と食事と着る物が全てなくなってしまう恐怖がネアを襲った。
凍り付いているネアを尻目に、レヒテはしつこく手招きしている。その表情には少なからず苛立ちが浮かんでいた。
ネアは窓から身を乗り出して地面までの高さだとか枝までの距離を目測しだした。普通なら到底レヒテの様な動きもできないのであるが、何故か、身体が(これぐらいなら問題なく飛び降りられる)と告げているように感じられた。この身体になってからまだ思い切って身体を動かすということはしていないものの、お館様を庇った時の瞬発力などから考えると、この身体の声は思い過ごしとも思えなかった。
【試してみるか】
意を決して、ネアは2階の高さの窓から飛び出した。風を切る音が良く聞こえる、回りの動きが少しばかりゆっくりに進んでいるように感じられる。風圧でまくれ上がるスカートを気にすることなく、ネアは高所から飛び降りたネコのように両手両足を大地に着けるような格好で降着した。
「まるでネコみたい」
小さく手を叩きながらレヒテはニコニコしていた。
【ネコみたいって、自分は猫族の獣人だから、少なくとも、ラウニやフォニーよりソレらしいかも知れないけど・・・】
ネアはレヒテの言葉になんとなく釈然としいないものを感じながら、手の肉球についた土をはたきながら
「お嬢、危ないです。怪我したら大変なことになります」
先ほどのレヒテの行動に抗議するが、自分も同じようなことをやらかしているのでその言葉にあまり説得力は感じられなかった。
「あの衛士たちに気付かれずに食堂に侵入するよ」
中庭には、3名程の警備の兵士が腰につった剣の柄に手をかけながら、ゆっくりと巡回しているのが見えた。レヒテはさっと庭の植え込みに身を低くして隠れるとネアの手を取ろうとしたが、手には手が届かず
「!っ」
ネアの先が白くなっているほっそりとした尻尾を掴んで引っ張った。脊髄をいきなりつかまれ、引っ張られるような激烈な刺激を受けたネアは悲鳴を上げそうになったが、お嬢の遊びを台無しにすることを恐れたため、何とか歯を食いしばって耐えぬいた。
「隠れないと見つかるよ」
レヒテは手で身を低くするようにネアに指示した。ネアはしぶしぶその指図に従い、レヒテの隣に身を置くと
「尻尾を掴んだり、引っ張ったりしないで。とてもいたいから」
もっと抗議の言葉を発したかったが、口にできる語彙は限られているため、思いが相手に伝わっているかは不明だった。
【フォニーも時折引っ張られるって文句を言ってたな。それにしても、尻尾を引っ張れられるというのは、なんとも気持ちがいいモノじゃない。厄介なものを身に付けたもんだよ】
「ごめんね、でも、あのままだったら見つかっちゃうから」
反省しているのか分からないが、取り敢えずレヒテは謝罪の言葉を口にした。
「先輩、お嬢が・・・」
植え込みの辺りでなんだかごそごそしている存在を確認した新入りの衛士が先輩にそっと告げた。
「ああ、いつもの間者ごっこだよ。あまりにも危ないことをしでかしそうだったら止めればいいが、そうじゃなかったら気付かない振りをしろ」
先輩の衛士は植え込みのほうを見もせず、後輩の衛士に小声で答えた。
「いいんですか」
「いいも、悪いも、こちらが声をかけて相手が驚いて怪我でもされたらかなわんし、それに、見つけると暫く機嫌が悪くなられるからな」
先輩の衛士はため息をつきながら答えた。
「いつものことさ。それにしても、新入りのネコの娘、かわいそうに・・・。付き合わされて・・・」
彼は、ちらりと横目で目を光らせてこの場を楽しんでいるお嬢と、その後ろで戸惑っているネコの少女を見て、思わず女神様に手を合わせそうになった。
「衛士たちが行った、今がチャンス」
レヒテは植え込みから小走りに物陰を伝って食堂に入ろうとした。その動きはやはり、同年代の少女の動きとは思えなかった。そのトンでもない行動に影のようにネアは付いていくことしかできなかった。
「ネア、初めてにしてはいい動きね。流石は獣人ってとこかしら。じゃ、これより内部に侵入するよ」
「お嬢、気をつけてください」
ネアに言えることはこれぐらいしかなかった。危険なことをするお嬢を止めることもできず、ただ後ろについていくだけの無力感、何かあった時を考えると沸き起こる不安感、そして遊びの邪魔をしてはいけないという妙な責任感、それらがごちゃ混ぜになってネアにのしかかっていた。
「誰もいない・・・」
食堂の裏の通用口から中に入ると人影は見えなかった。レヒテはそれを確認すると足音立てずにそっと調理室に向かった。その後を同じようにネアが付いていく。
【もう、共犯者だよ・・・】
ネアは眉間に縦皺がよるのを感じつつ、無力感を充分に味わっていた。
レヒテがそっと調理室の扉を開けると中は、夕食の準備で大童であった。その喧騒に紛れてさっとレヒテは野菜が詰まった箱の影に身を隠すとネアを手招きした。
「あのテーブルの上にマフィンが二つ見える?」
レヒテの問いかけにネアはレヒテが指差すテーブルを見た。そこにはテーブルの端からマフィンの上の方がちらりと二つ見えていた。
「見える・・・」
「あれを頂くの」
【つまみ食いかよ】
思わず突っ込みそうになるが、そこはぐっと堪えた。危険を冒して部屋を出て、衛士の目を盗んで前進したその目的は、つまみ食いである。壮大なつまみ食いの行動にネアはため息をついた。
「・・・料理長、ヒメネズミが・・・」
スープの鍋をかき回していたドワーフの若者が野牛を思わせる獣人の料理長に小さく声をかけた。
「今日は、何を献上するんだ」
お嬢が潜んでいる辺りを敢えて見ずに料理長は声をかけて来た若者に尋ねた。
「マフィンです。お供をさせられている子の分もあります」
「でも、今日はネズミじゃなくてネコですけど・・・」
「新入りの子か、ま、ここでの洗礼みたいなもんだ。気付くそぶりは見せるなよ」
「承知しました」
物陰の二人が知らぬところでこのつまみ食いの計画は露呈していたのであった。
「待っててね」
ネアにそう声をかけるとレヒテは物陰からさっと飛び出して、疾風の速さでマフィンを手に取ると飛び出した時のようにさっとネアの隣に戻ってきた。
「ブツは手に入れたから、撤収するよ」
二人はこそこそと調理室を出て、敢えてこちらを見ない衛士の目を盗んで、何とかレヒテの部屋の下に辿り着いた。レヒテはやっとの思いで手にしたマフィンを注意深くポケットにしまいこむと、さっと木に飛びつき、サルの様に器用に体を使ってさっさと部屋に戻っていった。そして、窓から顔を出すと、またネアに手招きした。
【どうやって上るか・・・】
ネアは2階の窓を見上げながら考えた。お嬢のように木から飛び移るか・・・、本来ならソレしか行動方針は無いのであるが、またしても身体からこの高さなら大丈夫、と訴えかけてくる。
【試すか】
ネアは窓を見上げ、その高さを目測した。そして、身体を屈めると、全身の筋力を使って飛び上がった。自分でも信じられない位の跳躍力であるが、それでも一足で窓には届かない、最高点に到達したところで手と足を使って壁をけってポイっとレヒテの部屋に飛び込んだ。
「身のこなしが軽いフォニーですらできないことをするのね。本当にネコみたい」
ネアの身のこなしにレヒテは感嘆の声を上げたが、真人であの動きができるレヒテの方がすごいだろ、とネアはまたしても突っ込みたくなるのを必死で堪えた。
「今日の報酬だよ」
レヒテはニコニコしながらポケットからせしめてきたマフィンを一つ取り出してネアに手渡した。
「お嬢の分だから・・・」
ネアはレヒテにマフィンを返そうとしたが、レヒテは頑としてそれを受け入れなかった。
「私の間者ごっこに付き合ってくれたお礼よ。ただ働きはさせないから。それに、一人で食べるより、二人で食べたほうがおいしいから」
レヒテは、大口を開けてマフィンにかじりついた。
「甘ーい、おいしい。ネアも食べて」
盗んだものを口にするのは聊か気が引けるが、ネアはレヒテの促すまま手にしたマフィンにかじりついた。一口かじると素材の素朴な甘さが口中に広がった。飾り気はないが、それがますます素材の持ち味を引き出している、至高の一品に感じられた。
「苦労して手に入れると、おいしいのよね」
レヒテはニコニコしながらネアに語りかけてきた。
「そうかも・・・、間者ごっこも終わりましたから、ちょっと今日のおさらいを・・・」
ネアは口の周りに付いたマフィンのカスをピンクの舌でくるり舐めとってから、机の上の勉強で使った本を手にした。
「ネアって、変にマジメね」
レヒテはベッドの上に腰を降ろすとそのまま上向けに寝そべった。
「1年って何日なの?」
ネアはこの機会にこの世界の子供、あまり勉強が好きで無い子供でも知っているような常識を吸収しようと思ってレヒテに問いかけた。
「300と60日よ。そして、月だと12、ひと月は30日」
レヒテは寝そべったまま面倒臭そうに答えた。
「1月から12月?」
ネアはレヒテの答えから新たに問いをつくった。
「なに、それ、春の初めの月、春の盛りの月、春の終わりの月、夏の初めの月・・・って、四つの季節は三つの月からできてるし、それに今日は夏の終わりの月の10日よ」
ネアはこの世界に来てから初めて、今日が何日であるのかと言う基本的なことを知ることができたのであった。
「一月は、五つの週からできてる、週は黄曜、赤曜、青曜、緑曜、茶曜、黒曜の六つからできているの。ひょっとして、ネアこんなことも・・・・」
レヒテはガバっ身を起こしてネアを見つめた。ネアはそれに答えるように小さく頷いた。
「トイレの使い方が分からないのって冗談と思ってたけど・・・」
レヒテはしげしげと穴が開くほどネアを見つめた。ネアは穴があれば入りたいような気分に陥っていった。
「まさかとは思うけど、オシッコの仕方も分からないとかないよね」
ネアはその問いかけに引きつった笑顔を浮かべながら首を振って否定した。
「それならいいけど・・・」
気を取り直してネアが次の質問をしようとした
「一年はいつから・・・」
しかし、言葉が終わらぬうちに扉がノックされ、ラウニが入ってきた。
「お嬢、夕食の時間です。支度してくださいね。ネア、帰るわよ」
ラウニは淡々と告げるとネアの手を引っ張りながら頭を下げてレヒテの部屋から退出した。
「いろいろと大変だったようだけど、あれが日常だから。くれぐれもお嬢が怪我しないように注意してね。私も思いっきり振り回されたことがあるから・・・」
自分たちの居室に向かいながらラウニがネアに労いの言葉をかけた。
「ところで、今日の報酬はなんだった?」
ラウニは間者ごっこも良く知っているようで、にこにこしながら尋ねてきた。
「マフィン、おいしかった」
「良かったね」
手を引かれながら居室に戻るネアは、随分昔に感じたような優しさを思い出していた。
駄文にお付き合い頂き、感謝しております。
この先、ネアは冒険者にも勇者にもなれないでしょう。
勿論、ギルドで絡まれて・・・と言うおいしいイベントもありません。
この世界では、ネア程度の身体能力は珍しくありません。