194 ズレ
なかなか、流行病が退かず、うつうつとした日々が続きますが、
このお話が少しでも、気を紛らわせることに役に立ったなら幸いです。
ネアたちが、年迎えのお祭りの準備に忙殺されている頃、コデルの郷の都に作られた正義と秩序の実行隊の営舎では、一日の訓練(エイディの思い付きによる扱きと言うか、虐めを訓練と呼ぶならばではあるが。)を終えて、隊員たちは一息つく暇もなく、装具などの手入れを黙々と行っていた。
「用事があるんだろ。当番は代わるよ。待たせているんだろ、でも、楽しむのもほどほどに」
日が落ち、ランプの明かりを頼りにロブは訓練で使用した鎧を拭きながら、そわそわして、外ばかり見ている同僚に声をかけた。
「すまん。恩に着るよ」
声をかけられた青年は、鎧の手入れもそこそこに、私服に着替えるとさっさと営舎を出て行った。そんな彼の背中を眺めてロブは口元に笑みを浮かべた。
「杭打ち」のロブこと、11番はその成績から正義と秩序の実行隊に抜擢された青年である。そんなに背は高くないものの、日々の訓練でがっしりとした筋肉質な身体を持っていたが、仲間内では気さくでもの物腰が柔らかい事で知られていた。
「あー、汚れたままだ」
先ほど出て行った「草原」のバイスこと16番が手入れした鎧を見てロブは苦笑を浮かべ、手入れの終わった自分の鎧を所定の場所に髪の毛単位の正確さで格納すると、バイスの鎧を磨きだした。彼は16番の鎧が汚れていると見ているが、何もバイスが手を抜いているわけでもなく、普通より少し力を入れた手入れが為された状態であった。しかし、彼には小さな汚れも許せなかった。彼の身の周りは生活感が感じられないぐらい整頓されており、全てのモノが秩序立てて正確に配置されていた。彼のベッドの上に敷かれたシーツにはしわ一つなく、髪の毛一本も落ちていなかった。これが、彼の普通であった。彼は、ルームメイトのバイスの鎧の手入れが終わると、それをまたきっちりと格納した。
「大雑把だなー」
傍から見れば、十分すぎるぐらいきちんと整えられているバイスの整理、整頓状況にロブは眉をひそめた。彼にとって全てが秩序だって、整然と存在することが普通であり、それが為されていないとどうも落ち着かないのであった。この事については、バイスが同僚にロブが神経質すぎて息が詰まるとこぼしているぐらいであった。ロブの生まれは定かではない、両親どころか兄弟すら知らず、物心ついた時には教育施設にでせいかつしており、来る日も来る日も剣や格闘の修行と一般的な勉学、そして正義についてみっちりと叩き込まれて、今まで生きたきたのであった。彼にとって、正義を実行し、過ちを正すことが何よりも優先される事項であり、そのため遊びや恋愛などは概念として持ってはいても、実感など全くなく、辞書の中の乾燥した言葉と同じだった。そんな彼には、訓練付け、しかも現隊長のエイディの思い付きが加味された訓練も大して苦にはならなかった。彼には、正義を為すこと以外に興味がなかったからであった。これは、何もロブに限ったことではなかった。白と赤の鎧を身に付けているほとんどの隊員は多かれ、少なかれロブと同じような身の上だった。
「・・・」
従卒が2人が後方に控える自室の中で、つまらなそうな表情を顔面に貼り付けたまま、エイディは酒を呑んでいた。彼にとってつまらない状況になっているのは、彼が属する正義と秩序の実行隊の性格に原因があった。
「つまらんな」
エイディをしてこの言葉しか出てこないのは、常に正義と秩序の実行隊の隊員は品行方正な行動が義務付けられており、清貧が推奨されていたためである。このことは、隊長を名乗っているエイディも例外ではなく、正義と秩序の実行隊の隊員の数が50名を超えた時、行動の基準として彼らのスポンサーである、コデルをはじめとした郷の連合とモンテス商会から行動の基準が明文化され、規則となったものが彼らにつきつけられたのである。他の隊員については何も問題の無い事であったが、派手な事が好きであり、気分のままに人を痛めつける趣味を持っているエイディには堅苦しすぎる規則であった。本来なら、無視して好き放題する所であるが、勘当され、サボトの次期郷主の地位を失ったかれには、他に行く所もなく、この規則を守るしかなかった。規則から外れた者の処分は最悪で死罪であり、軽くても除隊であった、これはエイディをどんな言葉よりも縛り付けるモノであった。
「酒が切れた・・・」
エイディは空になった酒瓶を投げ捨てると従卒の方に顔を向けることなく呟いた。それを聞いた従卒の一人はは新たな酒瓶をエイディに差し出し、もう一人は投げ捨てられた酒瓶を速やかに回収していた。
「女を呼べ」
酒をグラスに注ぎもせず、そのままラッパ飲みしながらエイディが吠えた。
「規則に反します」
「みだりに婦女と交わることは認められておりません。それが、商売女であればなおさらです」
従卒は表情も変えずに機械のように反論した。
「くっ」
エイディは背後の2人を殴りつけ、殺したい要求に駆られたが、歯を食いしばってその要求を抑え込んだ。こんなことで、騒ぎを起こしたら、どうなるのか、彼はそれを恐怖していた。当初は、彼を信隊長として持て囃したナトロも、彼の行動と彼にかかる経費が馬鹿にならないことを悟ると、その対応がしぶくなるのに時間はかからなかった。
「なんで、こんな所に・・・」
当番をロブに後退してもらったバイスは、コデルの都の片隅にある小さな酒場にいる1番ことマデルの姿を見つけると駆け寄ると、辺りを見回して眉をひそめた。その店は小汚く、マテグと少数の客は誰も金を持っているように見えなかった。
「営舎では、ちょっとな・・・」
マテグはちょっと言い淀んでバイスに席に着くように勧めた。
「単刀直入に聞く。お前は0番、エイディに付いて行けるか」
じっと16番の顔を見つめながらマテグは尋ねた。
「あの・・・、それは・・・」
需要な話があるとだけ聞かされ、呼び出されたバイスはいきなりの問いかけに面食らい、言葉を詰まらせた。
「毎日、思い付きで課せられる訓練、規則が無ければ何をしでかすか分からない。そして、何かあった時、責任をアレが取ると思うか。俺たちに擦り付けるのは目に見えている。物事がヤバくなればなるほど、危険な事を擦り付けてくると俺は睨んでいる」
マテグの言葉にバイスは息を呑んだ。確かにあの0番が頭にいる限り、アレに良いように使われて、最後は命を落とすことは、彼に否定しきれなかった。
「確かに、俺も、薄々そんな気はしています。正義のためにこの身命を捧げるのは構いませんが、0番に捧げる気にはなれません」
バイスはそう言うと、じっとマテグを見つめた。そして、いきなり気配を感じ、驚いたような表情を浮かべた。
「ご注文は何になされますか」
バイスは、気配の主が、注文を取りに来たウェイターであったことを確認して、小さな安堵のため息をついた。そして、静かにウェイター軽い飲み物を注文した。
「俺たちは、英雄様の手足となるようにと、名を返上する代わりに、正義と秩序の実行隊の隊員と言う名誉と鎧を与えられた。しかし、今は、どうだ。英雄様は単身で悪党を討伐されている。エイディと言えば、あちこちの町や村を巡回して、気に入らなかったら暴れる、それだけだ。あれだと、山賊と変わらない。俺は、山賊になりたいわけじゃない」
マテグは怒りを込めて口にすると、酒の入ったグラスを煽った。
「俺も、同感です。今の正義と秩序の実行隊は、0番の私物と化しています。由々しき事態です。ナトロ様にこのことを・・・」
バイスはマテグの言葉に自分の思いで答えた。しかし、マテグが最後まで彼に言葉を続けさせなかった。
「俺は、英雄様の親衛隊を作るべきだと考えている。0番と袂を分かつつもりだ。元々、俺たちは親衛隊なんだからな。お前には、俺の考えに賛同し、親衛隊に入りたい奴を募ってもらいたい。俺は何かと、0番に目をつけられているからな。誰にも気づかれずに、そっとやってくれ。それと、お前と同部屋のヤツみたいなのは、声をかけるなよ。あの手は、ややこしいからな」
マテグはバイスに同室であるロブに注意するように促した。
「アイツは、何か、違うんですよね。何を考えているのかさっぱりです。人当たりはいい感じなんですが、口にすることは教科書みたいな、理想的なモノばかり、行動も気持ち悪いぐらいに教科書とおりなんですよね。私みたいに、志願して入隊した組とは、どこかが違います」
バイスは、ニコニコしながらも、その行動が常に、教科書とおりな同居人を不気味にすら感じていた。
「ああ、あいつらは、施設の出身だからな。詳しい事は、言えんが、ああいう行動が骨の髄までしみ込んでいるんだ。他の事は何にもない、ひょっとしたら私心すらないかも知れん。だから、理不尽であっても上官の命令に従うことは、彼らの正義なんだ。俺たちとは相容れない存在だ」
マテグは渋い表情をして、自分が一時期指揮を執っていた部下たちのことを思い出していた。彼らは顔かたちこそ違うが、いう事為す事には違いがないような者たちであった。指揮を執っている間もマテグは彼らが人とは違う者ではないかと訝しんでいたぐらいであった。
「元の状態に戻そう」
マテグは辺りをみまわしてから、声を潜めて己の思いをバイスに告げた。
「元の状態?」
「英雄と導きの乙女に仕える。如何なる時も彼らの傍に在り、に。但し、11番みたいな施設出身者は除いてだ」
マテグの言葉にバイスは暫く考えた。そして漸く口を開いた。
「私も、いかなる時も傍に在ります」
「静かになったもんだ」
彗星は一人部屋の中で、酒を煽っていた。最近、彼を英雄だと崇め奉る連中が少なくなり、いつの間にかあの崇め奉っていた連中は、エイディに熱い視線を送るようになっていた。そして、ハイリすら彼の元に以前のように現れず、気づけば正義の光の布教に飛び回っている様であった。以前は、私的にも公的にももてなしてくれたナトロも軸足をエイディに移したようで、最近はあまり顔を合わせることも少なくなっていた。これは、なにも彗星の能力が足りない、務めを果たしていないのではなく、絵面の問題だった。年ごろの女性が10人居れば、11人が振り返るような美男子であるエイディとどこから見てもパッとしない彗星であれば、民衆への露出の機会が自ずと変わってくるのは致し方無い事であった。
「見た目が九割なんて話じゃなくて、十割か・・・」
薄暗い部屋の中で自嘲的に笑うと、ぐいっと酒を煽った。
「必ず、こうなるんだ・・・」
この世界に来て、圧倒的な力を手に入れ、英雄の名を手に入れ、ハイリと言う女を手に入れた。前の世界で決して手にできないモノを手に入れた。そして、今、手にいた者は、手で掬った水がこぼれるように彼の手から、こぼれ落ちているようだった。世界が変わっても結局は何も変わらないことを彼はひしひしと感じていた。
「経理が杜撰としか言いようがない。こんなのじゃ、いくら経費があっても足りない。会計の報告書すら正確じゃない。スポンサーの郷にどう報告するんだ。今回は、何とかでっち上げたが・・・」
ドゥカは彗星をはじめとした正義と秩序の実行隊に関わる費用について、それぞれが勝手に要望してくる金額と、もやっとした費用の使用状況について頭を痛めていた。
「しっかり、やっている事もあるんですが、書式がてんでバラバラで、正式な形に直すのに時間がかかります」
部下の一人が、全てを諦めたようにうんざりした表情を浮かべて愚痴を吐いた。正義と秩序の実行隊の実質的な経理を担当しているモンテス商会コデル支店のあちこちで、杜撰な書類やら経理の尻ぬぐいのために店員たちは疲れ果てていた。勿論、支店長のドゥカも例外ではなく、ほとほと疲れていた。現場の隊員たちは経費については何にも考えていない、それどころか、経費が足りないのは正義に悖ると怒りだす始末、彼らを支援している郷においても、払った金がどの様に使われているか、細かく知りたい、場合によっては支援の打ち切りも検討する、と息巻いて来る始末。挙句の果てには商会の上層部からは最大限支援しろ、と他人事のような指示がだされる。
「キツイな・・・」
ドゥカは自ら経費の計算をしながらこぼしていた。この調子では、いつ店の者がぶっ倒れても不思議ではないどころか、店員を含め自らの命の危機すら彼は感じていた。
「このままじゃいけない。手続きを整理しないと・・・」
請求や使用した実績の報告を求めようにも、細かな書式から、それを実行させる権限、細かな手続きを創り上げなくてはならない、しかし、ドゥカの手は目の前のいい加減な書類と杜撰な計算の訂正とそれらをまとめて何とか形にすることに全て使われていた。これ以上何かをする力は、そんなに残ってはいなかった。彼にできることは南部の郷を一過して統括する南部支部に助けを求めるぐらいだった。
「・・・」
追い込まれた彼にできるのは、疲れている部下を叱咤激励するぐらいだった。
「金喰い虫とは、このことかよ」
ナトロはモンテス商会からの寄付金の名を持つ請求書を見て不満の声を上げていた。
「どこかで、漏れてるんじゃないのか」
南部の郷がいくつか集まって、金を出し合って英雄と正義と秩序の実行隊を養っているわけであるが、これにかかる費用がコデルのそう多くはない予算にそれなりに響いてきているのであった。そして、払った金がどのように使われたのが、ふんわりしすぎていて彼としては納得しかねる状態であった。
「俺たちが実質的な面倒をみているのに、他の郷と一緒の負担とは・・・」
ナトロは示された金額から、人件費、建物の使用料、食費、その他諸々を計算して合算した分を、示された金額から差っ引いた分しか払わない、と請求書の出所であるモンテス商会に返信の手紙を書き出し始めた。
「正義を求め、正義に生きる生活をしていれば、自ずと秩序が保たれます。小さな悪を見逃してはなりません。見逃すことが悪なのです。例え、それが誤りから生じたことであっても、家族、恋人、友人であっても変わりません。悪と付き合えば、正義はそれだけ遠ざかります。秩序は永久に保たれません」
ハイリは、宗教的な物を一切破壊しつくした、元大地母神メラニの教会の中で地元の人々を呼び寄せて説教をしていた。本来なら聴衆は寝ている時間であるが、ハイリはそんなことお構いなしに彼らを呼び寄せた。もし、ここに来ていない者がいれば、その存在を悪として糾弾する、と事前に脅していたことが功を為したのか、元教会の中は人で溢れかえっていた。
【彗星様・・・】
熱心に言葉を吐き散らかしているハイリの胸中は彗星の事で占められていた。彼女はできることなら、少しでも彗星の傍にいたかった。しかし、彼女の与えられた指示は、コデルでの布教であり、彗星との関係をさらに盤石にするというモノはなかった。最近のハイリは、中央から命じられることと、己の心が欲することの相違に戸惑っていた。彗星と会う以前であれば、自分の為す事は指示に従うことに、何の疑問も嫌悪を抱くことはなかった。仮に、死ね、と指示されたなら、躊躇わずに死んでいただろう。それが、彗星と深く関わっているうちに、変わってきたのである。
「正義は一つしかありません。それ以外は唾棄すべき悪なのです。正義に関して誤ることは許されないのです。小さな悪はその内、巨大な悪に成り果てます。悪は見つけ次第、叩き潰すべき存在です。情けはいりません。もし、悪に情をかけたなら、その時点で悪になります」
熱弁を振るう度に、聴衆に仕込まれたサクラが賛同の言葉を叫び、それに釣られて聴衆も熱を帯びた声を上げる。会場は熱くなっていくが、彼女の心はどんどんと冷めて行くように感じられた。
【どうして・・・】
彼女は、彼女自身が正義の妄信者から熱心な信者に変わっていっていることに気付いていなかった。
「橋に使う釘とネジの材質が同じとは、納得いかない。どうして、こんないい加減な仕事を・・・」
深夜、ルーテクは執務室で書類を吟味していた。挿げ替えが必要とされている橋の書類に不備を見つけて彼は神経質そうに顔をしかめた。
「文字がずれている・・・」
彼は、髪の毛数本下の方向にずれた文字を見つけて嫌悪の表情を浮かべた。そして、新たに発見した問題点に赤いインクで次々とダメ出しを書き込んでいった。
「秩序もなにもない・・・。うわっ」
彼は、自分の文字が少しズレてしまったことに気付いて悲鳴を上げた。
「何事ですか」
部屋の前で待機していた衛兵が彼の執務室に飛び込んできた。それを見て彼はまた悲鳴を上げた。
「汚れる。入るな。・・・汚れてしまったではないか」
ルーテクは飛び込んできた衛兵を遠くから睨みつけて小声で呟くように叱責した。彼は汚れたと喚いているが、飛び込んできた衛兵の身なりは気持ち悪いほどきれいで、身に付けている防具も武器も鏡のように磨き上げられ、衛兵自身も髭の剃り残しすらない状態で実際は汚れていないのであるが、他者が侵することは、ルーテクには汚れることと同義であった。
「掃除させるんだ、早く、早く、私は風呂に入る。着替えも準備しろ。早くするんだ、早く、早く、早く・・・」
ルーテクはぶつぶつ言いながら、背後の私室に通じる扉を開け、姿を隠してしまった。
「・・・」
衛兵はため息をつくと、呪われたようにきれいで、整頓された部屋から出て行き、ゆっくりと眠っている清掃や浴場を担当する侍女たちを起こしに行った。
「恨まれるんだよな・・・」
折角の睡眠をぶち壊された侍女たちの怒りは、ルーテクに向けるわけ行かず、結局、この衛兵に向かうのである。そのことを十分に承知していても、彼は、心の中に雨雲の様なもやっとしたモノがどんどんと大きくなっていくのを感じていた。
思想が先鋭化するほど、少しの違いであっても糾弾すべき対象になるようです。
正義の光の思想もそのようです。そして、悲しい事に思想を語るだけでは、なかなか生活できません。
正義の刃を振るうにも、お金がかかるのです。
人類の最大の敵はひょっとすると貧乏なのかもしれません。
今回も、この駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。