184 狼煙
何かと慌ただしい季節になってきました。しかし、持続こそ力なりとエタらないようにと続けられたらいいなーと、温く思っています。
「俺は忙しいと言っているだろう」
トバナは、年迎えのお祭りの準備がそろそろ始まり、街がざわつきだした日の昼下がり、いつもの修飾語だらけのワーナン支部への報告書を作成している時に部下から、彼に子供の来客があるとの報告を聞いて、不満そうな声を上げた。
「誰もアポイントメントを取ってないだろ。しかも、ガキなんて知らん。帰ってもらえ」
トバナは追い払うように手を動かして部下に命じた。
「それがですね。桔梗についてお願いしている者だって言えば分かってもらえるって言ってるんですよ。あ、そうだ、おじい様の機嫌が悪くなりそうだとも言ってましたよ」
その言葉を聞いた途端、トバナはその場に立ち上がった。
「早くお通しするんだ。それと、お茶と茶菓子を準備しろ」
トバナの言葉に部下は弾かれたように扉を閉めて、トバナに会いたいという人物のもとに駆けて行った。
「信じられん話だが、あのお客にお茶と茶菓子を出してくれって、アイツが言ってたぜ」
湯茶室でたわいもない雑談に耽っている女性社員に彼は声をかけると、来客を迎えに行った。
「天変地異の前触れかしら・・・」
「今まで、誰も聞いたことない話だよね、でも、来客用のお茶菓子なんてないよ」
いきなり、今まで聞いた事の無い事を命じられた2名の女性社員は驚愕と軽いパニックを覚えていた。
「お店にあるものを使おうよ」
「それがいいね」
彼女らは急いで店先にお茶と茶菓子を物色するため出て行った。
「どうぞお掛けください。お茶は今、準備させていますので」
トバナは、大きなカバンを持ち、ニットの帽子にマフラーで顔が半分隠れ、着ぶくれてモコモコした子供を部屋に通して、もみ手しながら、来客用としては聊か草臥れたソファーを手で指した。
「お茶はいいんです」
その子供はそう言うとニットの帽子とマフラーを外した、そこから現れたのは真っ白な猫族の少女の顔だった。彼女はそのままソファーに腰を降ろすと、手にした荷物をテーブルの上に置いた。
「失礼します」
その時、ドアがノックされた。少女は慌てて帽子をかぶり、マフラーを巻き付けた。先ほど湯茶室にいた女性社員が2名、慣れない手つきでカップを少女とトバナの前に置くとお茶を注ぎ、もう1名は安っぽいお菓子の入ったボウルをそっとテーブルの上に置いた。
「では、ごゆっくり」
少女は彼女らが退室するのを見届けると、再び帽子とマフラーを外した。
「トバナさん、私たちがお願いしていたことを覚えていますよね。まさか、私の名前も覚えていないなんてことはありませんよね」
少女は、そんなに暑くもないのにしきりに汗を拭うトバナを睨みつけながら静かに声を出した。
「まさか、忘れたりするもんですか。「桔梗」のミーファさん。「地割れ」のゴーガンさんはお元気でしょうか」
さらに汗を拭いながら答えるゴーガンをミーファは冷たい目で見つめるとテーブルの上に置いたカバンの上に手を置いた。
「祖父は元気ですよ。いつでも〆る準備はできていると申していました。挨拶はここまでです。こんなつまらない事に時間を費やしたくないでしょ。・・・おじさん、手を抜いているでしょ」
ミーファは刃物を突き刺すように鋭くトバナに問いかけた。
「ま、まさか、私はいつも・・・」
「言い訳は聞きたくありません。今日ここに来たのは、おじさんのつまらない言い逃れを聞くためではありません。このままでは、おじさん・・・、確実に〆られますよ。でも、おじさんがいなくなったら、真人になる方法を最初から探すことになります。ここに来たのは、祖父には言っておりません。私からおじさんへの依頼料を新たに払うためです」
ミーファはそう言うとカバンを開いて中身を取り出し、テーブルの上に並べた。
「あのう、それは・・・」
トバナはてっきり現金が出されるモノだと期待していたが、出てきたモノは書類であった。
「私は、モンテス商会が正義と秩序の実行隊のスポンサーであることを知っています。そして、その正義と秩序の実行隊は今、どんどんと大きくなろうとしている。間違ってませんよね」
トバナはミーファの言葉にただ汗を拭いながら頷く指揮できなくなっていた。
「おじさんに、お金じゃないけど、出世できるチャンスです。これは、大きな組織を運営する時の決まり事を書いたものです。おじさんのお店でも社員のお給料と、このお茶をひとまとめにして会計なんてしていないでしょ。正義と秩序の実行隊はたくさんの郷がお金を出し合っているんですよね。そして、おじさんの商会も。そこで、いい加減な会計なんてしていたら、郷の間でもめ事が起こるでしょ」
ミーファは会計について事細かに書かれた書類を手にしてみせた。それはトバナの拳を優に超える厚さがあった。
「これは、お金を使う時の手続きのやり方、これは、お金を管理する組織、これは、お金を使う物の種類、お皿から馬の飼葉まで」
それぞれが見事な分厚さであった。
「こ、これを私にどうしろと・・・」
ずらりと並べられた書類を前にトバナは混乱していた。さっと見た限りではとても飲み込めそうにない複雑なことがずらり書き並べられた書類を前にただ汗を拭うだけだった。
「おじさんがこれを理解して実行できるなんて、思っていません。これをモンテス商会の偉い人に見てもらうんですよ。正義と秩序の実行隊を真に秩序ある存在にするために必要なモノだとして」
ミーファは秩序と言う言葉を強調した。
「・・・給料の支払いにもこれだけの・・・、モンテス商会ですらここまで細かくは・・・」
「秩序を維持するためには必要な事です。これができない様では、穢れの集団と同じになります。私はこれを祖父に進言したのですが、却下されました。こんなことでは、我々の組織も穢れの集団と同じです。これを正義と秩序の実行隊が実践され、モンテス商会も実施しているとなれば、あの頭の固い祖父も考えを直すでしょう。これは、おじさんのためであると同時に、私たちのためにもなるんです」
戸惑うトバナにミーファは畳みかけるように言葉をかけた。
「おじさんがこれを進言したら、きっと商会の偉い人もおじさんに何かご褒美を下さると思いますよ」
ミーファはにっこりとするとトバナを見つめた。
「おじさんが偉くなると、それだけ情報が手に入る。その中にきっと真人になれる情報もあると思います。これが、私からおじさんへの報酬です。いらないなら、これ持ち帰ります」
ミーファは戸惑っているトバナを尻目に書類の束をカバンに仕舞いだした。
「ま、待ってくれ、それは、金の卵だ、それらはきっと私たちの大きな力になる。これがあれば、私はきっと、絶対に真人になれる方法を探りだして見せましょう」
トバナは立ち上がり、役者のように見得を切ってみせた。
「その言葉、覚えておきます。これで、もし・・・、そうなってしまえば、私でもおじさんを庇いきることはできないから。・・・精々〆られないようにね」
そう言うとミーファは立ち上がり、帽子を目深にかぶり、マフラーを巻き付けた。
「そのお菓子、おじさんのお店にあったものだよね。ちゃんと会計しておかないと無秩序になるよ」
ミーファはそう言い捨てると書類の詰まったカバンを残して、トバナの部屋からさっさと出て行った。
「いい加減な事をして・・・」
トバナはテーブルの上に手も付けられず放置されている茶菓子を見て怒りの表情を浮かべていた。
「なるほど、意思決定に時間を取らせたり、全てを書類化か、それも王都好みのゴテゴテしたやつに・・・」
ミーファがトバナの元に顔を出す十日ほど前、ボウルの店で開かれている会合の席でネアは手にした黒板に組織運営をいかにお役所的にするかを書き並べ、それを見たご隠居様は呆れた様な驚いたような声を出した。
「すべての業務を馬鹿正直に、誰もが文句言えないように、きっちりと実行させるように強制できる組織に造り上げるんです」
ネアの書いたものは、硬直化した組織が抱えがちな問題であると同時に、それが正しいとされる運営の仕方だった。
「これを彼らの背骨にするんです」
「これだと、今、彼らの最大の後援者とされるコデルの郷主に気に入られそうですな。彼の性格にまさしくうってつけですぞ」
ネアの提案を聞いてコーツが面白そうな声を出した。
「自分たちで自分たちを縛り付けるのですね。我々の組織もそうならぬように気をつけないといけませんね」
ヴィットは隣で苦い表情を浮かべているガングに囁いた。
「そんな考えだと、騎士団なんて半身不随になるぞ。訓練すらできんようになる・・・」
ガングには、ネアの提案したお役所手続きの煮凝りみたいな組織運営は到底受け入れることはできず、それを強制される、まだ見ぬ敵に小さな同情すら感じていた。
「そこで、私から両騎士団長にお願いがあるんです。会計や訓練についての規則を書類にしてもらいたいんです。それも、馬鹿な正直者がこれでもか、これでもかと親の仇のように秩序の維持を押し付けるような。指揮官として、面倒な事を片っ端から実施させるような」
ネアはガングとヴィットに頭を下げて頼み込んだ。
「我々の組織がそうならぬようにするという、勉強になるな。よかろう、作らせよう」
「組織をいかに運営するかの資料になりますよ。喜んで作らせてもらうよ」
ガングとヴィットはネアからの申し出を快く引き受けた。
「これが、我々の最初の反撃だ。地味すぎるかもしれないが、上手くいけば、確実に彼らを蝕んでくれる。ボクからもお館の運営から関係する様な事を規則にさせてみるよ。できるだけややこしく面倒臭くなるようにね」
ご隠居様は朗らかに言うと、さっと立ち上がった。
「彼らの知らない所から、我々の細やかな反撃が届くことを祈念して」
ご隠居様はそう言うともう温くなってしまったお茶の入ったカップを捧げた。
「乾杯っ」
その場にいた者は皆お茶で乾杯し、そして笑いあった。
「剣も矢も使わぬ攻撃か、面白いことを考え付くもんだよ」
「血は流れませんが、確実に戦えない組織なるでしょうね」
両騎士団長は互いに顔を見合って、組織が陥りがちな問題について改めて認識していた。
「背骨が腐っていたら、どうしようもできませんからね。最初に根付けば、腐った組織になるはずです。でも、これが受け入れられなければ・・・、でも、これが上手くいけば、彼らの活動する速度が落ちるはず・・・」
「時間は貴重だからね。時間とともに強くなることができる。準備ができる。仮に失敗しても、血は流れない。やる価値は十分にあるよ」
ネアが少し心細げに言った言葉にご隠居様は明るく言い放つとネアの頭を優しく撫でた。
ネアたちの反撃の第一撃ですが、あまりにもがっくりな攻撃になってしまいました。しかし、どんな組織でも決定に時間がかかりすぎたり、いらない書類が増えると動きは硬直化していきます。ある意味、内部から蝕む恐ろしい攻撃です。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク、評価を頂いた方に感謝を申し上げます。