179 隠すこと
もう、街はクリスマスに染まりつつあるようですが、私は例年とおりクリスマスは中止です。
「前の仕事ですか・・・、長くなりますよ」
ケイタフはテーブルの対面の椅子を手で指して、腰かけるようネアを促した。
「ケイタフさん、私はこんな子供ですよ。改まった言葉は必要ありませんよ」
ケイタフに促されるまま、腰かけたネアはケイタフにそう言うとにこりとして見せた。
「確かに、ネアさんは、うちのミエルより幼い、しかし、どう言うか、何となく年長者を相手にしているような気がするんだよ」
ケイタフは苦笑しながら、ネアの淹れたお茶を口にした。そして、真剣な表情でネアを見つめた。
「そう、さっきの質問だが、俺は仕事を捨てた、任務も捨てた・・・、そして、逃げた・・・」
ケイタフの言葉を聞いたネアの表情に一瞬、軽蔑らしき色が滲んだのをケイタフは感じ取った。
「町の人たちの安全を蔑ろにしたんですね」
ネアはケイタフが自分の微妙な表情を読み取ったことに気付きもせず、さらに斬り込んでいった。
「随分と手厳しいなー、確かに、町は混乱しただろうね。俺以外の自警団員が全員、いなくなったんだからな。後は、立派な騎士団の派遣隊が上手くやっているだろうね。町の人も、穢れを妻に持つ、俺より、真人だけの正義と秩序の実行隊の方がありがたいようだったからな」
ケイタフはそう言うとため息をついてにこりとした。
「な、何で笑える・・・」
ネアは俯いて絞り出すように呟いた。
「なにかな?」
ネアの言葉を聞き取れなかったケイタフが首を傾げた。その姿を見た時、ネアは、自分の中の安全装置が外れたことに気付いた。。
「ふ・・・、ふざけるなっ! 町の人たちがどうであろうが、あんたには任務があるだろう。曲がりなりにも、指揮官だった者が・・・、任務は絶対だろ。侍女見習いの私ですら、お館様のためにはこの身命、鴻毛の如しと考えているんだ。あんたには責任と言う言葉が無いのか」
ネアは怒りに任せて寝巻を脱ぐと胸の毛皮と地肌の境界あたりの傷を見せた。
「こんな餓鬼ですら、自分が何をすべきか弁えている、それを、いい年齢の大人がっ」
ネアは自分の中の怒りが制御できないことに驚きを感じていた。悲しみの津波に巻き込まれるように、今度は怒りの津波に巻き込まれていた。
「君はそう考えるんだね。で、相手に部下も家族も危険にさらすことが責任なのかい? 家族に対する責任はどうなる? 部下、そしてその家族に対する責任はどうする? 意地を張って、残って、家族が穢れの民であるという理由で、妻や息子、そして娘を危険に巻き込むを防ぐことは間違っていることなのかな」
激昂するネアにケイタフは少々驚きはしたものの、冷静に諭すように言葉を紡いだ。
「任務は絶対です。家族より任務です。部下たちもそれを納得している、納得していなくても指揮を執る者はそれを強制すべきです」
少しばかり落ち着いてきたネアであったが、未だに心中は目の前の男に対する怒りで占められていた。
「それで、どうなる? 俺が残っても、何だかんだと難癖をつけられて、投獄されるのは時間の問題だった。家族は・・・、妻と娘はどんな目にあわされるか、息子も命まで奪われなくとも、恨みだけで生きていくことになるだろう。彼らに対する責任はどうなる? そこまで犠牲を払って、何か得るものがあるか? 町の人たちの役に立てるか? 全て、私の我儘のための犠牲じゃないか」
怒り狂うネアの瞳をじっと見つめて、ケイタフはゆっくりと話しかけた。ネアも理性的にはケイタフの言葉を理解していたが、感情がそれを拒否していた。
「家庭の犠牲? そんなことをそんなに恐れるなら、自ら始末して、後顧の憂いをなくすのが責任じゃないですか。任務の前に家族や心情なんてっ」
ネアが言葉を言い終える前にネアの身体が思いっきり吹っ飛んでいた。
「呆れた子だね。お前が言う任務とは、そこまでして、成し遂げなきゃいけないモノかい?」
吹き飛ばされたネアは声のする方向をノロノロと見るとそこには、怒りと情けなさと、悲しみを混ぜコザ背にした表情のメイザがネアを睨みつけている姿があった。
「お使いに失敗したら、責任を取って命を自ら断つのかい? ネア、お前がそれで納得しているなら仕方がないが、それを、ラウニやフォニー、小さなティマにも押し付けるつもりかい?」
メイザは転がっているネアにつかつかと歩み寄るとその襟首を掴んで立たせた。
「家族の命すら守れない男に、郷を守れると思っているのかい? お前の言う任務のために全てを捧げた男はどうなった? 英雄の物語として、絵や詩になったのかい?」
驚きの表情を浮かべているネアにメイザは噛んで含めるように話しかけた。
「赤の他人のお前が、ケイタフに家族を殺して、その任務とやらを果たせって言ったんだよ。・・・ネア、お前は、お前が毛嫌いしている、正義と秩序の実行隊の連中と何も変わらないね。そんな考えのヤツを身近に置いておくのはこっちが怖いよ。もういい、さっさと寝てきな」
メイザはただ黙っているネアにそう言うと、寝床の方向を指さした。
「・・・」
ネアはメイザとケイタフに一礼すると、そのままベッドに戻って行った。それを確認したメイザは深いため息をついた。
「ケイタフ、すまないね。いつも冷静なあの子があんなになるとは・・・、あの子の言ったことを気にすることはないよ。あんたは、父親として、夫として正しいことをした。それだけだよ」
メイザは何が起きたかを懸命に把握しようとしているケイタフに頭を下げた。
「大奥方様、そんな勿体ない。・・・あの子の言った事には一理あります。あの子、ネアさんをそんなに責めないでください」
ケイタフは慌ててメイザに言うと、ネアがトボトボとその場を去って行った方向を目を向けた。そこには小さな背中はなく、ただ夜の闇があるだけだった。
【なんで、あんなに腹が立ったんだろう・・・、それ以前になんて酷いことを俺は口走ったんだ・・・】
ベッドに戻ったネアは怒りに任せて口走ったことを後悔していた。
【ケイタフは、こんな餓鬼にあんなことを言われても、表情すら変えなかった。あの年齢で・・・、俺だったら子供だろうが、女だろうが殴りつけていただろうな】
ネアは、眠りにつくどころかますます眼が冴えて寝返りとため息を繰り返していた。彼女がうとうとしだしたのは、空が白くなってきた頃だった。
「ルーカ、悪いけど、この子たちをお前たちの馬車に載せてやってくれないかい。それと、ケイタフさんところのフランとミエルも頼むよ。坊主は男衆の馬車に乗んな。あっちはずいぶんと空いているからね。ケイタフ、ネア、あんたらはこっちの馬車だ。ちょっと話したいことがあるんだよ」
荷物を積み込み、後は馬車に乗るだけの状態になっていた時、メイザが馬車の後ろに並ぶネアたちに声をかけてきた。
「何か、やらかしたんでしょ」
「ネア、いいなー」
「お嬢といっしょだー」
メイザに呼ばれてネアが列から離れると侍女見習いたちはそれぞれ思ったことを口にした。ネアは何故、呼ばれたか、その理由を概ね正確に把握していたため、フォニーが言うような気楽に構えることはできなかった。
「ケイタフ、参りました」
「ネアはここに」
ケイタフとネアは郷主一家が乗車する少々立派な馬車の前に並ぶとメイザに深々と頭を下げた。
「その顔からすると、ネアは、どうして呼ばれたか、分かっているようだね」
神妙な面持ちで控えているネアにメイザはニコリともせず、厳しい表情で尋ねた。メイザの問いかけに対して、ネアは一言、「はい」と返事しただけであった。
「大奥方様、私は、昨夜の出来事は全く気にしておりませんので・・・」
ケイタフは昨夜の一件でこれから、ネアが叱責されるのであろうと思い、その叱責が軽いものになるようにと気を利かせた。
「ケイタフ、言いたいことは分かるよ。でも、これは、そんな簡単な事じゃないんだよ。偶然とはいえ、あんたも片足を突っ込んでしまったんだよ」
メイザは小さなため息をつきながら、ケイタフに説明した。
「そう、ネアちゃんの暴走だけじゃないの。ちょっと込み入ったことがあるの」
モーガも何がこれから起こるのか見当もつかないで戸惑っているケイタフに小声で昨夜の剣だけで呼び出すのではないことを説明した。
「詳しくは、馬車が動き出してからだよ」
メイザはぶっきらぼうに言うと、さっさと馬車に乗り込み、ネアたちを手招きした。
「・・・」
ネアとケイタフはモーガが乗車したのを見届けると、申し訳なさそうに馬車に乗り込んだ。
「ネア、お前は、また前のようなことを繰り返すつもりだったのかい?」
馬車が動き出して暫くすると、車輪の軋み以外聞こえない車内にモーガの声が響いた。
「・・・私は・・・、任務を付与されれば、何に変えても遂行しなくてはならないと教育を受けてきました。任務の前には個人の思いなんぞ無いと考えていました」
メイザの問いかけに俯いたままネアは絞り出すように声を出した。そんなネアとメイザのやり取りをネアの横で聞いていたケイタフは全く事情が呑み込めず、困惑の表情を浮かべていた。
「それって、あの妙な鎧を着た人たちと同じね。ネアは、あの人たちのことを散々馬鹿にしていたけど、ネアもそれと変わらないってことね」
モーガが悲しそうな表情を浮かべてネアを見つめた。モーガの中にはネアが前の世界での人間関係とは随分と殺伐としたものなのであろうと想像し、表情を曇らせた。
「じゃ、聞くよ、ネア自身の、自分のための任務はあったのかい?」
淡々と尋ねるメイザにネアは首を横に振った。
「任務の前には自分のことなんぞ、どうでもいいと考えていました。任務と自分のやりたいことが一致するように努めていました」
「それで、何か得るものがあったかい。何か護れたかい」
俯いたまま、ポツリポツリと語るネアにメイザは畳みかけるように尋ねてきた。
「いいえ、何も・・・、身をもって組織を護ることはできました。それぐらいです」
モーガは辛そうに話すネアのてをそっと握ってやり、ネアを安心させようとした。ネアも握られた手を知らずのうちに握り返していた。
「ふーん、じゃ、前の生きざまをケイタフに押し付けたいのかい?」
ネアは前の世界で自分の身近にいた人たちを思い出そうとしたが、記憶は空を掴むばかりであった。身近にいたであろう親や兄弟すら思い出せない、兄弟がいたのか、親はいたのかすらはっきりしないことを再確認し、悲しそうに首を振った。
「私には背負っているものがありませんでした。なにも・・・、身近に守るべき存在も・・・、全て仕事の邪魔と切り捨ててきました。私は、仕事以外には何もない者に成り果てていました」
ネアの目から、後悔する様な涙が一筋流れ落ちた。ネアの後悔を悟ったメイザは漸く表情を和らげた。
「大奥方様、この子は一体・・・」
ケイタフはネアとメイザのやり取りを見ていて、混乱していた。傍らにいる自分の娘より幼い少女がまるで、随分と歳を重ねた者のように話しているのである。さらに、「前の」と言われるのはネアがいくつの時なんだ、そもそもこんな子供が口にするような言葉としては違和感しか持てないことなどの疑問が次々と湧いて出てきた。
「・・・ケイタフ、ここでの話は口外不要だよ。誰かにこぼしたら、それなりのペナルティがある。聞きたくないなら、今すぐ馬車を下りな」
俯いて黙ったままのネアを横目にメイザはケイタフを真正面から見つめた。
「いいえ、ケフで働くとなると知っておいた方が良いことだと判断します」
膝の上に置いた拳を握りしめてケイタフはメイザを見つめ返した。
「そうかい、覚悟を決めたようだね。このことが、あの鎧の連中に知れたら、ケフは随分と不味いことになるからね。この事は、ケフでも知っている者は限られているからね。なんで、お前さんに話すかと言うと、このネアに関してあらぬ憶測をして、それを口にされると困るからさ」
メイザはそう言うとぐっと前のめりになってケイタフに近づいた。
「お前さんの目の前にいるネア、この子は、まれ人なんだよ。その上、あの英雄とやらのことを前の世界から知っている。そして、察しはついていると思うが、中身は見た目以上の年齢だよ」
メイザは押し殺したように言うとさっと身を離した。
「・・・これで、納得いきました。彼女が妙に落ち着いているのはそのためなんですね。でも、夜のことは・・・」
ケイタフは納得しつつ、何故そこまでの年齢の人間があんな簡単に激昂するのか、そもそも激しい気性なのかと新たな疑問を抱えてしまった。
「中身と外側のギャップがなくなりつつあるんだよ。前の世界の人格は落ち着いているようだけど、身体はまだまだ子供さ。何かきっかけがあれば、小さい子供と一緒で、感情を抑えきれなくなるんだよ。ここに来た時なんぞ、気持ち悪いぐらいおっさんみたいだったよ」
メイザはそう言うと黙って俯いたままのネアを見てニヤリと笑った。
「でも、今は、見た目と同じ可愛い女の子ですよ。毎日、毎日、ラウニたちから女らしさの特訓を受けているんですからね」
モーガは俯いたままのネアの頭を優しく撫でた。そして、しっかりとケイタフを見つめた。
「さっきの話は、フランさんにもしてはダメです。もし、この子がまれ人と分かれば、この子の生活は政治の玩具になってしまいます。そうじゃない場合は、刺客に狙われ続けることなるでしょうね。それだけは絶対に許すわけにはいかないのですよ。ネアは、今やり直しているんですよ。ふつうなら無い事をしているんです。まだまだ、前を引きずっていますけど。前の世界のいい所は残して、今の世界でさらに成長していってね」
モーガは俯いているネアに優しく声をかけ、その顔を覗きこんだ。そこには、歳を重ねたおっさんの姿はなく、ただ涙をこぼす少女の姿があった。
「こんなに、大切にして頂いてるのに、私は・・・」
ネアは泣きながら顔を上げて言葉をつづけようとしたが、感情の津波に飲み込まれてただ泣くことしかできなかった。
「ケイタフ、これがネアの秘密さ。ある所では信じられないくらい落ち着いている。でも、このように見た目と同じ幼い所が同居している。まだまだ子供なんだよ。少しばかり変わっちゃいるがね」
メイザの言葉を聞いて、ケイタフは深く頷いた。
「うちの子どもたちも随分と変わっていますから、どこにでもいる子なんですね。難しい事は分かりませんし、もう忘れてしまいましたよ」
ケイタフはわら声を上げて、頭を掻いた。それを見たメイザとモーガは安どのため息をついて笑みを浮かべた。
「座布団クッキー、キだよ」
ラウニたちと一緒の馬車に乗っているレヒテのテンションは妙に高かった。また、同じぐらいの年齢の獣人の子がいると言うことでミエルも楽しそうにしていた。それに反して、ラウニはドクターに処方してもらった酔い止めの影響でうつらうつらと船を漕ぎ、ティマも座席の上で丸くなって眠りこけている、そんな中、ただ一人正気を保っているフォニーが二人の相手をしていた。
「キ、んーと、キツツキ」
退屈しのぎで始めたしりとりを何回も繰り返したため、フォニーも精神的にきつくなっていた。
「また、キですね。んーと、キンコ」
ミエルが元気な声を張り上げた。
「キなら、キン〇マできまりだよね」
子供たちの元気なやり取りを耳にしていたバトがポツリとルロに囁いた。
「それは、貴女だけです」
「相変わらず下品ですね」
ルロとアリエラが呆れた顔でバトを見つめると、バトは誇らしげな表情を浮かべた。
「ハイエルフって人たちはまだ数千人いるそうだけど、シモエルフは私一人だもんね」
そんな滅茶苦茶な話をミエルの耳がとらえた。
「シモエルフ?」
ミエルは不思議そうに首を傾げて、バトを見つめた。
「フォニー、やばいよ」
「ルロさん、お願いします」
レヒテとフォニーが悲鳴のような声を上げた。その声を聞いたルロはためらわず、ハンカチを取り出すとバトの口の中に押し込んだ。それをもがいて取ろうとするバトの手をアリエラが押さえつけた。
「え?」
いきなりのことに見えるが驚いていると、レヒテがミエルに真剣な表情で声をかけた。
「あの人のことは、これから良く分かるから、あの人の口にした言葉は忘れること、いいね」
「真っ当な少女でいたいなら、耳にしちゃいけないよ」
ミエルはレヒテとフォニーの表情に気圧されて頷くことしかできなかった。
「あの子たちも随分と毒されましたからね。どう、責任を取るつもりなんです」
フガフガとしか喋れないバトをルロが呆れた様な表情で見つめた。
「シモエルフについては、もう少し待ってくださいね。あの子が貴女のキャラクターをしっかりと理解するまでは」
ルロとアリエラがしっかりとバトに因果を含めた。
「なかなか、面白い方ですね。私は気にしませんよ。この子もいずれ知ることになるんです。妙に隠すより、あけすけな方がいいですよ」
そんな光景を楽しそうに見ていたフランが女の子を育てている母親とは思えぬ斜め上の反応を示したことに、馬車の中は静寂に包まれた。
ネアの黒い部分が噴き出てきました。前の世界で、ネアは、こんな働き方をし、部下にまでそれを強いていたのですから完全なブラックな職場を作り出していたようです。この事は、今の世界で、人の生活と働き方をしているネアの心に棘のように刺さっています。これから、もっとこの事について後悔することになると思われます。
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