177 これからのこと
いきなり気温が下がってきました。お話の中でもこれから寒くなってきます。ネアたちも自然の衣替えになる予定です。そうなると、ティマの姿が随分変わるような気もします。
「え、もうできたの」
モーガからちょっとした裾上げを頼まれたフランが処置を終えたドレスを持ってきたことにモーガは驚きの声を上げたのは、顧客と雑談しながらルーカが淹れてくれたお茶にゆっくりとミルクを入れ、偶然が生み出す模様を布に転写できればいいのにと思っている時だった。
「・・・、完璧ね」
モーガはフランの仕事を確認すると、再び驚きの声を上げた。彼女の目に飛び込んできたのは、早さを追求した雑な仕事ではなく、長年、彼女とともに仕事をしている職人たちの丁寧な仕事と何ら変わりはなかった。
「ありがとうございます。では、このドレス、お持ち帰りができるように梱包いたします」
フランはモーガと常連の顧客のほっそりした真人の女性に恭しく一礼するとドレスを手にして仕事場に戻って行った。
「あら、新しい職人さんですか。奥方様」
真人の女性が去って行くフランの後ろ姿を見ながらモーガに尋ねた。
「ええ、遠くから私の工房に入りたいって、来てくれた方です。いい腕してます。これで、独学だなんて、信じられませんよ」
モーガはフランが昨日見せてくれた小物の出来や先ほどの仕事ぶりを思い返し、彼女を工房に迎えることを決心していた。
「あの、本当によろしいのでしょうか」
メイザに連れられて屋敷の裏庭に連れてこられ、そこで防具を身に付けさせられたケイタフは地稽古の相手、侍女の服装のまま木剣を手にしているイクルを見て心配そうに彼女に尋ねた。
「心配するのはあんたの方だよ。イクルにあんたの剣が当たることはまずないからね」
メイザはケイタフに余計な事を考えるなとその背中を叩いた。
「大奥方様の言われる通り、手加減入りません。私も未熟者故、手加減は苦手なのです。木剣と言えども殺す気持ちでかかってきてください。こちらもその気で参りますので」
イクルはケイタフに一礼するとさっと木剣を構えた。その姿を見て、ケイタフは本能的に恐怖を感じた。今まで、散々野盗の類と剣を交えてきたが、ここまでの恐怖を感じたことはなかった。
「参ります」
意を決したケイタフは木剣を構え、イクルに突き進んだ。ケイタフの剣は基礎だけは学んだものの、後は実戦と独学で創り上げた我流の剣であり、きれいな形など無きに等しい泥くさい剣筋であったが、その動きは堅実であり、無駄の少ないモノであった。
「はっ」
決して遅くない、どちらかと言えば早い部類になるケイタフの唐竹割のような打ち込みをイクルは手にした木剣でハエを払うように払った。ケイタフはイクルの打ち込みを予期してその場からさっと地を這うように跳ね、間合いを取って身体をひねってイクルと正対しようとした。
「いい動きですよ」
ケイタフはイクルの姿を確認する前に額に木剣が押し当てらていることを感じていた。そして、いつものように眠そうに目ほ細くしているイクルを見ると、その場に木剣を落とした。
「参りました」
こちらは息が上がっているのに、相手はまるで知り合いに挨拶しているように息も切らせず、汗は獣人であるから見えないモノの、その髪が乱れてもいないことにケイタフは心底から負けを認めた。
「良い打ち込みでした。ケフの騎士団でもここまでの打ち込みができる者はそうはいないと思います。あ、けっしてケフの騎士団の質がどうのこうのというお話ではありませんので、誤解が無いようお願いします」
イクルは構えを解くと目を細めたままケイタフに一礼した。
「イクルの言う通りだよ。イクルは、イロイロと規格外だからね」
メイザはイクルの放漫な肉体を見つめてニヤリと笑った。
「そういや、先日、送ったブラは合ったかい、合うサイズがないって聞いたから、モーガに作らせたんだがね、今回、きっちりとサイズを取るから、今のは間に合わせだよ」
「ありがとうございます。早速つけたのですが、少しキツく感じられたので、失礼な事と承知しながら少し手直しして使っております」
「あのサイズでキツイとはね。イクルの胸って・・・、規格外だねー」
「慎ましくなりたいものです」
「それは、言わない方がいいよ。敵を作るからね」
メイザとイクルのやり取りを聞いてケイタフは2人から視線をずらし、聞かないふりをしながら防具を外しだした。
「ケイタフ、あんたの腕は十分使える、自警団長まで勤めたんだからね。鉄の壁のヴィットに使えるのがいるって伝えておくよ。イクル、忙しいのに付き合ってくれてありがとう。ケイタフ、ここの警備とケフに戻るまでの護衛を頼むよ。これは、契約金だよ」
メイザはケイタフに銀貨の詰まった小袋を手渡した。それを手にしたケイタフはその重さに驚いた。
「え、こんなに」
「ケフに行くのはもう暫く後だからね。それまでの生活費さ。見ての通り、ここは女所帯だからね、男手が必要なのさ。ま、頑張っておくれよ。警備については凸凹・・・、エルフ族とドワーフ族のバトとルロ、それと真人のアリエラから聞くといいよ。あの子たちもイロイロと忙しいみたいだからね、助かるよ」
メイザとイクルは深々と頭を下げるケイタフを後にして裏庭を後にした。
「奥方様より、あなたたちのお世話を申し受けた、ネア、「湧き水」のネアと言います」
フーディンの屋敷にエリグ一家のために設けられた小さな一室で、居心地が悪そうにしているヘルムとミエルの兄妹にネアは恭しく挨拶をしていた。
「僕は、「黒錆」のマデル、この子は「花瓶」のイルン・・・、違う、僕は、ヘルム・エリグだ」
「私は、ミエル・エリグです」
兄妹はその場に立ち上がるとネアに頭を下げていた。
「なにもそこまで、私は一介の侍女見習いです。畏まられる必要はありません。それから、ネアとお呼びください。気やすくネアちゃんでもいいですよ。さ、どうぞおかけください」
緊張を顔面に貼り付けている2人にネアはニコリと微笑みかけた。
「ご兄妹というこですが、失礼ですが容外の・・・」
ネアが言いかけると、ヘルムはニコリとして口を開いた。
「血は繋がってません、ですが・・・」
「私とお兄ちゃんはそんなの関係ないですから」
ミエルはそう言うと兄の手を強く握りしめた。
「仲の良い事でなによりです。羨ましいですね。・・・、あなた方は英雄に会われたのですか」
ネアはヘルムとミエルの前に腰かけるとじっと2人を見つめた。
「会ったと言うか、見たですね。ただそれだけです」
「何かのパレードみたいに町に入ってきて、傍に「導きの乙女」って言われている女の人が居たんですけど、私を見た時の目、まるで嫌な虫をみるみたいな、とても嫌な目つきだったのを覚えています」
「導きの乙女ですか、噂紙では読んだことありますが、実際にいたんですね。町の人は英雄たちを歓迎したのですか」
ネアは、噂紙が強ち裏付けのないいい加減なモノと思っていたが、その言葉に少し考えを改めることにした。
「あの人たちが来ると、山賊とか悪い人たちが退治されるから、真人なら喜んで歓迎していましたよ。それと、何も知らない穢れの民も、私も何も知らなかったから、ただ、良い人たちだって思っていたんです。でも、違いました」
ミエルはそう言うと、俯いてしまった。その横でヘルムも辛そうな表情を浮かべていた。
「町の鍛冶屋でドワーフ族のグディルさんが、隣村に鎌や包丁を届けようとしているのを、英雄と正義と秩序の実行隊に見られて、真人に反旗を翻すための武器を運んでいると決めつけられて、その場で斬り殺されました。グディルさんが向かおうとしていた村の人たちは父さんの部下の人たちが先回りして逃がしたおかげで死ぬ人はいませんでした。アイツら、穢れの民を殺すためのきっかけが欲しいだけなんですよ。小さなことでも、何でも無い事でも殺すための理由にしてしまうんですよ」
ヘルムは悔しそうに言うと拳を強く握りしめた。
「グディルさん、見た目は怖そうだけど、小さなナイフでもきれいに研いでくれて・・・」
ミエルも髭もじゃの笑顔を思い出して悲しそうな表情を浮かべた。
「思った通りの連中で、ある意味、安心しました」
ネアは呆れたように言うと皮肉な笑みを浮かべた。
「安心したって、それどういう意味ですか」
ネアの言動にむっとしたヘルムが少し強い調子でネアに詰め寄った。
「言い方が悪かったようですね。気を悪くされたなら謝罪します。・・・ケフの郷でも正義の光や英雄、正義と秩序の実行隊について、とても不安に思っています。ケフのような小さな郷ならあっという間に飲み込まれるのではないかと、そこで、彼らの動きに注目しているのですが、遠くでの出来事、情報は噂紙や旅の人の言葉だけ、そんな中で連中に対して私が想像しているのと同じだった、想像以上に悪くなかった、と言う意味です」
ネアは兄と妹にそう言うとその場で頭を下げた。
「僕たちはケフの郷に行けば、ミエルやネアさんのような人たちも安心して暮らせるって聞いていたのですが、ケフでも家族そろって街を歩くことはできないような・・・」
ヘルムが不安そうにネアをみつめ、ミエルは知らず内に兄に身体をよせていた。
「心配はいりませんよ。ケフでは容外の家族やカップルは珍しくありませんよ。尻尾のあるなしで人を判断することはそんなにありませんよ。ケフの郷の従医であるドクターは、ドワーフ族ですけど、奥さんは米豹族ですから、それと、ビブちゃんて可愛いお子さんまでいるんですよ」
ネアはヘルムの不安を取り消すように笑顔で兄妹に答えた。
「そうなんだー、お兄ちゃんと手をつないで歩いても、誰も何も言わないんだ。良かった」
ミエルはネアの言葉にやっとにっこりすると兄の姿を眺めた。
「ケフの郷の黒狼騎士団長は狼族ですよ。団員には真人もいますが、団長が獣人だってことを気にする人はいませんよ。お館様は人を種族で区分することをとても嫌われていますから」
ネアはケフの郷では、穢れの民がその種族のために不当に扱われることがないと懸命に説明した。ネアの言葉に兄妹は光を見た様な気持ちになったのだろう、互いに笑顔で見合っていた。
「ケフの郷に住めたらいいね、お兄ちゃん」
「そうだね」
【こいつら、兄妹じゃなかったら・・・】
2人の様子を見ていてたネアは思わず目の前にあったカップを彼らに投げつけようとしたくなる衝動を必死に抑えていた。
「あ、ナイスミドル・・・、にはちょっと若いかな。でも、イイ感じね。愛人になっても」
屋敷の警備について申し受けるためにバトとルロの元にやってきたケイタフをバトはうっとりする様な表情で迎えた。
「バト、あの人、妻子持ちだよ」
「口先だけでも人倫に悖ることはいいとは思いませんよ」
色目を使おうとしているバトに2人は冷たい視線を送った。
「ここでの警備を賜ったケイタフ・エリグと申します。ここで、バトさん、ルロさんですね。警備の要領についてお尋ねしたいのですが」
自分よりずいぶん若い女性で、その上穢れの民でもあるバトとルロにケイタフは礼儀正しく敬礼してきた。
「え、なんで・・・、私たち、穢れですよ」
「それに、年下の可愛い女の子なのに」
「紳士的、思わず液が出てしまいそう、ぐっ」
訳の分からないことを口走るバトにルロとアリエラが肘鉄を喰らわせてそれ以上妙な事を口走らせないようにした。そんないつもの光景を目にしたケイタフは驚きの表情を浮かべたが、すぐに仕事時の事務的な表情に戻した。
「今日から、家族ともどもお世話になります。微力ながらもお役に立てれば幸いです」
バトたちに恭しく頭を下げるケイタフに3人は面食らっていたが、それも暫くの間で、その内に警備についての様々な事柄をトリオ漫才のようにケイタフに説明した。後にケイタフはこの事に関して家族に
「どこまでが真面目で、どこからふざけているのか分からなかった。でも、彼女らは要点はきっちりと教えてくれたし、腕も確かと見たよ。あのノリに飲み込まれたら、確実にやられる、恐ろしい娘さんたちだよ」
と呆れと感心が淹れ混じった複雑な表情で語っていた。
「家族皆一緒で逃げて来たんだ・・・」
大部屋に野戦病院のようにベッドを並べた一角でベッドの上に寝間着姿で座っていたティマがエリグ一家のことを聞いてポツリと呟いた。
「羨ましいの」
どこか寂しげな表情を浮かべているティマにそっとネアは尋ねた。ティマはネアの問いかけに首を縦に振って答えた。
「お父さんもお母さんもお兄ちゃんもいるもんね。私たちにはないモノばかりに見えるね」
ベッドの上で膝を抱え込むようにして座っているティマの横にネアは腰を降ろすとそっと頭を撫でてやった。ティマはネアの言葉に膝を抱えたまま頷いた。
「でもさ、私たちは血は繋がってないけど姉妹だよね。栗鼠族の妹を持っている猫族なんてそんなにいないだろうし、狐族や熊族のお姉ちゃんがいるなんて、そう簡単にあるとは思えないでしょ。それに、ティマにはティマを溺愛してくれるお師匠様もいるし・・・、ティマの思いも分かるけど、ハッちゃんが言ってたでしょ、悲しいことは、繰り返さないために覚えておくものって、それと、辛気臭い顔をしていると辛いことや悲しいことが津波のように押し寄せてくるって、悲しい気持ちに飲み込まれたら、アイツの思う壺だよ」
ティマはネアの言葉に頷くと顔を上げて懸命に笑顔を作っていた。ネアは幼いながらに、懸命に自分の運命と戦っているティマの健気さに思わず彼女をがっしりと抱きしめていた。
「ティマだけの問題じゃないよ。私たち全員の問題、あのエリグさんもそう、誰も幸せならない、悲しい思いしかしなことのどこが正義だよ。それが正義なら、私は天下の悪党になるほうがマシだよ」
ネアはティマを抱きしめながらそっとティマの耳にささやいた。そのささやきを理解したのかティマは大きく頷いた。
「な、なに羨ましい・・・、けしからんことをしてるのっ」
ネアとティマがちょっとブルーな気持ちになっている時、いきなり外出から戻ってきたアリエラの叫び声が響いた。
「ティマちゃん、寂しかったら、いつでも来なさい。お師匠様はいつでも準備できているから」
今すぐにでもティマを抱きしめたい欲望と戦いながら、アリエラは、本人だけが平静を保っているとおもっている態度でティマに声をかけた。
「お師匠様の目、怖い・・・」
顔を上げてアリエラを見たティマはすぐに顔を伏せてネアにしがみついた。
「・・・」
アリエラはティマの一言に脱力したようにその場にへたり込んだ。そんな姿を見たバトとルロは互いにアイコンタクトを取ると彼女の両脇を抱えてその場から連れ去って行った。
「お留守番、ありがとう、お土産だよ」
バトたちと一緒に外出していたフォニーがまだ湯気を上げているドーナッツのような揚げ菓子の入った紙袋をネアたちに差し出してきた。
「フォニー姐さん、ありがとうございます。これ、いい匂いがするよ。温かいうちに食べようね。暑いから気をつけて」
ネアはフォニーに礼を言うと早速まだ温かい揚げ菓子をティマに一つ差し出した。ティマはそれをそっと手にすると「熱っ」小さな声を上げた。
「なーに、イイ所どりしているんですか。それは、私とフォニーが出し合って買ったんでしょ。その上、私の方が多く払っています」
フォニーの背後からラウニがいきなり現れてコツンと彼女の頭を軽く叩いた。
「痛ーい、お姉ちゃんにいじめられたよ」
フォニーは大げさに言って頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「本当に手の焼ける妹ですね。下の妹たちを見習いなさい」
ラウニはお土産に早速かぶりついているネアたちを指さした。それから、小さなため息をついた。
「もっとお上品に・・・」
ラウニが小言を言いかけたとたんにネアたちが一斉に「口うるさいお姉ちゃんだ」と口にした。そのとたん、侍女見習いの4人はその場で大声で笑い声をあげた。
「あのミエルって子、なんかパル様に似た匂いがするんだよね」
そろそろ灯りが消されようかという時、ベッドに入ったフォニーが誰に言うでもなく口にした。
「そうですか、猫族と狼族は臭いはちがいますよ」
ネアはフォニーの言葉に疑問を感じて、思ったことをそのまま口にした。
「身体の臭いじゃなくて、なんか心の匂いというのかなー、バル様に似てるんだよね」
フォニーは口にした匂いが物理的な臭いではないことを彼女なりに説明しようとした。
「そう言えば、お兄ちゃんにべったりでしたからね」
ネアは昼間に見た兄妹の姿を思い出しながらミエルとパルの共通点らしきことを口にした。
「そうなんだよね。きっとあの子のお兄ちゃんと付き合う子は苦労するよ。絶対に」
フォニーは自分のことと当てはめて、彼女の兄が好きになった子がどういう思いをするか想像し、まだいもしない娘に同情を感じていた。
「経験者の言葉には重みがありますね」
そんなフォニーをネアはちょっと茶化すように言うと、フォニーは深いため息をついた。
「なにも経験してないよ。ただ、そう思っただけ」
フォニーはそう言うと毛布を頭からかぶってしまった。その時、図ったかのように部屋の明かりが落とされた。
「いらないことを考えていると、眠れなくなりますよ。明日もお仕事があるんですからね」
暗闇の中、ラウニの小声がネアたちの耳に入ってきた。幼いながらもイロイロと感じ考えていたティマはネアの心配をよそに健やかな寝息をたてていた。
どうやらエリグ一家はケフに移住できるようです。
ネアたちが持っていないモノを持っているミエルとの関係や、動きが活発になっているような英雄のことやらややこしいことになって行きそうですが、日常はそんなことを飲み込んで繰り返されていくことになるでしょうね。
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