163 日常
何とか忙中閑ありで、何とかUPすることができました。
大雨で大変な時ですが、こんなお話でも少しは退屈しのぎになれば思っています。
ネアは、ご隠居様が購入した便せんとインクの入った紙袋と侍女見習いたちのためのお菓子の入った紙袋、(どちらかと言うと荷物の大半を占めている)、を抱きかかえてお館の門をくぐり、玄関のホールにたどり着いたのは、午後のお茶の時間に差し掛かろうかという時間だった。
「ネア、どこに行ってたの」
ホールに入ったネアにいきなりレヒテが声をかけてきた。その声には幾分か怒りの色がついていた。
「ネアはボクが頼んで、買い物に付き合ってもらっていたんだよ。遊びで連れまわしているわけじゃないよ」
ご隠居様がネアが仕事で外出していたことを説明したが、レヒテはキツイ表情を変えることなく、ネアを睨みつけていた。
「ネアは、私付きとしてお勤めしているって、それなのに、ネアは、おじい様といっつも出かけている、それって変だよね」
レヒテは噛みつくような勢いでネアに詰め寄った。
「ネアでないとダメな仕事もあるんだよ」
レヒテの迫力に少し押され気味のご隠居様は、ネアを庇うようにネアとレヒテの間に身体を割り込ませた。
「ネアでないとダメって、どんなお仕事なんですか。ラウニやフォニーにできないの。タミーはどうなの、エルマですらできないお仕事なんですか」
ネアを庇うように立つご隠居様に標的を変更したレヒテは戸惑っているご隠居様にグイグイと詰め寄った。
「ネアの仕事は、余人を持って代えがたし、なモノなんだよ。誰でもできることじゃない。ネアにしかできない仕事なんだよ」
ご隠居様はレヒテを宥めようとそっとレヒテの肩に手をかけた。
「お母さまが言っていた、お仕事に関係することなら、私も知っている必要があります」
レヒテは更にご隠居様に喰いついてきた。そんなレヒテを見ていたご隠居様の目がすーっと細くなった。
「あの仕事に関して、レヒテの立場はほんの表面を触ったぐらいのものだよ。ネアは、もうその中にどっぷりとはまり込んでいる。仕事の事だけに関して言うなら、ネアは大人と同じだよ。そのような立場にいる。秘密のことには、それぞれ階級があって、レヒテが関われるのは一番下すら怪しい所だよ。ネアは一番上を手にしている。今は、これ以上のことは言えないんだよ。レヒテ、ネアに当たるのは間違っているぞ」
ご隠居様はレヒテに声を落とし、説得と言うより命令に近い雰囲気で語り掛けた。これには、レヒテも頷く以外のことはできなかった。
「あらあら、ネアちゃんをお父様に取られて寂しかったのかなー」
しゅんとしているレヒテに呑気な声がかかった。その声の主は仕事場から騒ぎを聞きつけてやってきた奥方様であった。
「お父様の言う通りよ。ネアは、とても深い所まで関わっている。これを知っている者は限られているの。いい、これ以上、自分の気持ちだけで、この事に深く知ろうとするなら、それなりの覚悟が必要よ。下手すると、ずっとお部屋に閉じこもってもらうことになるから。これは冗談じゃないわよ。この事に関しては、貴女の母親ではなく、郷の政に関わる者として接しますからね」
むくれるレヒテに奥方様はいつものようににこやかに話しかけたが、その眼は彼女の決心が言葉とおりであることを物語っていた。
「分かりました。お母さま」
レヒテは振り上げた拳をがっちりと握られ、無理やり降ろされた様な無力感を味わっていた。
「で、でも・・・」
レヒテは涙をためた目でネアを見つめてきた。
【こっちに振るのかよ。】
ご隠居様の陰に隠れるようにしていたネアはギクリとした。
「そうねー、最近、ネアちゃんと一緒に居られなくて寂しかったみたいだからー、これから明日の朝まで、ネアちゃんはレヒテと一緒に過ごして貰おうかしら。ね、ネアちゃんはどうかしら?」
奥方様はニコニコしながら、ネアに尋ねてきたが、その眼は『貴女には選択肢はないのよ』とネアに命令していた。
「ネアと一緒にいられるの。ネア、良かったね」
固まっているネアに抱き着いてレヒテは嬉しそうな声を上げた。
「あ、え・・・、そのよろしくお願いします・・・」
ネアは混乱しながらもなんとか声を出した。
「ネア、お土産は私たちが運んでおきますよ」
「ネア、良かったねー」
「がんばって・・・、ください」
騒ぎを聞いてやってきたラウニが、形だけ同情しながらさっとネアからお土産の紙袋を受け取った。その後をフォニーとティマがニコニコしながらネアに励ましの言葉をかけるとさっさと奥方様の仕事場に戻っていった。
「薄情者・・・」
ネアは、レヒテに抱きつかれ、あちこちをもふられながら、去っていく仲間たちの背中と尻尾を恨めしそうに睨みつけていた。
「じゃ、早速、遊びに行こうよ」
レヒテはネアの手を引いた、その時、ネアにとっての助けとなる雷がピカリと光った。
「お嬢、勝手にお勉強を抜け出したと思ったら、遊びに行くのはお勉強が終わってからです」
お館の玄関口に仁王立ちしたアルアがレヒテを憤怒の形相で睨みつけていた。
「アルア先生の仰るとおりです。まずは、お勉強です。私も、お嬢を遊びに誘って、お勉強させなかった侍女とは言われたくありませんから」
ネアはここぞとばかりに、アルアの言葉に乗ってレヒテを留めようとした。
「そうねー、貴女はいつも、嫌な事から逃げるみたいだから、ネアと一緒にがっちりとアルア先生に絞られてきなさい。ネア、レヒテが逃げないようにお願いね」
助けを求めるように母親を見つめるレヒテに奥方様は厳しく言い放った。しかし、ネアがレヒテから解放しようとは考えていなかったようであった。
「さ、お嬢、行きましょう。逃げていると、その内、逃げられなくなります。その時は、もう終わりですから」
「ネアって、時々、凄いことを言うよね・・・」
レヒテは不満そうにアルア先生の後つに続くネアに手を引かれながら、ため息交じりに吐き出した。
「次は、小さな国についてお話します。もう、無くなった国々のお話です」
この世界の名作とされる詩についての一通りの講義を終えた後、アルアは図書室の中で大きな本を開いてレヒテたちに見せた。
「もう無い国について知っても、役に立たないんじゃないの」
レヒテは、勉強嫌いならではの理屈を口にした。
「お商売の取引相手にはなりませんが、未だにその国を慕っている人たちもいます。また、その国を再興しようとしている人たちもいます。そんな人たちの存在は無視できないのですよ。今の国を壊して、昔の国を造ろうとする人たちは、とても危険な存在ですからね」
アルアの説明にレヒテは口をつぐんでしまった。その傍らでネアは興味深そうにアルアが開いた本を見つめていた。
「ネアたちにも関係してくる国として、虹の国と言われる国がありました。賢王と呼ばれる優れた王様が造って統治していた国です。その国の住民は全て獣人でした。何かと真人に酷い目に遭わされている獣人たちが力を合わせて造り上げた国です。王様は狐族だったと言うことですが、何故か内乱が起きて国はなくなりました。その国があった場所はそのまま荒れ果てて、誰もいなくなり、今でもウサクの郷の西側にその痕跡を残しています。ここをウサクの郷主が郷に取り込もうとした時、獣人たちの反乱が起きて、そのままになっています」
アルアの説明をレヒテは退屈そうに聞いていたが、ネアは目を輝かせてアルアの話を聞いていた。
「先生、その王様の家族はどうなったのですか」
ネアは興味が抑えられず、思わずアルアに質問していた。
「内乱の時に王様は殺されましたが、その家族がどうなったかは、はっきりしません。今からわずか、40年ほど前のことなのですが、獣人の国と言うことで、そんなに情報がないのです。国としては、穢れの民が自治をしていたことを認められないのでしょうね。未だにその王様の血筋の者を見つけ出したら賞金を王より賜ることができると言われています」
「すると、またその人たちを担いで、国を造ろうとする獣人たちがいると見ているのかな」
「国はそう見ているようです。穢れの民たちが心を一つにする旗印を恐れているのではないかと見ています。・・・、お嬢、何でネアがお嬢以上に勉強熱心なんですか、もう少し、真面目に勉強してください」
退屈の余り、ついつい船を漕いでしまっていたレヒテにアルアは大きな声を上げた。
「はーい、でも、いくら穢れの民が集まっても、王様に勝てないよ。王都の周りには大きな郷がたくさんあって、その郷にはたくさんの騎士団があって、凄い魔法使いもいて、そんな人たち相手にどうやって戦うの。気にしすぎだよ」
レヒテは退屈そうに言うと、遊びに行きたそうに窓の外を眺めた。
「お嬢、戦って騎士団を揃えて、平原でぶつかり合うだけじゃないんですよ。大きな郷の都に忍び込んで、放火して回ったり、井戸なんかの飲み水に毒を入れていったりしたら、どうなると思います。子供だけを狙って殺すとか・・・、そんなことされたくなかったら、自分たちが認めている者を王にして、新たに国を造らせろ、って相手に言い聞かせることができる。これも戦ですよ。力がない者が力がある者を倒すやり方の一つですよ」
今一つ、理解しきれていないレヒテにネアは自分の考えを展開してみせた。
「それって、犯罪じゃないの。それは戦じゃないよ」
ネアの言葉にレヒテは異議を唱えた。レヒテとしては、ネアの言うような事は、卑怯窮まりない行為で犯罪でしかあり得なかった。
「お嬢、悲しい事ですが、ネアの言う通りです。そのような事をする者たちは少なからずいます。彼らは決して自分のために事を起こすのではなく、自分たちの正義に基づいてそのような事をするのです。もし、自分たちの子供が、子孫が今よりいい生活ができるなら、そのような事をためらわずにできるでしょうね」
アルアは悲しそうな表情を浮かべた。
「でも・・・、それって・・・、私は嫌、絶対嫌」
レヒテはそんな事をする人たちがいるのが信じられなかった。いくら正しい事であっても、如何なる理由があるにせよ、レヒテとしては到底受け入れることはできなかった。
「そんな事をさせないために、王様は手をうっているのでしょうね。お嬢が嫌でも、それをする者は必ずいます。このケフの郷でそんな事が起こらない、という保証はないのです」
図書室の中に何となく思い空気が淀んでいた。そんな時、図書室の中にチャイムが鳴り響いた。
「あ、もう夕食の時間だ。今日は何かなー」
レヒテの表情は先ほどの沈んだモノから一転していつもの無邪気なそれに戻っていた。
「仕方ありませんね。今日のお勉強はこれで終わります。ちゃんと復習すること、郷主の娘が何も知らない、分からないことは貴女の恥ではなく、郷主の恥、郷の民の恥になりますからね」
アルアは厳しくレヒテに告げると、荷物をまとめてさっさと図書室から出ていった。
「お嬢、私も食事に行ってきます。食事が終わったら、お部屋に伺いますのーっ」
ネアがレヒテに挨拶をしている最中にレヒテは彼女の背後に回り込んで尻尾を思いっきり握った。
「食事は一緒に。おじい様と一緒に食事出来て、私と出来ないなんて事は言わせないよ」
こうなると、ネアは大人しくレヒテに付いて行くしかできなかった。
「お嬢、分かりましたから、尻尾から手を放してください」
ネアの懇願にレヒテはしぶしぶ尻尾から手を離すと、今度はネアの手を強く握ってきた。それは、言葉にせずとも、逃げたら容赦しない、の意思表明であった。
「えっ」
郷主の家族用食堂の末席にちゃんとネア用の場所が儲けてあるのを見てネアは現在進行している、レヒテと一緒にいるという仕事の退路は全て塞がれてしまっていることを彼女は認識した。
「久しぶりだな。元気にやっているようで安心したぞ」
お館様はわざわざ立ち上がるとネアの元に話しながら足を運んでネアが座りやすいようにそっと椅子を引いた。
「お、お館様、私なんかに、勿体ないです。お食事もお気持ちだけで・・・」
ネアは慌ててお館様に頭を下げ、辞退しようとしたが、椅子を引いたままお館様は微笑むだけで、それは無言でネアに『座れ』と命じていることを物語っていた。
「・・・ありがとうございます。失礼します」
ネアがちょこんと席に着くと早速、エルマが給仕を始めた。ネアも慌てて手伝おうとしたが、奥方様が手で『そのままでいなさい』とサインしたので居心地悪そうにその場に小さくなっていた。
「気にしなくていいのですよ。お嬢に付き合うのが一番の大仕事なんですからね」
固くなっているネアにエルマはそっと耳打ちし、リラックスするように促したが、ネアには到底できるようなことではなかった。
「我が家では身分や種族は気にしないことが家訓なんだよ。さ、遠慮せずに食べちまいな。なーに、郷主一家の食事と言ってもネアたちが食べているものと同じなんだからさ」
グラスに注がれたワインを飲みながら大奥方様が豪快に笑いながらネアに声をかけた。
「ネアは実に美味しそうに食べるからねー、一緒に食事をしていても楽しいんだよ」
ご隠居様はそう言うとネアにウィンクをしてみせた。確かに、棒付きキャンディや昼食のスープは美味しかったし、ご隠居様に連れて行ってもらった店は全て美味しいモノであった。しかし、それは外で仕事の上で、ご隠居様とサシでのことであり、今の状況とは大きく異なっており、流石のネアもいつものように喰らいつくことはできなかった。
【エライさんとの会食を思い出す・・・、何を食べているのか分からなくなるし、味も感じないし、それ以前に胃が・・・】
ネアは難しい表情で機械的に食事を口に入れ咀嚼することに専念しようとしたが、レヒテがそれを許さなかった。
「ネアって、ちゃんと遊んでるの。今日のお勉強も私より熱心だし、外にだってそんなに行かないし」
食事の手を止めて、レヒテがネアに尋ねてきた。
「え、えーと、ちゃんと遊んでいますよ。黒曜日にはマーケットに買い物にも行くし、その時、お食事したり、お使いの時に寄り道したり・・・、あっ」
寄り道のことを口にしたネアは思わず口に手を当てたが、それは遅すぎた。
「寄り道は知ってましたよ。ラウニもフォニーもしていますからね。・・・エルマ、寄り道でこの子たちを叱らないでね。私は知っていますから、貴女のお気に入りのお店やケーキのことを、ね」
ネアに何かを言おうとしたエルマに先んじて奥方様がエルマに笑いかけた。
「あ、は、はい。指導は致しません」
エルマが珍しく少し取り乱していた。エルマとしては完璧に誰に知られることもなく道草を食っていたつもりなのであるが、それを見破られたことが何より彼女にとって大きな衝撃だった。
「誰にでも息抜きは必要なもんさ。真面目に仕事だけじゃ、心が乾いてしまうからね」
ご隠居様はエルマの言葉に頷きながら言うと、ニヤッとしてやお館様を見つめた。
「いい場所を紹介するよ、んっ」
「あんた、婿殿に妙な事を吹き込んじゃいけないよ」
大奥方様は、楽し気にお館様に悪所を紹介しようとしたご隠居様の耳を引っ張った。
「義父上、是非とも、お供させて下さい。郷主と言うものはなかなか息が抜けないモノですから」
大奥方様に責められるご隠居様に助け舟を出すようにお館様は彼の申し出に乗るような発言をした。
「あなた、ほどほどにして下さいね。あちこちにレヒテとギブンの弟やら妹がいるのは問題ですからね」
奥方様はお館様の言葉にチクリと釘を刺した。
「まさか、そんなことはないと違うよ」
お館さまは、慌てて否定した。しかし、これの本当の意味が分かっていない存在がいた。
「妹が欲しいなー」
それは、レヒテであった。その場に居合わせた大人、ネアを含む。はレヒテの言葉を笑って流すことにした。
「お父様、私に妹か弟がギブン以外にもいるの。いたら会ってみたいなー」
しかし、言い出した本人は大人の事情なんぞ知る由もなく、さらに突っ込んできた。
「お嬢、それはあり得ません。あってはならない事なんです。このお館以外にお館様の子供がおられたら・・・、争いの種になります。若も随分先のことになりますが、ご自重くださいね」
ネアの勢いにレヒテもその話題を引っ込めざるを得ない雰囲気になっていた。
「僕も関係するのかな」
ギブンが眠そうな目でネアを見つめていた。
「若にはまだまだ早い事ですが、自制心を今のうちに鍛えておかれるといいかもしれません」
ネアは前の世界で見聞きした、家庭内のゴタゴタを思い出しながら熱く語っていた。
「男として優れていることと、人として優れていることは同じじゃないですから」
産ませる方から産む方に立場が変わったためか、ネアには今まで感じていた以上に、この問題については思い入れが深くなっていた。
「男子として生を受けたなら、そう言うことも魅力的なんだがなー」
「あんた、何を言っているの。小さい子がいるんだよ」
うっかり口を滑らしたご隠居様に大奥方様が突っ込んだ。
「ギブンも義父上の血を引いているなら注意しないとな」
「あなたも、王都では随分とご活躍だったと聞いていますが」
「ははは、それは、昔のことだよ」
「昔のことが、火を噴かないことを祈っています」
【郷主一家の食事って、中の良い家庭の日常じゃないか。ほのぼのドラマだな・・・】
ネアは前の世界で一度も体験したことのない世界を見つめながら複雑な気持ちなっていた。
ピケット家の日常が垣間見えるお話になりました。
ネアが前の世界で切り捨てていた世界です。前の世界のネアにとっては、このようなことは無駄以外の何物でもありませんでした。ネアにとって異世界とは別の世界に行くことより、人の生活がある場所のほうかもしれません。
今回もこのような駄文にお付き合いいただきありがとうござました。ブックマーク、評価頂いた方に感謝を申し上げます。