150 再会
ネアのいる世界の生物相はネアにとって前の世界とそう大差はありません。大きく違うところは、人種の多様さとモンスターもしくはドラゴンと呼ばれる自然災害級の生物の存在しているところです。
何かと、家にこもりがちになりますが、このお話で少しでも退屈を紛らわすことにご協力できたなら幸いです。
山間の温泉宿で小鳥のさえずりで身を覚ます、そんな粋な目覚めを期待していたネアは、小鳥さえずりではない騒音に近いセミの鳴き声でたたき起こされてしまった。これも夏の風物詩と言えば、そうなのであるが、それは限度の問題であり、これは明らかに風物詩を通り越した季節ごとに発生する台風などの災害とも肩を並べるのではないかと、ネアは目をこすりながらむすっとしてベッドから起き上がった。
日はまだ上ったばかりで、陽射しの暴力はまだ発揮されておらず、ネアは朝風呂に入って、昨夜の寝汗を流すことに決めた。ネアはこの宿に宿泊している間は朝風呂をルーチンとすることをめざしており昨夜の家から桶やブラシにタオルと言った入浴セットを準備していた。それをそっと手にすると、音を立てずにドアを開け、浴場に向かった。
「これにも慣れたな」
言葉のとおり慣れた手つきでネアは寝巻を脱いできれいに畳み、下着の尻尾穴から尻尾を抜いて、天然の毛皮を纏っただけの状態で浴場にはいると、朝日が浴場内を照らし、それがほのかに上る湯気を照らし、いつもとは違う風景を作り出していた。
「ふーっ」
お湯の温度は季節に合わせて温くしてあり、心地よい湯加減であった。しかも、広い浴場に一人きりである。ネアは思わず湯船の中を泳ぎだした。
「どうしても、犬かき・・・、この場合は猫かきだよな」
ぽつりと吐き出すと広い湯船の真ん中でちょこんと座って、濡れた肉球付きの掌をじっと見つめた。
【この世界で1年以上過ぎたが、これからどうなるんだ。あの英雄を処理しなくてはならないようだが、この幼い身体にそこまでの力はないのは明らか、まれ人としての力も前の世界の虫食いだらけの記憶と知識だけ、前の世界に戻りたいとは思わないが・・・】
自分のペタンとした胸と腹、そして今や悲しいかな、かつての威容を誇っていた(?)モノが存在しない股間を揺れる湯ごしに見て深いため息をついた。
「お母さん、お父さん・・・お兄ちゃん、どこに行ったの・・・」
ネアは意識せず、言葉を発していた。
【何を言っているんだ、俺は・・・】
「寂しいよ・・・」
ネアの口から次から次へと不安と喪失の言葉が吐き出される。言葉とともに涙もとめどもなく流れ出す。それは、もうおっさんの部分では制御できず、ただ押し寄せる感情の大波に立ちすくむしかなかった。
「帰りたいよ」
そう呟いた時、ネアのおっさんの部分の意識は急に現実と切り離されたように感じた。
『つらいか?』
ネアは何もない世界の中でただ一つ存在を感じられる、蹲って泣いている小さな猫族の少女に声をかけた。その少女は泣きながら頷いた。
『つらいよな、まだまだ両親が恋しい頃だもんな、でも、その気持ちは大切だ。そんな気持ちがなくなったら、それは人の形をした、別物だよ。つらい、悲しいは生きていたら付き物だよ。でも、良く周りを見てみろ。ラウニ、フォニー、そして、ティマ、奥方様、ご隠居様、レイシーさん、お前さんを支えてくれる人はたくさんいるだろ。ティマは何もかも奪われて、それでも健気に生きている。でも、まだまだ幼いからお前さんにすがっている所もあるんだよ。だから、お前さんが倒れると痛いのにはお前さんだけじゃないんだ』
自分がどんな姿をしているかも定かでない状態で、蹲る猫族の少女の頭を撫でようとした。
『前に言ったじゃないか『おじさんは一人じゃないよ、いつも私がいることを忘れないで』って、俺たちは最高のチームだろ。もし、辛くて辛くてどうしようもないなら、俺の意識を消し飛ばして、この身体を取り返しても構わない。無くしたものより、今あるモノに目を向けてくれよ。それに気づくこともしないで、邪魔だって切り捨てた馬鹿はロクでも無い馬鹿野郎だ。それは、人の姿はしているが、人の心を持たない化け物だ』
かつての自分のことを思い出しながら語りかけた。
『いきなり、心細さと不安と寂しさに飲み込まれた。おぼろげに家族のことを思い出す。優しく、温かいあの場所に帰りたい。ここにいるのは嫌、早く帰りたい』
猫族の少女は何もない所で急に襲われた感情の波に耐え切れずその場に蹲ってしまった。その時、どこかで聞いたような声が語りかけてきた。ちらりと気配の方向を見ると猫族の少女が心配そうな表情で見つめていた。彼女の話し方は、その姿に似合わないおっさんじみていたが、相手が自分のことを心底思ってくれていることが痛いほど分かっていた。
『支えてくれる人、最高のチーム、そうだよね、おじさんと私は最高のチームだよね』
猫族の少女は立ち上がって手で涙をぬぐって笑みを見せた。
『今あるモノを大切にして・・・、配られたカードでしか勝負できないもんね。でも、私たち、結構いいカードを持っているよ。だから、切るときはタイミングを間違えないようにしないとね』
猫族の少女は心配そうに見つめるハチ割れの少女にそっと手を差し出した。その少女はその手を恥ずかしそうに握った。
「ん、何だったんだろ・・・、うっ」
ネアは湯の中で気を失っていたのか、完全に茹で上がっていた。
「ネア、遅いよ」
ふらふらとのぼせた身体を引きずるようにロビーに行くと既にラウニをはじめ侍女見習いとドクター一家が朝食をとっていた。いつもはピンクの鼻先を真っ赤にしたネアの姿を見つけると早速フォニーが声をかけてきた。
「支えてくれる人たちか・・・」
「ネア、何か言いましたか。朝の挨拶がまだですよ」
ラウニがハチミツの入ったポットを手にしながらネアにいつものように指導を入れてきた。
「いいえ、なにも、おはようございます」
ネアはふらふらとテーブルに着くと、キーンと冷えた水を一気に身体に流し込んだ。その冷たさは、火照った身体に気持ちよく染み入っていった。
「朝から茹であがるって、身体に良くないよ」
ビブに食事をさせながらレイシーが心配そうにネアを見つめた。
「大丈夫です。ちょっとじっとして、涼しい所にいたら・・・、暖かいところ・涼しいところは猫に聞けって言うでしょ。涼しい所を探すのは得意のはずですから・・・」
ネアはそう言うと浅く目を閉じ、椅子に深く腰掛けて深呼吸した。
ネアたちが朝食を終えて、ロビーで一息ついているとシャルが両腕に大きな紙包みを持ってシャルがやってきた。
「ご隠居様からのプレゼントです。あ、レイシーさんとビブちゃんの分もありますよ」
ロビーの片隅でビブに絵本を読み聞かせていたレイシーがシャルの言葉に頷いて立ち上がった。
「ビブ、続きはまた後でね。でも、ご隠居様からって何かしら。ビブのもあるみたいだし」
シャルによってどんとテーブルの上に置かれた紙包みを見てネアは難しい表情を浮かべた。
「嫌な予感がするんです」
「ええ、ご隠居様からのプレゼントだよ。きっと素敵なモノに決まっているじゃないの」
「ご隠居様は、あたしにヌイグルミをくれたよ・・・、贈っていただきました」
フォニーとティマはネアの言葉に納得しかねるとばかりに首をかしげた。
「ネアの予感が正しいような気がします。私も・・・」
ラウニはネアと同じく、この紙包みから良からぬ気配を感じ取っていた。
「貴方たちは考えすぎなのよ・・・、えっ」
レイシーは、難しい表情を浮かべるネアとラウニに杞憂しているとばかりに笑みを浮かべていたが、シャルが包みを解いた時、表情が凍り付いた。
「この夏の流行の水着だそうです。メッセージカードには、体形に合わせてあるからご心配なくって、あ、私のも、アーシャちゃんのもある。・・・際どいですよね」
シャルが自分宛てとされている水着を手に取って複雑な表情を浮かべた。それはビキニタイプでやたら布面積が小さいように見えた。
「これは、ちょっと・・・、ね」
引きつった笑みを浮かべるレイシーの手には、真っ黒のしかも随分と布を節約した感じのワンピースタイプだった。
「犯罪だ・・・、子供にこんなのを着せるなんて」
ネアたちも、シャルと同様のビキニタイプの水着が贈られていた。それを見たネアは小さく呟いた。
「わー、これ、かっこいい、大人っぽいよ。あ、皆、色は違うけどお揃いだよ」
困惑するシャルとレイシーを傍目にフォニーは際どい水着を手にはしゃいでいた。
「まさか、ビブちゃんにも・・・」
ネアが何かに気付き、レイシーがビブのモノらしき水着を手にしている、その手先を凝視した。
「良かった・・・」
「もし、際どかったら、文句の一つでも言おうとおもったけど」
ご隠居様がビブに贈った水着は年齢にあった。ワンピーススタイルに黒地に黄色の斑点が入った柄であった。
「水着が手に入ったんだから、泳ぎに行こうよ。ヨッゴの湖って夏は泳げるんでしょ」
フォニーが尻尾をまるで散歩に行くことをねだっている犬のように振りながらラウニに詰め寄っていた。
「私たちだけで水に入るのは危険ですよ。お風呂とは違うんです。もし、何かあったら」
「もう、ラウニは心配性だねー、大丈夫だよ」
泳ぎに行きたいフォニーは散歩に行きたくて我慢ならない犬のようにラウニの服の裾を引っ張り出した。
「あそこで危ないことはないと思うけど、冬のこともあるし、お昼になったらアーシャちゃんも来るから、お昼から行こうよ。それまで、ここでゆっくりするか、お散歩でもどうかな、広場のお店の奥の方に小さい川があるから、そこで涼むのいいかもしれないよ」
「アーシャさんも水着貰ったから、それがいいかも」
シャルの言葉でフォニーの尻尾の動きは収まったようにみえたが、今度は小さい川という言葉に反応して再び振れだした。
「ね、行くよね、ねぇ行こうよ。ティマも行きたいよね」
「うん、行く」
ネアは、フォニーとティマの会話を耳にしながら、ここにバトがいたら、大変なことになっていただろうなと苦笑した。
「お散歩をねだる犬じゃないんですから、落ち着きなさい。慌てなくても川はなくなりませんよ」
ラウニはやれやれと席を立ち、貰った水着を抱えるとネアたちに部屋に戻って支度するように促した。
「日差しが強いから、これを被って行ってね」
ヒルカがちゃんと耳穴の開いた麦わら帽子をネアたちが宿から出ようとするのに合わせて手渡した。
「ありがとうございます」
「この大きさはティマのですね」
「あ、うちもそれにする」
手渡された麦わら帽子をそれぞれがかぶると元気よく宿から出て行った。
「こっちの方向だよ。水の音がするよ」
フォニーが広場を過ぎたあたりで、川の方向に走り出した。
「あんまり走ると、暑さで倒れますよ」
ラウニの注意も耳に入る気配もなく、フォニーの姿は道の曲がり角で小さな建物の陰になって見えなくなった。
「せっかちですね」
ラウニはそんなフォニーの行動をため息ついて見送った。
「水の音はしますが、フォニー姐さんの声がしませんね、何かあったのかな」
ネアはティマをラウニに任せて走り出した。建物の角を曲がるとそこには幅が1歩程度の川が涼やかな音を立てながら流れていた。その川岸にフォニーは立ったまま何かを見つめていた。
「フォニー姐さん、何かあったの・・・ですか」
フォニーはネアの問いかけに黙って指さした。その方向にはこの村の悪ガキどものバイゴたち数人が捕虫網と虫かごを持ってあちこちの木々を見上げながらうろうろしている姿があった。
「虫を捕まえているよ」
「夏ですからね」
嫌そうな表情で彼らの動きを見つめていたフォニーが信じられないというような口調で言うのに対して、ネアはこともなげに応えた。
「虫だよ。態々、それを捕まえるんだよ。捕まえてどうするのかな、食べたりするのかな」
フォニーは彼らの行動が理解できないとネアに訴えると、彼らを無視することに決め込んだ。
「フォニー、何があったんですか。あら、あれは、バイゴみたいですね」
ネアたちに追いついたラウニが川向うで捕虫網片手にうろうろしている少年たちを見て、懐かしそうな表情を浮かべた。
「バイゴ?」
「この村の悪ガキですよ」
首を傾げるティマにネアは一言で答えた。彼らを悪ガキの範疇に入れるかどうかは微妙な所であるが、やっていることはブレヒトの行動をマイルドにしたぐらいで大して変わらないので、あえてネアは彼らを悪ガキと言うカテゴリーに区分していた。
「おい、バイゴ、あれ」
懸命にジャイアントカブトムシを探していたバイゴにラッケが声をかけた。
「なんだよ、一体・・・、あ、冬知らずの姐さんだ、冬知らずの姐さんが来てるぞ」
バイゴは川向うに小さな子の手を取って辺りを見回している黒い姿を見て仲間にラウニの存在を知らせた。
「冬知らずの姐さん、ってなんだよ。ただの熊の子じゃないか」
ラウニについて何も知らない真人の少年がバイゴの驚き方を見て呆れたような声を出した。
「冬知らずの姐さんとお館の侍女の姐さんたちはめちゃくちゃ強いんだぞ。俺でも歯が立たないぐらいだぞ。おーい、冬知らずの姐さん、久しぶり、元気だったかー」
この冬のことを知らない少年にこれ以上相手することなく、バイゴはラウニに手を振ると、ぽいと川を渡ってラウニのもとに駆け寄った。
「私は、冬知らずの姐さんじゃありません。ラウニです。バイゴも相変わらず元気そうですね」
気持ちよく日焼けしているバイゴにラウニは軽やかにカーテシーをしてみせた。その行動に少年たちは、どきりとして、ラウニから目が離せなくなっていた。
「俺、初めて見た」
「芝居でしか見たことないぞ」
ラウニのカーテシーに悪ガキ友はどよめいた。そんな中、ネアは彼らが手にしている虫カゴを興味深げにのぞき込んでいた。
「これコガネムシかな・・・、セミもいるね」
彼らが手にしていた虫カゴの中には、コガネムシと思われる甲虫数匹と捉えられても時折抗議の声を上げているセミが1匹入っていた。
「マルコガネと怒りゼミしかいないんだよ。こっちはジャイアントカブトムシを探しているのに」
ネアの言葉にバイゴが不満の声を上げた。
「カブトムシ・・・広葉樹はここにはないよ」
ネアが辺りを見回すと川沿いにはえているのは葉の形から紅葉の類と思しきものと松のような針葉樹しか見当たらなかった。
「お前、虫に詳しいのか?どんな木がいいんだ」
ラッケがネアの言葉に喰いついてきた。そんなラッケにネアは落ち着いて、ちょっと咳払いすると
「多分、ドングリがなる木がいいと思いますよ」
ネアが前の世界の知識を何とかかき集めて口にすると、バイゴたちは互いに顔を見合わせた。
「ドングリって言ったら、あそこだな」
「昼めし食ったら、現地集合だ。遅れるなよ」
少年たちは、何かを打ち合わせるとネアたちに手を振ってさっと川辺から立ち去って行った。
「ネア、虫について良く知っているね、うちはダメ、手で叩き潰せない大きさなのは絶対にムリ」
フォニーは手でバッテンを作って、うぇっと吐くようなそぶりを見せた。
「フォニーお姐ちゃん、お部屋に時々やってくる小さいクモさんはかわいいよ」
ティマは多分ハエトリグモのことを言っているのであろうが、フォニーにとって虫の類(クモは昆虫ではないが・・・)は好ましくないものの代表だった。
「クモもダメ、悲鳴をあげたりしないけど、関わりあいたくないんだよ。お互いの幸せのために」
フォニーはそう言うとブルっ身を震わせた。そして、それを忘れるようとするように川に近寄って水の中をのぞき込んだ。
「うわ、小さなお魚がいっぱいいるよ。あ、ミズトカゲもいる」
フォニーは水の中にいろいろな生物を見つけたようで興奮したような声を上げ、皆を手招きした。
「フォニーお姐ちゃん、お魚いるの?」
ティマがフォニーの手招きに吸い寄せられるように走り出した。
「ラウニ姐さん、ここではもう伝説になってますね」
「悪ガキに目を付けられたネアの苦労が分かりました。本当にアイツら子供なんだから」
ネアは、むすっとした表情をしながら川辺に歩いて行くラウニの後を付いて行った。
「さっき、ミズトカゲって言ってたけど、どれですか」
川の中を覗き込みながらネアはフォニーに尋ねた。
「あそこの石の陰にいるでしょ」
フォニーが肉球のついた手で示した方向を見ると、そこには黒っぽい姿のイモリが気持ちよさそうにたたずんでいるのが見えた。
「あれが、ミズトカゲですか・・・、初めて見ました・・・」
ネアは感心のしているフリをしながら、心の中で、それは、爬虫類じゃない、両生類だ、と激しく突っ込んでいた。
ご隠居様の謎の情報網はネアたちだけでなく、人妻、ケフの都の外にも及んでいるようです。彼がいつ、どのようにしてレイシー、シャル、アーシャのサイズを手に入れたかは高度な情報統制により明らかにされていません。
今回も、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク頂いた方に感謝を申し上げます。