145 気になること
この世界はまだまだ夏です。お話の中の季節と現実の季節の違いが書いていて不思議な気持ちになります。
(季節感なんてないだろうが、の突っ込みはスルーさせて頂きます。)
「『あの若がねー』、『姉弟そろって只者じゃないってか』、『アタイ、若が目を開けている所を見たことないよ』、『この郷も安泰だ』って、街の中は若の噂で一杯だったよ」
奥方様からクッキーを買ってくるように命じられたフォニーが香ばしい香りがする紙袋をテーブルの上に置いて、奥方様に報告をすると堰を切ったようにネアたちに話し出した。
「流石若様だよ・・・です」
ティマが嬉しそうに声を上げ、作業場の隅に置かれているソファーの上で眠りこけているギブンを憧れのこもった目で見つめた。
街では、グルトを発見するために見事な策を講じたギブンの知恵の噂が野火の如く広がっていたのである。もともと、グルトの実家が大きな商家であり、様々な人が出入りすること、親バカの彼の両親が話好きなこともあったのがその大きな原因であった。姉の暴れ姫の陰になっていることと、常々眠りこけていることからギブンの存在は街の人々に意識されることは多くはなかったが、この一件が彼にスポットを当てた形になっていた。
「普通に考えたら分かることだと思うよ」
当の本人は眠そうに言うだけであるが、街の人々の彼に対する株価はいい勢いで上昇していた。
「若は、お優しくて、頭が良くて・・・、最高です」
と、ごく一部の侍女見習いの彼に対する想いは信仰の域に達しかけていた。
しかし、このことが面白くない者もごく一部に存在した。
「いつも寝ているくせに、いらないことしやがって、年下のクセに」
と、この騒ぎの中心となったグルトは当然のようにギブンを逆恨みしていた。
「アイツは絶対に絡んでくるからね。注意してね。特にネア、アイツは賢くないけどしつこいみたいだから、十分に注意して、今度は手加減しない方がいいかも知れないよ。僕にも何かしでかしてくるだろうけど、でも案外、簡単に見破れると思うけどね」
昨日、館に帰る際に既にギブンはグルトの行動を年齢に見合わぬ苦笑を浮かべながら先読みしていた。このことばで、ネアは面倒くさいことが発生するとの不安な思いは不安の確信になったのであった。
「モーガ、悪いけど、ネアを借りるよ」
午後のお茶の時間を楽しんでいた奥方様のもとにご隠居様がいつもの如く唐突に顔を出して要件を注げた。
「例のお仕事でしょうか。お泊りになるんですか」
怪訝な表情で実父であるご隠居様を睨みつける奥方様にご隠居様はちょっと後ずさりしながら、笑顔を浮かべて頷いた。
「ネア、特別のお仕事だよ」
「気を付けてくださいね」
「お土産わすれないで・・・ください」
ネアは同僚たちに次々と声をかけられながら、そっと裁縫道具をおくと立ち上がり、ご隠居様のもとに歩み寄った。
「準備はできております」
ネアは深々とご隠居様に頭を下げた。ご隠居様はその頭をそっと撫でてた。
「できるだけ、遅くならない様にするよ。じゃ、行こうか」
ご隠居様は明るく言うと、ネアを連れて奥方様の執務室兼作業所から出て行った。
「今日は、英雄対策についてですか」
ネアはご隠居様の後をついて歩きながら小さな声で尋ねた。
「それもあるが、ネア自身についての話もあるんだよ・・・。おや、ネアのお友達かな・・・、それにしては、ちょっと年嵩みたいだけど」
ご隠居様がネアに聞こえる程度の小さな声で答えた時、小さな通りの行く手をいくつかの影がふさいだ。
「そこのネコに用事がある」
いかにも、チンピラもしくは半グレへの憧れを拗らせた年齢のころは14・5歳ぐらいの連中がその顔を隠すこともなくネアたちの前に立ちはだかっていた。その中の一番威勢がいいようなの少年がが思いっきり背伸びした押し殺した声で話をかけてきた。
「おやおや、ネアの知り合いかな」
ご隠居様は薄ら笑いを浮かべながらいつもの軽い調子でネアに尋ねてきた。
「いいえ、少なくとも、これから先もこの手の連中とは付き合いたくありません、と言うか、こんな連中と知り合いたいと思ったことは一度もありません」
ネアは汚物を見るような視線を少年たちに投げかけた。
「じじぃ、大人しくネコを差し出したら痛い目に遭わずにすむ」
自分たちの脅しが通じないことを知った一団は苛立ちの声を上げた。
「・・・君たちはボクのことを知ってて、声をかけているんだよね」
ご隠居様は更に相手の苛立ちを煽るようににこやかに声をかけた。
「ああ、十分知っている。オマエがこの郷の前の郷主ってことぐらいな。アンタごと痛めつけて、モノが言えなくなればいいだけのことだ」
行く手を遮った一団はこの言葉を合図にさっとナイフを取り出した。それを確認したネアはエプロンの裏に取り付けたシャフトを取り出すと、一振りしてシャフトを伸ばした。
「ああ、ここでボクやネアを斃して箔をつけたいわけだ。ここでボクを斃しても鉄の壁騎士団の追求から逃げきれるかな・・・、それ以前に、ボクらを君たちの思うようにできるかの問題もあるけどね。それと、君たちが用があるとしている、ネアは君たちの思うようにはいかないよ」
ご隠居様は自分の前に出てシャフトを構えて一団を隙なくにらみつけているネアを目を細めて見ると、自らもステッキの握りを変えて身構えた。
「ご隠居様ーっ、すみやせん。ちょいと旨そうなモノがありやして」
緊迫した空気を感じることなく頓狂な声を出しながら、巨体がドタドタと走り寄ってきた。
「おや、ネアの姐さんのお友達ですかい?」
ネアがシャフトを構えて睨みつけている一団を見たハチが低い声でネアに尋ねてきた。
「私は、お友達を選びます」
「成程、ご隠居様、こいつらのお相手はあっしがして、よござんすか」
ナイフを構えている連中を睨みつけながらハチがご隠居様に尋ねた。
「ハチ、旨そうなものに気を取られるのはいいが、注意してくれよ。ああ、彼らには丁寧にお相手してやってくれ。死なない程度で。仮に手が滑って彼らが死んでも、それはそれで仕方ないことだよね。君たちもその覚悟でナイフを構えているんだよね」
ご隠居様の言葉を聞いてハチはニタリと笑うと、そっとネアの肩にゴツイ手をかけた。
「姐さん、お下がりくださいやし。きれいなおべべを汚しちまうかもしれねぇんで」
ハチはネアを己の背後に下げると両手を組み合わせて指を鳴らした後、腕の筋を伸ばした。その時、ネアの耳に甲高い笛の音が響いた。ふと、音の方向を見るとご隠居様が小さな銀の笛を吹きならしている姿が目に入ってきた。ネアは、ご隠居様がこの辺りの獣人たちに緊急の信号を発したことを知るとちょっと安心した。そんなネアとは対照的にハチはひりひりする様なやる気をみせていた。
「遠慮はいりやせんぜ、こっちも遠慮しないんで」
「ハッちゃん・・・」
ネアは初めてハチに出会った時の隙だらけの姿を思い出し、心配そうに声を出したが、ハチが身構えた瞬間に心配は吹き飛んでいった。
「こいつら、潰していいよな。前郷主なんか知ったこっちゃねーよな」
「じゃ、潰させてもらいますか」
道を塞いだチンピラのヒナが肩をいからせながらご隠居様に近づいてきたが、彼はご隠居様に触れることはできなかった。
「っ!」
ハチはふらふらと歩いて来る襲撃者その1の襟首をひっつかんで持ち上げると力任せに石畳に叩きつけた。叩きつけられた少年は妙な声を上げてそのまま動かなくなった。
「威勢のいいのは、口だけですかい?」
ハチは残りの少年たちにニヤリと笑いかけると、指をクイクイと動かして挑発した。
「ハゲがーっ」
少年たちの一人がナイフを腰だめにしてハチに突っ込んできた。
「その意気込みや良しっ」
ハチはそう叫ぶと丸太のような腕を思いっきり少年の顔面に叩き込んだ。何かがひしゃげるようなくぐもった音を出しながら少年は仰向けに倒れた。その顔についていたと思われる鼻は気持ちよく顔面にめり込んでいた。ハチに一撃に伸された少年たちは大きないびきをかきながら横たわりピクリとも動かなかった。
「前郷主様に手を上げたんだ。覚悟はできているはずだよな」
ハチがずいっと進み出ると少年たちはそのままくるりと背を向けて走り去っていった。
「残念でしたね」
少年たちが走り去った後、ネアは小さな通りに無造作に積んである木箱に向けて声をかけると、ハチに倒された少年が持っていたナイフを箱に投げつけた。
「なんだよ。いきなりナイフを投げつけるなんて、犯罪だぞ。こいつらのことは、俺は知らない。こいつらがやったんだ。俺はなにもしていないぞ」
ぐっさりとナイフが突き刺さった木箱の後ろからグルトが出てくると大声をあげた。
「この騒ぎを間近で安全に見られる特等席はそこでしょ。いるなら、そこかなって、ね。思ったとおりでした」
ネアは挙動が怪しすぎるグルトにニコニコしながら声をかけた。
「お前、はめたなっ」
ニコニコしているネアに激情したグルトはネアに駆け寄り殴りつけようとしたが、それは叶わなかった。
「坊ちゃん、おイタがすぎやすぜ」
ハチがごつい手でグルトの顔面を握って持ち上げていた。グルトはくぐもった声を上げジタバタし始めた。
「ハチ、降ろしてやりなさい」
ご隠居様がハチに命じるとその場でハチはさっと手を放し、グルトは石畳に尻もちをついてしまった。
「俺は知らないぞ。なにも知らないぞ。・・・呑気そうにイビキをかきやがって・・・」
グルトは涙目になりながら尻をさすって立ち上がるとハチに沈められた少年たちを憎々しそうに眺めた。
「イビキをかいているとなると、助からないね。聊か、やりすぎたようだな。ハチ」
ご隠居様が少し厳しめにハチに言うとハチはその場で頭を下げた。
「とは言え、ボクたちを良く守ってくれた。よくやった。彼らには悪いが、自分の力も知らず、襲い掛かる相手も知らず、と言うか、今までの相手と同じだと思っていたようだね。刃物を見せれば相手が言うことを聞いてくれるってね。グルト君だったかな。先ほどの少年たちはもう捕まっている頃だよ。この笛で合図したからね」
ご隠居様は哀れなモノを見る目で横たわる少年たちを眺めると、この場から逃げようとしているグルトに声をかけた。そして、懐から小さな銀の笛を取り出してグルトに見せた。
「さっきね、襲撃を受けたって音と、襲撃者が逃走した音をこのあたりに住む獣人の皆が耳にしたと思うよ。あ、早速、捕まったようだよ」
ご隠居様が指さす方向から先ほどの少年たちが後ろで縛られてヨタヨタと歩いてくる姿が見えてきた。それぞれが顔面に痣をつくっていることから、それなりの騒ぎがあったのだろうとネアは推測した。
「おい、話が違うだろがよー。何がじじいとガキだけだ」
強面の犬族の男に後ろ手に縛られた少年がグルトを見るなり声を上げた。
「俺は、知らない。こいつらなんて知らない。俺は関係ないから」
グルトはそう言うとさっと踵を返してその場から立ち去ろうとした。
「君がグルト君だね。お話聞かせてほしいなー」
そんなグルトの肩をぐっと力強くつかむ者がいた。
「手を放せよ」
グルトがさっと声の主を睨みつけた。そこには、ニコニコとした笑顔を浮かべた牛族の鉄の壁騎士団員の姿があった。
「メイルか、早かったねー」
ご隠居様はその団員に気安く声をかけた。ネアはその団員を見て彼女が先日マーケットで会った、ラマク山脈すら霞む巨大な山塊を胸に持つ牛族の団員であることに気付いた。
「笛の音がしましたので、駆け付けました。賊は彼らですか。まだ子供のようですが。やったことがやったことですからね。あらら、この子たちいびきをかいて・・・、可哀そうに」
メイルは石畳の上に上に横たわる少年を見てちょっと悲しそうな表情を浮かべた。
「自業自得ってもんだよ。誰に手を上げたのか理解しているようでもなかったけど。出来るものならこの子たちも助けてやってくれ、後は任せたよ」
ご隠居様は横たわった少年をちらりと見てメイルに命ずると彼女はさっと敬礼してご隠居様に応えた。
「善処します」
「ありがとう」
そう言うとご隠居様はさっさと歩き出した。その後をネアとハチが続いた。
「ハッちゃんって強いんですね」
ネアが改めて驚いたような表情を浮かべながらハチを見上げた。
「あんなの、ただの力技ですぜ。あいつらは威勢はいいだけのただの素人のガキですぜ」
「素人のガキがご隠居様に手を上げてしまったんですよね。すると・・・」
ネアはあの少年たちに少し同情を感じ、彼らの行き末が気になった。
「普通、郷主の家族に手を出したら、死罪は免れないね。彼らが子供であっても、はてさて、困ったもんだ、落としどころが難しくなりそうだよ」
ご隠居様は頭を掻きながら小さなため息をついていた。
「今の懸念すべき事項は二つある。一つ目は今まで通り英雄の動向、そして二つ目は正義と秩序の実行隊だ」
ボウルの店の奥の一室のテーブルの上に先日の噂紙を広げてご隠居様は集まった面々に声をかけた。
「彼らの活躍する話はあちこちに書いてあるが、どこに所属しているのか、どこの郷の中でも独自に行動できるのか、そうなると誰が許可を与えているのか、後ろ盾は誰なのか、これが全く分からない」
ご隠居様はコツコツと噂が身を指先で叩きながら少々イラついたような声を出した。
「正体は分からないまでも、この白と赤の鎧は引き付けるものがありますな」
今回からこの会合に顔を出している黒狼騎士団長のガングが感心したように呟いた。
「正義と秩序と英雄のためなら自らの命すら簡単に差し出せる。この鎧はその覚悟をした者のみが身に付けることができる、この鎧を身に付けている者は選ばれた者である。純真な子供たちには魅力的に見えるでしょうな」
ガングはこの鎧を憧れの目で見つめる少年たちの姿が目に浮かんだ。
「グルトも憧れて、自分も正義と秩序の実行隊に入隊するって熱く語っていましたよ。これって、バカにも魅力的に見えるんじゃないでしょうか」
ネアにはこの鎧自身が馬鹿の象徴のように見えていた。
「伝説の英雄と同じようなモノでしょうな」
コーツが噂紙に描かれているイラストをしげしげと見つめた後、何かを思い出すように呟いた。
「恥ずかしながら、私も幼いころ、このようなモノに憧れましてな。風邪と同じようにさっと熱が出て、さっと引きましたが、これも風邪と同じように拗らせると厄介でしょうな」
「この鎧も安くはないと思うんだよ。スポンサーがいるはずなんだよ。ここまで、大きく動き出すと、きっと何らかのボロがでる。見せたくないものが見えてしまうこともある。ケフから正義と秩序の実行隊に入隊する者を出したくないのだけどね」
ご隠居様は白と赤の鎧のイラストを睨みつけながら今後の情報収集の焦点を告げた。
「バカはどこにも一定数いますから、この郷からもあるでしょうね。後先、他人の迷惑を考えない、筋金の入りのバカがいるぐらいですから」
ネアはウンザリしたような表情でグルトのことを思い出しながらご隠居様の見通しとおりにはならないと言った。
「バカは一定数いるか・・・。出来ることならバカの数は減らしたいものだね」
「ご隠居様、それは聊か難しいお話でございますよ」
コーツが悲しそうに首を振った。
「バカでも使えるバカは貴重なもんだよ。ロクさん、またトバナ氏に新たな注文をしておいてくれないかね。最近の彼の報告は形式ばかり立派で内容が全くないからね。ちょっと、怖がらせておいてくれよ。その内、ゴーガンが会いに行くってね」
ご隠居様はニヤリと黒い笑みをロクに向けた。
「了解しました。暫く恐怖で食も進まないぐらいにしてやりますよ」
ロクはご隠居様の黒い笑みに同じように黒い笑みで応えた。
「頼んだよ。それと、ネア、これを君に渡しておくよ」
ご隠居様がポケットから封筒を取り出してネアに手渡した。
「癒しの星明り亭のラスコーからだよ。ボク宛には是非ともネアに来てもらいたいって書いていたよ。お代はいらないようだ。夏のお休みも近いから皆で行くといいよ」
ネアは封筒を手に取ると丁寧にそれをポケットにしまい込んだ。
「ご隠居様のご紹介くださったお宿は、とても素敵でした。今回はティマも連れて行ってやろうと思います」
ネアが冬の出来事を思い出してにっこりするとご隠居様もにこりとした。
「それはいい考えだ。彼はジングルにきも来てほしい・・・、いやシャル嬢がどうしてもビブちゃんに会いたいらしくてね。ウェル君も里帰りするようだし、是非とも行ってやってくれないか。お小遣いぐらいは出せるからね」
「ありがとうございます」
ネアは嬉しそうにご隠居様に礼を述べた。
「こういう姿を見ると普通の子供なんだが・・・」
ガングはそんなネアの行動を不思議そうに眺めて呟いた。
「ところで、お小遣いはあっしらにはありやすか」
「ハチ、お小遣いは子供だけだよ。お前さんは無駄な買い食いをなくせばもう少し生活が楽になるぞ」
ニコニコしながら差し出されたハチの手を隠居様は苦笑しながらぴしゃりと叩いた。
白と赤の鎧の一団が猛威を振るっていきそうです。団体で何らかの行動をするときはその団体を象徴する何らかの表象が必要となりますが、この場合は白と赤の鎧です。
ネアたちはバカが入隊すると考えているようですが、このような組織に敢えて入るのは頭はいいが、使い方を間違えている人のようです。
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