141 憧れ
何となく、シモに走ったような気がしますが、多分気のせいでしょう。
バトは普通のエルフ族で「シモエルフ」と言う種族は存在しません。
「ハイエルフ」はいるかもしれませんが。
ルロはバトたちを人通りのない路地に引き込むとバトとアリエラを睨みつけた。
「貴女達、恥を知りなさい。こんな小さな子供にトンデモないことを教えるなんて、何を考えているんですか」
ルロの声が、肩を寄せ合うように密集している石造りの家々に木霊し、その声に驚いたのか赤ん坊の泣き声も聞こえてきた。
「なんだ、喧嘩か」
路地に面したあちこちの窓が開き、そこから好奇の視線がルロたちに降り注いだ。
「何やってくれんのよ。うちの子がやっと寝付いたのにっ!」
その一つからはキツイ叱責の言葉が飛んできた。『やらかした』と悟ったルロは思わず声が飛んできた方向に頭を深々と下げていた。
「怒られちゃったね」
頭を下げるルロの横でバトが気楽そうに言うと、ルロは獄卒のような表情で睨みつけた。
「帰ってから、きっちりお話します。アリエラもいいですね」
ルロの言葉にバトは大げさに驚いてみせると、ちらりとアリエラを見た。
「ティマちゃん、守って・・・。ネアちゃん、その肉球で撫でて」
アリエラは苦しがるティマを無視するようにぎゅっと背後から抱きしめながら、呆れ顔のネアに頭を撫でさせていた。
「あっちの世界に行っている、と言うか現実逃避ですか」
ルロはため息をつくとがっくりと肩を落とした。
「お師匠様、苦しいです」
ティマが何とかアリエラを見ようと身体をひねりながら苦しそうな声を上げた。
「お師匠様じゃなくて、お母ちゃんってよんっでっっつ」
いきなりアリエラがその場に崩れ落ち、ティマはその濃厚なハグからなんとか逃げ出すことができた。
「それは、越えちゃいけない線だよ」
ネアが何事が起きたのかと視線を上げるとアリエラの脳天に拳をめり込ませたバトが呆れたような表情で立っていた。
「お師匠様は、ちょっとアブナイ世界に行ってるからね」
バトはそう言うと、ぐったりしているティマをそっと抱き上げた。
「お師匠様、元に戻るの」
「大丈夫、多分、この後で恥ずかしさのあまり転げまわるかもしれないけど」
心配そうにバトをみるティマにバトは優しく微笑んだ。
「えっ」
そんなバトとアリエラを見ていたネアはいきなり手を取られて驚きの声を上げた。
「傷ついてささくれた心を癒すには肉球しかないのです」
ルロが懸命にネアの肉球を押したり撫でたりしながら呪文をつぶやくように声を出した。
「・・・ダメダメだよ」
「ああいう大人にはなりたくないですね」
ラウニとフォニーは、自分たちを引率してくれている大人たちを冷めた目で見つめていた。
「何の騒ぎか思いましたよ」
路地でみっともない大人の見本をさらしている者たちとそれを呆れて眺めている者たち一行に涼やかな声がかかった。
「あ、お姫様だ」
バトに抱かれていたティマがポンとバトから飛び降りると今度はパルに飛びついた。
「こんばんは、ティマちゃん。楽しそうでいいですね」
「パル様、こんばんは」
ティマを抱っこして頬ずりするパルにネアたちはさっと頭を下げた。
「今夜は、お祭りですよ。そな堅苦しいことはなしでいいですよー」
パルに付き従っていたメムがネアたちに声をかけてきた。
「そう言うことは、主たる私が言う言葉です」
メムの天然さにパルはため息をついた。
「こんな薄暗い所で何をしているんですか?」
パルは不思議な空気を醸し出している一行に首を傾げた。
「あのー、ちょっと名器になるための講義を少しばかっぐっ」
いつも調子でトンでも無い事を口走るバトにきれいにルロの回し蹴りがバトのがさく裂し、バトはよろけるとその場にうずくまってしまった。
「あ、紫だ」
スカートが捲れて中が見えたネアが思わず目に見えたものの色を口走ってしまった。
「ーっ」
その言葉にルロは獄卒も泣かすような勢いで睨みつけた。その迫力に思わずネアはちびりそうになったが、何とか耐えた。
「メイキって紫色なんでしょうか?そもそもメイキって何ですか?」
純真に尋ねてくるパルに言い出したバトはまだ回復していないし、紫色を見られたルロはうつ向いていて黙ってしまっているし、アリエラはティマを抱いているパルを羨ましそうに見つめるだけで、大人は全く役に立つ目途が立たず、と言ってラウニやフォニー、ましてやティマがそれを説明できるわけもなく、皆がきょとんとしている中、ネアは妙な義務感に囚われてしまっていた。
【何とか誤魔化さないと】
「それは、とても良いモノのことですよ。お皿や壺でもお館に飾られているような立派なモノを名器って言うって聞いたことがあります」
ネアは焦ってきょとんとしている皆に説明した。これで何とかなる、とその時は思っていた。
「あれ、でもバトさんは「なるための方法」って言ってましたよ。私たちがお皿とかになるんですか」
空気を読まないメムが何時になく鋭い突っ込みを入れ、その言葉にその場にいた者がじっとネアを見つめた。それは、子供は純真に言葉の意味を知りたくて、大人はネアがどんな回答をするか、そしてこの子がどこまで知っているのかそれぞれの意味を持った好奇の視線であった。
「えーと、素敵な人から価値があるとか、立派だとか思わせることじゃないですか・・・、ね、バトさん」
ネアは冷や汗を流しつつ、最後はバトに預けることにした。
【自分で蒔いた種は自分で刈り取るんだな】
「あ・・・、そう、ネアの言う通り、凄く素敵な女の子になって、彼氏から価値があると思われるようになるっていい事でしょ。それより、夜祭を楽しまないとね」
いきなり、ネアにふられたバトは引きつった笑みを浮かべながらネアの言葉に賛同していた。
「そう言うことなのですね。それは、素敵な事です。では、行きましょうか」
パルはそう言うとティマを抱っこしたまま歩き出した。
「私のティマちゃんを・・・」
羨ましそうにパルを見つめながらアリエラがその後に続いた。
「ネアさん、素敵な説明、良かったですよー」
メムが意味ありげな笑みをウィンクとともにネアに投げてきた。
【知ってて、やったのか・・・】
ネアはメムの天然が果たして言葉の通りの天然なのか、それとも作為されたものか考え込みながら、はぐれない様に皆の後を追った。
「群がる悪党ども、手には刃が欠け、錆びた剣、英雄を睨みつける獣の目、その数ざっと60。さすがの英雄も数では劣勢、しかし、巧妙に位置を変え、撃退するも多勢に無勢、しかも背後には守るべき導きの乙女。じりじりと押され、背後はそこを見えぬ崖、もはやここまで」
夜店が立ち並ぶ一角でギターに似た楽器を派手にかき鳴らしながら吟遊詩人か英雄を題材にした活劇を謳いあげていた。
「覚悟を決めた英雄、群がる悪党、いきなり悪党の一人がその場に崩れ落ちる、何事、何事ぞ、とその体には一本の矢。いきなり飛来する数えきれない矢、それは一本も違わず悪党に突き刺さる。慌てふためく悪党の群れに斬りこむ白と赤の鎧」
以前、ここで原作通りにやらかした同業者がエライ目に会わされたことを知っているその吟遊詩人は、悪党たちの姿かたちを敢えて謳わないことで聴衆を魅了していた。
「『英雄様、我ら正義と秩序を何より尊ぶ者、この命、ぜひともご利用ください』白と赤の鎧の男が雄たけびを上げ、悪党を斬り倒す、続く者も一刀のもとに悪党を斬り捨てる。何とか、危機を逃れた英雄が、笑顔とともに雄たけびをあげた男の手を握る。『我ら、常に英雄とともにあり』、ここに正義と秩序の実行隊が誕生したのでありました」
一通り歌い終わると吟遊詩人は聴衆に深々とお辞儀をすると、それを合図にしたように彼の前に置かれた楽器のケースに小銭が投げ入れられた。
「そのまま斬られたら良かったのに・・・」
ティマがアリエラに手を引かれながらつまらなそうに呟いた。
「あんなものは在った事を大げさに歌ってるだけ、だから気にしない」
ティマのつぶやきを耳にしたネアがふくれっ面になっているティマの頭をそっと撫でた。
「では、『白き乙女』をお耳にさせていただきます」
楽器のケースにおひねりが投げ込まれるのを見た後、その吟遊詩人は楽器を取り上げるとさっきまでとは違った、甘ったるいがどこか悲し気な曲をかき鳴らしだした。
「あ、これ知ってる。白い獣の乙女が王子様に恋するお話だよね」
フォニーが目を輝かせてメムに話しかけた。
「悲しいお話ですよね。白い子は王子様にふられるんだよね」
メムはフォニーに応えると吟遊詩人の歌に聞き入った。
「・・・実らないのかな・・・」
何か思い当たるのか、ラウニが真剣な表情でじっと吟遊詩人を見つめていた。
吟遊詩人の演目「白き乙女」は白い毛並みの獣人の少女が凱旋のパレードの折にふと見た王子に恋し、王室の侍女となり、何とか王子様の近くに行けたのだが、王子は隣国の美しい真人のお姫様と結ばれ、獣人の少女が悲しみに打ちひしがれ、いつの間にいなくなった、そんな内容の歌であった。王子様のお世話をして、王子様から向けられる笑顔に胸を熱くし、その想いをブレーキの壊れた列車のように暴走させる少女の姿をいかに表現するかで流される涙の量が変わると言われる内容の割には演者に高度な技術を要求するものだった。ある者はその様子を病的に表現し少女の異常性によるサイコホラー調にし、ある者は少女の思いを甘く表現することでラブロマンス調にするという演者のさじ加減で様々な様相を見せることができるため、物語の陳腐さを演者の腕で補うことを強制するものだった。
そして、この吟遊詩人は後者の手法を取ることを選択していた。
「虫歯になりそう・・・」
余りにも甘ったるい歌詞にネアは顔をしかめた。それに反して歌詞の意味が分からないティマ以外はうっとりとその甘さに浸っていた。あの、自称シモエルフのバトでさえ、穢れを知らぬ乙女の目で聴いているのを見てネアは笑いをこらえるのに随分と努力を要することになった。
【甘いのはいいけど、さっきの「正義と秩序の実行隊」って何だ?親衛隊みたいなのか、武装狂信者なのか】
ネアの頭は先ほど歌われていた「正義と秩序の実行隊」についての疑問で一杯になった。
「涙で曇る景色の中に、慕っていた王子様とその妻である隣国の姫を乗せた馬車が多くの祝福を受けながら進んでいくのを見守るだけでした」
吟遊詩人は最後の一節を高らかに歌い上げ、深々とお辞儀をした。楽器のケースにはさっきよりも明らかに多いおひねりが投げ込まれていた。そして、おひねりを投げ込む人の8割は女性であった。
「悲しいお話だよね」
「お姫様が憎たらしいヤツだったら良かったのに、逆に良い人ですからね」
「こういうのもいいですね」
「お嬢様、鼻水出てますよ」
それぞれが聞いた後に感想を述べあい、メムだけがマズルを掴んで振り回されている中、大人組もちょっと悲しそうな表情になっていた。
「いつ聞いても、悲しいね」
「最初の思わせっぷりからの見事な掌返し、最低な男にみえるけど、優しいんですよね」
「ああいうタイプは、股開いてもついて来ないからねー」
彼女らの感想を聞くふりをしながら、ネアはひたすら「正義と秩序の実行隊」について考えていた。
「ネアはどうですか。気に入りましたか」
そんなネアにいきなりラウニが先ほどの歌について尋ねてきた。ネアとしては余りにも甘ったるすぎて途中から聴いているふりだけをしていたものであるから、どう答えようかと考え込んでしまった。
「素敵なお話ですよね。ちょっと悲しいですけど」
周りの感想に合わせて適当に返すことにした。この言葉を聞いたラウニの表情がぱっと明るくなった。
「ネアもついに乙女の心が分かるようになったんですね。すごい進歩ですよ」
「ウチらの教育の賜物だね」
先輩方がニコニコしているのを見るとネアはこれ以上、この歌について聞かれないことを祈るだけであった。
「あ、お嬢様、あそこで一服しましょうよ」
いきなり、メムが席の空いている野外カフェを見つけて大きな声を出した。
「おっじさーん、そこ、9名分席取ってて」
メムはパルの了承を受けるまでもなくカフェのウェイターに声をかけた。
「ん、騎士団長の家のワンコじゃねーか。何度も言うが、おじさんじゃねぇよ。おにいさんだ」
そのウェイターはにこりとすると恭しくパルに頭を下げた。
「普通は、私が了解してから交渉するものですよ。貴女は・・・」
パルに睨まれながらもメムは気にすることがないようで、にこにこしながら
「お嬢様、そろそろ喉が渇いてきたでしょ。それを先回りして気を利かすのも侍女の務めです」
と、悪びれも応えるので、パルも苦笑するしかなかった。
「必殺マズル掴みがでるかと思った」
「恐ろしいことをする子ですね」
フォニーとラウニは互いに見合ってメムの行動に感心していた。
「冷たいものを9つお願いね」
ティマの隣の席に陣取ったアリエラがウェイターに声をかけた。
「ここは、お姐さんたちが出すからね。いい、1/3ずつだからね」
アリエラはバトとルロにもう決まったことだと言わんばかりに見つめた。
「ここは、年長者の余裕をみせるところかー」
「と、当然のことです」
バトとルロは己の財布の中身をこそっと確認して、安堵のため息をついた。
「ここは、デーラ家の長女たる私が・・・」
パルが自分が払うと言うのをバトは手で押さえた。
「今日は偶然にも知り合いの女の子たちにあっただけ。そこで、お姐さんたちがささやかなご馳走しただけ。気になさることはありませんよ」
「お祭りの時は皆普通の女の子ですよ」
バトとルロはにこにこしながらパルに言うとそのままアリエラをみつめた。
「勝手なことして・・・、後で責任取らせますからね」
「アリエラなら、股開いて寝っ転がっているだけでずいぶん稼げるよ」
アリエラは2人からの言葉に自分の軽率な行動を少し後悔していた。
「・・・それにしても、バトは股を開くのが好きなんですね。これ以上やると、私も実力行使をせざるを得ませんから」
アリエラが酷いことを口にしたバトにチクリと牽制した。
「ルロだけでもきついのに、2人でやられた身が持たないよ」
アリエラの言葉に、バトはしゅんとなっているように見えた。
「俺、絶対に正義と秩序の実行隊に入るぞ」
飲み物を待っているネアたちの耳にどこかで聞いたような声が飛び込んできた。
「やっぱり、あいつだ」
ネアは声のする方向を見てうんざりしたような顔で頭を振った。そこには、子分とも呼べる取り巻きを数名引き連れたグルトが熱く己の決心を語っていた。
「すぐに感化される馬鹿の良い見本だ」
熱く語るグルトを冷めた目で見ていたネアが吐き捨てるように呟いた。
「なんか、気持ち悪い感じがするよ。正義と秩序のためなら、命すらいらないって人たちでしょ」
フォニーが吟遊詩人の歌を思い出しながら言うと表情を曇らせた。
「英雄に命を預けてるんでしょ。彼の言うことならなんでもするのでしょうね」
ラウニがフォニーの言葉に頷いた。そんな話を聞いて、ティマは頬を膨らませた。
「あんなヤツに付いて行くなんて、馬鹿」
ティマがいきなり不機嫌になったことに気付いたアリエラが慌ててティマに向き合った。
「ティマちゃん、何があったの」
「英雄、嫌い」
「そっか、だったら私も嫌いだ。ティマの敵は師匠である私の敵だから」
ティマの言葉にアリエラは頷いた。そんなアリエラの態度がうれしかったのか、ティマは思いっきりアリエラに抱き着いた。
「もう、このまま死んでもいいかも・・・」
至福の笑みを浮かべたアリエラは小さく呟いた。
「俺も、正義と秩序の実行隊に入るぞ。皆で入隊しようぜ」
至福の笑みを浮かべているアリエラとは関係なく少年たちは熱く盛り上がっていた。
「悪い奴らを片っ端から始末するんだ」
こぶしを突き上げ、自分たちの意思を他人に見せつけていた。それは、幼い憧れだった。子供がスーパーヒーローに憧れるのに近いものであった。
「お姐さんとしては、感心できないなー」
バトがそんな一団を眺めて首を傾げた。
「狂信者との区別が難しそうですね」
ルロもそう言うと肩をすくめた。
「男の子って、ああ言うのが好きなんでしょうね」
「お嬢様は憧れませんか」
「憧れません」
「ですよねー、私も受け付けないです」
パルとメムは互いの意見が同じであることを確認すると、「ね」と言うように頷いた。
「アイツ、やっぱり馬鹿だよね」
「少なくとも、利口じゃないですよ」
フォニーとラウニもあまり正義と秩序と実行隊には興味が無いようであった。
【このまま、政治運動と一緒になったら、独裁者の親衛隊みたいなトンデモないものが出来上がるぞ】
正義と秩序の実行隊にネアは一抹の不安を感じていたが、少年たちは純粋に憧れ、意気を高揚させていた。
熱心に何かを信仰したり、政治的な思想にはまっていると、自分の行動が絶対に正義になる、と思われます。
正義を設定するから、それと対する悪が生じるように思えます。
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