140 夜祭へ
幼いころ、夜更かしには何か言い難い魅力がありました。それは、年齢とともに嫌なものになってきました。今は更にそうです。睡眠不足は肉体的、精神的、仕事にも悪い影響を与えるようなので、しっかり眠ることは大切ですね。仕事中も大切なことなので・・・。
「それって、マジですか」
普段はそんなに砕けた物言いをしないルロが思わず口にした言葉であった。夜祭の昼過ぎ、奥方様に呼び出され、指示を受けたバト、ルロ、アリエラはそれぞれ複雑な表情を浮かべていた。奥方様の指示は至極簡単で
「今日の夜祭にラウニたちを連れて行って下さいね」
の一言であった。つまり、ここにいる3人で侍女見習いたちを引率し、その安全を確保せよとのことであった。その事は、畢竟彼女たちの自由行動は認められないと言うことであった。それに対してのルロの抗議の声であったが、それは奥方様がにっこりしながら「お願いしますね」の一言で押しつぶされてしまった。バトたちは恭しく奥方様に一礼すると列を作って退室していった。
「夜祭にしか出されないお酒があるのに・・・」
奥方様の執務室から出たとたんルロが血涙を流すように呟いた。
「私の貢がせてたらふく食べよう作戦も断念かー、こぶつきだったら誰も声かけてこないもんね」
バトがため息つきながらタダで食べられたであろう料理の数々を思い起こしていた。
「ティマちゃんとずっと一緒・・・、いいかも」
アリエラだけがちょっと違う方向に思いが行っていた。そしてしばらく考えて決心したように口を開いた。
「私、ティマちゃんのお母ちゃんになる」
その言葉にバトもルロも呆れた表情を浮かべた。
「できるものなら、ティマちゃんを産みたかった。そして・・・おっぱいを・・・」
「それって、絶対に病んでいるよ。疲れてるならゆっくり休んだ方がいいよ」
うっとりした表情で語るアリエラからそっと距離を取ったバトが恐ろしいものを見るような目でアリエラをみつめながら忠告を発した。
「あのバトがこんなことを口にするなんて、アリエラ、貴女、ずいぶんと遠い所に行ったんですね。可哀そうすぎて、突っ込むことができません」
ルロが可哀そうな人を見るような目でアリエラを見つめるとため息交じりに呟いた。
「バトもルロも、あの子たちを妹みたいに思っているでしょ。それと同じだよ」
むすっとして言い返すアリエラにバトは身を引きつつ
「妹を産むことはできないよ。それにね、ティマちゃんだけじゃないんだよ。ラウニもフォニーもネアもちゃんと守らないといけないんだよ」
バトは意外と真っ当なことを口にした。
「バトが下ネタを口にしないと言うことは、余程のことですよ」
それを聞いたルロは深刻な表情を浮かべた。そんな2人の態度にアリエラは青菜に塩と言う言葉がこれほど当てはまることがあるのかと思われるぐらいしょげてしまった。
「純粋な気持ちなのに」
「それが病んでいる証拠だよ」
「この人をティマの師匠にしておいていいのでしょうか」
そんな様子を物陰から窺っていた奥方様は首を振ると
「あの子たちをラウニたちがお守することになるのかしら」
小さくため息つきながらつぶやくとそっと執務室に戻っていった。
「お師匠様とお出かけできる」
仕事を終え、風呂を済ませた後、ティマは先輩方に着付けを手伝ってもらいながら嬉しそうな声を出していた。そして、その小さな手にはアリエラお手製のリスの顔を模したポシェットがしっかりと握られていた。
「だから、かわいくしようね。尾飾りは、マーケットで買ったのがいいよね。ティマの尻尾は特別だから・・・」
リス族の尻尾と言う新たな素材を前にに自称尾かざりの目利きのフォニーは自分たちのお古と言ってもあのお針子姫謹製の服を身にまとったティマのドレスアップにいつになく熱くなっていた。
「このピンと立った耳には・・・、コレをつけてアクセントにする・・・」
フォニーは自分の耳には大きすぎた耳飾り、人で言うピアスでもイヤリングでもなく、獣人ならではクリップで挟むタイプのリボンをティマの耳にセットするとちょっとティマから離れ、あちこちの角度から確認してようやく良しと判断した。
「その真剣さがお仕事にあればいいんですけどね」
呆れたような声を出すラウニですら、胸元の白を際立たせるように胸元の開いた服を選び、短い尻尾にガラスを使った良く光る尾かざりを身につけていた。
「ネア・・・、その格好は・・・、ティマにかかりきりでネアのことを見落としてたー、ティマより手のかかるのがいたんだよねー」
フォニーはネアの格好を見て悲鳴のような声を上げた。
「それは、いただけません」
ラウニは当然のようにネアにダメ出しをしてきた。その時のネアの服装と言えば、上は半そでのブラウス、下はショートパンツの涼しさと動きやすさを追求したものであったが、先輩方は即座にネアの服をはいでいった。結局、先輩方のネアの意見は一切受け付けない強制的な着せ替えの元、ネアはちょっと薄着にはなっているものの、いつものマーケットに行くような姿になってしまっていた。
「そろそろ時間ですね。行きますよ」
ラウニはネアたちに声をかけると扉を開けた。
「時間には正確ですね」
ルロがホールの時計を見ながら小走りでやってくるネアたちににこりとした。
「女の子はいろいろ準備があるから、ちょっとぐらいはいいんだよ。焦らすことも必要なんだよ」
へらへらと笑いながらバトが声をかけるとルロが肘でバトの脇腹をきつく小突き、バトはその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。
「ティマちゃん、可愛い。・・・産みたかった・・・」
「お師匠様、こんばんは。なに?」
元気よくアリエラに挨拶したティマは彼女が発した不穏な言葉に首を傾げた。
「ここにも、トンでもないのがいたんですよね」
ルロがサマードレスでむき出しになっているアリエラの方に手をかけるとぐっと指をめり込ました。その苦痛にアリエラが正気に戻ったようにしゃんと姿勢を正した。
「バトさんすごいですねー」
フォニーがバトのバトの背中がざっくり開き、胸元も際どいいでたちを見て感嘆の声を上げた。
「ふふん、これが大人の魅力ってやつ。ね」
バトは白を基調としたふわっとしたワンピースに大きな麦わら帽子姿のルロを上から目線で見つめた。
「ルロさん、可愛いですね」
むすっとしかけているルロにすかさずネアが声をかけた。
「見る人が見れば分かりますよね」
ルロはふふんと自慢そうに己のいでたちをネアたちに見せた。
「可憐な少女のように見せながらも、胸元辺りに大人の女性の魅力をさりげなくアピールする。このアンバランスさが一種のフェティシズムを想起させ、ときおり見えそうになる下着も果たして、少女のようなものなのか、それとも大人のフェロモン漂う、ごぷっ」
自慢そうにしているルロにいきなりきっちりした身なりの紳士、ハンレイ医師が褒めたたえるようにねちっこい視線を投げかけてきたが、いきなり飛んできたサンダルが後頭部にヒットして最後まで彼に台詞を吐き出すことはできなかった。
「仕事を抜け出してどこに行く気ですか、先生」
サンダルが飛んできた方向を見るとにこやかな表情に殺気をはらんだ目をしたエルマが立っていた。
「お嬢さん、夜は我々吸血族の時間、ひと時のパラダイスを夢見ることぐらいいいんじゃないかな」
ハンレイはそう言うとエルマをにっこりしなが見つめた。
「この、アリエラ嬢もここに来たときは戦士であったが、今は逞しさをスパイスとして女性らしいラインを際立たせ、そしてティマに見せる母性、それでいながら女であることをっ」
今度はサンダルが顔面にヒットしていた。
「戯言は後で伺いますので、さ、診察室にお戻りください」
エルマはハンレイに近づくと投げつけたサンダルを履き、顔を抑えるハンレイの襟首を掴むとずるずると引きずっていった。
「羽目を外しすぎない程度に楽しんできなさい。ジタバタしないっ」
「嫌だ、おっさんの痔の治療なんて・・・、そ、そうだ、エルマ君、君の今穿いている下着をくれれば考えを改めっ」
ハンレイを引きずりながら何か鈍い音を立てさせたエルマがお館の奥に消えるとネアたちはほっと安堵のため息をついた。
「あの、かっこいいお医者様、何て言ってたの」
純真な瞳で尋ねてくるティマにネアは困っていると
「ルロとアリエラがかわいいって言ってたんだよ。さ、エルマさんも楽しんで来いって言ってくれたから、出発しよう」
固まっているネアの横からバトがそっとティマに説明すると、いきなりのハンレイの行動にぽかーんとしているルロとアリエラに声をかけるとネアとティマの手を取って歩き出した。
いつもはマーケットが開かれている広場は様々な色で光っていた。あちこちからやってきた行商人や旅芸人やらが灯すランプの灯りで広場にいてもそんなに暗さを感じることはなかった。ただ、真人や一部の亜人には十分薄暗いようであったが。
「色んな色がいっぱい」
アリエラに手を引かれたティマが色ガラスで様々な色を放っているランプを見てはしゃいだ声を上げた。
「きれいだねー」
アリエラもティマと同様にはしゃいだ声を上げた。お館に来てからはエルマに日々しごかれ抜いているのでその分のたまったモノが噴き出ているようであった。
「アリエラ、他の子にも目を配りなさい。この子たちに万が一があったら、どんなことになるか分かるでしょ」
はしゃぐアリエラにルロが釘を刺した。そんなルロの言葉にエルマに叱られている状況を想像したアリエラはいきなり現実に引き戻された様な感覚を味わった。
「そうですよね。そんな状態になれば・・・」
「手を離さない様にしてね。もし、手が離れそうだったら隣の子の尻尾つかんでもいいからね。こんな時、尻尾があればって思うよ」
バトがあちこちに気を配りながらネアたちに注意を促した。田舎の郷とはいえ、このようなイベントになるとどこからともなく人が集まり、その人の流れに流されることになってしまう。もし、小さなネアたちがこの流れに飲み込まれれば、再び見つけ出すのは困難を極めると判断したバトは貢がせてたらふく食べよう作戦を断念することにした。
「素敵な服だね。良く似合ってるよ。どう、俺らとちょっと飲んでいかない。飲もうにも野郎ばかりでさ」
そんなバトにいきなり、ちょっといいとこの坊ちゃん風の男が声をかけてきた。
「この子たちの分もお願いね」
坊ちゃん風の男の視線をバトは視線で手を引ているネアたちに誘導した。
「おにーさん、おごってくれるの?」
「ウチはパフェが食べたいなー」
ネアとフォニーがすかさず坊ちゃん風の男に満面の笑みで声をかけた。彼はそんなネアたちを見て固まってしまった。
「ご馳走になります」
ラウニの一言でシビアな現実に向き合った彼は引きつった笑みを浮かべると
「お子様連れでしたか。それではまた」
とお辞儀をするとさっとその場からいなくなった。
「こぶつきじゃねーかよー。可愛い子たちだったのに」
暫くすると遠くからさっきの男が仲間と思しき連中に釣果が無かったことを説明している声が雑踏に紛れて聞こえてきた。その言葉を耳にできたのは、ネアたち獣人だけであった。もし、この言葉をバトが聞いていたら、多分「まだそんな年齢じゃない」とぶん殴りに行っていただろう。ネアは怒るバトを想像して少し恐怖を覚えていると、今度はどこからか弦楽器の音が聴こえてきた。
「白刃一閃、悪党が英雄に斬られたことを知ったのは冥界の河を渡った時でした」
鮮やかな衣装に身を包んだ旅芸人がギターによく似た楽器をかき鳴らしながら英雄の冒険譚を声高らかに歌っていた。その内容は以前の馬鹿芸人の「せせらぎ」のマドゥがやらかした原作通りではなく、客層にあったもので、悪党も敢えて種族を明らかにせず、ただ英雄の活劇を歌うだけのものだった。
「アイツの歌、嫌い」
はしゃいでいたティマの表情が一瞬にして曇り、歯をむき出して威嚇するような表情を浮かべていた。
「随分マイルドになってるねー」
その歌を聴いていたバトが感心したような声を出した。
「英雄に期待せよって無理強いしてるみたいで好きになれません」
ルロも眉間にしわを寄せて難しい表情になっていた。しかし、一般の聴衆は彼女らの思いとは違い、案外この歌を受け入れているようであった。それも、穢れの民と言われる人々まで。
「プロパガンダか・・・」
ネアはそんな歌と聴衆を眺めながら苦々しく呟いた。
「あっちで、英雄と導きの乙女の恋物語やってるよ・・・、なんか甘すぎて虫歯になりそう」
フォニーが耳をぴくぴくと動かしながら人ごみができている方向を指さした。そこには若い女性を中心とした人ごみができていて、そこからは歯槽膿漏になったかと負わせるぐらい歯の浮いた台詞がまき散らかされていた。
「素敵な物語だとおもいますけど」
ラウニが恋する乙女の目つきでうっとりしたように呟いた。
「あー、あっちの世界に行ってる」
そんなラウニの姿を見たフォニーが悲壮な声を上げた。
「あっちの世界って・・・なんですか?」
ティマが手を引いているアリエラを見上げて尋ねた。
「私が・・・この子の母親に・・・この子は私が産むんだから・・・」
アリエラはしっかりと握ったティマの手の感触を楽しみながらぶつぶつと不穏な言葉を口にしていた。
「お師匠様が変・・・」
心ここにあらずのアリエラを見上げてティマは悲壮な声を上げた。
「これが、あっちの世界に行っている状態なんだよ」
ネアは、心配そうにアリエラを見つめているティマの頭を引かれていない手でそっと撫でて安心させようとした。
「それにしても、あの英雄の歌が多いね」
バトがうんざりしたようにルロに話しかけた。
「どこもかしこも、英雄、英雄って、うんざりです。もっと侍女と主人との許されぬ恋とか、ちょっと天然な侍女が貴族の御曹司に見初められる歌とか、女戦士が命を懸けてやんごとなき方を守り抜いて求愛を受ける歌が聞きたいですよ」
ルロもバトと同じようにこの夜祭での旅芸人たちが一様に英雄モノを演っていることに文句をつけた。
「英雄と導きの乙女の歌も甘いけど、ルロも結構甘いのが好きなんだねー」
バトが呆れたようにルロを見つめた。
「そうよ、甘ったるい歌の中に、私の将来の夢を実現させるヒントがあるの」
ルロは拳を握りしめて夢を実現するのにあの甘い世界が必要だと力説した。
「私はティマちゃんがいれば・・・」
「アリエラさん、何か辛いことがあるんじゃないですか」
しゃがみ込んで嫌がるティマを完全にホールドしているアリエラの頭をネアは肉球のついてた手でそっと撫でた。
「っ!な、なに今の感触っ!」
驚いたような声を上げたアリエラはいきなりネアの手を取った。そしてピンクの肉球をそっと押したり、もんだりしだした。
「この感触・・・、すごい・・・」
アリエラはネアの手に頬を当てて目を閉じた。
「魔性の女だ」
アリエラの突然の行動にあたふたしているネアにティマが冷めた目でポツリと呟いた。
「ティマ、そんな言葉誰から習ったのですか」
ティマらしからぬ言葉にラウニが詰め寄った。その勢いに押されるようにティマそっとバトを指さした。
「貴女って人はーっ」
ラウニが抗議の声を上げる前にルロの拳がバトの鳩尾にめりこんでいた。
「いきなりはキツイ・・・よ・・・」
その場に二つ折れになったバトが苦しそうな息の下からルロに抗議した。
「小さい子になんて言葉を教えるの。恥を知りなさい」
ルロの剣幕に涙目になりながらバトは苦しそうに口を開いた。
「ティマにはその言葉は教えていないよ。名器の種類と名器になる練習を教えただけだよう」
バトの言葉にルロは頭を抱えた。
「さっきのことについては謝罪しますが、こんな小さい子に何てことを教えるんですかっ」
ルロはバトを怒鳴りつけた。その剣幕を聞きつけて周りに野次馬がぞろぞろと集まりだした。
「あ、ごめんなさい、魔性の女は師匠から習いました。メイキについては分からないです」
そんな中、ティマがすまなそうにバトとルロに誰から習ったかを訂正した。
「バトだけじゃなくて、師匠であるアリエラまで・・・」
ルロがキッとアリエラを睨んだが、アリエラはネアの肉球に頬ずりしているだけで、心はあっちの世界に行っているようであった。
「・・・ラウニ、フォニー、このろくでなし共を私の後について来させて、ちょっと空いた所で指導しますから」
きれいにボディにルロの一撃を喰らったバトがよだれやら鼻水を流しながらラウニに立ち上がらされ、ネアの肉球にへばりついたアリエラをフォニーとティマが押したり引いたりしながら動かしだした。
【夜祭に血の雨が降らない様に・・・】
頭から湯気が出ているようなルロの後ろ姿を見つめながらネアはこの世界の神と言われる存在全てに手を合わせた。
薄暗いランプの灯りの元にしか効力がない魔法のような魅力が夜店にはあるように思いますが、一人で行くと随分とHPが削られるように思いました。
ろくでも無い大人と一緒にいるネアたちは健全に成長するのだろうかと不安になりますが、人類のほとんどがだらしなく、ろくでも無いのでそこまで心配することもないかな、と思っています。
今回もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございました。ブックマーク頂いた方に感謝を申し上げます。