138 旅立ち
これから暫くお仕事の都合でUPが滞りそうです。
こんなお話でも楽しみにして頂いている方には申し訳ありません。
「助かったよ」
長い夜がやっと明けはじめ、街道に出たケイタフは妻のフランに告げると握っていた彼女の尻尾からそっと手を離した。ヘルムも父親に倣い妹の尻尾から手を離した。
「ここからは人目に付きやすい、お前たち、住みにくくなったヒーグの郷を出た親子の「絵皿」のミリと「花瓶」のイルンが先に行くんだ。ここはもうサイヒルの郷だからな。タルゴまでは道標に沿って行けばたどり着ける。道に迷いそうになったらその場で休んでいてくれ」
ケイタフはフランとミエルに指示を出すと彼女たちを先に行かせた。
「一緒に行かなくても大丈夫かな」
「俺たちが家族で動く方が目立つからな。サイヒルの郷も穢れの民に対しての風当たりは強いからな。状況次第で途中で傭兵として護衛を引き受けることにするぞ。俺たちは傭兵の親子ってことだからな、「黒錆」のマデル」
心配そうな表情を浮かべるヘルムにケイタフは妻の背をじっと見つめながら厳しい表情で己の考えを伝えた。
「新人と姿かたちがちょっと違うだけでこんなに気を遣うなんて、何か変だよ」
ヘルムは世の中の理不尽に顔をしかめた。
「だから、変じゃないところに行くんだ。そこで、その変じゃないことを何が何でも守っていくんだ。きっと、フランの言うケフの郷はそんな所なんだろう。ヒーグでは余りにも数が少なくて戦えなかった。が、フランの言う通りなら、ケフの郷は英雄に立ち向かうこともできるだろう。その時、俺は・・・」
ケイタフは表情にこそ出さないものの、キナの町を見捨てたことへの罪悪感、これからの不安感が言葉の中に滲ませていた。
「今の内から思い詰めてたら、身体が持たないよ。さっさと行かないと母さんたちを見失っちゃうよ」
ケイタフは息子にせかされて難しい表情のまま歩き出した。
「お母さん、ねぇ、私たちこれからどこに行くの」
フランに手を引かれながら不安を隠すこともなくミエルが心細そうな声を出した。
「ここから、ずっと北にあるケフの郷へ行くの。お針子姫がおられて、私たちみたいな真人じゃない人も住みやすいって言われている所よ」
今まで住んでいたところをわずかな荷物を持って逃げるようにして出てきた割にフランはあっけらかんとしていた。以前住んでいたコデルの郷からも似たような形でヒーグの郷に行ったのである。あの時は、乳飲み子だったミエルを抱えての移住であったが、そのミエルも今では自分の足で歩ているし、後ろからは夫と息子がついて来ている、彼女にとっては、あの時の比べ物にならないぐらい心強い状況であった。
日が高くなるにつれ街道には人の数が増えてきたが、誰も獣人の親子連れに興味を示す者はいなかった。妙な連中に難癖をつけられることなく、その日の夕刻にはエリグ一家は街道沿いの宿場町の安宿にそれぞれ部屋を取り、明日のために身体を休ませていた。その宿の作りは粗末の形容詞すら贅沢に思えるほどで、隣の部屋のイビキの主が隣で寝ているような臨場感を味わえるような宿であった。小さな変換石を使っていない安物のランプが頼りない灯りをともしている暗い部屋のベッドの上でケイタフはこれからのことを考えていた。
「フラン、聞こえていたら壁を軽く1回たたいてくれ」
ケイタフは寝息のような声で呟くと隣のフランたちが泊っている部屋から小さなノックの音が1回聞こえてきた。
「こっちは、お前たちの声が聞こえないので、肯定なら1回、否定なら2回で頼む」
ケイタフの言葉にノックが一つ返ってきた。
「俺のせいでお前たちにつらい思いをさせたすまない。それでこれからのことだが・・・」
ケイタフが呟いた途端に2回ノックが返ってきた。
「そうか・・・、ありがとう。明日、出発したら町の出口にある茶店で朝食を取ってくれ。いいか」
ノックが1回返ってきた。
「俺たちもそこに向かう。そこで、俺たちを雇ってくれ。形だけだ。理由は女の子連れ旅で不安であること、獣人に雇われる傭兵がいなかったことでいい。値段は俺の言い値にする。高いと思えば値切ってもかまわん」
ノックが1回返ってきた。その返事にケイタフはやっと笑顔を浮かべた。
「出る時にノックで起こしてくれ、何かあったら大騒ぎしろ。俺たちが助けに行く。心配はいらないぞ。じゃ、おやすみ」
ノックが1回返ってきたのを確認すると傭兵の父と子は目を閉じた。
「貴方を雇いたいんだけど」
宿場町の出入り口にほど近い茶店で息子とともに朝食を取っていたジーエンに錆がらの猫族の女が声をかけてきた。
「大銀貨3枚だ」
ジーエンは声をかけてきた猫族の女を見ることなく指を3本立てた。
「小さい子を連れての旅でそんなにありません。せめて大銀貨1枚で・・・」
三毛の女の子を連れた女はジーエンに交渉しようとした。
「子供連れか・・・、仕方ない、大銀貨1枚と中銀貨5枚だ。嫌なら他をあたってくれ」
ぶっきらぼうに言い放つジーエンに猫族の女はため息を一つついて
「交渉成立ね。私は「絵皿」のミリ」
と言うとジーエンと握手をした。そんな三文芝居にヘルムとミエルは笑いを堪えるのに必死だった。
「俺は、「緑青」のジーエンだ。で、どこまで行くんだ」
「タルゴの港町まで」
「今日の夕方着くな、そこでお役御免だな」
ジーエンの言葉に猫族の女はにっこり笑いジーエンにしなだれかかった。
「船に乗るまで」
「仕方ない、それでいい」
ミリの色香に迷ったのかジーエンはその要求を呑んでいた。
「わー、こんなに一杯いるんだ」
タルゴの港町についた時のミエルの第一声であった。港町のあちこちに真人ではない人たちが真人と同じように動き回っているのである。この世界の港町は他国から入ってくる人や文化がごった煮になってしまう特性をもっており、このタルゴの港町も例外でなく、バーセンの港街ほどではないものの真人以外が人口に占める割合は高かった。
「ミエル・・・、じゃないイルンそんなにはしゃぐと迷子になるぞ。迷子になったら2度と会えなくなるぞ」
はしゃぐミエルの首根っこを掴みながらヘルムは警戒を怠ることはなかった。
「イルン、マデルの言う通りだ。迷子だけじゃない、子供を捕まえて売り飛ばす連中もいるからな。ミリ、お前もそんなにキョロキョロするんじゃない。大人も女だったら売り飛ばされるぞ。ここまで来れば皆一緒に動くぞ」
娘と一緒になってはしゃぎそうになっているフランに釘を刺しながらケイタフは今夜の宿と決めた表通りに面した小奇麗な宿に連れて行った。
「護衛の仕事上、同じ部屋にしてくれ」
ケイタフは宿の受付に怪訝な顔をされるかと思ったが、受付のエルフ族の男は表情一つ変えずに彼らに家族用の部屋を一つにエリグ一家を案内した。
「では、ごゆっくり」
エルフ族の男はケイタフからチップを受け取ると恭しく一礼した後受付のカウンターに戻っていった。
「ケフの郷に行かなくてもここでもいいんじゃないのかな」
ベッドに腰かけたミエルが両足をぶらぶらさせながら嬉しそうな声を上げた。
「いいや、ここもあっという間にキナの町と同じようなことになるだろうな。ここは、英雄が拠点としているコデルの郷からそんなに離れていない。あいつらからはできる限り離れていたい。人の心は一度何かの火がついてしまうと、それを消すのは難しい。その火が何もかも焼き尽くすようなモノであってもだ」
ミエルの聊か呑気な発言ににケイタフは厳しい表情で応えた。
「仲間は多い方がいいの。キナの町は良い所だったけど、獣人や亜人の人はそんなにいなかったでしょ。そうなると数が少ない者は数の多い者の言いなりになるしかなくなるの。それにね、ここにいたら、お針子姫の工房に行けないでしょ」
フランもケイタフの言うケフの郷に行くことに賛成していた。しかし、その本心はケイタフのそれと幾分ずれていたが2人とも大きな問題だとは思っていなかった。
「ケフに行くにしても、どの船が行くのか分からないよ」
ヘルムは自分が一番の不安に思っていることを口にした。
「港に行けばすぐ分かる。北に向かう大きな船を選べば問題ない」
父親の余りにも大雑把な考えにヘルムは大きなため息をついた。
「ヤバイ連中の船だったら、僕らは皆売られるか、殺されるかするよ」
「港の商工会を通して紹介してもらう。そこはジーエンではなくケイタフ・エリグとしてな。不法な人身売買や違法な品の流通の摘発や取り締まりは自警団の仕事だったからな。ちょっとは知り合いはいるんだ」
ケイタフはそう言って不安がるヘルムを安心させようとした。
「ねえ、お父様、私はいつまで「花瓶」のイルンでいなくちゃいけないの。イルンって呼ばれても自分じゃないみたいで変な感じなの」
今まで楽しそうにしていたミエルが大事な荷物の一つとして持ってきたヌイグルミをしっかり抱きかかえながらケイタフに心配そうに尋ねた。
「ケフの郷に入るまで、その名前で過ごすことなる。俺たちは護衛とその依頼者としてケフの郷に行く。ミエル、俺のことを人の目のある所でお父様と呼ばない様に注意するんだ」
家族に自分の考えを述べるとケイタフは疲れを癒すためさっさと風呂に入って寝るように家族に促した。
「お兄ちゃん、一緒にはいろー」
と無邪気に絡んでくるミエルをなだめるのにヘルムが苦労しているのをフランは笑いながら見つめていた。
「残念ながら、ケフの郷は海なしの郷じゃよ。一番近くはワーナンの郷のバーセンの港じゃな。そこから馬車なら2日でケフの都に入れるぞ。それとな、ここからワーナンまで行く客船はないぞ。良くて貨客船だ。船で雑用の仕事しながらだと、格安でバーセンにいけるぞ。ちょっと待て、近々港を出る船があったはず・・・」
タルゴの港町の商工会の一室で昔から密輸に関していろいろとやり取りがあった古手の理事にケイタフはケフ行きの船を紹介してもらっていた。彼はケイタフの要望を聞くと自らのメモの束を取り出して目当ての情報を乗っているメモを探した。
「お、あったぞ。貨客船「海を渡る風」号が、明後日出港する予定じゃ。わしの方からも船長に声をかけておくから、明日の昼頃にここに来てくれ」
目当てのメモを見つけると古手の理事はケイタフに船を紹介することを約束してくれた。
「手を煩わせてすまない」
「一昨年の人身売買の時、お前さんがいなければ、孫娘は今頃、死んでおるかもしれんからな。お安い御用じゃよ」
古手の理事は頭を下げるケイタフににこにこしながら応えた。
「「海を渡る風」号の船長はわしの古なじみだから、安心するといいぞ。まちがってもお前さんの可愛い女房や娘になにかするような連中じゃない。見た目は悪いが、あの船の連中は気持ちのいい奴らばかりだぞ。良い航海になれば良いな」
ケイタフは古手の理事に再度礼を述べて商工会を後にした。昼の町は様々な種族が入り交じりと言ってもケフほどではないが、賑わっていた。
「真人以外を排除して、どうするつもりなんだ。それぞれ得意としていことが違うのに・・・。同じ人なのに・・・」
ケイタフはふと先日キナの怒れる熊騎士団キナ派遣隊長に言われた「常に獣姦をしている」の言葉に改めて怒りが込み上げてきた。彼の妻は猫族であるが、猫ではない。猫の特性を持ち合わせた人なのである。しかし、一部の連中は彼らを動物と同じように見ている。ケイタフはその神経が信じられず、そして許せなかった。
「ヘルムやミエルが生きているうちに、このくだらない考えはなくなるのだろうか」
誰に言うともなくケイタフは独り言を口にしていた。そして、持って出てきた換金できそうな装身具を売れそうな店を探しに行った。
「お前さんがケイタフ・・・、「緑青」のジーエンさんかい」
指定された時間に商工会に向かうと応接室のソファーに深々と腰かけた高齢だが筋肉質の鋭い目つきの男がケイタフに声をかけてきた。
「私がそうですが。貴方は」
ケイタフはその男をしげしげと見つめ、この男が「海を渡る風」号の船長であろうと思った。
「挨拶が遅れてすまん。俺は「海を渡る風」号の船長の「三角波」のブレンだ。お前さん一家が乗船するって聞いてな。俺の船は客船じゃないから快適な海の旅は保証できない。食いもんも船の連中と同じものを食ってもらう。船室はおまえさんら家族用に一室あつらえたが、ベッドがあるだけの部屋だと思ってくれ。それでも乗るかい。アイツとの付き合いもあるから、運賃はあんたら家族で小金貨1枚だ」
ブレンと名乗った男は自分の船に乗る条件を提示してきた。
「小金貨1枚なら、何とかなる」
昨日、自分のちょっとしたタイピンや指輪を現金に換えて暫くは宿暮らしができる程度の現金を手にしていたケイタフはその金額が妥当だと判断した。
「それでだ。お前さんらは着の身着のまま逃げてきたんだろ。船の雑用、女房と娘に厨房で働いてもらって、お前さんと倅が甲板清掃とかをしてくれると大銀貨7枚で手を打つが、どうする」
ブレンの申し出にケイタフはちょっと考え、そして口を開いた。
「じっと乗っているのは性に合わない。子供たちもうろうろして迷惑をかけるだろうから、その話に乗らせてもらいます。よろしく」
ケイタフは財布から大銀貨7枚を取り出してテーブルの上に置くとブレンと握手した。
「出航は明日の朝、町の門が開くころ。遅れても待たんからそのつもりでな」
「分かった。恩に着る」
ケイタフは改めてブレンに礼を述べると家族が待つ宿に向かった。
外洋航海ができる3本マストの「海を渡る風」号はブレンの言った通りの時間に貰い綱を解いていた。
「いつ、帰って来られるか分からないから、よく見ておくんだ。キナの町じゃないが、あの山々も見納めになるかも知れんからな」
エリグ一家は港を出る船の上から遠ざかる見慣れた山々を見つめていた。
「ちょっと寂しいかな」
ヘルムが何事もない風を装いながら軽く言った。その横でミエルが泣きそうな顔をしていた。
「お人形も絵本ももうないんだ」
ミエルが振り絞るようにポツリとこぼした。それを聞いたヘルムはそっとミエルの頭を撫でてやった。
「これから行く所はミエルと手をつないで堂々と町を歩ける所だよ。尻尾があるからっていじめられこともお店に入れないこともないよ」
ヘルムはミエルが泣かない様に優しく声をかけていた。その様子を見ていたケイタフとフランはヘルムがいつの間にか兄として振舞えるぐらいに成長していることを喜ばしく思っていた。
「さーて、ミエル、これからお昼の準備よ。揺れるけど猫族の感覚をもってれば何ともないからね。さ、行くわよ」
フランはしゅんとしているミエルの手を引くと船内に入って行った。ケイタフは妻と娘を見送ると息子とともに甲板上にある倉庫からデッキブラシを取り出し、貨物の揚げ降ろしで汚れた甲板をこすりだした。
「いい風です」
ナーシュの郷を彗星とともに正義と秩序のために巡視していたハイリは馬上で頬を撫でる風にうっとりとした。夏の燃えるような山々の緑は目に心地よく、街道を移動していても穢れの民とすれ違うこともなかったことが彼女を上機嫌にさせていた。
「っ!」
そんな時、いきなり彗星が馬から飛び降りると乱暴にハイリを馬から引きずり下ろした。
「何をっ」
ハイリが彗星に文句を言おうとした時、ハイリの乗っていた馬に数本の矢が刺さり、馬は大きな悲鳴を上げて後ろ足で立ち上がるとその場にばたりと倒れてしまった。もし、ハイリがそのまま乗っていれば矢にあたるか馬から投げ出されていたか、その下敷きになっていただろう。彗星は驚いて目を丸くしているハイリをそっと抱きしめると道端の木の陰にいるように指示した。
「ふざけた連中に礼儀を教えてくる」
彗星はハイリにそう言うと腰に佩いた剣を引き抜き、街道の両脇からわらわらと出てくる山賊らしき連中に斬りかかっていった。敵はラグビーチームを一つ作れるぐらいの人数であったが、訓練された兵士と英雄の戦いぶりに押されていた。
「よくもハイリにふざけたことをっ」
彗星の剣はためらうことなく山賊たちを斬り捨てていた。そんな彗星の姿を見つめながらハイリはふと、自分のことをここまで心配して、自分のために怒ってくれる人が今までいただろうかと思い返していた。そして、その答えは「いなかった」の一言だった。ハイリは自分が彗星に対して個人的な思いを抱いていることを確認して、唖然とした。
「正義のために全てを捧げているのに・・・」
心まで捧げ切れていないのだろうか、そんな思いは間違っていると思い込もうとした。
「礼儀をちゃんと教え込んでやったからもう大丈夫だ。立てるか」
木の陰に座り込んでいるハイリに彗星は笑顔で手を差し伸べてきた。ハイリはその手を取って立ち上がると彗星がその体をがっしりと抱きしめてきた。
「何があっても守るから」
ハイリは間違っていると思いながら、彗星の言葉に喜びを感じていた。
エリグさん一家がついにケフに向けて旅立ちました。ふわっとした理由でケフの郷を目指しているわけですが、果たして無事にたどり着けるのでしょうか。
お話の最後にちょっとハイリの心情を書いてみました。教条主義に陥っている人間が純粋培養されない環境に置かれると少しは心情に変化があるのではないでしょうか。
今回もこの駄文にお付き合い頂きありがとうございます。ブックマーク頂いた方に感謝を申し上げます。