135 望まぬ流れ
彗星やネアとは違う視点で正義と秩序の動きに巻き込まれる人たちにスポットをあててみました。
影響力がある人々の何気ない行動が下々にとんでもない影響を与えることは少なからずあります。
ましてや、飛ぶ鳥を落とす勢いになりつつある英雄とその取り巻きの行動は小さな町ならあっという間に飲み込まれてしまうでしょう。
「英雄様の偉業がやっと知れ渡ってきましたね」
コデルの郷と隣接するヒーグの郷の国境の小さな町であるキナに正義と秩序を守り、広めるための大義名分のもと十数名の兵士とともに馬上豊かに入ってきた彗星に同じように馬に乗ったハイリが町民たちの声に笑顔で応えながら話しかけた。
「偉業と言っていも、言われるままに野盗の類を退治しているだけだがな」
彗星はまっすぐ正面を見据えたままつまらなそうな声を出した。
コデルの都での野盗撃退後、彗星は郷主であるルーテク、実態は無役である彼の弟のナトロの要請でコデルの郷に巣食う非合法組織、つまりマフィアに類する連中を問答無用に切り伏せていただけのことである。実際のところ実行部隊である彗星は、己が切り捨てた連中が本当に非合法組織の連中なのかはナトロの言葉のみが根拠であった。切り捨てた連中の中にはどう見ても堅気のような連中もいたが、ナトロの言葉を疑っても面倒くさいとの思いから自ら調べることはしなかった。事実は、ナトロが邪魔であると判断した連中を英雄と言う錦の御旗のもとに粛清していただけのことであるが、これを知っているのはナトロとモンテス商会の一部、そしてハイリだけであった。ナトロの走狗と化しながらも表向きは自由騎士、つまりどこの郷にも所属しない騎士の肩書を与えられているので他の郷での活動も問題はないようにしてある。事実、越境しての野盗の討伐を何度となくしており、このことは郷間の政治的な問題にはなっていなかった。逆に治安が守られると歓迎される面があった。
「これで安心して街道を歩けるな」
「ああ、商売もやりやすくなる」
このように他の郷の民も概ね友好的に英雄である彗星を迎え入れてくれるのであった。
【なんで、あいつらがこんなにいるの】
馬上でにこやかに手を振るハイリはその笑顔の裏で自分たちを歓迎して手を叩く穢れの民を見て内心顔をしかめた。英雄の偉業とともに穢れの民の種族としての劣等性、反社会性を世界に知らしめるように英雄に討伐された連中の中に穢れの民がいれば声高に穢れの民の反社会性を訴えるべく噂屋に流したのであるが、庶民が好むのは正義の拳で悪が滅ぼされる、単純な勧善懲悪の話であった。彗星の行動を気持ちよく脚色した英雄の詩でも普通の吟遊詩人は剣劇に重きを置いてしまうため、穢れの民の劣等性はなかなか浸透していなかったのである。ハイリはこのことが面白くなかった。
「貴女が導きの乙女ですね、キナの町の商工会を代表しましてこれを進呈します」
きちんとした身なりに役者にしたいような美青年が、きれいな花束を馬上のハイリに差し出してきた。
「ありがとう」
「貴女に英雄が付いていなければ、お芝居にでもお誘いしたいのですが、我々の本心が通じるまで暫くかかります。気になさることはありませんよ」
ハイリは青年の言葉に深く頷きにっこり微笑むと青年はさっと人ごみの中に消えていった。
「あの目は・・・」
キナの町の自警団長であるケイタフ・エリグは英雄の警護をしながら馬上で微笑むハイリが時折見せるこの場に似つかわしくない小さな表情の変化を見て心の中がざわつくのを感じた。小さいとはいえ、キナの町にも英雄の活躍は知らされている。しかし、その活躍と一緒に知らされる殊更の穢れの民に対する嫌悪を煽るような話にケイタフは違和感を感じていたのである。
「この町も住みにくくなるのか・・・」
ふと、心の中の声が漏れてしまったが、この声は英雄を迎える歓呼の声にかき消されてしまった。
「ねえ、ねえ、お兄ちゃん、英雄様見た?」
その日の夜、夏の日がやっと姿を画した頃、町の中にある屋敷と言うにはまだまだレベルアップが必要なそれなりの家の中に少女の声が響いた。
「んー、仕事中だったから、ちらっと見えただけかな」
足にまとわりつく三毛の猫族の少女を優しく抱き上げて新人の少年は残念そうな声を出した。
「そうよ、お兄ちゃんはお仕事だったんだからね」
夕食を配膳しながら錆の猫族の女性が少女を諭した。その言葉にちょっと少女はムスッとふくれっ面になった。
「じゃ、お父様は」
少女は難しい表情でテーブルについているケイタフを見て首を傾げて見せた。
「見たよ・・・」
少女はその言葉に飛びつくのと同じようにケイタフに飛びついた。
「で、どうだったの?」
純真な目で尋ねてくる娘を見ながらケイタフの表情は一層厳しいものになった。
ケイタフ・エリグの妻は獣人の猫族である。この娘は妻の連れ子であり血のつながりはなかったが実の娘のように愛していることはメラニ様に誓って偽りはなかった。
このエリグ家は、代々続く騎士の家系で初代郷主とともにヒーグの郷に入ったとされている。この家の血筋がなすものなのか、代々世渡りが下手で気づけばこんな田舎の町の自警団長にまで落ちぶれていた。現在のエリグ家の構成は家長であるケイタフ、実の息子のヘルム、後妻であるフラン、その連れ子のミエルであった。ケイタフの前の妻はヘルムの出産後、身体の調子を崩し、ヘルムが5歳の時、流行病で呆気なくこの世を去っていた。2年ほど男手一つでヘルムを育てていたが、野盗に襲われていたフランとミエルを満身創痍になりながら守り切った縁で再婚したのである。右の眉に残る傷跡はその時のものであり、本人は結婚指輪みたいなものと思っていた。
「英雄については、皆がテーブルについてから話すよ」
ケイタフは期待を込めた目でじっと見つめる娘に優しく声をかけると妻がテーブルに着くのをじっと待った。
「この郷は住みにくくなる。否、命すら危なくなるかもしれない」
食前の短いお祈りの言葉を家族で唱え、暫くした時、ケイタフは徐に口を開いた。
「父さん、それはどういう意味なんですか」
後2年でこの郷で成人とされる15歳になるヘルムが真っ先に疑問の声を上げた。
「フランがヒーグの郷に来たのは、コデルの郷での扱いの酷さからだっただろう」
フランは5年ほど前にコデルの都で雑貨屋を営んでいた夫を押し入った強盗に殺されていた。当時も、そして今でもあるが、郷の衛士たちは穢れの民に関わる案件に関しては書類だけで済ましており、結局、強盗は逮捕されず、逆にあくどい商売をしていたから恨みを買ったと謂れのない噂を流され、店をたたまざるを得なくなったのであった。これが、彼女がコデルの郷を捨てた理由であった。
「貴方、まさか・・・、ここもですか」
フランは恐怖の色が滲んだ表情を浮かべた。ヘルムとミエルも不安そうに父親を見つめた。
「今日、明日と言うことはないだろうが、ヘルムが成人する頃には今と随分変わっているだろうな」
ここキナの町では、穢れの民に対する扱いは随分と友好的であるが、ケフと比べれば酷いとされる部類の扱いを受けることは日常茶飯事に起きていた。ケイタフは口にこそしていないが、今夜の英雄を囲んでの晩餐会には声は一度もかかっていない。町長やその周囲がケイタフの家族構成から忖度して彼を晩餐会に呼んでいないことがその一例である。
「僕が成人する頃って、後2年・・・」
ヘルムは独り言のように呟いた。この言葉を耳にしたフランは拳を握りしめて何かを決意したように夫を見つめた。
「私とミエルが貴方の足を引っ張る、お仕事、いえエリグ家に障りになるでしょうから、離縁して頂いても・・・」
「こんなことで妻子を捨てることこそ、エリグ家の恥だよ」
ケイタフは妻の言葉を頭から否定した。しかし、ここで否定しても彼女が危惧することは現実に発生する可能性は低くはないと見積もられた。
「離縁するなら、僕は母さんとミエルと一緒に行くよ」
「お兄ちゃん・・・」
両親の言葉にヘルムは自分の決意をはっきりと口にした。妹は不安そうに彼の服の裾を握りしめていた。
「誰が離縁すると言った。そんなことをするぐらいなら、すぐさまここを引き払って別の土地に行く。何が正義だ、何が秩序だ。俺にとっての正義と秩序は家族そろって楽しく暮らせることだ。尻尾のあるなしで決められてたまるか」
ケイタフは目の前にある具材たっぷりのシチューを睨みつけるようにしてはっきりと言ってのけた。
「いいか、何かあれば、北の方向に行け、北には人を尻尾のあるなしで態度を変えることがない郷があると聞いている。王都を超えたさらに北だ。噂ではそこの郷主は人を身分ではなく、その本質と向き合う方だと聞いている。確か・・・、ケフの郷・・・」
「お針子姫が居られる所じゃないの。裁縫仕事をしていたら知る人ぞ知るのスゴイ工房があるのよ」
フランはケフの郷と聞いた瞬間に今までの深刻な表情から獲物にとびかかる猫そのものの目になって身を乗り出した。フランも雑貨屋に嫁ぐ前から小物やヌイグルミ、子供服の仕立てと裁縫仕事をしてきており、雑貨屋でも自分の作品を売ったりもしていた。キナの町に来てからも家事仕事の合間に小物を作り、雑貨商に卸して家計を助けていた。
「母さん、お針子姫って」
ミエルが妙にテンションが上がった母親を不思議そうに見ながら尋ねた。
「ケフの郷主の奥方様で、着心地が良くてしっかりとした服をお作りになられているの。デザインも良くて、変にゴテゴテしてなくて、一度袖を通したら他の服が着られないって噂があるのよ」
フランはうっとりした表情でお針子姫が作る服について思いを述べると、夫をしっかり見つめた。
「ケフの郷に行くなら、喜んでついていきますよ。少し離れた所でビクビクとして生きるよりそれの方が良いですよ。キナも素敵だけど、ケフの郷に比べたら・・・。貴方と会った時もできればケフに行こうとしていたんですよ」
フランはケフの郷に対する熱い思いを夫に言うと、いいでしょ、とばかりにニコニコしながら子供たちを見回した。
「素敵な服、着たいなー」
ミエルは単純に素敵な服がある所としか認識しておらず、母親の言葉にすぐに賛意をしめした。
「尻尾のあるなしで扱いが変わらない所、母さんやミエルと一緒にいて何も言われない所か・・・」
ヘルムは学校で獣人の家族がいることで少なからずからかわれたり、神経がおかしいと詰め寄られたことを思い返しながら呟いた。ケイタフもフランと再婚する際、あちこちから雑音が聞こえてきたことを思い出していた。再婚を機に付き合いがなくなった知人が少なからずいたこと、蔑みの目を憚ることなく向けてきた連中のことを思い返すと未だに腹が立つとともに、悲しい思いをしていた。
「・・・その内、俺も身内に穢れの民がいるから犯罪を見逃している、と難癖をつけられるだろう。そうなる前に今の職を辞するつもりだよ。この家やら身の回りの物を全て清算してここを発つ準備をしなくてはいけないな。ヘルム、ミエル、お前たちにはつらい思いをさせることになるかもしれないが」
子供たちに頭を下げるケイタフに子供たちは複雑な表情をしながら一家の移住について賛成であることを示した。
「随分と貧乏たらしい町だな」
晩餐会からこの町一番と言われる宿屋のまた一番良いとされる大きくない部屋の中で見た目だけは豪華なソファーに腰かけて彗星は不満そうにこぼした。
「ここは随分と田舎ですから、それにしても・・・、穢れどもが大手を振って町を歩いているなんて・・・、汚らわしい所です」
ハイリは昼間の出迎えに並んだ穢れの民の姿を思い出して苦い表情を浮かべた。
「それも、後数年もすればきれいな町になるでしょうけど」
ハイリはそう言うと彗星の横に腰かけて彼に寄り掛かった。
「この町でも汚らわしくて臭い穢れの悪党どもを始末してきれいにしていきましょう」
ぐったりと座り込む彗星の耳元に入りは甘く囁いた。その言葉に彗星はうめくように答えるとハイリをその場に押し倒した。
「自警団長は英雄殿に同行しないのかね」
ケイタフはいつものように自警団の本部に出勤すると、キナの町に派遣されているヒーグの郷の怒れる熊騎士団の団長が珍しく団長室に顔を出して、声をかけてきた。怒れる熊騎士団はヒーグの郷で治安から防衛まで賄う唯一の騎士団であるが、その数は知れており、キナの町ような小さな場所には団員数名が常駐しているだけで実質的な行動はすべて自警団が行っていた。この派遣されている騎士団の主たる仕事は大きな行事での護衛、パレードぐらいで人気のない閑職とされていた。そして、例外なく、騎士団は自警団の上部組織とされており、自警団にはいつも尊大な態度で接していた。そんな中で今、売り出し中の英雄が関わってくるのである、騎士団員のテンションは嫌でも盛り上がっており、態度もそれに比例していた。
「私にはこの町の警備の仕事があります。それに、穢れの民を身内に持つ者がいれば・・・、お分かりでしょ」
ケイタフは、嬉しそうに分かり切ったことを厭味ったらしく尋ねてきた派遣隊長に不愛想に答えると昨夜に起きたことの報告書に目を通しだした。
「確かに、いくら姓を持っていても自警団長では英雄殿と席を同じにするわけにはいかんが、俺の荷物持ち程度なら同行してもいいぞ」
派遣隊長はニタニタと笑いながら書類に目を通しているケイタフに嫌らしく話しかけてきた。
「・・・、下賤の者が隊長様の荷物を持つわけにもいきませんでしょう。荷物が穢れてしまいますよ。私はこの手で妻を抱いておりますので・・・」
目も上げず言葉を返すケイタフに派遣隊長は苦々しい表情を浮かべた。
「確かに、畜生を抱くというのは異常と言うほかはないな。獣姦を常にしているような輩はこの町の恥だからな」
派遣隊長は吐き捨てるように言うとさっさと出て行った。後は団長が一人残されたが彼の書類を持つ手が静かに震えていた。もし、派遣隊長がこれに気付いていれば少しは気分が良くなったかもしれないが、残念なことにこの派遣隊長にそこまでの観察眼はなかった。
「正義と秩序のために」
騎士団本部兼自警団本部の前の広場で無理やり駆り出された非番の自警団員とパレードに参加するみたいに飾り立てた騎士団員が英雄と導きの乙女、そしてその配下に手を上げて叫ぶと英雄を先導するように騎士団長がゴテゴテと飾り立てられた馬に乗って行進をはじめていた。
「まるで道化だ。だから、貴様は田舎に飛ばされたんだよ」
この世の春とばかりに自慢そうに進む派遣隊長の背中を窓から眺めながらケイタフは吐き出すように呟いた。
「それ、聞かれると、大騒ぎになりますよ。公然の秘密なんですから、ヤツが無能だってことは」
ケイタフの言葉に事務仕事を任されている自警団員が悪戯っぽく声をかけた。キナの自警団で騎士団に一目置いている者は一人もいなかった。数名しかいない騎士団員はそろいもそろって剣の腕はからっきし、現場での判断は頓珍漢の騎士としては三流以下でありながら、責任を取らないことと態度の大きさは特級のどうしようもない連中ばかりだったからである。
「そうだったな。あれでもいればそれなりの体裁は整えられるから、使える道具と見た方がいいかな。俺もあんな堅苦しいのと一緒なんて御免被るよ。アレがいなかったら俺があそこにいるかと思う虫唾がはしる。適材適所とはよく言ったもんだ」
ケイタフは皮肉を込めて言うと現在捜査を進めている窃盗事件やら様々な案件が英雄がいる間は彼の警護とご機嫌取りで手を取られて、止めざるを得なくなることが気がかりになった。。
「さっさと出て行けばいいのに」
「そう言うなよ。これで街道が安全になると考えれば安いもんじゃないか・・・、それほど安くもないかもしれないが・・・」
部下の言葉に答えながら、ケイタフの心は如何にこのキナから出奔するかに占められていった。
エリグさん一家を襲う嫌な世間の流れについてのお話になりました。この章ではこの一家が何かと動くようにしようと思っています。
今年もこの駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
ブックマークを頂いたり、評価を頂いたりと励みになっております。改めて感謝を申し上げます。