119 それぞれの決意
継続こそ力なりと言い聞かせながら書いております。
楽しいことは楽しいのですが、しんどいことも確かです。
「よろしいですか?今言ったことは決して私たち以外に口にしてはいけません。また、聞かれてもいけません」
奥様は一日の仕事が終わった後、作業場から職人たちが帰ったのを見届けてからネアたちを呼び寄せ、ご隠居様が計画している事の一部をネアたちに聞かせた。その場には、彼女の子であるレヒテとギブンも同席していた。
「危険な仕事になります。本来なら皆が大きくなってから、と思っていましたが、時間に余裕があまりありません。嫌なら、断ってもいいわ、それで何らかの不都合はないから・・・、でも、レヒテ、ギブン、貴方たちは郷主の子としての義務があります。貴方たちに選択はありません」
いつも、ふわっとした感じの奥様が厳しい表情を浮かべて我が子を見つめた。落ち着きがなさ過ぎる娘に常に寝ている息子と、この仲の面子で一番アブナッかしいのであるが、口にしたように義務として半ば強制的に組み込むことを決心し、郷主である父親も賛同していたので、レヒテとギブンには拒否権はもとより与えられていなかった。
「・・・ネアがご隠居様と出かけていたのはこの事だったんですね」
ラウニが謎がひとつ解けたようで何か納得したような表情で頷いた。
「ウチは・・・、もう誰かに追われるような生活したくない。誰にもあんな生活して欲しくないよ。だから・・・、奥様、フォニーは喜んでそのお仕事引き受けます」
フォニーは複雑な表情を浮かべる奥様に元気よく申し出を受けることを宣言した。
「大好きなケフの郷を守ることに協力できるなら・・・、私たちのような人が酷い目に合わないことになるなら、ラウニも喜んでお仕事を引き受けます」
ラウニもフォニーのように選択にためらいは見せなかった。
「アイツをやっつけられる・・・、あんな事する人たちがまだまだいるなんて、そんなの酷いよ・・・。ティマもそのお仕事します」
ティマは、英雄が自らの母と姐を殺した光景を思い出し、苦痛の表情を浮かべながら揺らがない決意を見せた。幼いながらもその表情に迷いは感じられなかった。
「ネアは、いつからそんなお仕事してるの?私、知らなかったよ」
「お館に来てからそんなに経っていないのに、お祖父様に連れられてあちこち動いていたんだから・・・、普通なら何かあるって考えるよ・・・」
レヒテは初めて聞いた話にネアが関わっていたことに驚いていた。そんなレヒテを眠そうな目で見ていたギブンがあくびをかみ殺しながらつぶやいた。そんなギブンの言葉を聞いてネアはこの人物が常に居眠りしているだけのぼんくらかと思っていることを改めた。
【この年齢で、起きている僅かの間にここまで推測するのか・・・、お嬢の身体能力も大概だが、若の頭の中って・・・】
眠そうな表情を浮かべているギブンにネアは小さな畏怖を感じた。
「皆、ありがとうね。大切な子ども達にこんなことをさせようなんて、酷い大人です。でも、今から動かないと手遅れになるのは明らかなの。中身を見ずに姿かたちで人を選別するなんて・・・、どう考えても許されることではありません。彼らからしたら、悪かもしれませんが、我々からすれば、彼らが悪になります。無駄な血を流さないためにも必要となるお仕事だと思ってくださいね。・・・、で、このお話しはこれでお終い。貴女たちはこれからお食事よね。もし、残っていなかったら私に言ってね。で、レヒテ、貴女はアルア先生の課題を済まさないとお食事はできません。いいですね。では、今日はここまで、ご苦労様でした」
奥様は手をパンパンと叩くとネアたちに退室を促した。
「お疲れ様でした。これで失礼します」
ネアたちはラウニの指揮のしたきれいにお辞儀をするとラウニを先頭に一列で退室していった。
「・・・」
いつもらな賑やかな侍女たちの食事風景であるが、その日は誰も言葉を発する事無くもくもくと食事をしていた。
「今度のお休みにマーケットに行ったら、何を買いますか」
ネアはこの不自然な空気をどうにかしようと口を開いた。周りの人たちに勘ぐられたくない、この重い空気に耐えかねてからの行動であった。どちらかと言えば後者の割合が大きかった。
「そうですねー、暑くなってきましたから夏用の服があればいいですねー」
ネアの気持ちを察してか早速ラウニが乗ってきた。
「でもさー、ウチらのお小遣いで買えるものって、大したことないモノばかりだよー」
フォニーも何とかしようと口を開いた。
「そうですよね・・・、奥様から頂く服は最高ですからね。この仕事着も下手なドレス以上の価値がありますよ。生地から縫製まで一級ですからね」
ラウニが言うように、彼女らが身にまとっている服はほとんど奥様の工房で作られたたもので、その質は成金お嬢さまのドレス以上のものだった。実際に値段をつけるとなると彼女らの仕事着で安物のドレスなら数着は買えるぐらであった。実のところ、この仕事着も高貴な方のお屋敷で働く使用人のためのものの試作であった。
「これ、お古だけど、今まで着たことないもん。動いても邪魔にならないし、それに可愛いし、お姫様のお傍にいる人みたい・・・、お姉ちゃんにも着せてあげたかったなー・・・」
ティマがちょっと寂しげに呟いた。それを耳にしたラウニはそっと、力強くティマの小さな器用そうな手をゴツイ手で握り締めた。
「ティマちゃん、その気持ちは分かりますよ・・・、私たちではティマちゃんのお姉ちゃんの代りはできませんが、それでも・・・」
ティマはラウニを見上げるとそのゴツイ手の上にそっと手を置いた。
「ティマはウチらの妹みたいなものだよ。うちらは四姉妹、末っ子がティマ、形は皆違うけど、そんなことは小さなことだから」
「私に妹ができました。今まで末っ子でしたけど、ですよね。フォニーお姐ちゃん」
フォニーとネアは互いを見合って微笑みあった。
「私にも妹できるかな・・・」
ティマの素朴な疑問には誰も微妙な表情だけで答える者はいなかった。
「そうか、引き受けてくれたか・・・、ありがたいことだよ」
モーガの話を聞いてご隠居様はほっとした表情を浮かべた。夕食も終わり、郷主とその家族のための食堂で大人たちがちょっとした酒肴を楽しみながら、これからのことを話し合っていた。
「それで、義父殿、すぐさまあの子たちに任務をお与えになるのですか」
郷主のゲインズが自らのグラスに葡萄酒を注ぎながらご隠居様に尋ねた。
「ネアは別として、他の子たちにはそれなりの訓練を施していく必要があるね。あの子たちが即戦力ならここまで急ぐ必要はないんだが・・・。あの子たちには本来、仕事ではなく遊ぶ時間をもっとやりたかったんだが、悲しいことだよ」
ご隠居様は自分のグラスをじっと見つめながら寂しげな声を出した。
「訓練とはなにをさせるんです?ひょっとして、色仕掛けのやり方とかだったら・・・、私にも考えがありますよ」
大奥様のメイザが射殺すような視線でご隠居様を睨みつけた。
「まさか、あの子たちには街や館の中で交わされる情報の収集を主にやってもらう考えだよ。ただ、他の郷で単独で情報を収集することもあるだろう、最終的にはどこかに忍び込むことも考えられる。もしばれることがあったら捕まえられることもあるだろう。それらを回避する術を訓練しなくてはならない」
ご隠居様はいつになく真剣な表情でメイザの言葉に答えた。
「ネアが言っていたんだが、少人数で人知れず潜り込み、必要な情報を収集もしくは、重要な人物の拉致、排除、そして重要な施設の破壊などを行うチームが必要になるだろうね」
ご隠居様の言葉にゲインズの表情が曇った。
「まるで犯罪者じゃないですか、それをあの子たちに・・・、そんな汚れ役は我々大人がすべきことで・・・」
「婿殿、待ってくれ、あの子たちにそれをさせる気はないよ。それにそんな能力を身につけようとすれば、結構な手間と時間、お金が必要になってくる。しかし、いつかは必要になることだと思っている。確かに犯罪かも知れないが、力のない我々が巨大な力を持つ者に対抗するには形振りを構っていることなどできないよ。婿殿も昨年のスージャの関で決して正々堂々とした手を使ったわけじゃないだろう。世間からの批難は覚悟の上さ。ひょっとするとあの子たちからも恨まれるかも知れない。それも織り込み済みだよ」
ご隠居様はグラスに入った紫色の液体を一気に喉に流し込んだ。
「でも、そんな訓練できる人がいるのかしら、ロクさんたちは今の仕事が忙しいようだし・・・」
モーガはご隠居様の構想の抜本的な部分に疑問を投げかけた。
「そこは手探りとしか言いようがない。ただ、戦においての潜伏、情報収集のやり方と共通しておることも少なからずあると考えている。・・・そこでだ・・・」
ご隠居様は声を落として辺りを一瞥した。
「ネアに協力して貰おうと思っている」
ご隠居様の言葉に居合わせた一堂はあまりのことに言葉を失った。
「あの子はまれびとだ。ただ、前の世界の記憶が殆ど抜け落ちている。しかし、野戦における監視、観測、情報収集、破壊活動については言葉の端々から経験なり、心得があるものと僕は見積もっている。街の子との喧嘩の話は聞いたよね。その時、ネアは誰も教えていない関節を使った技で悪ガキをやり込めている。剣術の稽古の時も年上の男の子にボコボコに突かれても泣きもせず、隙を見て首を締め上げて意識を落とさせている。あの子は我々が思うより怖い世界に身を置いていたのかもしれないよ」
ご隠居様はネアに付いて自分が知り得ていることを打ち明けた。但し、前の世界での性別についてはあえて口にしなかった。
「そうですか・・・、だからあの関での戦いの場にあっても恐慌に陥ることもせず、多分、あの子は戦士だったのでしょうね。懸命に戦った者を辱めるなの言葉はあの子がかつてそのような立場にあったからこそなんでしょうね」
ゲインズは昨年の出来事を思い出していた。そこでのネアの言動はご隠居様の説が正しいとすれば全て納得がいくものであった。
「すると、ネアを教官にして訓練させるんですか」
モーガの問いかけにご隠居様は首を振って答えた。
「あの子に教官をさせると、騎士団の新団員教育すら生温いものに感じられるようなことをすると思うよ。その上、あの子の記憶も確かじゃないからね。できるものなら、身体に染み込んだものを思い出して行ってくれると助かるね。あの子には訓練を受ける者と助言者を兼ねてもらいたいと思っている。基礎的な訓練は黒狼騎士団に、情報収集や尾行については鉄の壁騎士団に任せようと思っている。ラウニもフォニーも訓練に熱が入るだろうしね」
ご隠居様の明るい表情でいつもの調子が戻りつつあった。
「そこで、ネアにちょっと思い出してもらう必要があるから、黒狼騎士団の夏の野営にウチの子ども達とバトとルロを参加させようと思う。なにも騎士団と々ことをするんじゃない、野外での行動を身につけてもらうのが目的だよ。ま、それ以前にネアに思い出してもらうこともあるけどね」
ご隠居様はそう言うとまた、新たに何事かを考えながら己のグラスに葡萄酒を注ぎこんだ。
「宴席で思いついたいい事は、大概ロクでもないことである。と言われていますよ。お酒はほどほどに、下り坂の我々が上り坂の子たちを相手するんですよ。自分の身体をもっと労ってください」
メイザの厳しい言葉に、ご隠居様は真剣な顔で頷いていた。
「私たちって、何も知らされなかったよね」
バトがベッドに俯けになって足をバタバタさせながら、寝る前のブラッシングに余念のないルロに声をかけた。
「知らされていたことと言えば、お手当てがよくなることと、住む場所が良くなること、お手当ては確かに良くなりましたし、住むお部屋も騎士団のときみたいに大部屋に詰め込まれている状態からするとよくなりましたが、貴女と一緒なのが残念ですね」
ルロは退屈そうに応えた。そんな少しトゲのあるルロの言葉を意に介せずバトはルロに話しかけた。
「仕事の内容を知っていたら引き受けた?私は、ちょっとドキドキ感があってこの仕事は好きだけどさー。ルロは玉の輿を狙っているから丁度いいのかな」
バトの言葉にルロはブラッシングの手を止めた。そしてバトに正対した。
「危険な潜入任務とかで、どこかの次期郷主様が刺客に囲まれてもはやこれまで、って所に私が助けに入って、悪党を蹴散らすけど、酷い手傷をおって、彼にお姫様抱っこで病院に運ばれて、そこで『僕の命を救ってくれた恩人がこんなに可愛いなんて』とか言われて、その場で求婚される予定なの」
バトはルロの予想外の答えに動きを止めてしまった。
「・・・どこのお芝居よそれ・・・、随分と限定された状況みたいだけど・・・、頑張ってね・・・」
バトはルロの妄想を頭から否定することもできたが友人として一応エールを送ることにした。
「勿論、平民の私がいきなり郷主の妻になるなんて、お義母様や取り巻きのエライ人が許さなかったり、意地悪をしてきたりするけど、二人の愛の力で乗り越えていくのよ」
「・・・」
ルロはバトの応援に対して酷く真面目に明後日の方向に暴走している己の将来のビジョンを語ったのであるが、これには流石のバトも返す言葉を見つけられなかった。
「ルロ・・・、お姫様抱っこで連れて行かれる病院がハンレイ先生のところじゃないといいね・・・」
バトがやっと見つけられた言葉これであった。その言葉にルロの表情が曇った。
「それは、マズイ・・・、愛しの人の前であられもない姿に・・・、でも、私のこの身体なら・・・」
ルロの別のスイッチが入ったようで、その後はブツブツと何かをつぶやいて、時折、きゃっと小さな飛命を上げる状態が続いた。そんなルロをバトは生暖かく見つめていた。
「貴女も充分にシモドワーフよ・・・。つっこみのボケがここまで凄いとは思わなかったよ。私も突っ込み方をもっと勉強しないと・・・」
ケフの夜更け、お館の一室でこの郷の将来の行方を左右する仕事に就こうとする者が全く別のベクトルに努力の方向を見出していた。
何となく、ネアの前の仕事がご隠居様に知られているようです。ネアが次女見習いの中で一番ご隠居様との接点が多いからかも知れませんが。同じく、新たな仕事についている凸凹コンビのボケ担当はバト、つっこみ担当はルロですが、時折、逆転もするようです。
今回も駄文にお付き合い頂き感謝しております。