11 ケフの都
ケフの街の出来事です。
やはり、坊ちゃんは何だかんだと苦労する運命のようです。
風に生活の臭いが混ざってきたのを感じたのは、まだケフの都が見えない場所だった。小さな鼻をひくひくさせて風から少しでも情報を得ようとしているネアを見てルップはくすりと笑った。
「そんなに頑張って嗅がなくても、都は無くならないよ」
「・・・」
ルップの言葉に自分の知らずのうちにとっていた行動が動物じみた行為だと自覚したが、こんなに匂いに敏感になったことはこれまで無いし、何より匂いからの情報が思ったより多いことに思い知らせされたのも今までに無かったことであり、匂いを嗅ぐ行為に夢中になっていた自分が少し恥ずかしく感じられた。
「お前さんらはもう、都の匂いを感じたのか。獣人の鼻はすごいもんじゃな」
白衣姿に斧を肩に担いだドクターはネアとルップを交互に見つめて感心していた。
ラマク山脈に張り付くように佇むケフの都をネアが目にしたのはそれから暫くの後であった。
ケフの街は1辺4~5kmの四角い街であり、それぞれの辺は高さ3~5mの石壁で囲われた城壁都市である。それぞれの辺に1箇所、幅10m程度の門があり、その門が街と外をつないでいた。その門には鎖帷子の上に白いジャケットに赤くラマク山脈を模した文様をつけた、これまた白い兜を被り、槍やら長剣を手にした兵士のような者たちが出入りする者たちの身分証のようなものを確認したり、荷馬車の荷物を点検したりと物々しい雰囲気を醸し出していた。
「なにかあったの?」
街に入るのに国境を越えるような騒ぎとなるなんて思いもしないネアがポケットの中をごぞごそとかき回してクレジットカード程の大きさの身分証を取り出したドクターに小首を傾げながら尋ねた。
「なにかって、街に入るには普通のことじゃが。それすら分からんのか」
ドクターはネアの問いにため息とともに答えると
「さっさと終わらすぞ」
とルップに一声かけた。街の中からは昼前らしく、様々な食欲を誘う香りが漂ってきていた。その匂いにつられてネアの小さな腹がきゅうと小さな音を立てた。
「さっさと終わらせて、食事にしましょう」
ルップは首からかけた身分証を見えるように外套の外に出した。
「ドクター、坊ちゃんお帰りなさい」
その門の責任者らしき真人の兵士が二人の顔を見ると身分証を確認することもせず、声をかけてきた。
「坊ちゃん?」
ネアが不思議そうにルップを見つめた。ルップは毛で見えないものの、真人なら顔を真っ赤にしているのが丸分かりになっていただろう。
「それは、やめて欲しい・・・」
ルップは小さな声で不満を漏らした。
「黒狼騎士団の団長の長男であらせられるルップ様は、周りから坊ちゃんと呼ばれておるんじゃよ。な、坊ちゃん」
ドクターはからかうようにネアに説明すると、楽しそうにルップの肩をポンポンと叩いた。
「その子は?」
声をかけた兵士がネアを見つめながらドクターに尋ねた。
「帰る時にな、フラフラと彷徨っているのを保護したんじゃ、名前ぐらいしか覚えておらんと言う有様でな。あのまま放っとくと獣の餌になることは間違えないからな。で、つれてきたわけじゃ」
「そうですか・・・。お嬢ちゃん、名前は?」
兵士はかがんでネアの目を見つめて微笑みながら尋ねた。
「ネア、湧き水のネア・・・」
ネアは相手に不信感を持たせないように、できる限り子どもっぽく、そして名前以外知らない可愛そうな女の子を演じることに決めた。
「ネア、ネアちゃんね。えっと、何処に住んでいたのかな、お父さんやお母さんは?」
優しく尋ねてくる兵士に今にも泣きそうな表情を見せながら、その問いの答えとして首を振るだけに留めた。
「ずっと、その調子でな・・・、取り合えず、わしの診療所で検査をするつもりじゃよ」
ドクターは悲しげな表情を浮かべながら兵士の肩をそっと叩いた。
「私にも同じような年齢の子供がおりますので、他人事に思えませんよ」
「ああ、わしも去年子供を授かったからな・・・」
兵士はドクターの言葉に頷くと、門の脇の小屋から身分証のようなものを手にして出てきた。そのカードはドクターやルップのものと真っ赤であるという点で大きく異なっていた。
「臨時の身分証です。保護責任者として、恐れ入りますが、ドクターのサインをここにお願いします」
兵士は分厚いノートのようなものと鵞ペンを肩からかけたカバンから取り出した。
「ああ、落ち着いたら正式に申請するよ」
ドクターは慣れた調子でサラサラとノートにサインすると、ネアの手をそっと取って
「飯でも食いに行くか」
RPGでも見かけないように妙なパーティが街に入ったのはお昼時を少しすぎたあたりであった。
街を囲む石壁の厚さは大の大人が重武装して十分に行き違えるほどあり、ネアはまだ確認していないが、石壁の上は通路となっていた。その石壁と街並みの間には幅30m程度の道路が石壁に沿って造られていた。その通りの石壁側には雑多な物を扱う露店がぽつぽつと店をひろげていた。街並みは煉瓦や石で造られたものが多く、なんとなくヨーロッパ風の街並みにも見えなくも無いことは無いが、ネアには、そこはかとなく違和感が感じられた。
「飯は、黄金の林檎亭でいいな」
ドクターはルップとネアに異論は認めぬとばかりに宣言した。ルップは無言で頷き、ネアはまったく見当もつかないのでただ黙っていた。
黄金の林檎亭はお館に続く大通りに面した小さくはない食堂であった。入り口には鍋を象った看板がかけてあり、通に面した大きめの窓からは店内の活気が窺えた。
「ここの肉と野菜のスープが絶品なんじゃよ。それと、食後のシフォンケーキも捨てがたい」
店内に入ると空いたテーブルを見つけ、その机にドクターは肩にかけた斧を立てかけた。
「特製スープとパンを三つ、それと食後にケーキとお茶を二つ、ワインを一つ」
注文を取りに来た猫族の獣人のウェイトレスに早口で注文するとルップとネアに向かって
「心配するな、わしのおごりじゃよ」
お小遣いの残額を気にしていたルップと無一文のネアはほっと小さなため息をついた。
黒いワンピースのエプロンドレス姿の明るい茶色と黒い狐と熊の獣人の幼い少女が大量に糸や布やボタンが詰まった袋を抱えてよたよたと大通りを歩いていた。
「私のほうが軽いみたいだから、交換しようか?」
熊族の少女が狐族の少女に心配げに声をかける。
「大丈夫、全然平気だから」
狐族の少女は重さに耐えるように歯を食いしばっているが、それを悟らせないようにしようと強がって見せた。その姿に熊族の少女は少し苦笑した。
「フォニー、落としたらダメなのよ。無理するのは勝手だけどね」
「何度言ったら分かるの、大丈夫なんだってば・・・。ラウニも心配性だね」
フォニーはふんと鼻を鳴らして歩みを速めた。しかし、重い物はやはり重い。暫く歩くと立ち止まり大きく深呼吸した。
「きつくなったら言いなさいね。力は私のほうがあるから」
ラウニは立ち止まったフォニーを気遣ったが、それに対してフォニーは首を横に振って答えた。
『この子の意地っ張りは生まれつきかしら・・・』
少し困った表情を浮かべながらラウニはフォニーに
「どこかのお店で休んでいく?この先にお茶飲めるところあるから」
ラウニの提案にフォニーは満面の笑みで答える。
「それ、とてもいい考えだよ」
休めると分かるとフォニーの足取りは軽くなった。そんな彼女の鼻腔をおいしそうなスープの香りがくすぐった。
「お昼は食べたけど、いい香りねー」
狐族より鼻の利くラウニが鼻を引くつかせて目を細めた。
「ここのスープとケーキは最高だもんね。こんどお手当て頂いたら食べに行こうよ」
フォニーは足取りも軽く店の前を通り過ぎながら店内をちょっと覗き込んだ。
「っ!」
ラウニは目の前でいつもふさふさのフォニーの尻尾がさらに膨れるのを目撃した。
「何かあったの?」
ラウニは、フォニーに声をかけたが、フォニーは首を振って答え、足早にその場から移動を始めた。
「何があったのかしら・・・」
窓から店内を見ると、騎士団の坊ちゃんと見たことのない猫族の少女がともにテーブルについて仲良さげにスープに浸したパンを口に入れている光景だった。
「坊ちゃん・・・」
ラウニはため息をつくと足早に去っていくフォニーの後を追いかけた。多分、休憩のお茶はお預けになるだろうとぼんやりと考えた。
この駄文にお付き合い頂いた方に感謝します。
おっさん以外が出てくると物語が少しは華やぐことを思い知りました。