105 思惑の中に
ご無沙汰していた彗星君のお話しとなります。
「何時まで待たせる気なのでしょうか?」
郷主の館にある飾り気のない小さな客間、この館に訪れるそれなりの地位のある人の使用人のための待合室で苛立ちをかみ殺しながらハイリが呟いた。昨日、この都を襲おうとしたヒグスたちを目にもとまらぬ速さで討伐した彗星にコデルの郷主、と言うかその秘書の一人がここで待機してくれ、と言ってからまる1日たっていた。さすがにここで宿泊することはなく、郷主が準備したと伝えられた立派でもない宿に宿泊できたのであるが、昨日も深夜まで、今日も早朝から待機してくれ、の一言で待ちぼうけである。出される食事もクラッカーにジャム程度の決して人をもてなすような料理が提供されただけであった。勿論、酒もなければ、彗星に対する生物学的な接待もなかった。
「多分、段取りに時間がかかるんだうろな・・・」
彗星は待合室のソファにゴロリと横たわったままつまらなそうにハイリに声をかけた。人生経験が豊富でない彗星であってもこの館がおかしいことにはすぐさま気づいた。館を守る壁の内側には、風雨による汚れもなく、館の前庭には花(植物が子孫繁栄のために咲かせているもの)がなく、ノギスで測り、定規をあてて剪定した植木が数学的な神経質さにより等間隔で植えられており、常に庭師が野鳥が時折落とす糞や外から舞い込んで来る枯葉を排除するために、館の窓からは見えぬ位置に常に控えてた。館の外でこの有様である。内側と言うと、廊下には塵一つ落ちておらず、使用人たちは抜けた髪の毛を落とさぬように頭を丸ごと覆う防止をつけるかスキンヘッドであった。館の中の調度品はすべて水平、垂直を数学的に追求したようにきっちりと配置されていた。また、館の中は使用人たちの私語もなく、静まり返っていた。
「郷主、ルーテク・ヘリントン様がめてお様に面会を所望されております。つきましては、この帽子を身につけて頂きます。・・・あの、失礼ですが、入浴はもうおすみでしょうか?」
そろそろ昼食になろうかという頃、正確なリズムのノックの後、小さな客間に皺のないパリっとした使用人らしいスーツのような服を身にまとった痩せた真人の男が小声で彗星に尋ねてきた。
「それなら、昨夜きちんとシャワーを浴びたが」
彗星の答えにその男は顔を引きつらせた。
「・・・困りました。今すぐ、そちらのお連れ様を含め入浴の準備を致します。その間にお召し物を綺麗にしておきます。暫くお待ちください」
頭の上に「?」を浮かべているような彗星にその男は深く頭を下げると客室を音もなく出て行った。その後の入浴から洗濯までの一連の動きは、今までの無駄に待たせた対応とは全く異なるもので、素早く行われた。
「こんな短時間でここまで綺麗にするなんて、どんな職人を雇っているんでしょうか?」
綺麗になった自分の服を見ながらハイリが呆れの混じった感心をしていた。
「・・・余程、綺麗好きなんだろうな」
先に入浴を済ませ、髪の毛の落下を防ぐ帽子をかぶった彗星がつまらなそうに呟いた。
「ご準備よろしいでしょうか?よろしければご案内いたします」
先ほどの男が丁寧かつ相手の希望は聞き入れない態度で彗星たちの前に立って歩き出した。郷主が執務しているとされるこの館の2階部分は、幾何学的な法則に支配されているこの館にあっても、さらにそれが濃くなっていた。廊下に敷かれているカーペットには汚れ一つなく、全ての毛足はきちんと整えられ、描かれている幾何学的文様も手作業でありながらその温かみが感じられないぐらいにキッチリとしていた。
「我が郷主の前ではこれをお付けください。できれば、執務室内の物にはお手を触れないで下さい。そして、くれぐれも大声を発することがないようにお願い申し上げます」
その男は彗星たちに絹製の真っ白な手袋を渡すと、深呼吸して、執務室の扉を3回ノックした。暫くすると、執務室の中から、チリンとベルの音がした、その男は音を聞くとそっと扉を開けた。
「この度、都を危機から救っていただいた、カゲヌマ・メテオ様お入りになられます」
「ジャノン、ノックの2回目、ズレていました。これで4回目です。契約通り、ここから立ち去りなさい」
「え、タイミングはずれておりませんが・・・」
「叩く位置が、君の小指の先の半分ほど上にずれていました。私は秩序が乱されることが何よりも憎むということを知らないわけではないでしょ」
その部屋の主は、面倒臭そうに言うとその男に手で行くように手を払うように動かした。
このコデルの現郷主、ルーテク・ヘリントンは前郷主ヒーシュ・ヘリントンの長男で今年28歳になる、痩せこけた、青白い肌に薄い色の髪を持つ神経質、潔癖症、その他諸々の普通に生活する上において難しくなるような特性が人の形をしているような男だった。
「すまない、使用人たちがどうも大雑把過ぎてね、頭が痛いよ。・・・、昨日の盗賊たちの駆除に関して郷主としてお礼を述べる。ここ暫くの滞在費は我々が持とう、良ければ我が輝ける剣騎士団に入団してもらいたい、待遇は保証するが、どうかな?」
ルーテクは小声で早口にまくし立てると滅多に浮かべない笑顔をむりやり作った。
「・・・、え、よく聞こえないのですが・・・」
もっと声を良く聞こうと彗星がルーテクに近づこうとしたとき、ルーテクは悲鳴に近い声を張り上げた。
「近づくな、息が、唾が・・・、動き回ると貴君に付いたゴミが落ちるじゃないか・・・、そう、ここでの滞在費は我々が負担する。騎士団に入団するなら待遇は保証する、以上だ。・・・私が人と面と向かうことも異例なのだよ・・・、何もしなくても臭いは・・・、ああ、もういい、詳しくは館の者に聞いてくれ。今回の活躍、本当に素晴らしかった。できれば、その力、この郷に貸して貰いたい。では、下がって良いぞ」
ルーテクは言いたいことを言うと、机の上にキチンと並べられた書類にペンを走らせ始めた。彗星はちらとハイリを見るとハイリも呆れたように肩をすくめるだけだった。
「なんなんだよ。アイツ・・・」
コデルの郷が準備してくれた決して豪華ではない宿の一室で彗星が憮然とした表情を浮かべてハイリに同意を求めていた。
「郷主として、問題が多い方ですね。果たしてこの郷がちゃんと回っているのか疑問すら感じます」
ハイリはため息をつくと、今後、彗星にどう動いてもらうかを考え出していた。部屋の中に沈黙が流れ出した頃、宿の廊下がいきなり賑やかになり、ドスドスと大きな足音が響いてきた。
「っ!」
彗星は傍らにおいていた片手剣を掴むとドアに向いて身構えた。
「入るぞ!」
大声と共にドアが乱暴に開かれ、そこには巨大な人影が酒樽を担いで立っていた。
「何者だ」
剣を抜き、ハイリを庇うように身構える彗星に大男はにこにこしながら声をかけてきた。
「おいおい、その物騒なモノをしまってくれよ。俺はナトロ・ヘリントン、郷主の弟さ。あれを郷主と言うならな」
警戒の色を強く出している二人にお構いなしにナトロは部屋に入ると、酒樽をドンと床において、そのばに座り込んだ。
「おい、カップと喰いモンを頼むぞ。ここにはレディもおられるんだ、上品なモノを頼む」
彼は宿の者に声をかけると座ったままじっくりと彗星を見つめた。
「彗星と言ったな、お前、うちの兄貴をみてどう思った。俺に気兼ねしなくても良い、思ったままのことを言ってくれ」
「随分と忙しそうだったが・・・」
彗星は言葉を選んで、短く答えた。その言葉をナトロは鼻先で笑った。
「忙しい、あの兄貴が」
「お言葉ですが、随分と書類仕事があるようでしたが」
ハイリが今日の面会時の風景を思い出しながら言うと、再びナトロは鼻先で笑った。
「この都から出てすぐのところに川があってな、あんたらが入ってきた方向とは逆の方向だ。随分前から、痛んでいて、修理じゃおっつかん状態でな。で、建て替えしようとなったんだが・・・」
宿の女中が運んできたカップとオードブルをごっつい手で受け取るとナトロはそれを床に置いて、彗星たちに一緒に座るように促した。
「ところがだ、兄貴は、その橋を作る部材はどこの産か、釘は何本使うのか、端切れの出る量は、挙句の果てに欄干の色まで事細かに報告するように担当に命じたんだよ。で、担当が必死の思いでこさえた書類は、字が汚い、インクの色が良くない、文字が傾いている、図面の線がかすれている、って具合で一向に受け付けないし、仕事も進まない。すべてがその調子だよ」
ナトロはため息をつくと、樽をテーブルの上に置いてその栓をひねって赤い色の液体をカップに注ぎ、彗星とハイリに手渡した。そして、自分のカップになみなみと注ぐと一気にそれを飲み干した。
「今回、あんたたちがやってくれたことに関しても、気づいたのは昨日の夜だ。しかもまだ、報告文書を受理していない。これも、文字の体裁やら書き方が気に入らないらしく突き返している状態だ。アニキの書類仕事は書類の不備を指摘する、それだけだ」
ナトロは再びカップに酒を注いだ。
「それだけにしては、随分とやつれられているように見られましたが」
ハイリが両手にカップを持って、舐めるように一口のむとナトロに尋ねた。
「ああ、あれか・・・、アニキは極度の不潔恐怖症でな、生きている物は皆、何かしらを食うと、出すだろ。それが気に入らないらしくてな、極力物を喰わないようにしているらしい。それと、口にする物はできる限り汚く無い物、動物の肉なんて、動物自体が汚いから考えられんらしいし、野菜の類も土がついていて汚いらしい。だから、ごく限られた果物をその実がなくなるまで洗って、その残った僅かな場所を煮込んでジャムにしたものと、植木鉢で育てた、アニキの言うところの綺麗な小麦でつくったクラッカーしか口にしてないからな、しかも、一日に1回だけ。酒も女も・・・、女はアニキからすると汚いらしい・・・、お嬢さん、俺は違うからな」
ナトロはハイリを見て否定するように手を振ってみせた。
「ええ、信じますよ。食べることすら汚いように感じる人が態々床の上に腰を降ろすなんてないでしょうから」
ハイリはスカートの裾を正すとそっと床に腰を降ろした。
「で、そのあんたは、今、何をしてるんだ」
ナトロと同じように床に腰を降ろした彗星がカップの中の酒を飲みながらぶっきらぼうに尋ねた。
「ああ、俺は、今、無役さ。こうやって飲むぐらいしかしてないな。表向きにはな・・・」
ナトロは含みのある言葉と共ににやりと笑った。
「・・・俺達に力になれって事か・・・」
彗星がナトロをにらみつけながら、カップの中の液体を咽喉に流し込んだ。
「簡単に言えばそうだ」
「こちらとしては、すぐには承諾しかねます。ナトロ様とは今、知り合ったばかり、ルーテク様とも一度きり、判断する材料が全く不足しています」
ナトロの言葉にハイリが鋭く突っ込み、自らの陣営に引き込もうとするナトロの言動に釘を刺した。
「ああ、そう簡単に、俺を信用しろとはいかないよな。それが普通だ」
ナトロはため息をつくとオードブルの何かの揚げ物を手でつまみ揚げて一口にした。
「しかし、あんたの言葉を信じるとするなら、なんでこの郷は回っているんだ?」
睨み付ける彗星の視線を外そうともせず薄ら笑いを浮かべながら見つめ返した。
「不思議だろ?回しているのは誰か?暫くここにいるんだろ?調べるのも面白いと思うぜ。ま、難しい話はここまでだ。何を考えているかは知らんが、今日は互いに知り合ったことに乾杯といこうぜ」
ガハハと豪快に笑うナトロのペースに巻き込まれ、翌日は、彗星は勿論のこと、冷静なハイリまでが二日酔いの荒海の中に漂うことになっていた。
「戦馬鹿ではないようだな、特にあの娘、随分と考えが深いように見える」
郷主の館から少し離れた小さな屋敷の一室にその巨大な影があった。
「郷主を先代から引き継がれてもう1年たちますが、我々もそろそろ限界ですよ」
ナトロの前には数名の中年以上の男女が集まりなにやら話し合っていた。
「先代が何を迷われたか、あのルーテク様にお譲りになられるなんて・・・、考えたくはありませんが、あの事故も・・・」
この郷で宿泊業の寄り合いの長を務める太った真人の老女が不安を口にした。
「ああ、それはないと思う。あの親父は慣例どおりに動くことしかできん男だったからな。だから、長男であるアイツを次期郷主に据えた。見たところ、頭は良い、不正を働こうにも酒にも女にもお宝にも興味のない男だ。アイツの興味は全てがきっちりと秩序だって存在すること、それだけだからな」
うんざりした口調でナトロは言うと集まっている面々を見回した。
「それでだ、あの男、つまり英雄殿を我らの仲間に据えて、悪を倒すという筋書きにしたいのさ」
「ナトロ様、ルーテク様には、恐れながら無能の印を押す者はおりましても、悪という印を押すものはおりませんが」
そう言ったのは、コデルの郷で商人たちの寄り合いの長である恰幅の良い髭の男だった。
「アニキは秩序を乱す者には容赦がない、そこを利用しようと考えている」
「もう時間が限られています。いくらルーテク様でもこの郷がルーテク様の知らないところで運営されていることに気づかれるでしょう。あのお方の性格からすれば、ここにいる我々全てが良くてこの職を失うことになります。そうなれば、この郷の経済活動は・・・動きません」
商人たちの寄り合いの長はそう言うと深いため息をついた。あのルーテクのことである、この事を知れば騎士団を使ってでもここにいる面々を捕縛し、それぞれの寄り合いを解散させるだろう。そして、その業務を自分でやろうとして、今のように書類の体裁だけに拘ってなにもできない状況を生み出すのは明らかであった。そして、その状況を望む者はここに誰もいなかった。
「手始めに、この都に入る手続きをアニキ流の融通の利かないやり方にしてみようと思っている。勿論、それにより民の生活は苦しくなるが、それはアニキのせいなんだからな。この郷の民の不満をアニキに向けるようにしていけば・・・」
顎に手をあてて何かを考えながら呟くナトロに常の豪快さはなかった。
「そして、もう一つ、今回の盗賊団のような騒ぎでアニキが何も動かないことを周知できれば・・・」
「随分と危険な賭けに思われますが」
「アニキの無能さで発生した危機をあの英雄殿が解決する。我々は英雄殿の支援をする。この郷は英雄殿が統治する形になるが、英雄殿は次なる力なきものために旅立ち、我々が後を継ぐ」
ナトロはそう言うと初めてニタリと笑みを浮かべた。
彗星君もいろいろと巻き込まれていきます。いくら力があっても、全てを思い通りにしていくのは難しいことだと思っています。
今回も駄文にお付き合い頂き感謝しております。