99 お別れと再会の約束
休日はどんな時でもあっと言う間に過ぎていくものです。仕事の期限も・・・。
年齢と共にますます時間が早く流れていくように感じられるのです。
時間とは残酷なモノかもしれません。
「整体と言っても、骨の歪みを元に戻すものから、こりや疲れを癒すものもあるんです。ずっと同じ姿勢を取っていたりすると筋肉が固くなって、血とかいろんなものの流れが悪くなって動きが悪くなったり、痛くなったりするんです。崩れたバランスを元に戻すことが大切なんです」
食後にホールのテーブルを囲んでシニアはアルコールをそれ以外はお茶やジュースを嗜みながら雑談に花を咲かせていた。その中でアーシャが整体について己のグレーな肉球を見せながら話していた。
「押すときの力のかけ方が微妙なのよね。ちょっと痛みがあるけど嫌な痛さじゃないし、すーっと疲れとかが蒸発していくような感じね。私も持っているけど、肉球でぎゅっと押されるととてもいい感じなの」
アーシャに施術してもらったレイシーが身を持って知ったその効果を説明していた。
「恐るべし、肉球・・・」
シャルはアーシャの肉球をまじまじと見つめて呟いた。そして、意を決したように口を開いた。
「アーシャさん、肉球触らせて、お願い」
「え、ええ、いいですよ・・・」
アーシャはそっとシャルの前に手を差し出した。シャルはその手を両手で掴むと指先で肉球を押したりしだして、挙句の果てに肉球を頬に当てた。
「ぷにぷにしている・・・」
うっとりとしながら呟くシャルに反比例するようにアーシャは引いていた。
「シャル、アーシャさんが困っているでしょ」
あまりにもな娘の状態についにヒルカが声を上げた。
「ごめんなさい。あまりにもステキな感触でつい・・・」
いきなり現実に引き戻されたシャルは慌ててアーシャの手を離した。
「触っているだけでも癒されるのに、その上、押してもらったり、もんでもらったりしたら・・・」
シャルは、アーシャに肉球の感触を思い出しながらうっとりとした表情を見せた。
「これって、そんなに恐ろしい力が秘められているのでしょうか」
ネアは己の桃色の肉球を見つめて呟いた。
「ウチらにもあるけど、猫系の人のは特別なのかなー、ラウニはどう思う」
「そんなに意識したことないです。それに、私の手は可愛くないし・・・」
フォニーの肉球と己の肉球を見比べてラウニは小さくため息をついた。
「・・・肉球より、人の手が欲しいです・・・」
「ラウニ姐さん、出たサイコロの目しか進めないんです。真人の女の子は間違っても冬知らずの動きを止めたり、止めをさすことなんてできません」
ちょっと落ち込み気味のラウニにネアが元気付けるように声をかけた。
【俺も丸くなったなー、以前なら、目障りだから、人の見てないところで落ち込めって指導していたのにな・・・】
ネアは心の中で前の自分の心はここにいる誰よりも偏っていたのかもしれないと苦く思い出していた。
「そうだよ。ウチらが真人だったら、今頃ここでお話しなんてできていないよ。あの雪の中で冬知らずの臭いを嗅ぎ取るなんて真人にはできないよ」
フォニーもネアを元気付けようとして声をかけた。それを聞いたウェルとアーシャに驚愕の表情が浮かび上がった。
「あの冬知らずを君たちが・・・」
「この子たちって・・・」
兄妹は互いを見合って畏怖の篭った目でラウニたちを見た。
「あれは、運が良かっただけです。その運は真人だとつかみにくいってことで・・・」
そこにすかさずネアが自分達の実力じゃなく巡りあわせが良かっただけと力説した。
「すまないが、この事は黙っていて欲しいんだ。子どもでも冬知らずが倒せるとか思いこんで自分でもできると思い込んだり、この子たちを強いと思い込んで果し合いをしようとする馬鹿がこの子たちに迷惑をかけることを防ぎたいんだよ。最悪、この子たちがお館で仕事ができなくなるかも知れんからな」
ラスコーはウェルとアーシャに頭を下げて頼み込んだ。
「僕としては、薬の材料が手に入っただけのことです。誰が倒したとかそんなことはどうでもいいことですから」
ウェルにとってはラスコーの頼みを聞くまでも無く、全く興味のないことであり、心にとどめておく必要もないことであった。
「ラウニさんは違うけど、冬知らずとか怖いものには遭いたくないです。だから、冬知らずが死んでいたことも知りません。お兄ちゃんが仕入れる薬の材料もどこから来たかなんて知りません。こう見えても私、そんなに強くないんですから」
アーシャもラスコーの頼みを聞き入れた。しかし、彼女の台詞にちょっと引っかかる者がいた。
「米豹族のアーシャさんが強くないって、信じられません。猫系の種族では強いって聞いてます」
冬知らずと同列に扱われたように思ったラウニがアーシャの言葉に食いついた。
「私はね、力はあるかも知れないけど、戦い方は教わっていないし、知らないの。米豹のか弱い女の子なのよ」
アーシャはラウニの突っ込みに優しく答えたが、その横でウェルが納得いかない表情を浮かべていた。
「関節を決めるのは戦い方だと思うよ。僕が食事の時間を忘れていたり、寝坊した時、強烈な関節技を仕掛けてくるよね」
「あれは、整体技術、戦いの技術じゃないの。お兄ちゃんは姿勢が悪いし、あんまり運動もしないし、米豹族、最弱の男ってお父さんに言われているでしょ」
「うん、そうだよ。僕の戦うべき相手は、病気や怪我だからね、そのための戦い方は学んでいるつもりだよ。まだまだだけどね」
弱いと言われてもケロっとしているウェルにネアたちは肩すかしを喰らったように目を丸く見開いていた。
「米豹族と言えば、どこの騎士団、傭兵団でも入団できるじゃろうに・・・、しかし、わしの見立てはお前さんは剣よりメスを取る人間となっておる。医学の道は剣の道と同じく、行き着く果てはないがな」
「獣人が入れる騎士団なんてそんなにありませんよ。ケフが特別なぐらいで、獣人だと傭兵がやっとです」
ドクターの言葉にウェルは頷きつつ、騎士団の話になると頑なな態度で否定した。
「あいつら、酷い怪我をしても、治療する者が穢れ・・・、僕たちみたいな獣人だとその場で断ってくる。そして、助かる命も助からない・・・、助けさせてくれない・・・」
悔しそうにウェルが呟いた。
「ああ、手前の命より、手前の主義が大切なヤツはどこにでもいる。そして、性質が悪いことにこれを他人に強制しおる。困った連中じゃよ」
ドクターも何か思い当たる節があるのか、ウェルの言葉に頷いた。
「ウェルさんは、将来、お医者様になるんですか?」
少し重い空気が漂い始めたことを悟ったネアが空気を少しでも軽くしようと新たな話題を振ってきた。そこには、ネアからするとこのウェルと言う青年は弄りやすいと見えたこともあった。
「医者と言うか、できるだけ多くの人の病気や怪我を治したいね。全ての人が美味しいモノを美味しいって感じられるようになれば素敵だよね」
「だから、チャンスは逃がさないようにねお兄ちゃん」
夢を語る兄をアーシャは横から肘で突いて、ドクターにケフの都で医学を教えてもらう話のことを思い出させた。
「アーシャさんは、お兄さん思いなんですね。いいなー、兄弟がいるって、私もビブちゃんみたいな妹、欲しかったなー」
「アーシャって呼んでください。お兄ちゃんは、お兄ちゃんて呼んでもいいです。それで、通じますから」
「じゃ、私のことはシャルと呼んでね。ウェルさんはおにいちゃんね、分かった。よろしくね、お兄ちゃん」
すっかり、シャルとアーシャは打ち解けていた。互いに年齢が近いというのもあったが、シャルにとってはアーシャの柄をすっかり気に入っていたこともあった。
「アーシャ、これからは、こちらにちょくちょく寄って貰うことできるかな。お風呂も食事もこちらでもつから、その代わりと言うとなんだけど、ここで整体してもらえないかな、整体用ブースとベッドもこちらで手配するから、勿論、只でなんて言わないわよ。ちゃんと、お客様から料金を貰って、毎日じゃなくてもいいから、無理かしら。いいでしょ、ねぇ、ア ナ タ」
先ほどのアーシャの整体に関する話を聞いてから何かを考えていたヒルカが宿の新たなサービスを思いついて、ラスコーに有無を言わせずアーシャに尋ねた。
「それいいよ。この宿の新しい魅力になるし、アーシャもお金が手に入るし」
これにはシャルも乗り気でアーシャに迫っていた。
「とてもうれしいお話しですけど、これもうちの親に相談してからお答えしていいですか」
ヒルカの提案にちょっと考えてアーシャは口を開いた。
「アーシャ、チャンスは逃さないようにね」
ウェルはアーシャに言われた台詞をアーシャに返してニタリと笑った。
「明日になったら、お館に戻るんですね。短かったような気がします」
ベッドに横たわりながらラウニがぽつりと呟いた。
「私のラゴの村行きってお休みの過ごし方は当たりだったということですね」
同じようにベッドに入って毛布に包まったネアが概ね計算通りであったことをかみ締めながら嬉しそうな声を上げた。
「当たりも当たり、大当たりよ。なーんにも無いって思ってたけど、美味しい料理も食べられたし、冒険もできたし。本当に楽しかった。今度、夏の盛りのお休みに来ようよ」
フォニーも嬉しそうにしながら、既に次の計画を立てようとしていた。
「ええ、明日帰ったら、早速、お嬢に今回のことお話ししないと」
「冬知らずは、喋ったらダメですよ。お嬢のことだから、自分も退治するとか言い出しそうだから」
「お嬢だったら、絶対にそう言うね。で、勝ってしまいそうな気がするから怖いんだけど」
懐かしのお館とお嬢のことを思い出して、ネアたちは笑い声を上げた。
「あの子は、まれびとに間違いないな。残念なことに、まれびとが過去の世界から来ているとする俺の仮説は否定されたが」
宿泊客が全員それぞれの部屋に戻った後、ラスコー家の居間で三人が声を潜めて話し合っていた。
「あの、遺物の使い方を知っていたんでしょ?」
シャルは父親が大切している死人の国から持ってきたとされている銃のことを思い出して尋ねた。
「あの子は知っていたが、あれを作った工房は見たことが無いと言っておった。あの子は、アレに刻まれた文字を読むことができたのにじゃよ」
ラスコーは自分の仮説が崩れ、新たな仮説の構築に頭を悩ませていた。そして、新たな仮説を立てようにも手がかりすらつかめない有様であった。
「あの子、魂と身体がちぐはぐだけど、それがどんどん一つに混ざろうとしているわ。ここにいる間にも少しだけど混ざりの度合いが強くなっていたわ。あの子はどんどん、この世界に染まって、そして普通の人として生きて行くことになりそうね。それが、何より一番なことだけど」
ヒルカがネアの持つ気のようなものを視た結果を夫に報告した。
「もっと、遺物があれば捗るのかな」
ポツリとシャルのこぼした言葉にラスコーはビクリとした。
「それはだめじゃ。間違っても死人の国の遺物は近づけてはならん。あの子は、死人の国の遺物の中には目に見えぬ、匂いもなにもない毒があるものがある、と言っておった。その毒は人の身体を構成しているものから壊すらしい。一度、その毒を喰らうと解毒することはできんそうじゃ。その毒は近づくだけで身体を貫いていくらしい」
ラスコーはネアから聞いた話をそのままシャルに語った。
「なに、それ、めちゃくちゃ危険じゃないの。で、あの遺物はどうするの?」
ラスコーの説明を聞いたシャルは慌てて父親に例の遺物の処置について尋ねた。
「アレは、もっと分厚い箱に入れて、地下室のすみに鉄の覆いをつけて保管しておくことにするよ。今まで持っていて何も無かったから、多分、毒はないと思うが、念には念を入れないといかん」
「そこまでするなら、売ったほうがいいんじゃないの。あれもいい値段したんでしょ?少しは取り戻したら・・・」
ラスコーの仕舞い込むという話を聞いてヒルカが少しでも経済を良くしようとする提案をした。その話にラスコーは渋い表情になった。
「あれは、部品が足らんだけで、立派な武器らしい。あれ用の矢とそれを入れる箱をセットすれば、放れた相手を弓矢より強烈に倒すことができるそうだ。あの手の武器ではアレは小さいほうらしい。そんなものを誰かに渡してみろ、そいつがアレの矢を手に入れたら・・・。何に使われるか、少なくとも良いことには使われんだろう」
ヒルカはラスコーの言葉に只頷くだけだった。
「それにしても、あのネアは、前の世界で何をしておったんだろうな・・・、冬知らずを退治する時の作戦、雪洞を作って避難させることも街で生活しておる者には考えもつかんのではなかろうかな」
ネアの子どもらしい表情と時折見せる落ち着きすぎた表情を思い出しながらラスコーは新たな仮説を打ち立てるには随分苦労することを確信した。
「では、気をつけてな。予約を入れてくれればいつでも部屋は確保しておくぞ」
「お金のことは心配しなくていいからね。自分の家だと思って帰ってらっしゃいね」
「ビブちゃん、今度はお山に遊びに行こうね。きれいなお花が咲いている所、美味しい木の実のある所を紹介してあげるから」
癒しの星明り亭の面々はケフの都行きの馬車に乗り込んだネアたちに手を振っていた。
「ありがとうございました」
「お料理美味しかったです」
「また来ます」
ネアたちも手を振るラスコー一家に手を振りかえしていた。
「ウェル君、わしは待っておるぞ。アーシャ殿、そこの変なオヤジに何かされたら、すぐさま都に逃げて来るんじゃぞ」
「シャルちゃん、ビブのことありがとうね。ビブも寂しがってるから、また来るから」
レイシーの腕に抱かれているビブはずっとご機嫌斜めで朝から、グスグスとグズリ続けていた。
「ドクター、両親を説得して都に向かいます。その時は是非ともよろしくお願いします」
「頼りない兄ですが、頑丈ですからこき使ってください。つぶれることはないと思いますから」
ドクターに手を振るウェルの横で何気にアーシャが酷いことを口走っていた。そんな兄妹の姿に馬車の周りに集まっている面々が笑い声を上げた時、ゆっくりと馬車が動き出した。
「また来いよ。お前らこそが真の冬知らずだからな。今度は釣りで勝負しようぜ」
村から出るあたりに悪ガキども引き連れたバイゴが大声で呼びかけてきた。ネアたちは彼らの言葉に手を振って笑顔で答えた。
「アイツら、結構可愛いところあるのね」
バイゴたちを見てフォニーが面白そうな声を上げた。
「明日からはまた仕事の日々じゃな・・・、ハンレイが暴走していなければ良いが・・・」
ドクターの言葉を聞いてレイシーがクスリと笑った。
「ハンレイ先生は誰か突っ込む人がいないと至って真面目ですよ。相手が嫌がったり、叱り付けてくれないと面白くないみたい」
「確かに、そうかもな、言っておるだけで実害を被ったと言う話は聞かんが」
ドクターはあごひげを撫でながらハンレイの言動を思い出していた。
「私は、尻尾の付け根をまじまじと観察されました。胸も・・・」
そんなドクターにネアは抗議の声を上げた。
「その時は、私やこの人が一緒だったでしょ。それにこの人はあの戦いに従軍していたから随分と留守にしていて寂しかったのよ」
レイシーは苦笑しながらネアにあの時のハンレイの行動を弁護している素振りを見せた。
「でも変態ですから」
「そうだよね。ウチの胸を見て、それなりに、なんていう人なんだから」
ラウニとフォニーも納得しかねると抗議の声を上げた。
「胸ならとても大きくなるって」
小さな声でネアが言うとレイシーはにこりとした。
「あの先生が大きくなると言えば、間違えなくそうなるわよ。あの先生はそのことに関しては神がかっているから」
レイシーの言葉にネアは複雑な気分と共に沈黙に陥ってしまった。
漸く、ネアたちは宿を後にします。次の日からは彼女らなりにキツイ日常にもどります。
非日常の異世界の日常とは、これ如何に、ですが、冒険者も24時間、365日冒険しているわけではないでしょう。彼らも寝たり、食事したり、装備の手入れしたり、借金を返したり、借金取りから逃げたりと日常があるはずだと思っています。
今回も、こんな駄文にお付き合い頂き感謝しております。