95 騒ぎの後
獣人の種族でジャガーを米豹族としました。ジャガーを漢字で表記すると亜米利加豹となるらしいんですが、そこは簡単に米豹にしました。中国では美洲豹とも表記されるそうですが、どう発音するのか、分からん、ぜんぜん分からん、です。
ネアたちがホコホコ状態で温泉からあがると、ドクターとレイシーが鋸や肉きり包丁の類を整理しているのが目に入ってきた。
「日曜大工でもするんですか?そうすれば、その包丁は何に使うのかな・・・」
好奇心丸出しでフォニーが物珍しそうに覗き込んだ。
「使わなくて良かった」
「そうですね」
ドクターとレイシーは互いに顔を見てほっとしたような表情を浮かべていた。
「使わないって?」
「ここには、手足を切るための医療器具がないから、アレを使用する予定だったと思います」
きょとんとしているフォニーにネアが横から言葉をかけた。
「え、手足を切るって・・・」
フォニーは驚いたような声を上げた。
「流石、ネアじゃな。霜焼けがきつくなると手足が真っ黒になって壊死してくる。その毒が身体に回る前に・・・」
「私の時は、凍傷じゃないけど、切ったのは剣だったよ」
ドクターがネアたちを怖がらせないように説明している横からレイシーがあっけらかんと己の足を切り落とした時の話をしたのでドクターは渋い表情を浮かべた。
「あれは、ガングの腕が良かったからよかったようなものの、素人がやらかしたら止血することすら難しい状態じゃったぞ。お前さん達が凍傷にならずにすんでほっとしておるよ。こんな子供の手足を命を救うためとは言え、切り落とすのはキツイ仕事じゃからな」
さらりとドクターは怖いことを口にした。その言葉を聞いていたラウニは一言も発することなく、その場から逃げるように自分たちの部屋に足早に移動していった。
「小さい子には刺激のある話じゃったのかな・・・」
ラウニの行動を見てドクターが苦笑を浮かべた。
「大事にならんで本当に良かった」
ドクターはそう呟くとレイシーと借りる予定だった道具の整理を再開しだした。
「怖いことです。もし・・・」
ラウニはベッドに突っ伏しながら酷い凍傷のことを考えて身震いしていた。
「私はレイシーさんほど強くないですから・・・」
「何言ってるの、皆無事だったんだから、何でそんなにそんなになるかなー」
落ち込んでいるラウニにフォニーが首をかしげた。
「人と違う姿になるんですよ。前にも言いましたが、私は取り替え子だから・・・、この姿で・・・」
ラウニはそう言うと枕に更に深く顔をうずめた。
「それは、分かるけど・・・、なんでそこまで・・・」
あまりのラウニの姿にフォニーは戸惑っていた。なんでここまでラウニが反応するのか全く分からなかった。
「・・・ねぇ、ネア、ラウニどうしたんだろう・・・」
フォニーは困惑の表情を浮かべてネアに尋ねた。フォニーの問いかけにネアは首を振る以外のことはできなかった。
「・・・もし、大きな怪我でもして傷跡が残ったら・・・、それでなくても毛むくじゃらなのに・・・、もう、ヴィット様にお会いすることが出来なくなる・・・」
互いに顔を見合わせているネアとフォニーにラウニはくぐもった声で自分の現在の気持ちを伝えてきた。
「ラウニ姐さん、ヴィット様も大きな怪我の跡をお持ちと聞いています。お顔を隠されているのはそのためと聞いています。そんな方が怪我の跡のある、なしや、毛深いとか尻尾が長いとか短いとかで人を見る方ではないと思いますよ」
ネアなりに慰めの言葉をかけるが、ラウニはどうもいつものスイッチが妙な方向に入ったようでどんどんとベッドにめり込んでいっていた。
「ねぇ、怪我しているわけじゃないし、毛皮にハゲが出来たわけじゃないのにどうしたのさ?ラウニらしくないよ」
ベッドにめり込んでいるラウニにフォニーが呆れた様に声をかけた。
「常に、怪我したり、毛皮に穴を開けたりする危険があるわけです。もし、これ以上醜くなったら・・・、私は・・・」
ラウニは大きな怪我をしてその跡が醜く残る可能性が常にあることに気づいたのである。当然のことであるが、今までそんなに気にしなかっただけのことで、凍傷の処置のための鋸を見た時にその思いが強くなったのである。
「これ以上醜くって、私たちって醜いんですか?ラウニ姐さんの胸の三日月、フォニー姐さんのふわふわの尻尾、レイシーさんの漆黒の毛並み・・・、醜いですか。私はきれいだと思っています。私の、この手袋をはめたような模様は結構お気に入りなんですけど・・・」
ネアはラウニの言葉に納得しかねると口を尖らせて抗議した。
「ネアの言うとおりだよ。ウチらが醜いって・・・、あのしみったれた正義の光の連中と同じじゃん。ラウニらしくないよ」
フォニーもネアの言葉に賛意を表した。そんな二人の言葉を耳にしながらもラウニはベッドにめり込んだままだった。
「そ、それは分かっています。でも、でも、ヴィット様の前ではきれいでありたいんです。真人の女の子に負けないぐらいに」
ラウニは今まで押し付けていたものを途切れ途切れに涙の混じった声で吐き出していた。
「真人に負けないようにですか・・・。真人は尻尾ありませんよ。それにきれいな毛皮も、耳もないんですよ。力も素早さも負けているとは思いませんけど・・・」
ネアはラウニの言葉を額面とおりに受け取っていた。こんな場合に人の真意がどこにあるかを察することはネアにとっては難しかった。これは、前の世界から引き継いでいる。前の世界での心を考える時は、常に自分の要求を相手に飲ませるか、そのためにどう言えば良いかなどの駆け引きの場でしかなかった。だから、こんな場面で口にできるものは、残念なことに6歳児と同程度でしかなかった。
「・・・ネア、いいから」
フォニーは何かを力説しようとしているネアの肩をそっと掴んで脇に押しやった。
「ラウニ、自分の身体に引け目を感じてびくびくしているのが、一番きれいの反対だよ。いつも、口やかましくお淑やかにとか、レディになるめためにとか言っているラウニはどうしたの?」
ラウニにフォニーの言葉は届いていないようであった。ラウニの頭の中では憧れの人の横に美しい真人の女性が立ちうっとりとその人を見つめている絵が描かれていた。
「・・・あ、これ、あっちの世界に行ってますよ」
何て声をかけようかと迷っているフォニーの袖を引っ張りながらネアは小声で告げた。
「え、顔が見えなかったから・・・、そうね、行っているね、これは・・・」
フォニーは深いため息をついた。そして、ネアをみると肩をすくめてお手上げの仕草をして見せた。
【この仕草って、こっちの世界にもあったのか・・・、中指立てるのもあるのかな】
ネアは妙な方向で感心していたがラウニがこっちの世界に戻ってこさせないと、夕食のキバブタフルコースも危うくなると考え、なんとかしなくてはと、危機感を感じ出した。
「ネア、どうしよう・・・」
フォニーも同様の不安を感じたようで、心配そうにネアを見つめてきた。
「どうするも、こうするも・・・、こっちの世界の強烈なモノを持ってくるとか・・・」
腕組みしながらネアは難しい表情を浮かべた。ラウニの好きなモノを目の前に持ってくる、好きなモノ・・・、この騒ぎの引き金となったヴィット様、これは到底無理、そうすると何がいいのだろうか、簡単に手に入るモノ、ベッドに俯けにめり込んでいるから視覚に訴えるものは意味が無いし、そうすると聴覚か嗅覚となる。
「ねぇ、ネア、ちょっと・・・」
フォニーはネアを手招きすると、その大きな尖った耳に何か小声で囁いた。大きく頷くとネアはそっと部屋から出て行った。
「とても、美味しかったです」
デザートを平らげたラウニが口元をナプキンで拭いながら最高の笑みをラスコーたちに向けていた。
「美味しい以外に言葉が見つかりません」
「ウチ、とても幸せ・・・」
ネアたちは至福の笑みを浮かべてご馳走してくれたラスコーにお礼を述べていた。
「ついでとは言え、この醸造酒までお主を見直したぞ」
ドクターは琥珀色の液体が入ったグラスを掲げた。
「ビブのために離乳食まで・・・、ありがとうございます」
その横で寝たビブをひざの上に抱いたレイシーが頭を下げた。
「それは、私が作ったんです。ビブちゃんにとてもよくしてもらったから」
シャルがにこりとしてビブを愛おしそうに見つめた。
「私もビブちゃんみたいな子が欲しいなって・・・」
ちょっと恥ずかしげにシャルが呟いて俯いた。その姿を見たドクターは笑いながら
「ひょっとすると、思ったより早くシャルちゃんは嫁に行くかも知れんぞ」
ラスコーに話しかけた。ラスコーはむっとした表情を浮かべて黙り込んでしまった。
「いい人がいればね。隣村に豹族じゃないけど米豹族の男の子がいるわね・・・」
ヒルカがちょっと考えてから、多分模様が似ている、それだけの理由で一人のシャルと同い年ぐらいの少年のことを思い出していた。
「あ、薬草とか詳しい人がいたね。見た目はゴツイんだけど、お家が薬屋で、一日中薬研を押している変わった人でしょ。外に出る時はいつも大きな袋かついで、大量の薬草を取ってくる、薬の材料になるならどんな獣も狩ろうとするって人。知ってるよ」
シャルはヒルカの言った少年に心当たりがあった様である。その言葉を耳にしたラスコーの表情がますます険しくなっていった。
「それって、ドクターと似ているよね。ゴツイドワーフ族の戦士みたいだけど、実はお医者さんなんて」
フォニーが米豹族の少年の話を聞いてドクターを見た。
「ふん、ドワーフ族が医者をしてはならん、なんて法はないぞ」
ドクターは鼻を鳴らしてから
「その少年の腕を見てみたいものじゃな。いい腕なら契約したいものじゃよ。ラスコーはますます気に入らんじゃろうがなー」
ニタリと笑ってグラスの中身を一口流し込んだ。
「で、シャルさんはどうなの?」
フォニーが興味津々に身を乗り出した。それを手でラウニは制しながらもその目はシャルに注がれていた。
「うーん、あまり話したことないから、分からないなー。でも、変わり者って噂だよ」
シャルはあまり興味なさそうに感想を述べたが、実はインドア派で、外に出る時は薬草採集の時ぐらい、お祭りにも出てこず、同年代の少女達にはその存在すら知られていない少年のことを知っているのかはそれなりの理由があるわけである。しかし、彼女はそれをここで披露する気は無かった。また、ネアはシャルから聞いた話を総合して、その少年は噂だけでなく、真の変わり者だと確信していた。そんなシャルの言葉を聞いてラスコーの表情は険しくなっていった。そんな様子をドクターはニタニタしながら見つめていた。
「明日は何する、お休み最後の日だよ。誰かさんがあっちの世界に行かない限り何かできるよ」
ベッドに飛び乗ったフォニーは仰向けになってネアたちに尋ねてきた。
「・・・それは反省しています・・・」
フォニーの言葉にラウニは赤くなってまた枕に顔をうずめた。
「でもあれって、ハチミツ入りのお茶じゃなくて、お茶の入ったハチミツだったですね。とても、とても甘そうでした。甘さの極地?」
ネアはあっちの世界に行ったラウニを引き戻したアイテムについて素直な意見を述べた。ラウニをこの世界に引き戻したのは温かいお茶に大量のハチミツを入れた特性のハチミツ茶だった。これは、時折ラウニがこっそり自分で作って飲んでいるのをフォニーが見つけ、そしてご馳走になっていたから咄嗟に準備できた逸品だった。
「あ、あれね、ウチもさ、一回淹れてもらったけど、ハチミツの量はそんなに多くないほうが美味しいと思うんだけどなー」
フォニーは一度ラウニが自ら淹れてくれたハチミツ茶を思い出して、まだその時の甘さが口中に残っているような気がした。
「あれは、ハチミツが多いほどおいしいんです」
ラウニはネアやフォニーの感想を一言で否定した。
「そうかも知れませんが、あれは身体を壊しますよ。病気になったら甘いものは口にできなくなります。酷くなると、目が見えなくなったり、足先から死んでいくそうです。だから、死なないために切り落とさなくてはならないそうです」
ネアは、前の世界で知っていた糖尿病について簡単に説明した。ネアの言葉にラウニはビクリとした。
「そんな病気があるのですか?」
「甘いものばかり大量に食べていると内蔵がダメになるそうです。虫歯も怖いですから。虫歯だらけの口なんて、レディらしくないですよね」
ネアの言葉にラウニの顔が引きつった。凍傷で手足を切り落とすと言うことを知って思わずあっちの世界に行ったのに、その病気にかかると目が見えなくなる、その上直接関係はないが虫歯にもなると聞かされて己の食生活を見直そうと心に決めた。
「甘いものだけじゃなくて、塩辛いものばかりとか、お肉ばかりとか・・・、猫はお肉しか食べないけど、獣人と言えども種族の元の動物と同じことすると病気になります。形は動物に近いかもしれませんが、お腹の中は人と同じですよね」
そう言いながらネアはそっと自分の腹を撫でた。
「そうだよ。ウチら女の子は、元気な赤ちゃんを産むためには身体は大事だよ」
ネアの言葉にフォニーも大いに賛同したようであった。
「・・・元気な赤ちゃん・・・」
ラウニはフォニーの言葉が気になったのか自分の腹を見つめてからそっと撫でた。そんな2人の言動を目にしたネアは今や自分が産ませる方から産む方になったことを再確認すると、背中に冷たいものが走るのを感じていた。
「・・・明日何するかのお話しでしたよね。雪景色を楽しむために橇を借りて、皆で代わり番こで曳いてあちこち行くのも面白いかなって」
脱線した話の流れを戻すようにネアが提案した。
「それって、とても面白そう、坂を滑り降りるのもいいよね」
ネアの提案にフォニーがいち早く飛び乗った。
「健康的でいいと思います。そとで冷えた身体を温泉で温めるのは気持ちいいですからね」
先輩方が簡単に自分の提案に乗ってくれたことにネアは責任を感じていた。
【これで怪我とかされたら・・・、まずは安全第一で事を進めなくては】
心の中のおっさんの部分がいつの間にか保護者になっていることに気づくとネアは苦笑した。
「ネア、何かウチ変なこと言った?」
「なにか変なことしました?」
ネアの苦笑に気づいた先輩方が尋ねてきたが、ネアは首をかしげてとぼけ通した。
何らかの関わりがでるかもしれない米豹族の少年がちらりと噂で出てきていますが、変わり者ですので妙な役回りになると思います。
駄文にお付き合い頂き、感謝しております。このお話がちょっとでも暇つぶしのお役立てたなら幸いです。