第1話
夜明け前の薄明かりの中、空気を切り裂いて飛ぶ砲弾の唸り、炸裂音。閃光を瞬かせ、少し遅れて砲撃の音が、遠方から低く響く。
静寂と暗闇が支配したその場を、雲の切れ間から陽光が照らし出す。朝靄の中に白銀で染め上げられた地表が浮かび上がる。
一面に広がる雪原には、力尽きた人馬の骸が累々と横たわり、処女雪の表面を戦車のキャタピラや馬の蹄、ブーツが抉った痕が縦横無尽に残されている。砲弾の直撃を受けたと思わしき荷馬車からは黒煙が上がっており、周辺を包む靄と溶け合っていた。
その傍にも、鎧を着た騎士と思わしき男が地面へ突き立てた槍に体を預けた姿で息絶えている。鎧のあちこちから血が流れ出た痕があり、それを地面の雪に染み込ませ、紅い円を描いている。
死者たちを照らし出す日の光が増していく。それはまるで、生涯半ばで絶えてしまった命を癒すために、神が雲の切れ間から投げかけているような、暖かな陽光だった。
―――そんな時、静寂と死者達の安眠をかき消すように1発の銃声が響き渡った。
霧の中から馬に跨った細身の軍人が現れ、槍に体を支えられて死んでいる騎士へ近付いてくる。
軍人が着ているフィールドグレイのコートには、赤地に黒い太陽が描かれた腕章が巻かれている。襟章はエーゲンハイト帝国陸軍の少佐であることを示していた。
彼は陸軍の将校に支給されるEWM P08拳銃を右手で構え、左手で馬の手綱を持り、黒煙を上げる荷馬車へと注意深く馬の歩みを進めていく。
「血と名誉を求めて。ジーク・ハイル」
少佐は、陸軍士官学校に通っていた頃から幾度と無く言った祖国への忠誠を誓う台詞を、白く凍る吐息に乗せて言った。
警戒しながら荷馬車を通り過ぎようとすると、少佐の耳に荒い息遣いが微かに聞こえた。音がした方向へ拳銃と視線を向けると、そこ等中に転がる死体と同じように体を真っ赤に血で濡らした騎士風の男が、今まさに少佐が通り過ぎようとした荷馬車の陰に倒れていた。
彼は顔を恐怖で歪め、爆風で千切れ飛んだらしき腕を上げて擦れた声で何かを喋った。それはブリタニア語だと少佐は士官学校で習っていた。
彼が何を言っているのか、少佐は理解できた。助けてくれ、と必死に訴えてきている。
「ジーク・ハイル」
馬上の少佐が言い、ためらう事無く死に掛けた男へ向けて拳銃の引き金を引くと、騎士風の男の額に穴が刻まれ、有象無象の死体と同じように動かなくなった。
少佐は男を見つめていたが、やがて拳銃の撃鉄を起こし、激戦――と言うよりも一方的な蹂躙と表現した方が正しいかもしれない――の跡に馬を進めていく。
「ヤー・ティェビャー・ウビユー!」
背後から聞こえてきたポリシェヴェロキア語(少佐には内容が解らなかった)に彼が振り向いた瞬間、少佐は小柄な影に取り付かれ、馬から引きずり降ろされていた。
「シャイセ……っ!」
少佐の乗っていた馬が驚き、恐怖にいなないて後ろ足で棹立ちになる。彼は必死に抵抗し、その小柄で忌々しい――泣く子も黙る帝国軍少佐である――自分の服を汚した影へ向けて拳銃を向けようとした。
だが、全ては一瞬の間に起こったことで、少佐が本格的に反撃する暇も無かった。拳銃は襲撃者の脚で蹴り飛ばされ、離れた雪の上に沈み込む。
襲撃者は、手にした短刀で少佐の顔を右目の上から顎まで斜めに切りつけ、痛みに怯んだ少佐が悲鳴を上げようと開けた口の中へ目掛けて、逆手に握り締めた短刀をグサリと振り下ろした。
刃が少佐の舌を切り裂き、後頭部を貫いて地面に彼を縫い付けた。エーゲンハイト帝国陸軍少佐の体がわなわなと震え、やがて動かなくなる。
見開いた目で少佐は見た。自分を襲ってきた襲撃者の顔を。
怒りに歪めた目元、メラメラと燃えるような蒼い瞳、雪と同じ色をした白銀の髪……。
まだ幼さの残る顔の造作をした、女―――
―――少佐の意識は完全な闇に包まれた。
少佐の死を確認した彼女は、短刀を引き抜いて血糊や唾液を彼の服で拭った。金剛石のように鋭い目つきで周囲を一瞥し、他のエーゲンハイト帝国軍兵が居ないかを確認すると、少佐の襟首から黒い太陽のペンダントを引き千切った。
コートの前ボタンを外し、ベルトから拳銃用のホルスターと予備の弾薬が装填された弾倉も数個回収し、赤や青のマーカーペンで印やメモが書かれた地図も奪い取る。
「天にまします我らの母よ……ねがわくばこの人に永遠の安らぎが与えられんことを」
少佐の死体の傍に膝をつき、籠手に包まれた両手の指を組んで祈りを捧げる。死という最上の報いを受けた彼に、これ以上の罪は無い。
「あと、私が乱暴な言葉をお使いになったこともお許しください」
そっと付け加えた彼女は、離れた場所に落ちていた少佐の拳銃も拾い上げた。握りの部分グリップに装飾が施されており、芸術的な価値すらあった。
少佐に飛び掛る前に鞘ごと外していた剣も拾って身に付け、彼女は主を亡くした馬に歩み寄った。
「よしよし……。ごめんね、怖がらせて」
馬の顔を撫でてやって落ち着かせてから、彼女はあぶみ革に足を掛け、ヒラッと飛び乗る。馬は足踏みをしただけで彼女を受け入れた。
「良いねハラショー、じゃあよろしく」
馬が返答するようにいななくと、彼女は「ヤッ!」と声をかけて馬の腹を踵で軽く蹴った。
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彼女の名前はフィーネ・マゼンタ。仲間内からは「白銀の妖精」で通っていた。
ひるがえる空色のマントは〈ゲーテリア共和国自警団〉の意匠が縫い込まれ、間接部分から迷彩色に染め上げられた伸縮性のある布を覗かせる白銀の甲冑を纏った体を、すっぽりと覆っていた。視界の邪魔になると鉄兜を被らずに整った顔を冬の冷気に晒している。
腰に下げた鞘に細身の騎士剣とブリタニア製の短機関銃を下げたその姿は、『女騎士』と呼ぶよりも『世界一危険な美術品』と呼んだほうがしっくりくる。
―――戦争が始まって、もう2年。
疲れを滲ませた表情を見せるフィーネは、額に感じた水滴の感触に空を見上げた。
粉雪が降り注ぎ、戦場を包んでいく。
味方の野営地までは、まだまだ掛かる。




