3-6
オレンジ色に焼かれる空は段々と黒く変色していく。
日が沈みきるのも後数分だろう。
そんなグラデーションを眺めながら、クラミは引っ張られるように歩く。
ソフィアとしても、日が落ちる前に帰りたい。
この世界の宿屋は二十四時間営業などしておらず、宿主が寝る前には防犯のために宿を閉める。
今の時間的には宿が閉まることは無いのだが、夕食の時間は決まっており、それを過ぎるとご飯抜きになってしまう。
それを避けるために会話などせずに、早足で歩く。薄暗い中を走るのは危険なため、これが現状の最高速度だ。
クラミは文句を言わずに、そのスピードに付いてきてくれたので数分で宿泊先が見えてきた。
宿に入る二人を出迎えたのは、肉の焼ける香りだ。その匂いを嗅いでクラミのお腹が「きゅるるる」と鳴く。
「おばちゃん二人で泊まってもいい?」
ソフィアは馴染みの宿泊先に着くと無人の受付カウンターの奥に声を飛ばす。
「なんだい、なんだい、どうしたのさ?」
料理の途中だったらしく、腰には年季の入ったエプロンを付けたおばちゃんは、タオルで手を拭きながらやって来た。
「この子の宿泊先が見つからなくて、二人で泊まってもいい?」
「うん~。ちょっとねぇ~」
クラミの宿泊先が無い事を伝えてみるが、反応が悪い。
ソフィアの部屋は広いが、ベッドが一つしか無い。それもその筈、ここは一人で広々とした部屋を使えることを売りにしている宿屋のためだ。
それなのにここでクラミを泊めてしまったら、後から複数人の冒険者達が銀貨一枚で、一つの部屋に泊めろと言ってくるかもしれない。
そんなトラブルを避けるために断りたいのだが、こんな時間に女の子を一人追い出すのも人としてどうか? 等と、葛藤するおばちゃん。
難しい顔をしているおばちゃんにクラミが言う。
「あの、ソフィアの分とは別に、ちゃんと宿賃払いますよ。銀貨一枚でしたっけ?」
「良いのかい? 料理は出せるけど、ベッドはないよ?」
「一緒に寝るから平気よ」
「え!?」
クラミの提案におばちゃんの問題が一気に解決されたのだが、ソフィアの発言が問題だ。
(あの狭いベッドに二人で寝るのか? 嬉しいのだけど……良いのか?)
今まで散々リトスと一緒に寝ていたのだが――それでも恥ずかしいのは恥ずかしい。
それに、本当の自分は男だと知らない彼女たち。
そこに罪悪感を感じるが、やっぱり男としてはこの展開は嬉しいのも事実。
悶々と悩んでいるクラミを余所に、ソフィアはおばちゃんに二人分の夕食をお願いし、銀貨を一枚渡す。
それを見たクラミも慌てて魔法の袋から銀貨を取り出して、支払う。
「確かに銀貨二枚だね。それじゃ夕食は食堂かい? それとも部屋に持って行くかい?」
「部屋でお願い」
「分かったよ。お嬢ちゃんは、何か要るものはあるかい?」
おばちゃんはカンテラの様な物をソフィアに手渡して尋ねて来るので、クラミは考える。狭いベッドだと密着して寝ることになるので、それは避けたい。
「毛布とかあれば欲しいですね」
「余ってるのが有るから、食事が終わった後に持って行くね」
その言葉を聞くと内心でホッと、ため息を漏らす。これで毛布にくるまって椅子で寝られるし、最悪、床で寝るのもありだ。取敢えず寝床の問題が解決したクラミは、鼻をひくつかせながらソフィアの後を追い、部屋へと向うが、既に日が落ちたために、二階へと上がる階段は暗く、足下が見えない。
ソフィアはアイテムボックスを展開すると、ピンポン球くらいの小さなモンスターコアを取り出し、先ほどおばちゃんから受け取ったカンテラの中に入れた。
すると、カンテラから淡いオレンジ色の光が灯り、それを頼りに部屋へと向っていく。
部屋に着くとカンテラをクラミに渡して、テーブルをベッドの近くに寄せる。ソフィアばかり働かせるのも悪いので、空いた手で椅子を運びながら言う。
「美味しそうな匂いがしてましたけど……夕食は何ですかね?」
「夕食も気になるけど、クラミはお昼の後何していたの?」
ベッドにソフィアが座り、クラミはカンテラをテーブルの上に置き、椅子に腰掛ける。
部屋全体を照らすにはカンテラの光力は足り無いが、二人の空間を灯すには十分だ。
「ギルドマスターに鬼の事を報告して――その後は、ひたすら宿屋探しでしたね」
ソフィアの過去話を思い出すがその事は敢えて触れずに、宿探しの事を話しをして、改めて大変だったなと苦笑を浮かべる。
それを察したソフィアは「お疲れさん」と、労う。
「ソフィアの方は何していたんですか?」
「私の方は武器の手入れと、鬼の素材を防具と武器にする為に依頼を出してきたよ。
武器は私ので、クラミの防具はちょっと酷いから、勝手に依頼してきたんだけど……ごめんね」
チラリと、クラミの様子を窺うソフィア。普段から一人で活動しているので、当たり前の様に行動し、制作依頼を出した後でクラミの意見を聞いていないことを思い出す。
クラミとしては素材を如何扱って良いのか分からないので、実に有り難い話しである。
「わざわざ有難うございます。どんな防具ができるのか楽しみですね!」
「完成は三,四日後だって。それと、私の武器の手入れもその位時間掛るから、その間は外で仕事ができないんだよ……」
「それじゃ、明日は久しぶりに街での雑用ですね!」
お互いの状況報告を済ませ、明日の予定を決めた後は雑談話しに花を咲かせていると、おばちゃんが夕食を運んできてくれた。
焦げ目の付いた大きな肉が皿の中央に鎮座し、茹でた野菜が彩りを添える。
パンの代わりに、大皿に盛られたパスタがクラミとソフィアの前に置かれた。
「これは何ですか?」
パスタには黄色い蕾が付いた葉野菜が添えられている。
「ああ、それは菜の花だよ。少し苦みがあるけど美味しいよ」
配膳が終わったおばちゃんが出て行くと、クラミはフォークを手に取りパスタから口に運ぶ。
牛乳ベースのソースが柔らかな口当たりを醸しだし、菜の花特有の風味が人を選ぶ一品だ。
特に好き嫌いの無いクラミは散々歩き回ってお腹がぺこぺこと言うこともあり、ボリュームのある夕食をペロリと平らげる。
「そんなにお腹がすいていたんだ」
そう言いながら、まだ半分しか食べていないソフィアは、自分のパスタをクラミの皿に分ける。
クラミは遠慮するのだが「いいから、食べなさい」と、半ば無理矢理お皿の上に盛られた。
「ありがとうございます」
お礼を言い、今度はゆっくりとしたペースで食べる。
オレンジ色の光に包まれながら、フォークに巻き付けた最後の一口を口に入れ、椅子の肘掛けに手を預けた。
夕食を食べ終わり、満腹感と気怠さを感じながらソフィアと雑談を交わしていると、おばちゃんの声が響く。
「毛布を持ってきたわよ。今、手が空いてないから開けておくれ」
部屋主のソフィアが対応するために「はいはい、今行くね~」と、食後のためか、間延びした声を上げながらベッドから立ち上がり、おばちゃんを迎えに行く。
直ぐに戻ってきたソフィアの後ろには、毛布を腋に挟んだおばちゃんが、水差しと木製のコップを二つ載せたお盆を持ちながら部屋に入ってきた。
テーブルの上にお盆を載せると、おばちゃんは腋に挟んでいた毛布をクラミに手渡す。
「はいよ。毛布だけで良いのかい?」
「大丈夫です! ありがとうございます」
受け取った毛布を膝の上に置き、頭を下げてお礼を言うと、おばちゃんはクラミの肩をバシバシと叩きながら「気にしないで良いのよ!」と、笑いながら食後の皿をお盆の上に載せて、部屋を後にした。
「はい、お水どうぞ。あと、毛布はこっちに置いておくよ」
おばちゃんに叩かれた肩を摩っていると、ソフィアがコップを渡してくる。クラミはお礼を言い、毛布を預け、水を一気に口の中に含む――と、同時にソフィアが口を開く。
「お風呂、誰から入る?」
「ブフッーー!」
「ウワ! って、どうしたのクラミ!?」
いきなりお風呂などと言われたので、堪らずに水を吹き出すクラミ。反射的に俯いたために、被害に遭ったのは自分が穿いているスカートだけだ。
ソフィアは一瞬たじろくが、ベッドから立ち上がり「ゲホッ、ゲホッ!」と、咳き込むクラミの背中を摩りながら尋ねる。
「本当にどうしたの?」
「いえ、何でも無いです。ちょっと水が気管に入っただけで……」
「そうなんだ。まぁ取敢えず、お風呂はクラミからだね」
そう言いながらクラミに手を差しのばすソフィア。その手を取り立ち上がると、自分のスカートに大きなシミができている事を知り、お風呂を借りる。
「ここがお風呂だよ」
部屋の奥にあった扉を開けると、二畳ほどの狭い部屋に大きな樽が鎮座しており、足下には足の短い風呂用の椅子が一脚。大きな樽の縁には中の水を汲み取る為の手桶が掛けられ、その隣には長細い棒状の物が樽の底へと伸びており、天辺には何かを置くための窪みがある。
この部屋だけは石造りでできており、部屋の隅っこには水の排出用の小さな穴が開けられている。
「今からお湯を沸かすね」
ソフィアはアイテムボックスを展開してモンスターコアを取り出すと、樽に備え付けられている棒状の物の窪みに填め込む。
すると、モンスターコアは赤く光り出し、樽からは段々と湯気が昇り出す。
「お湯を作る機械……魔道具ですか?」
「そうだよ。とっても熱いから触らないでね」
クラミも風呂場に入り、興味津々と言わんばかりの視線を魔道具に向ける。ソフィアは微笑みながら樽に手を入れ肯き、魔道具からモンスターコアを取り外した。
「タオルはここに置いとくね」
ドアの近くにおていてある台に、アイテムボックスから取り出したタオルを置き風呂場から出る。
「お風呂いただきますね」
衣服を脱ぐと魔法の袋に収納し、樽に歩み寄る。
縁に掛けられている手桶でお湯を汲み取り、一気に頭から全身へと掛けた。
………………。
…………。
……。
「お風呂ありがとうございます」
肌から湯気が立ち上るクラミは、ほくほく顔でソフィアにお礼を言う。
「ふふ、ベッドで楽にしてて良いからね」
ベッドに座っていたソフィアは、布団を叩き立ち上がると、お風呂場に入っていく。
その後ろ姿を見送り、クラミはベッドに腰を下ろす。
「髪、全然乾かないな」
長い黒髪をタオルで丁寧に拭きながら、窓を見る。
窓からは丁度、月のような大きく輝く天体が夜空に浮かんでいた。
「日本に帰れるのかな」
沁沁とした気持ちになっていると、風呂場から水の音が聞こえてくる。
「…………ッ」
思わず風呂場のドアを見つめるクラミ。あの向こうではソフィアが――。
故郷への思いは何時のまにか消えており、替りに別の思い……否、煩悩が頭の中で渦巻く。
「どうしたの、難しい顔をして?」
時間を忘れて色々と妄想をしているといつの間にか、ソフィアが隣に座っていた。
「いえ、何でも――」
まさか、ソフィアの事を色々考えていた等と言えるわけもなく、誤魔化そうとソフィアの方を向くと、
「何て格好しているんですか!」
衝撃的なソフィアの姿に、堪らず叫び声を上げる。
「寝るときは何時もこの格好だけど……変かな?」
上半身裸のソフィアは、そう言いながら首を傾げる。幸いなことに首から掛けているタオルのおかげで?胸は見えていないし、下はちゃんと下着を穿いていた。
そんな姿を見れば、元男のクラミは頬を赤く染めて、ソフィアを見ずに言う。
「変かは分かりませんが、服を着た方がいいかと……」
弱々しい声色で、もじもじとしているクラミを見ていると、ソフィアは段々と悪戯をしたくなる。
「そうだね寝るときには、ちゃんと着る……よ!」
と、言いながら後ろから抱きついてきた。
「う……わぁぁ! 何しているんですか!?」
背中に感じる――僅かにかに感じる柔らかさにたじろくクラミ。
「うん? 髪が濡れているから、拭くの手伝ってあげるよ」
「ひ、一人でできますよ!」
「いいから、いいから」
クラミの慌てぶりを見ていると、ソフィアの心の奥底から段々と温かい物が湧き出てくる。
愛おしくて、愛おしくて――その全てを貪りたい。
それは有無を言わさずに染みこんでくる。
心の温かさは次第に体に熱を生み、その熱にあてられたクラミの呼吸は荒くなっていった。
何て言えばいいのか……
<加護-色欲-が発動しました>←これを使えば楽なんですけど、使うと手抜きかな? と、思うんですが――無いと表現が難しい。
精進、精進。
次は没になりそうな話しです。