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「ムカつくーっ!!」
まるで親の仇を前にしたみたいな顔で、奈央は目の前のケーキにフォークを突き刺した。
「な、奈央、落ち着いて……」
場所は亜紀の部屋で、別に、騒いだところでたいした実害はない。奈央一人が暴れたとしても、その程度で壊れるような安普請ではなかった。だが、可愛い(と、亜紀は思っている)奈央が怒っているのを見るのはちょっと嫌だったし、そんな奈央を母親が見てしまうのは、もっと嫌だった。
きっと、奈央は普段ならそういうことをすごく気にするのだろうけど、今日は頭に血が上っているから、そこまで考えていないに違いない。
「何なのよ、あの子!! 私が、健太と海斗を掛け持ちしているとでも言いたいの!?」
傍から見れば正にその通りで、亜紀も奈央もどう見ても掛け持ち組だった。周囲のワンフからすれば、あまりいい印象ではないのは確実だ。
とは言え、単に頼まれただけ、という裏がある身としては、そう見られてしまうのは癪なのだ。そんな事情を言って回るわけにも行かないし、どうにもしようがない。
当の本人である律や海斗は全て承知しているのだとしても、後味が悪いことに変わりはない。奈央のように、追っかけにある意味プライドを懸けているとなれば、尚更だった。
「……そりゃ、わかってるんだけど! それに、あいつに嫌われたって痛くも痒くもないのよ。だけど、ムカつくものはムカつくの!」
「でも、奈央、健太のことを助けてくれたよね」
「しょーがないじゃない。あんなんでも海斗の後輩だし、亜紀の幼馴染だし。海斗が気にしてるんだもん。海斗が言うなら、従うわよ」
「奈央ってさ、すごく優しいよね」
「ち、違うわよ!」
ムキになって叫び、一気に真っ赤になった奈央は、亜紀から見てもとても可愛い。いや、どちらかと言うと、彼女は美人なのだ。
言い方がきついから誤解を招くけれど、本当はとっても優しくて、女の子らしい女の子なのだということを、亜紀は知っている。そんな奈央と友だちになるまで、そういう女の子らしさとは無縁だった亜紀には、奈央がとても羨ましい存在だった。
少しでも奈央みたいな女の子になりたくて、奈央に近付きたくて。
化粧を覚えて、奈央から似合うと勧められた服を買ってみて、それでも、ちっとも自信なんて沸いて来ない。
今までの自分だったら、夢にも考えたことのない行動も、奈央とだったらできる。奈央がいなければ、今の亜紀はいないのだ。
そして、口で言うほど、奈央は健太のことが嫌いではないはずだった。
根が素直な奈央のことだ。いくら大好きな海斗から頼まれたからと言っても、本当に大嫌いな相手にサクラなんかしないだろう。それに、ルールを守らないファンを蹴散らしたりすることも、するはずがない。少なくとも、健太を友だちだとは認めているからこそ、文句を言いつつもそんな行動に及んでいるのだ。
それがわからないほど、亜紀は奈央のことを知らなくはなかった。その自信はあった。
「亜紀ー、健太くんが来たわよー」
階下から、いかにも亜紀の母親らしいのんびりとした声が、亜紀を呼ぶ。
「あ、はぁいっ」
健太の家は隣なのだから、訪ねて来ても何もおかしなことはない。彼らは幼馴染なのだから、それも当然だった。
それでも、少し面白くない奈央である。
亜紀がちょっと待ってて、と席を外したあと、一人取り残された奈央は、無残な姿になったケーキをぼんやりと眺めていた。
別に、殊更健太を応援してやろうという気はない。けれど、やるからにはそれなりにルールを守らなければならないと、という信念めいたものが存在しているのも事実だ。
だから、タチが悪い。適当にできない不器用さが、少し恨めしかった。
そうは言っても、健太を成功させるために応援する気は、全くなかったりする。
どうやら、健太のキャッチコピーは『未来系アイドル』らしいのだが、そんなこと、奈央の知ったことではなかった。健太が成功してしまえば、亜紀を取られてしまうかもしれないと思うと、どうにも我慢できなかった。
「……亜紀は、私の友だちだもん。絶対、男なんかに渡さないんだから!」
どこかずれたことを奈央がつぶやいていると、不意にドアが開いた。
「……健太」
亜紀が戻ってきたのかと思ってそちらを見ると、そこにいたのは健太だった。健太が来たから、と亜紀が母親に呼ばれたのだから、ここに健太が来てもおかしいことではない。
だが、一緒に戻って来るはずだった亜紀は、健太の隣にはいなかった。
「……亜紀は?」
「下で、おばさんとお茶を淹れてから戻るって。先に行ってて、って言われたから」
胡散臭そうな視線を向けられて、健太は気まずそうに言い訳めいた言葉を口にする。
「あっそ」
どうでもいい、とでも言いたげな奈央の態度にためらっていた健太だったが、意を決したように彼女の前に腰を下ろすと、頭を下げた。
「さっきはすまなかった。ありがとう」
「な、何言ってんのよ!」
「いや、お前がいなければ、正直言って切り抜けられなかったと思うから。だから、礼を言うまでだ」
個人的感情とそれとは別だ、と健太はぼそぼそと言った。そんなふうに律儀なところも、きっと、本人の意識しないところで女の子からもてはやされる要素のひとつなのだろう。
わかるような気もしないでもないが、奈央の好みとは違う。奈央は、もっと大人な男が好きなのだ。たとえて言うなら、海斗のような。
それでも、健太にときめく女の子の気持ちが、その時少しだけ理解できたような気がした。
「私は、海斗に頼まれたから、あんたのアイドル道に付き合っているだけ。誤解しないでよ。海斗に……ううん、《DARK BLUE》の名前に泥塗るような真似したら、許さないから!」
「……そっか」
ぎこちない沈黙に、奈央は手に持ったマグカップを弄ぶ。すると、何やら迷っていた健太が口を開いた。
「ひとつ、聞きたいんだが」
「何よ」
「さっき、イベントで亜紀が俺にくれた手紙……。あれはあぶり出しか?」
「……………………バッカじゃないの?」
こんな奴、一瞬でもカッコいいと思った自分がバカだった、と奈央は思う。マグカップを投げつけたい衝動に駆られたが、それを押さえつけて叩きつけるように机の上に置く。
そして、健太を睨みつけた。
「あれはフェイクよ、フェイク! 何で、今更、私や亜紀があんたに手紙を書かなきゃいけないのよ!」
「え……っ」
だから、何故、そこで傷ついたような顔をするんだろう、と奈央は頭痛を覚えた。
これから先、果てしなく前途は不安だった。
今日、バトルした相手がそのままおとなしくなってくれるとは思えないし、《DARK BLUE》のツアーが決まればこっちは健太どころの騒ぎじゃない。海斗や律は更に面白がるのは目に見えているし、更に、いろいろなことがヒートアップするような、しないような。
(ひょっとして、事がうまく運べば、今度のツアーでこいつを前座に使うんじゃ……?)
それは、最初の賭けの終着点。最初の目的は、確かそこにあったはずで。
まさか、とは思うが、律ならやりかねない。やりそうだ。いや、やってのける。
(……阻止してやるんだから!)
絶対、こいつが亜紀の彼氏だなんて認めてやらない。
決意も新たに、奈央は健太を睨みつけた。
……律より何より、健太が乗り越えるべきは葛木奈央かもしれない。