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「……あと一時間」

 イベント開始は午後一時半。その一時間~三十分前には健太が会場入りするだろうから、十二時には入り待ちをスタンバイしていなければならない。

 とりあえず、二桁番号の整理券は確保して、奈央と亜紀は会場近くのカフェで時間をつぶすことにした。

「あーあ、今頃、海斗はラジオ録りの最中よね……」

 今日の私服のチェックをしたかったのに、と奈央は不満そうに頬を膨らませた。

「律さん、この前の放送で、野暮用で寝不足とか言っていたでしょ。あれって……」

「間違いなく健太でしょ。あいつだって、スタジオに閉じ込められていたようなもんだったらしいじゃない」

「うん、おばさんがそう言ってた。でも、ホントにびっくり……。まさか、現実にここまで来ちゃうなんて」

 さっき購入したばかりのデビュー曲のジャケットをしげしげと眺めて、亜紀は何とも言えない複雑な表情になった。

 ついこの前まで、健太は単なる幼馴染でしかなかった。

 もちろん、健太のことは大好きだったし、うざいくらいに心配性なのも、彼の性格ゆえだと思っていた(亜紀の誤解あり)。それが、こんなふうに世間に知られるようになってしまうなんて、思いもしなかったのだ。

 元々、健太が人気者なのは知っている。

 成績はいいし、スポーツだってそれなりにできる。少し無愛想で感情表現がヘタだと言われているが、亜紀に対してはそんなことは一切ないから、彼は女の子に対して照れているだけなのかもしれない。

 だけど、不器用なりに優しいのも本当のことだ。

 音楽的センスが決定的に欠けていることを除けば、健太はまさに理想の彼氏候補No.1だった。少なくとも、亜紀たちの通う学校ではそうだった。きっと、大学でだってそうだろうと思っている。

 それでも、健太は亜紀のことばかりかまっていて、そんな些細なことでも、亜紀にとって優越感だったりした。

 どんなに亜紀が我儘を言っても、健太は嫌な顔ひとつせずに叶えてくれる。どんな時だって、健太は亜紀のことを最優先にしてくれていた。

 それが、今は違う。

 最初のきっかけが、健太から律に対して勝負を挑んだこと(しかも、亜紀を巡って)だというのもすっかり忘れて、亜紀はすこぶる不満だった。健太は、いつでも亜紀を優先してくれなければ嫌だったのだ。

「あいつのアイドルぶりを見て、鼻で笑ってやるのもいいんじゃない?」

「そこまで言ったら、さすがにかわいそうだよ……」

 とは言うものの、亜紀だってファンとして健太を見に来たつもりなんて、一切ないのだ。せっかく《DARK BLUE》に会えるかもしれなかった貴重な時間をつぶしてまで、幼馴染を見に来るのでは割に合わない。

「ねえ、健太ってスタイリストついてるの?」

「……さあ」

「あいつ、制服の時はよかったけど、私服のセンスは最悪でしょ。なんかさ、ヤバイもん見た気になるんだよね」

 奈央の言葉を否定しきれない亜紀は、曖昧に笑って目の前の少しぬるくなったオレンジジュースを口に含む。

「イベント、ファンはいっぱい来るのかな……」

「私たちが、一番乗りで五十番台でしょ。少なくとも、予約したのはそれくらいはいるってことよ。追っかけなんてやったもん勝ちなんだから、デビュー・イベントなんてオイシイ機会、逃すわけがないのよ。様子見の子たちだって、朝から並んでいたんだし」

 確かに、奈央の言う通りだった。

 奈央の経験から対処方法を考え、それに従ってかなり早めにスタンバイをしたからよかったようなものの、開店十五分前にはショップの前が女の子でごった返していたのだ。さすがに、デビュー曲を予約してまで整理券をゲットした熱意あるファンは少なかったようだが、それでもかなりの盛況である。

 何でも、昨日の深夜、と言うよりも今朝方、《DARK BLUE》のオフィシャル・サイトに、今日のイベントの情報が数時間だけUPされていたらしい。それを見た《DARK BLUE》のファンも集まっているのか、その手の話題が周囲で飛び交っている。

 その時間には既にスタンバっていた二人は、ノー・チェックだったのだ。

 健太自身は無名だが、《DARK BLUE》の知名度は半端ではない。そんな《DARK BLUE》がデビュー曲を提供し、応援メッセージを流すともなれば、《DARK BLUE》のファンは色めき立つに決まっている。

 あわよくば、彼らも現れるかもしれない。そんな期待を抱いてここに来ているおめでたいファンだって、けっこういるに違いないのだ。奈央にしてみれば、そんなことは《DARK BLUE》に対する侮辱、である。とは言え、《DARK BLUE》がここに来るとはっきりわかっていたなら、奈央も同じことをする自信はあった。

 今日の《DARK BLUE》のスケジュールは番組録りのみだが、ありえない話ではない。録りが終われば、面白がって顔を出すくらいのことはする。いや、冗談抜きで本気でやりかねない。

 相川律というのは、そういう男なのだ。

「まずいかもよ、亜紀」

「……何が?」

「海斗たち、こっち来るかも……」

「何で!? 今日、録りじゃないの?」

「普通に終われば、二時にはスタジオを出て来るでしょ。イベントは一時半からだし、間に合わないってことはないと思うの。急遽、二部制の入れ替えにしたのは、もしかするとその関係かも……」

 元々、デビュー・イベントは一時半からの回の一回のみの予定だったのだ。

 それが、会場のキャパと集まった人数との関係で二回回しになった、という変更。一時半からの回には間に合わなくても、二回目の四時半からの回には充分間に合うはずだ。

「……二回目の整理券って……貰った?」

「そりゃ、もちろん。貰ってなかったら、何のためにこんなもん四枚も買ったのよ!!」

 イベントの入場整理券を手に入れるために、複数枚を買うのは常識だ。それでも、好きでもないアーティストの曲を買うのは、金の無駄にしか思えない。一応、海斗に関係していると思えば気にならないかもしれないが、健太だと思うと腹立たしい。

 これも、全て海斗からのメールがあったからこそ、なのだ。

 仮にも、これからイベントを見に行く相手のデビュー・シングルを『こんなもん』呼ばわりして、奈央は亜紀が手にしているそれを睨みつける。

「すました顔しちゃってさー。ムカつく」

「ムカつくって……。奈央、何もそこまで言うことないでしょ」

「亜紀だってそう思わない? 健太の分際で、何をカッコつけてんのよ、って。健太のくせにかっこつけててさ!」

 奈央の言い分も、わからなくはない。

 何しろ、健太は自分たちの身近な人物なのだ。そういう相手がこういう形になっているのは、どこか不思議な気持ちだった。

「……さて、と」

 時計を見ながら、奈央は荷物を纏め始める。

「そろそろ時間よ、亜紀。スタンバイしておかないと」

「うん、そうだね」

「……そういえば」

 と、思い出したように奈央は亜紀を振り返った。

「受け取り、用意した?」

「誰の?」

「バカね、健太のに決まってるでしょ!」

「えっ!? 用意してないけど……。必要なの?」

「受け取りがなかったら、カッコ悪いじゃない! 全く、亜紀はやっぱり抜けてるんだから! ほら、宛名書いて!」

 カバンの中から慌しくレター・セットを取り出して、そこから封筒だけを引っ張り出す。そして、綺麗な色のペンと共に奈央はそれを亜紀に押し付けた。

 何だかよくわからないままに健太宛に表書きを書くと、奈央はそれをさっさと取り上げて、白紙のままの便箋を数枚折り畳んで中に入れる。そして、持っていた可愛らしいシールで封をした。

「はい、出来上がり」

「……中味、書いてないけど……?」

「どうせフェイクなんだから、別に中味なんか書かなくたっていいでしょ。要は、渡したって事実が周囲にわかればいいの。それとも、亜紀は律を降りて健太につく?」

「まさか!」

「だったら、それでいいじゃない」

「……奈央は? 受け取り書いたの?」

「もちろん。見る?」

「え、いいの?」

 ほら、と言って、奈央は可愛らしい封筒を取り出して、亜紀の目の前に突きつけた。そこには、可愛らしい文字で〝Dear KENTA〟と書いてある。しかも、ご丁寧にもハートマーク付きだ。

「うわー、すごく普通」

 亜紀は素直に感心しているが、実のところ、中味は単なる真っ白の上質紙だ。紙面いっぱいにでかでかと『義理』と大書きしてあって、それはそれで妙に気合の入ったものであるような気が、しないでもない。

 得意げにそれを見せられて、何だかちょっぴり健太がかわいそうになって来た亜紀だったが、奈央に急かされると慌ててカフェを後にした。


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