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超展開
静寂に包まれた月夜。
砂漠は気温差が激しいと言うが、アバターには無関係だ。宿屋の窓から見える蒼い月が照らすオアシスは幻想的で、まさにファンタジー世界に入り込んだ気分にさせてくれる。そんな感想が浮かんだが、実際にその通りなのだから自分に笑ってしまいそうになった。
軽くと息を吐き、月を見上げる。
この頃、少しばかり違和感があった。どこにと聞かれれば、それは心と言えばいいのか。それが何なのかはわからない。上手く説明できないが確かに体の中に何かがあるのだ。ざわざわと蠢くような感触で体の内側を蝕み全身に広がっていく。
こちらに来てからは収まっているが、ログアウトするとまたその悪寒に包まれてしまいそうで現実に戻るのが億劫になる。……これでは今も全力全開でプレイしているだろう廃人さまたちを笑えないな。彼らとはベクトルは違うものの、この世界から出たくないという点では同じか。やれやれと自嘲しながら窓を閉めようと近づいた俺の視界に、白い光が地面と垂直に渦を巻いて輝いているのが見えた。それは町の入り口から少し離れた場所で、ゆっくりと周りの景色を飲み込むような動きで存在していた。
「何だあれ? もしかして何かのイベントか?」
拠点が開放されてまだ日が浅い。どこでどんなイベント開放条件があるかわからないので、出来ることなら調べておきたい。人数制限があるイベントならことさらだ。もし戦闘があっても死に戻りすればいいか、と防具を整えていないがとりあえずは宿を出て町の入り口へ向かう。
何故か外には誰もいなかった。プレイヤーが大分移住してきているはずで、何かしらの生活音がしても良さそうなものなのに。耳が痛くなるような無音の世界。戻った方がいいんじゃないかと止める俺がいる一方、とりあえず行けば何かわかるさ、と楽天的な俺がいる。
楽天家な俺は意外と強引だったようで、足はあの光に向かって止まることなく動いていた。
目の前にして再確認する。まるでブラックホールが光を吸い込むように、周りの景色が渦の中心へ向かって歪んでいた。ただ、その光からは嫌な感じはしなかった。一般人の勘だからどこまで信用できるかは微妙と言えば微妙だけれど。ふと、手を伸ばす。ぐにゃりと指先が伸びて吸い込まれていく。吸い込む範囲はかなり狭いようだ。つい面白がって両手を伸ばしてみた。思ったとおり引き伸ばされ、渦の中心へと向かっていく。
そして、中心に飲み込まれた瞬間、全身が引っ張られた。パニックになりながらも全力で踏ん張ったが、砂地のために引っ掛かりがない。抵抗らしい抵抗もできず、俺は怪しい光の渦に飲み込まれてしまった。
「う……んっ……?」
目を覚ますとそこは何も無い白い空間だった。
床をつま先で蹴って確かめてみると金属音に似た硬質な音が返ってくる。床や壁には継ぎ目も全くないし、扉も見当たらない。ワープでもしない限りここから出られそうにない。
「あの光はワープポータルだったのかな」
だが、イベントだとしたらこれはバグだろう。俺以外に誰もいない空間に飛ばすなど、デバックルームだと言われても納得できそうにない。ゲームマスター、――いわゆるGMであるが来たらそこらへんきちんとしてもらわないとな、とステータスメニューから運営へ通報するためにウィンドウを立ち上げようとしたのだが。
「ありゃ? 出てこないな。メニューは出るのに通報用のウィンドウが出てこないとかひっどいなぁ」
これではただの1プレイヤーにはどうしようもない。俺に残された方法は、一旦ログアウトして位置情報が変わることを祈るか、ログアウト後に運営に直接メールを送ることだ。とりあえずはログアウトしなければ話にならないとログアウトボタンを押した。
「ふふっ。おいおいやめてよ。冗談だろう?」
――何度押しても俺が現実世界に戻ることは無かった。
「いやほんとそんなのあり得ないし。マジでセンサー調子悪いんじゃないの」
何度も何度もボタンを指先で押す。カチリとシステム音はするがそれっきりだ。
だんだんと悪い想像が浮かんでくる。ヴァーチャルリアリティに取り残されるなんて御伽噺も良いところだ。元々、この技術は都合の良い夢を見せているようなもので、向こうの体に何かあれば起きるはず。だってサラさんも言ってたじゃないか。『空腹だったり生理現象でアラームが鳴る』って。それを思い出した時、突然頭を揺さぶられたような気持ち悪さと鈍痛が俺を襲った。
「がっ!? いやなんで忘れてたんだ? そりゃそうだよな。普通は1日も経てば何かしらあるはずなんだ。この前みたいに3日も放置して問題が無いなんてそれがおかしいんだよ」
そしてあの日の事故の映像が浮かび上がってくる。
「はぁはぁ。そうだよ。現実にはあんな光の球なんて出てこない。あれはゲームの表現だったんだ。なんで受け入れたんだ? 何かが、何かがおかしいぞ……」
吐き気がして床に崩れ落ちる。全身が震え、恐怖から嘔吐感が収まらない。だが胃の中に何かあるわけでもないし、アバターにそんな機能がついているわけもない。永遠に続くような嘔吐感が俺を苦しめていた。
「やはりか……。いやはや君ならもしかしてと思ったが、本当にここに来てくれるとはね」
不意にどこかで聞いたことのある声がした。確かこの声はこっちに来てから……。
「ドレ……イク……さん?」
途切れ途切れになりながらもそれだけを声にする。顔を上げるがその姿は見当たらない。
「あぁ。これでどうかな」
その声と同時に懐かしい姿が俺のすぐ前に現れた。立派な槍は持っていないが、それは確かにドレイクさんだった。ウルの村にいた頃のような微笑を浮かべている。顔見知りがいることで、安心して体の不調も収まってくる。腕が伸ばされ、俺は迷うことなく掴むと力強く引き上げられる。彼がここにいるということは、何かしらのイベントに関係しているのだろうか。いや、それよりも何で俺はあのおかしな現実を受け入れていたのか。
「お久しぶりです。今ちょっと大変なことになってて……。いやドレイクさんに言っても関係無いか」
そうだ。この人にログアウト出来ないとか伝えても意味は無い。それよりもここから出る方法を聞いた方がいいか。
ドレイクさんはこちらを向いてはいるが、顎に手を当てて、何かを考えているような仕草をしたままだ。
「すいません、ここから出――」
「……ログアウト出来ない、かな?」
俺に被せるように紡がれたその言葉を聞いた時、ぞわりと体中が泡立った。ドレイクさんに向きなおすが、一連の動きは油の切れたブリキのおもちゃのようだと比喩されてもおかしくないものだったに違いない。待て。この人は何を言った? 今、確かにログアウト、と――。
「ここはシステムから切り離された独立した空間だよ。『彼』が作り出したシステムは干渉できない」
システム? 彼が作った? 何を言ってるんだこの人。だってドレイクさんもこのゲームのキャラクターじゃないか? ただのイベントと言ってくれ……ッ!
「混乱しているようだね。それもムリはない。さて、少し昔話をしようか」
ただ、そこにいるだけのドレイクさんが、人の皮を被った恐ろしいナニカに見えてくる。
ふらふらと無意識に後ずさってしまうが、視線はドレイクさんに釘付けになっていた。
「もう、はるか昔、いつなのか正確に思い出すことさえできない」
ドレイクさんは演技がかった大げさな仕草で天を仰ぎながらゆっくりと語りだした。




