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パフェ.2 受領

 内藤の中で、一つの天秤が揺れていた。

 一方には『受領』、もう一方には『見送り』が皿に乗せられ、釣り合いもせず、一方だけに傾いて止まることもなく、ゆらゆらと揺れている。

 どちらかに傾きそうで、しかしどっちつかずの状態が続いていた。

 内藤はテーブルに両肘をついて手を組み、頭を乗せながら深刻そうに額に皺を寄せて頭を悩ませている。

 どこかからアンポンタンマーチが聞こえてきているような気がしたが、それは幻聴、またはテレビの音だと信じ、ひたすら現状について頭を巡らせていった。

 私立探偵団流れ星は、俺と星野を入れて二人。さらに出来て間もない上、はっきり言ってド素人だ。その上、経験は皆無ときている。

 そんな素人二人で、日本中を騒がせている『泥棒』なんて大犯罪者を追うことなど可能なのか? そもそも、足取りを掴めるような痕跡なんて残っているだろうか?

 これは砂漠で一粒の砂を探し出すことよりも遥かに――もはや風を掴もうとするような行動なのではないだろうか……?

 だとしたら、依頼人の甘味さんが言う『泥棒の居場所を探す』なんて調査は常識的に考えて不可能……。

 ならば当然、できもしない仕事は引き受けるべきではない。明らかに、それがお互いにとっての正解だ。

 だが……初めて舞い込んできた依頼をここで捨てても良いものだろうか。

 最悪の場合、この依頼がこの流れ星にとっての最後の依頼だったということになるかもしれない。

 ……しかし、それは受領しても見送っても両方の未来に十分にありうる可能性の話だ。

 内藤はお茶を一口すすって、弱々しいため息をつく。

 …………。

 ふと、ある言葉が頭に浮かんだ。いつ何を読んだ時に見かけた言葉だったのかは覚えていないが、不思議とはっきりと思い出した。

『あなたの運命が決まるのは、決心の瞬間だ』。

 この言葉に従えば、まさに今この瞬間こそが運命が決まる瞬間――決心の瞬間なのだろう。

 だが、と内藤は小さく息をつく。

 自分達の一生を左右するほどの重い決断を、過去の偉人達はどんな思いで、どれほどの時間をかけて決断してきたのだろうか。自分には理解できない。

「受けよーよー。ねぇねぇ、受けよーよー」

 耳元で小学生の棒読みの朗読が聞こえる。……もしかすると、真に偉大な決断は直感によって選ばれるのかもしれない。

 直感か……。

「ほら、内藤の大好きなお金だよ。お金ゲットだよー。マネーいっぱいだよー。あ、もしかすると泥棒捕まえたら警察からお菓子いっぱいもらえるかもよー?」

「俺はいつから金の亡者になったんだ。それと、警察からもらえるのはお菓子じゃない。賞金一千万円だけだ」

 そう、泥棒を捕まえられれば、数年は楽に過ごせるだけの金がもらえる。さらに、この無名の私立探偵団“流れ星”の知名度も確実に――否、飛躍的にあがる。

大犯罪者の居場所を特定できるだけの実力があると証明されるのだから、当然依頼も相当数舞い込むようになるだろう。

 が、一つだけ忘れてはならないことがある。

 相手にするのは現在日本で最も話題に上がっている大犯罪者、一度聞けば決して忘れられない強烈なメッセージを残しながらも警察を煙に巻き続ける、大胆不敵、狡猾にして神出鬼没の空き巣――『泥棒』だ。

 普通に、ごくごく普通に考えても、やはり探偵を始めたばかりの自分達が立ち向かえる……いや、それどころか警察にさえ捕まえられない、居所が掴めていない大犯罪者を一般人が、探偵が自力で少しでも足取りを掴めむことができるのだろうか?

 ……いや、やはり絶対に不可能だ。

 もしもそんなことができるのなら、この世界に指名手配犯が未だ存在し続けられるわけがない。

 しかし、初めてまともに舞い込んだ依頼をいきなり断ってしまうのも、“探偵”を自称する者としてどうなのだろうか。

 だめだ。決められない。

 結局、考えは堂々巡りし、また振り出しに戻ることとなった。

「はぁ……難しいな」

「えーっと、甘味さんー? やっぱり依頼受けるよー。うん、うん。え、住所分かるの? わかったー。じゃあねー」

 星野が受話器で何やら話し、通話を切る。

 ……は?

 今、『あまみ』と言わなかったか?

「お、おい星野。今、誰と電話してたんだ?」

 星野は床でコロコロと転がっている。

 ふと、最近はあまり床を掃除していなかったことを思い出した。

「A氏だよ―、甘味さん。依頼OKしたんだぁ」

 なるほど。やはりそうか。

 俺は椅子から立ち上がり、転がる星野に近づいていく。星野はというと、転がりすぎて目を回していた。好都合だ。

「……おい、星野。確かに所長はお前だがな、依頼を受けるかどうかぐらいはちゃんと」

 左手で星野を固定する。それから、右腕を星野の首に回して締め上げた。

「俺に相談してからにしろ!」

「うぅーっ、気持ち悪くなったぁ」

 しばらくそれを続け、星野がグッタリとした頃、玄関からせみの鳴き声のようなインターホンが鳴った。

 まさか、と星野を解放し「はーい」と返事をして急いで玄関へ向かう。

 一応、服のシワを伸ばし、少しでも誠実に見えるようにしておく。探偵業は信用と信頼だ。……と、聞いたことがある。

 古びたアパートの扉を開けると、そこには顔を真っ赤にした男が立っていた。

 茶がかったクシャクシャの髪、赤のパーカー、ジーンズという出で立ちの、二十代前半ぐらいの印象を受ける男だった。

「あ、あのっ、流れ星っ……私立探偵団流れ星って、ここですかっ……?」

「はい、そうです。もしかしてあなたが?」

 胸を抑えて苦しそうにする男は何度も頷き、一つ大きく息を吸って、吐き出してから答えた。

「電話した、甘味です。で、俺からの依頼受けてくれるんですよねっ……!?」

 今にも掴みかかってきそうな勢いで詰め寄る甘味。

 内藤は額に手を当てて、心の中で大きなため息をついた。

 ……もう、どうにでもなれ。

「はい、そうです。では、続きは中でお話しましょうか」

「は、はいっ! お、お願いしますっ」

 二人は部屋へ入り、星野がいるはずのリビングに向かった。

 すると、星野は珍しく自らグラスにオレンジジュースを注いで飲み物の準備をしていた。

 内藤は信じられないものを見たような顔をした。が、甘味は気にする様子もなく、感動で固まっている内藤の横を通り過ぎ、一番上等そうな一人用のソファにどっかりと体を預けた。そこは星野のお気に入りの席だった。

 その向かいの席に座って、内藤は話を切り出す。まずは無難な質問からだ。

「遺骨が盗まれた、ということでしたね。そのことに気がついたのはいつのことでしょうか?」

「えっと、先月の最初の週の日曜です。朝はちゃんと仏壇の前に置いてあったのに、夜――八時半ぐらいに帰ってきたら跡形もなく消えていたんです。で、あのパフェが、『ストロベリーパフェです』とかふざけたことが書いてあるカードと一緒に置いてあって……」

「ストロベリーパフェ……ですか」

 苺は好きだった。そういえば、あの『泥棒とパフェ』の付録の写真にも載っていたような記憶がある。

 テーブルに乗ったままの『泥棒とパフェ』を手に取り、最後尾の付録部分の写真を調べ始める。

 もしもその写真が載っていたとしたなら、これは個人情報の漏洩や警察の不手際云々で済む話ではなくなるだろう。

「もしかして、というか、まさかとは思うけど、その本に載ってるわけないよな……? いや、ないですよね?」

 内藤は固まった。思考も、あまりの衝撃で停止しかかった。

 これは、ない。

「……あり、ました」

「はぁっ!?」

 甘味が内藤の手から本を乱暴に奪い、自分の目で確認する。

 それもそうだろう、こんなことがあってはならないと俺も思う。

 内藤は窓の向こうの青空を見ながら、甘味を待った。

「えーと、バナナパフェじゃなくてカフェオレパフェじゃなくて……あ」

 本――『泥棒とパフェ』が絨毯の敷かれた床へ落下する。

 甘味は本を持つ姿勢のまま、引きつった表情で固まっていた。

 心なしか、体が震えているようにも見える。

 内藤は目を閉じて、自問自答をした。

 これは、どういうことなのか?

 本に先月発生した事件現場に残されたパフェの写真が何故か載っていた。

 盗品もリストアップされている。

 これは……いや、断定するには早すぎる。それに、この程度のことには警察や他の探偵も気がついているはずだ。

 とすれば、この出来たての私立探偵団流れ星の調査すべき対象が一つ見えた、ということになるだろう。

 内藤は目を開け、甘味を見た。

 この本の存在、いや、内容に気がついた被害者は何人いたのだろうか。

 気がついた者がいたとすれば、きっと甘味のような社会への絶望感、また屈辱、または憎しみ悲しみ怒り……多様な感情で胸が痛いほど満たされたことだろう。

 内藤は、なんとなくではあるが覚悟を決めた。

 それは、使命感にも似た強迫観念――胸をかき乱す感情に突き動かされたようなものだった。

 例の言葉によれば、これが『決心の瞬間』にあたるのだろう。

 内藤は無意識に、しかし確実に心から、言葉を口にした。

「甘味さん、安心してください。私達、私立探偵団流れ星が必ず『泥棒』の居場所を特定してみせます。そして必ずや、あなたの盗まれたものを取り返してみせますよ!」

 そう言って、内藤は甘味の手を取る。

 もう、どうにでもなれだった。

 だがそれは諦めの言葉ではない。

 星野が嫌がろうと、引きずってでも最善を尽くそうという捨て身の覚悟だった。

 もちろん、命は賭けない。

 しかし、残された人生の一部分ぐらいは賭けられるだろう。

 甘味は顔を上げた。

「……本当、でしょうか? 彼女は、帰ってくるでしょうか?」

 『彼女』――それは遺骨のことだろうと内藤は解釈する。

「ええ、帰ってきます。だから我々に任せてください」

 甘味はうつむき、少し思案した後、口を開いた。

 わらにもすがろうとするような、震えた声だった。

「わかり、ました。流れ星さん、どうか、どうかお願いします。泥棒の居場所を見つけて、俺の大切なものを取り返してください……!」

「もちろんです」

 内藤は頷き、サッとテーブルに三枚の用紙を並べ、ボールペンを置いた。

 そして、爽やかな笑顔を甘味に向けた。

「では、この紙に提示金額、住所、氏名を。二枚目の誓約書には同意の署名を記入してください。あ、三枚目の用紙は当探偵団のオマケです。紙飛行機でも落書き用紙でも、丸めて捨てて頂いても結構ですよ」

「……はい」

 甘味はどこか釈然としない様子で、ボールペンを左手に取り、記入し始める。

 その様子を見ていて、内藤はふと気がついた。

 そういえば、星野がやけにおとなしい。

 気になって、先ほど星野がオレンジジュースを注いでいたキッチンのほうへ目を向ける。

 しかし、星野の姿は消えていた。

 一体どこへ行ったのだろうか?

 内藤が首をかしげた、その時だった。

「オ、レ、ン、ジ、ジュー……うわっ」

 嫌な予感が内藤の脳内を瞬間的に駆け抜ける。

 やっぱり今日はツイていないみたいだ……。

 内藤は諦めたような、どこか悟ったような表情で、声のした後方に振り向いた。

 もう、ため息すら出なかった。

 案の定、三つのグラスが宙を舞っており、鮮やかなオレンジ色の液体が躍動的に宙という舞台に踊っていた。

 グラスの一つが内藤の額にぶつかる。グラスはもちろん、ガラス製だった。

「いっ……!」

 痛みに悶えた時、甘味が契約書に記入している最中だったことを思い出す。

 ……もう、どうにでもなれ。

 これは確かに、諦めの言葉だった。

 内藤は滑空する二つのグラスを見送った。

 その後、甘味特有の頭痛を引き起こす特大の悲鳴が上がり、契約書は爽やかな香料付きのオレンジ色に染まることとなった。

 甘味が帰ったあと、内藤は星野を締め上げ、星野の夕飯を抜くことを宣告。

 内藤は今後の予定について、小学生の駄々を聞き流しながらパソコンを前に考えるのだった。

 新たな『泥棒』のニュース、『ミルクパフェ』が発見された事件についてのネットの記事を読み、茶をすすりながら。


 ともあれ契約が結ばれたことに変わりはなく、私立探偵団流れ星は、警察でさえ全容を掴めていないはずの大犯罪者『泥棒』の居場所を特定し、盗品を取り返すという荒唐無稽にして前人未到の、常識的に考えて明らかに無謀な活動を始めることとなった。


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