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リンと鬼  作者: すすす
旅時期
9/16

09:ころぼっくる

 松の茂るうつくしい島々。

 逆さまに見ると、天の架け橋に見える海岸。

 海上に浮かぶ、古の神殿。


 三大祭りとか、六名山とか、百景とか。

 動物、植物、風景、文化。思い出すだけで、幸せな気分になります。


 私はここ数ヶ月間の、旅の美しい風景を思い出しながら、じっとたき火を見つめました。

 まわりには、鬱蒼とした木々が生い茂っています。

 日はとっくに暮れて、たき火の向かい側には、私の旅の道連れである、鬼の鹿角(しかづの)さんが座っております。


 ――遭難しました。


 いえ、正確に言うと、人里へ向かうと思わしき方向を目指してはいるのですが、まあそういう現状は、いわゆる遭難ですよね。

 今日も野宿です。三日目ともなれば、もう手慣れたものです。


 事の起こりは数日前、温泉を出てから、すぐのことでした。






 おまわりさんは勘弁です。


 などと鹿角さんのしっぽを思い出しながら、誰にともなく言い訳をしていました。

 その時ちょうど、おまわりさんといえば、という訳でもないのですが、山中に悲鳴が響きました。

 少女のような甲高い声です。

 声のした方を見ると、向こう岸に、子供の姿が見え隠れしています。

 木々の間に、子供が大きめのカラスに襲われていました。


「きゃーっ!」


 ギャア、ギャア、ギャア、


 カラスとは言え、子供が怪我をする恐れだってあります。

 私は小さい子の味方です。アッ、おまわりさんは勘弁です。

 小さい子は年長者が助けるのが、道義だと思います。昔、村のねえさんが私を助けてくれたみたいにですね。

 などと語るに落ちる言い訳をしながら、私は子供を助けに向かいます。


 そこには、私の胸元まで届こうかという、背の高いフキが生い茂っていました。

 カラスがたかり、フキが動いているので、子供の行き先は見当が付きます。


 私は旅歩き用の杖で、雑草を払ったり、カラスに牽制したりしました。

 子供をかばいます。子供はまだ、私の腰くらいの背丈でした。


 おぉっ、人に対して物怖じしないカラスですね。集団戦とはこしゃくなっ。


 ギャア、ギャア、


 一体なにが、彼らをそんなに熱くさせるのでしょうか……!


 カラスが狙っているらしき、子供の背負い荷物を、ちらりと見ます。

 子供の割に大きなつづらを、がっつりと背負っています。

 においも見た目も、別に変わったところはないですが……。

 旅人のご飯などを見て、カラスが、箱の中には食べ物がある、とでも覚えちゃったのでしょうか。


 カラスを完全に追い払った時、私と子供は、最初に下りた土手から随分と離れてしまってました。

 川はあっち。土手はあっち。元の山道はあっち。


 よし、大丈夫。覚えてます。


「大丈夫ですか?」


 つい敬語で尋ねます。


 最近は鹿角さんとばかり喋っているので、敬語が癖になってます。

 自分の予期せぬ敬語にびっくりしました。まあいいや。敬語で通します。


 私の問いかけに、子供は慌ててお辞儀をしました。


「はい、大丈夫です。……すみません。助かりました。」

「まあ。小さいのにしっかりしてるのですね。子供ひとりでこんな所を歩いているとは、(てて)ごや母ごどのはいないんですか?」


 私は辺りを見回します。遠くに鹿角さんが見えました。


「いえ、その。……おれひとりです。」


 子供は、ぱたぱたと、カラスについばまれた身なりを直しています。


 私も、背中の泥を落とすのを手伝いました。

 小さい背中です。ねえさんたちが産んだ、鬼の村のこども達を思い出します。

 子供は、肩までの少し長めの髪です。服装だけ見ると、男の子のようです。

 子供の割には動きが達者と言うか、妙に堂に入ってます。

 その様子に、子供扱いするのも違うかな。とは思いつつ、さっきはカラスに負けていたので声を掛けます。


「おうちは近いんですか? 送りましょうか。」


「だいじょぶです。……さっき、カラスはこれを狙ってたんです。」


 男の子は背中に隠していた宝玉を、私に見せてくれました。


 透明でしたが、角度によっては虹色に輝き、奥は炎のようにチラチラと揺らめいて、光っています。

 男の子の両手に、すっぽりとおさまっていて、私は思わず、ため息がもれました。


「きれいですね……。」


 いいものを見させて頂きました。


「おれの村の、明かりや井戸などの動力になるのです。これを隣山から持ってくる使いの途中で、今はその帰りでした。」


 男の子の説明に、私は隣山を見ます。

 隣山は遠くにかすみ、どう見ても子供を使いにやる距離じゃありません。

 その時に私は、男の子の耳が少しとがっているのを見て、やっと、この子供が人間ではないのだと気が付きました。


「これを無くしたら、おれは村で怒られるところでした。助けていただいたお礼に、村にお越し下さい。ごちそうをします。」


 にっこり笑って、私の手を引き懐いてくる子供を、私は微笑ましく見ます。

 しっかりしてるし、人なつっこいのですね。


「おれは、コロボックルの村のキルリと言います。」


 ころぼっくる。こびとの種族ですね。あら、見た目は人間の子供と、あんまり変わらないのですね。

 ころぼっくるの村のご馳走とおもてなし……。

 私は、その魅力的なお誘いに、ゴクリと、のどを鳴らします。


「キルリくんですか。私はリンと言います。」

「えーと……、おれはたぶん、リンさんより歳が上なのです。」


 キルリくんは、私の、くん付けに困ったような顔をしながら、私に衝撃的な告白をしました。

 私の年齢が十八才前後なので、それより年上というと。


「な……。」


 なんという合法なんとか。


「……おいくつですか。」

「成人してます。」


 ちまっとした身なりで首をかしげながら、キルリくんは言いました。

 私は、自分よりも背の大きい人は、子供時分の奉公先の厳しいしつけがあって、苦手なのです。

 自分よりも小さければ小さいほど、好ましいのです。

 そして法に触れなければ、なお良し。

 なんと言うことでしょう。私の理想が今、ここに体現されています。


「キルリさん。」

「いや……、……呼び方は何でもいいですけど。」

「キルリくん。」


「リンさん。お礼のおもてなしを、受けてくれますか?」

「えっとあの……。その、ご迷惑じゃなければ……。」


 私は、食欲と理想の体現に、もじもじしながら、キルリくんにお返事しました。

 いつの間にかしゃがみ込んで、キルリくんと同じ目線で、手を握り合っています。

 交渉とその成立の光景です。


「あ。でも、旅の連れの鬼さんがいるのです。その鬼さんに相談してから……うわびっくりした!」


 振り返った時に、すでに真後ろに佇んでいた鹿角さんに、私は敬語以外のリアクションが出ました。

 しゃがんでいると、鹿角さんはますます大きく見えますね。

 しかし、これがキルリくんの通常の目線という事ですか。


 キルリくんは物怖じせずに、にっこり笑いました。


「お連れさまも、一緒にどうぞ。」


 子供の笑顔とは、罪のない者ですね。子供じゃなかったですけど。

 いい子ですね。子じゃなかったですけど。


「いや、」


「良いですか。良いですよね。ではおれの村はこっちです。出発しましょうね。」


 鹿角さんのうめき声を遮って、キルリくんは私の手を引きます。

 道を進ませました。


 浜辺のカメならぬ、森の中のこびとさんを助けたならば、タイやヒラメの舞い踊り……。

 私は、ころぼっくるの村に思いをはせます。

 個人的嗜好の絡んだハプニングは、人を軽率にさせる何かがあります。少なくとも、私にとっては……。

 キルリくんの歩く道筋は、元の道へ戻っているような、横切っているような……。ジグザグに進みながら、とにかく、見たことがない細道にたどり着きました。


 キルリくんは後ろを振り向きながら、私に言います。


「ここから先は、特別な道なので、リンさんは、おれが持ち上げますね。」


「え?」


 私の返事を待たずに、キルリくんは私を持ち上げて走ります。

 カメさんならぬ、こびとさんの背に乗って、ころぼっくるの村へ行くのですか。

 キルリくんは、素早い駆け足で、山道を進みます。


「いや、そんな、私、自分で歩きます。」


「人間には歩きにくい道なのです。村に着くまで、じっとしてて下さいね。」


 キルリくんは、走る速さを上げました。

 私の横を通り過ぎる景色は、絶えず流れ、土を踏む音は、疲れを見せません。


 大きなつづらも背負っているのに、キルリくんは力持ちですね。

 その、人ならざる早さに、私は、鬼の村にさらわれた時を思い出しました。


 あれ……。運ばれていると言うより、さらわれ……いやいや。お招きを受けて、運ばれているだけです。

 いや、主観の違いでしかないですが。まさかねそんな。ははは。


「あれっ、鹿角さん。」


 急速に離れていく鹿角さんの姿に、私は声を上げます。


「だいじょうぶ。あとから追いついてきますよ。」


 キルリくんはそう言いますが、あれっ……。






 私は、遠くに離れていく鬼の鹿角(しかづの)さんに困惑したまま、密林をくぐって、大木をくぐって、巨石をくぐって、背の高いフキをくぐります。


 ころぼっくるの村に、たどり着きました。


 困惑したとは言え、キルリくんもころぼっくるの村も、人に危害を加えるようには見えませんでした。あまり不安は感じません。

 鹿角さんは、これまでの旅のなかで、無意味に私と離れることはありませんでした。

 離れたとしても、必ず意味のあることです。

 そして、鹿角さんがころぼっくるの村に、ずっと現れなかったとしても、それは私の行動が悪かったか、鹿角さんが考えて出した結果なのです。


 好奇心と危険のリスクは、最終的には、自分で負わなければなりません。

 とかなんとか考えながら、私は目の前の光景に、すっかり目を奪われていました。


 なん……、なんなんですか、ここ。

 ――なんなんですか、ここーっ!


 ころぼっくるの村は、こぢんまりした村でした。


 村のみなさんの体に合わせて、家など、すべてが小作りです。かわいい。

 村人は、ほとんどキルリくんのような子供で、たまに小さいおじさん、小さいおばさん、小さいおじいさん、小さいおばあさんです。かわいい。

 服装は、他の村とあまり変わらない着物でしたが、たまに民族的な装飾を身につけています。かわいい。


 果物や香草をあしらえた庭々は、牧歌的な雰囲気をかもし出します。

 その香りと風景は、とても心を和ませました。


 ころぼっくるは手先が器用な種族のようで、家々の装飾や細工はとても凝っています。

 落ち着いた色合い、カラフルな色合い。

 それこそ、どれもお人形さん用のようでした。


 この村は谷間にあるようで、日の入りが早く、もう夕方の景色です。


「わあ……。」


 私は感嘆の声を上げます。

 山あいに入る夕日も、もちろん美しかったのですが、村のみなさんが、すべてちいさい。


 幼女がぞろぞろと、畑仕事を終えて、小さい農具をかついで家路についています。

 きゃらきゃらと賑やかにおしゃべりしています。

 通りすがる私を、好奇心と怖さの入り交じった目で眺めました。コワクナイデスヨー。

 その瞳は、キラキラと物珍しげに輝き、頬はリンゴのようにぷっくりふっくらしています。


 この村は、キルリくんが言った通り、特別な通り道でないとたどり着けない、一種の隠れ里のようです。

 私には、この村がなぜ隠れているのか、その理由がよく分かります。


 ダメダメ! こんな可愛い村……、人目にさらしては危ないです!

 こんな……こんな子供たちだけに見える村、心ない人たちが来たらどうなってしまうのか……!


 体格差よりも、知恵と道具で、外敵に対抗する方法もあります。

 このように隠れ住むことも、この村にとって、身を守るのに有効な手段なのでしょう。

 などと思う自分が一番危ないのだと、心の片隅で自覚しながら、私はこの風景を心の奥底に、そっと刻み込みました。


 かの神秘の山深くには、そう……、私の理想郷があったのだと……。


 ぼんやり突っ立っている様子に、キルリくんは思うところがあったのか、私の着物の裾を引っぱります。


「だいじょうぶ。お連れさんも、あとから追いついてきますよ。」


 ちっちゃく「きっと。」と付け足してました。






「それまで楽しんでいって下さい。さあ、この果実酒は人間のお口にも合うと思います。」


 キルリくんに案内されたお家には、長老さんと、お料理を運ぶ方々がいらっしゃいました。

 そして、私と同じに見える、人間のおじいさんも一人いました。

 キルリくんが、おひげのながい長老さんに報告をしています。


「キルリ、ご苦労だったな。そのかたは?」


「リンさんと言います。おれが使い魔のカラスに追われていた所を、助けてくれたのです。」


 使い魔? あのカラスは使い魔だったのですか。確かに、姿は大振りで爪はとがって、目は金色でしたけども。

 長老さんは、私に説明して下さいます。


「この宝玉は、数が限られているのです。どうしてもいつも、カラスを使い魔にやる魔女と取り合いになってしまいましてな。キルリを助けて頂いて、ありがとうございました。」


 そう言いながら、私にご馳走を勧めてくれました。

 甘い果実酒に、山菜、煮物、果物。

 かわいいころぼっくるさんたちの、歌や踊りも付いてきます。

 この世ならざる宴に、私は、とても楽しみました。


「きゃあ、かわいい、かわいい!!!!!」


 手を叩いて喜ぶもとい、感動して拍手の鳴りやまない、どっちにしても同じですね私に、人間のおじいさんがお隣に来て、話相手になってくれます。


「この村が気に入りましたか?」

「えぇ、もちろんです!」


 おっとよだれが。

 部屋を見渡すと、人間は、私と、このおじいさんだけのようです。

 他のみなさんは、ころぼっくるさんでした。

 おじいさんの服装は、ころぼっくるさんたちと同じです。おじいさんは、この村で暮らしているようです。


 おじいさんは、私の返事に頷きながら、


「わしも旅の途中に、村人の招待を受けてこの村に来ました。一目でこの村が気に入ったのです。

 宝玉を利用した動力の他に、太陽光、風力、水力を利用したものがあって、とても興味深いです。浄水もおもしろくできてます。」


 おじいさんは、こういうのがお好きな方のようですね。目を輝かせて説明してくれます。

 専門的なお話はよく分かりませんが、ころぼっくるさんたちは、とてもエコな暮らしなのです。


「この村には、わしの様な人間が、他にもいます。」


 ニコニコしてるおじいさんにつられて、私もニコニコと相槌して頷きます。


「村もわしのような人間を受け入れることによって、外の情報や暮らしを知る事ができて、良いようです。」


「まあ、なるほど。」


 おじいさんが合間合間に、飲み物やおつまみを勧めてくれました。おいしいです。


「村の外では神隠しとも言われているようですが、いやいや、楽しく充実して暮らしてますよ。」


 そういえば、先程寄った宿場町でも、奥さま方が、「たまにね、あるのよ、神隠し……。」などと噂していたのを聞きました。

 身寄りのない旅人などが、神隠しにあうのが多いようです。

 私にも、もう、身寄りはありませんね……。


「リンさんもどうですか、この村が気に入ったのなら、ぜひ……。」


 スッパーン


 小気味よい音を立てて、鹿角さんが引き戸を開けて、入ってこられました。

 本当に、すぐ追いつくのですね。






「リンはうちの(村の)こですから。」


 鹿角さんは、おじいさんに短く宣言しました。

 おじいさんは鹿角さんの到着に、少し驚いたようです。

 ころぼっくるさんたちを見慣れた生活に、いきなり鬼さんはびっくりしますよね。しかし、そこは年の功です。


「そうですか。リンさんのお連れの方ですね。ようこそいらっしゃいました。――まま、どうぞどうぞ。」


 と、足労をねぎらい、鹿角さんに飲み物を勧めます。


 小さなころぼっくるさんのお家に、鹿角さんは、身動きが取りづらそうです。

 しかしこの家は、ころぼっくるさん以外のひとの、来客用のようです。

 他の建物に比べて、広く作ってありました。


 鹿角さんも、やまんばさんのお家みたいに壊すことは無さそうです。


 その間にも、歌や舞い踊りは絶えることなく、鳴り響きます。

 他のころぼっくるさんたちは、めいめいに楽しんでおられました。

 多少の物音は紛れてしまうくらい、その場の雰囲気は、わいわいがやがや、ちゃんかちゃんかピーヒャラしていたのです。


 長老さんへの報告を続けていたキルリくんが、鹿角さんを見て、若干、舌打ちをしたようにも見えました。


 私と鹿角さんは、そのまま、村のおもてなしを受けたのです。






 夜も更けました。

 私は、用意して頂いたお部屋から、庭に出てみました。

 すっきりお手入れされた庭から、夜空と村の様子を眺めます。


 このような村で暮らしてゆけたら、まるで夢のようです。

 きっと、毎日、あははうふふの楽しさでしょう。あははうふふ。


 みなさんは可愛いし、可愛いし、可愛いし、贅沢とは遠いけど、自らの手で作る、充ち満ちた暮らしは実は何よりも、贅沢な事なのだと思います。

 空を見上げながら、半分くらいうっとりと夢を見ていた私に、後ろから鹿角さんが声を掛けました。


「リン。」

「……あ、鹿角さん。こんばんはですね。」

「リンは人さらいもどきにあっている自覚はあるのか……。」


 なかなか過激なことをおっしゃいます。


「……鹿角さんがそれを言いますか。」

「……。」


 鹿角さんが若干、狼狽しました。

 注意深く見ると、目が左右に泳いでます。


「あれは一応、契約と報酬の一種であるとは思うのだが、正直すまないとは。」

「いや、すみません。意地悪を言ってしまいました。私たちが捧げ物を納める代わりに、人間の村々を他の妖怪から守って下さってるんですよね。人とあやかしの関わり方は、それぞれですよね。」


 私は手を振って、鹿角さんの言葉をとめました。

 そして鹿角さんの言う自覚を答えます。


「さらわれもどきと、私の個人的趣味のふたつの意味で、危ない橋を渡っている自覚はあります。でも、まだころぼっくるさんとは、交渉の余地はあると思ってます。

 きっと、帰して下さいといったら、普通に、帰してくれるのではないでしょうか。」


「……それだけか。」


「えっ……、他にも何かあるんですか?」


 私の個人的趣味などと暴露をしたのに、それは無視ですか。

 事態はもっと切迫しているのですか。

 鹿角さんが「キルリは。」と言って口をつぐみます。


「キルリくんはかわいいです。」


 私は、鹿角さんに頷きながら、言いかけのセリフを継ぎます。

 自らの信念を語る目は、真剣です。


「……。」

「……。」


 鹿角さんは、闇夜に光る目をこちらに向けて、いぶかしく見据えます。

 そして、


「リン。今夜中に、この村から出る。」


 藪から棒な鹿角さんの言葉に、私は改めて鹿角さんの旅支度を見ます。

 すでに準備万端ですね。


 ご招待頂いた村を、夜中に発つとは、穏やかではありません。

 そんなに鹿角さんが寝苦しい部屋にも、見えなかったですが。


「なぜですか。」

「嫌な予感がするのだ。」

「予感ですか……。」


 一緒に旅をして気が付きましたが、気分でどんぶり勘定する鹿角さんの正確性は、あまりアテにならないです。

 そういえば鬼の村にいたときも、決算だの精算だのが、たまにいい加減でしたね。

 確か、番頭さんは鹿角さんでしたよね。


 私は鹿角さんを、つい、疑わしい目で見つめます。

 鹿角さんは、私の腕をつかんで、すぐ出発というように引っぱりました。


「例えリンがこの村に住みたいと言っても。」

「私は別に、ここには住みませんよ。」

「、え?」


 庭でわいわい喋っている私と鹿角さんに、キルリくんが軒先から顔を出しました。


「どうしたんですか、リンさん。何か不都合がありましたか。」


 キルリくんは、こちらに歩いてきながら、鹿角さんのかっこに気が付きます。


「……お連れさんは、この村が気に入りませんか? 出立をするにしても、明日にしたらどうでしょうか。」

「おまえは面倒くさいから、向こうに行ってていい。」

「……この鬼はふふふ。まあそうおっしゃらず。明日、案内したい場所や、物々交換したい品があるのです。」

「いや、この村での交易も、先程、ここに着くまでに済ませてきた。」


 明日の案内を説明するキルリくんに、首を左右に振る鹿角さん。

 鹿角さん、ちゃっかりと、なにげに商売気がありますね。時々、飛脚さんを利用して鬼の村から反物を取り寄せてますし。

 私をつかんでいる鹿角さんの手を、キルリくんが離します。


「リンさんも出ていってしまうんですか?」


 悲しそうに見上げてこられたら、私は庇護欲をかき立てられます。

 こんな村に定住できたら、どんなによいでしょうか……。

 でも、みなさんは可愛いのですが、ここで暮らすかは、また違う話なのです。






 私はキルリくんに聞きました。


「さっき、おじいさんの話を聞いてて思ったのですが、この村に住んだら、もう外の世界には自由に行けないのですよね?」


 質問に質問を返すようで申し訳ないですが、この際なので、気になったところは聞いておきます。

 キルリくんは少し言いよどんで答えました。


「……そうです。」


 「神隠し」と言うくらいで「隠れ里」と言うくらいですものね。

 キルリくんは「人間の歩きにくい道」を通って、この村に来ました。

 たぶん、ころぼっくるさんの送迎がない限り、この村は、自由に行き来できないのです。


「私はまだ、旅暮らしを捨てることは考えられません。この村に住むことは、できないです。」


 私はキルリくんの目を見て、できるだけ誠実に伝えます。

 まだ()つ国にも行ってないですしね。

 二度とねえさんたちに会えなくなる事も、まだ考えられないのです。


 キルリくんは、私の両手をつかみます。


「……今すぐに、出てってしまうんですか?」


 いやさすがに、この夜中にすぐとは考えてなかったですけどね。

 正直、二、三日はこの村にいたいなとか、目論んでたんですけどね……。


 気に入りましたけど、村に定住する気はない。とか、気まずいことを言っちゃった手前、できるだけ早い出立になっちゃいそうなノリです。


「そうですね、名残惜しいのですが……、明日あたりには。」

「村を出たら、もう二度と、ここに来ることはできないです。」


 心残りたっぷりな私を引き留めるように、キルリくんが私を見上げながら訴えます。

 な……んですって……。


 まさかの見納めです。






 呆然とする私に、いつの間にか鹿角さんは、私の荷物を持って準備してます。

 私は部屋に着いてから、まだ荷解きをしていなかったんですね。

 鹿角さんは、私の肩をつかみます。


「長引けば別れが悲しくなるから出発だ。それでは世話になったな。」


 半ば私を引きずって、鹿角さんは庭から小道へと出ました。


「え。まさか本当に夜中に出発ですか。せめて明日の朝では。」

「この村に長居したくない。」


 鹿角さんに肩を引っぱられて、歩みの遅い私に、キルリくんが呼びかけます。

 横歩きとか後ろ歩きとか、きついです。


「リンさん、えっとあの。……そっちは道が違いますよ。」

「…違うそうですよ。鹿角さん。」


 鹿角さんは、やっと足を止めてくれました。

 私は、キルリくんに、お礼とお別れの挨拶をして、草履をきちんとはき直します。

 キルリくんは、


「えっ、本当に今、出てゆかれるのですか。」


 と驚きましたけど、なんで言い出した鹿角さんまで、軽く驚いてるんですか。

 明日で良いなら、明日にします……。






 私と鹿角さんは、村を出て、キルリくんの言う「人間の歩きにくい道」を歩いています。


 鹿角さんは、私の腕を引いてます。

 鹿角さんの手のひらは、私の腕をつかんで、まだあまるくらい大きいです。

 凶悪に角張った骨格ですが、つかむ力は、生かさず殺さず、違った。強すぎず弱すぎずの力加減です。


 温かい体温が伝わりました。


 人間の通りにくい道とやらは、いわゆる妖怪変化が通る、空間が不安定な道のようです。

 真っ直ぐ歩いてるはずなのに、月が右に見えたり後ろに見えたりします。

 片手側が見上げる崖、片手側が落ちたら痛そうな土手です。

 ころぼっくるさん用の細道なので、鹿角さんは歩きにくそうです。


 鹿角さんなりに私を気遣っているのか、おぼつかない口調で尋ねます。


「……ころぼっくるの村を出て来て、よかったのか。」

「キルリくんに説明した通りです。いいのです。」


 鹿角さんもなんの事情か、お急ぎのようですし。

 私はまだ、成り行きや日頃の行いやしっぽなどを総合的に考えて、鹿角さんと旅の道連れをやめる気はないです。


「あと。」


 私は少し考えて、付け足します。つい頬がゆるんでしまいました。


「鹿角さんが「うちの子」って言ってくれたから、私はよその村の子にならなくてもいいのです。」


 ひとの村で鬼の供物になってから、鬼の村を夜逃げしてから、私は、住所不定身元不確かになったと思っていました。

 誰かが、私の身元を保証してくれると思いませんでした。

 だから、夜中にころぼっくるの村を出てもいいのです。大丈夫なのです。


 ずるぁっ


 ガラガラどしゃーっ


 どうしてそこでいきなり足を踏み外しますか。

 少々の沈黙の後、唐突に足を滑らせた鹿角さんに巻き込まれて、私は細道の片側の土手を、目の回るまで滑り落ちたのでした。






 やっと、遭難しました、と言ってた冒頭に戻ります。

 たき火のはぜる音が、暗闇に響きます。


 パチッ パチ……


 ころぼっくるの村から道を外れた私と鹿角さんは、どことも知れない森をさまよう羽目になったのでした。

 今日で三日目です。

 木々の様子を見ると、越えていた峠とは、また違う地域のようです。

 たき火のはぜる音に混じり、鹿角さんが口を開きます。


「すまなかった。おれが足を滑らせたせいで。」

「そんな何回も謝って頂かなくても。そんな。足もと悪いところで話し続けた私が悪かったです。」


 何だかんだと、鹿角さんがかばってくれたので、大きな怪我もないです。

 これまでも、鹿角さんのおかげで危険を逃れたことが多かったので、私は鹿角さんに頭が上がりません。

 だから夜歩きは危ないと。などとは一応思いましたが、それは自分でも承知して出てきたのだし、旅の道連れは、一蓮托生で連帯責任なのです。

 携帯食も足りてます。現地調達も足りてます。


 大丈夫です。


 パチッ パチ……


「……。」

「……。」


 なんでこっちの機を窺うように見てんですか。

 急に会話が途切れるし、連日の山歩きにお疲れなのですか。

 不可解な空気に、私は少し後ずさります。


「……火は見ているから休むといい。」

「はい。しばらくしたら交代しますね。」


 たき火に程よく当たりながら、私は楽な姿勢を取り、目を閉じました。


 そして自分でも驚くほどの安心感に包まれて、眠りについたのです。






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