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リンと鬼  作者: すすす
旅時期
8/16

08:温泉

 私が鬼の村を出てから、はや六ヶ月が経ちました。


 思えば遠くまで来たものです。

 この先どこまでゆくのやら。まあ、飽くまでぶらり旅なんですけどね。


 旅の道連れ、鬼の鹿角(しかづの)さんとも、最近やっと気心が知れてきたと、思わなくもないです。

 鹿角さんの目は相変わらず、薄い黄色と小さい瞳孔で、感情が読みにくいです。

 しかし、どうやら鹿角さんは、怒るというのはそんなにしないみたいです。

 どちらかというと、気は長い方だとお見受け致します。


 たまに、そこはかとないプレッシャーを感じることがありますが。


 根拠のないプレッシャーを受け流しつつ、私は鹿角さんと共に、街道に沿って観光地を巡っておりました。


 街道沿いとはいえ、場所によっては治安の悪いところもあります。

 要するに、盗賊とか追い剥ぎとか、または人を騙そうとする人たちだとか。

 そういう輩もいるのですが、ままそれなりに楽しく、時に厳しく、旅をしておりました。


 見た目の威嚇って……大事なんですね。


 まあ……、不用意に他人を怖がらせて、逆に損をすることもございますが。

 いちおう手間やお金をかけても、安全第一な旅路を心がけてはいますが、鹿角さんのおかげで何度、大事なく済んだかしれません。

 私は、少し離れたところを歩く鹿角さんを、そっと伺いました。


 ……敵には回したくないものです。


 鹿角さんの戦い方は、腕力に頼ったものだったので、私には到底真似できるものではありませんでした。

 惜しい。私は少しだけため息をつきます。






 路銀の問題は、現地でバイトしたり、旅に必要な物を売ったり買ったり交換したりで、まかなっておりました。

 鹿角さんは、行商や貿易っぽいことをしているようです。

 本当は、正当な許可だの証書だのが必要なようなのですが、どうなっているのでしょうか。

 鹿角さんに聞いたところ、意外とそう言う事は、ちゃんとに整えてあるそうです。意外です。


 私と鹿角さんは、温泉街に立ち寄りました。


 おもな街道の交差点にもあたります。

 通行客と観光客と地元民があふれて、にぎやかです。

 子供も奥さまがたも元気です。何とも言えない活気がありました。


 人間、獣人、こびと、妖精。さまざまな種族、民族が歩いてました。


 真っ黒な羽と、行者姿のカラス天狗さん。

 青白い肌と、白に近い長髪。妖し美しい雪女さん。

 蛙のようなミドリ色の肌の、かっぱさん。

 人形のような大きさの、貧乏神さんに、福の神さん。


 通り過ぎる人の大きさも、手のひらサイズから家一件分までと、様々でした。

 故郷にいたのでは、お目にかかれなかった種族さんたちです。かわいいかわいい、かっこいいかっこいい。


 旅人をはじめ、お侍さん、浪人さん、ちんどん屋さん。

 天秤をかついだ魚売りさん、しじみ売りさんなど、せわしなく行き交います。


 このような町まで来ると、鬼も珍しくないのか、鹿角さんは普通に歩いてます。

 劇場では、旅芸人一座の上演があるのですね。

 これは細かい仕事の工芸品です。ころぼっくるという小人の種族が(おろ)しているのですね。きれいです。


 屋台のにおいも、香ばしかったり甘かったり、とても良いかおりです。






 さて、温泉……。


 私は屋台のご飯でお腹を満たしながら、案内板を見ます。


 温泉とくれば、年頃の男女がうっかり鉢合わせちゃってキャー、なんていう展開ですね。

 まあ他にも、夜ばい文化だの、そもそもが混浴だよ、だのがありますが。

 ジャポニズムとは大らかなものです。性的な意味で。性的な意味で。

 気を付けなければならないので、二度言いました。


 案内板によると、色んな所に温泉が湧いているみたいです。

 宿まで引いているところもあれば、ちょっと奥まったところに源泉だの、露天風呂だのがあるようです。

 私の現在地は、街道沿いということで、ちょっと歩かないと温泉はないみたいです。


 せっかく来たので、ここらで一泊といきたいところですが。

 急ぐ旅でもないのですが。でもこの町には、温泉に来た訳じゃないのです。

 あいにく、街道の通りすがりってだけなのです。

 ちょうど良い季節である今の内に、眼前に迫る山越えを、済ませておきたいのです。


 温泉の誘惑と、山越えの理性の間に、私の心は揺れ動きました。

 旅歩きで疲れた体にとって、温泉というのは魅力的です。


「うーん。」


「リン。右手に甘栗、左手に饅頭を持って、何をそんなに悩んでいる。」


 なんか楽しそうな出で立ちの私に、鹿角さんは突っ込みを入れて下さいました。

 両手に屋台菓子を持って、頭の中は温泉とかいう、ぜいたくな悩みをしています。


 自分の格好に気まずい思いをしながら、私は鹿角さんに温泉に行くべきか、街道を進むべきか、悩んでいる旨を打ち明けました。

 鹿角さんは、「なるほど」と言って案内板を指さします。


「街道ではなく、こちらの川沿いの道をゆけば、二、三日歩いても温泉がある。悪路になるが、気が向けば温泉もあるし、山越えへの道も進められる。」


 ほほう、問題の先送りですか。

 道は悪くなりますが、温泉と山越えの二兎を追うわけですね。


 ――悪くない。

 私は団子で甘くなった口を、つり上げました。

 鹿角さんとの駆け引きは、既に始まっているとも気付かずに……。






 街道を外れた道は、人通りが半分以下になりました。

 抜け道に使うのか、目当ての温泉への観光なのか、人影もまばらです。

 道は急勾配(きゅうこうばい)で、さっきの説明通り、岩場の多い地形です。

 なるほど、歩きにくいですね。


 さて、人は山歩きの最中に一雨降られて、ずぶ濡れになったらどうするのでしょうか。


 しとしと、しと


 山の天気は変わりやすいとはいえ、先程までの豪雨はいったい……。

 私は、雨だれの滴る枝先を見つめながら、この世の摂理に思いをはせます。


 今は季節の変わり目です。

 雨上がりの山中は、少し肌寒いです。

 ふと、横に目をやれば、湯気と香りのたつ川面。

 温泉ですね。


 つい湯加減を確かめに、山道をそれて、土手をおりて、川に手を突っ込んでも、誰が責められましょうか。

 いいえ。誰にも責められません。反語です。


「あ、ったか、い、……。」


 私は、じいん、と感動の声を上げます。

 ここは木々や岩場が乱立して、適当に身も隠せます。

 雨が降ったせいもあって、通行人は鹿角さんだけです。


 ……温泉に入るのなら、今。


 紫色に冷えた指先も、冷たさに痺れるつま先も、温泉に入れば回復できるのです。


 しかし、鹿角さんがいるのでは気が引けます。

 しかし、岩影も乱立している中で、じゅうぶん離れればイケるのではないでしょうか。

 しかし。


「リン。おれは着物をしぼるから。こちらを見るな。」


「了解しました。私もしぼります。」


 私よりも早く端的に、鹿角さんは提案しました。


 鹿角さんも雨にドバッと降られて、たてがみが半分くらいになってます。

 容量が減った分、迫力も半減かと思いきや、たてがみと着物が、骨と筋肉にぴったりとくっついて、そのシルエットはますます化け物じみて、怖いです。


 もしも山道で知らない人が出会ったら、叫ぶか逃げるか気を失うかだと思います。

 しかし寒そうです。

 着物も雨を吸って重そうです。大きさの分だけ、重量もありそうです。

 私も似たような惨状だとは思いますが。


 鹿角さんは、ざかざかと手早く着物を脱いで、水気をしぼります。

 私も、ざかざかと水面を分け入って、鹿角さんから思う存分、離れます。

 ちょうどいい岩陰があったので、そこに隠れて、着物を脱ぎ、水気をしぼります。


 ざばーっ


 ぽたぽた……ぽた。


 ざざっ パンパンッ


 着物をしぼって、はたいて、シワを伸ばします。

 濡れた布にちょうど良い遠心力だかが働いて、スパンッと音が鳴ると、気持ちが良いです。


 私は膝下までお湯に浸かります。冷えた体には少し熱いです。

 ううむ。川の中は場所によって、ずいぶんと深さと温度が違うのですね。

 この辺がちょうど良いでしょうか。腰掛けて、ゆっくりしましょうかね。


「……うぅ。……うはーあ。」


 おじさんくさいうめき声をあげながら、私は温泉の暖かみと、川の流れを堪能しました。

 いやぁ。温泉って、ほんっ……とうに良いものですねえ!

 極楽、極楽。お肌もつるつるになると良いですね。


 おや、さっきまでの寒さが嘘のように、小汗も出てきました。

 川のあっちの方が、お湯がぬるいようです。移動してみましょう。


 つるっ


「きゃっ。」


「どうした。」


 鹿角さんが、異様に素早い対応でこちらに来て下さいました。逆に鹿角さんにびっくりです。


「なんでもないです。足をすべらせただけです。」

「いや、それよりもなぜ、既に着物を着ている。」


 それよりもとは何ですか。


 人が足を滑らせたというのに。

 私の洗濯脱水の一連スキルを、なめないで頂きたい。

 まあ生乾きですが、さっきよりも過ごしやすいです。次の宿場まで保ちます。

 その合間に足湯でもしてれば、じわじわと、全身あったかくもなります。温泉すごい。


 かく言う鹿角さんは、まだ着物を着てないですね。

 湯気とか岩陰とか木立とかが、良い仕事してます。そのまま何も見せないで下さい。


「私の方は終わりました。鹿角さんは、おしたく、まだですか? もう少しゆっくりしますか。」


「……脱水するの、はやくないか。」

「……いそぎましたので。」


「……そうか。いや、こっちもすぐに終わる。」


 鹿角さんは肩を落として、元の場所に戻ります。

 あれ、私、鹿角さんに対して、悲鳴でも上げた方が良かったですか。

 リアクションが薄かったですか。

 助けに来てくれた風だったので、悲鳴を上げ損ねました。

 あと、露出魔に悲鳴を上げては、ますます相手を喜ばすだけだって、ねえさんから教わったので。つい薄い反応になりました。

 むしろ鹿角さんが、私に見られてしまった事に対して、おののいて下さい。もうちょっと。


 その時、私は、はっと息を呑みます。

 すごすごと歩く鹿角さんの後ろ姿。

 そこには鹿の角とたてがみ。そこから続く背中──。


 果たしてその下には。


 鹿角さん。しっぽがあったのですね。鹿に似たしっぽが。


 私は、おののきます。

 茶色いたてがみは場所によって色を変え、しっぽの辺りは、白くて柔らかそうな鹿毛(しかげ)です。鹿毛って何でしょうね。まぁそんな毛ですよ。

 ちなみに、馬の毛色で鹿毛(かげ)というのがあるそうですが、それは茶褐色のいろの事だそうです。


 鹿角さんは、私の無遠慮な視線に気が付いたのか、顔だけこちらを振り向いて、威嚇します。

 私は、そっと目をそらしました。


 なんだそのしっぽは、けしからん! 思わぬ所でふかふかですよ、まったくもう!!


 でも、私のしっぽへの興味は、鹿角さんにとって失礼かもしれないです。

 私はこの場を去りましょう。


「触りたければ触るがいい。」


 いやに堂々とケツいや背中を向ける鹿角さん。

 私は思わず逡巡します。

 私見ですが、動物の尻尾というのは癒し効果があると思います。

 耳派やら肉球派やら、色々あるとは思いますが、ここでしっぽをホイホイ出されては、ウホッとさわってみたくなるのが、人情だと思います。


 私の手は理性に反して、おずおずと鹿角さんのしっぽへ伸びました。


 しかし。


 しかし、私はその手を、ぐっ、と押しとどめます。

 私は……、鹿角さんのしっぽをさわれば、何かを得て、何かを失う気がするのです。

 鹿角さんの大きな背中に対して、この距離感を縮めてはいけない、と、鬼の村の数年でつちかった、なけなしの勘が、そう訴えているのです。

 私は断腸の思いで、おさわりの辞退を申し上げました。


「……も、申し訳ないので、……結構です。」


 うう、この。鹿角さんのしっぽが、ゆったりと揺れます。

 鹿角さんはまるで、商談の隙を見つけた時のように、満足そうにしました。

 しっぽに機嫌が表れるのですか。

 そして、湯煙の中にしっぽ、いや姿を消されたのでした。


 着物……しっぽの所には、穴があいてないんですね。


 私は、身支度を整えた鹿角さんを見ました。

 鹿角さんのしっぽ部分と思わしき箇所を、どうしても目で追ってしまいます。


 でも、それは仕方のない事なのだと、ご容赦頂きたいのです。


 それでも私はやってません。





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